第9話 問題児
図書館内に静寂とは程遠い怒声が響き渡る。
汚い差別的発言をしている少年の声と、それに反抗している複数人の少女たちの声だ。傍聴していて、どちらが悪いのかは明白。耳に入ってくるだけで不快な単語を幾つも、それも偉そうに垂れているのは少年の方だし。
喧嘩ならせめて外でやってくれればいいものを。図書館内には静かに読書をしたい人や、勉強に集中したい学生たちがたくさんいるというのに。
本来ならば筒抜けになった図書館中央から飛び降りて現場に急行するべきなんだろうけど、行くのが嫌なので最大限の抵抗として階段をゆっくり下りながら向かう。
それに、何故かシオン様も一緒に行きます! と言ってついてきているので、飛び降りることはできない。
「なんだか、言い争いが過熱している気がしますね……」
「そうですね。これは階段を下りてゆっくり向かったのは悪手だったかもしれません」
比較的落ち着いているうちに向かった方がよかったかも。
いや、今更そんなことを言っていてもしょうがない。相手は貴族だし、どうせ司書であっても僕が行ったら色々と言われるだろうし。
貴族至上主義なら、高貴な身分でない僕が物申せば罵倒などの嵐だろう。
もっとも、この図書館内での規律は守ってもらわなければならないし、その判断は国王陛下から直接僕に委ねるとお申し付け頂いている。ふふふ、つまり僕に処遇の決定権があるんだ。
雷天断章を召喚したままの状態で二階に下り立ち、僕はトラブルの渦中にある少年少女たちに声をかける。
「どうかしたのかな? 図書館内では静かにしてもらいたいんだが……」
「あ、司書さん」
少女の一人──この子も顔見知りだ──が僕の呼びかけに反応し、状況を簡単に説明してくれた。
「この男がいきなり私たちが読んでいた本を横取りしてきたんですッ!しかも、咎めた途端に逆上して本をこの子に投げつけて!」
「うん? 投げつけた?」
その少女の隣にいた子を見ると、投げつけられた本が額に直撃したのか、少し血が滲んでいた。近くの床には直撃したと思われる本が転がっている。
はぁ。わかっていたけれど、ここまで来るとどちらが悪いかは一目瞭然だね。
眼鏡をかけ直し、僕は怪我をしている少女の元へと近づき、彼女の血が滲む額に手を触れた。
「ぇ」
「ちょっとごめんね。すぐに傷を治してあげるから」
魔力を込めて簡単な治癒魔法を彼女に施す。
本当に軽い怪我だから、これですぐに治るだろう。若いから自然治癒力も高いだろうし。案の定、数秒程ですぐに傷は治った。
「うん、痛かったね」
「あ、ありがとうございます」
ここまで慰めてあげなくてはならない歳ではないのだろうけど、僕からしたらこの子たちはまだ子供。だから、どうしても妹のような扱いをしてしまう。
まぁ、彼女は恥ずかしそうに俯いてしまったのだけれど。
さて、本題に入ろうかな。
少年と少女たちから少し離れ、あくまで裁定者──第三者としての立ち位置で問い尋ねる。
「それで、確が女の子たちが読んでいた本を君が横取りしたということだったね。どうしてそんなことをしたのかな?」
「おいお前、誰に物を言っているんだ!」
「は?」
想定外の言葉が飛んできて唖然としてしまう。
この少年は一体何を言っている──あぁ、なるほど。そういうことか。
典型的な悪い貴族とはこういうことか。
「言ってる意味は大体わかるけど、平民が貴族に対してそんな口を聞くな、とかそんな感じか?」
「当然だろうが! 貴様は平民であろう! ならば、グランツ伯爵家次期当主の俺に対する言葉遣い、態度を改めろッ!!」
「はぁ……」
呆れすぎてため息が出てくる。
仮にも自分が他者に怪我を負わせたというのに、それに対する反省の色は全くないわけ? こんな馬鹿を育てるような家に爵位を与えるとかどうなっているんだ?
話を聞いていた図書館内の人たちも皆不快そうな目を向けているし、少女たちに至っては睨み殺さん勢いだ。
シオン様は、口元を押さえて吐きそうにしている。そこまでですか。
「貴族としての振る舞いに欠ける君に対して敬意を抱くことはないから、僕は態度を改めない。誰に対しても平等、且つ自分に正直にというのが僕の信条だからね」
「なんだとッ!!」
「それに、僕はこの図書館の司書だ。ここで起こった問題を解決する義務があるし、その際の裁定は僕の判断に委ねると国王陛下から承っている。当然、貴族であろうと平民であろうと、身分は関係なしだ」
「──ッ」
国王陛下という名が出て、迂闊にものを言うことを恐れたのだろう。
グランツ伯爵家次期当主……確か、嫌われ者のレベスって言ったか? 大概いそうな取り巻きがいないのは、彼の人望のなさを示しているのかもしれないな。
視線を泳がせた奴だったが、ちらりと僕の背後にいるシオン様を見つけると、微かに口角を吊り上げた。
その意図は……わからないな。特に言葉を交わすわけでもない。
「で、知っての通り……君は知らないのかな? 人が読んでいる本を横取りするのは禁止行為だし、そもそも倫理的にアウトだ。それは事実だね?」
「き、貴族は優遇されるべきものであって──」
「それは君の中での認識だ。この図書館内では全員が平等。貴族だからといって人の読み物を横取りすることは許されないし、逆上して人を怪我させるなんてことももってのほかだ。しかも──」
風魔法でこちらに浮かせた本を手に取る。
あーあ、やっぱり。落ちたかたが悪かったみたいで、ページが破れてしまっているし、折り目までついている。
「ここの書物をこんな風にするなんて論外。今回の件は、完全に君が悪いね。はぁ、王国の貴族がここまで低俗な輩なんて、がっかりだよ。失望した」
「て、低俗だとッ!?」
僕の発言が癪に障った(わざと)レベスは拳を震わせ、顔を真っ赤にして怒鳴り声を上げる。
「さっきから聞いていれば平民如きが偉そうな口を聞くなッ!! 俺は伯爵家の人間だぞッ!? 高貴な身である俺に向かって失礼千万な態度を……」
怒りで我を忘れたレベスは背後に控えていた護衛に怒鳴りつける。
「お前たち、こいつを処罰してしまえッ!!!」
「承知いたしました。不遜なその者を切り捨てます」
腰元の剣を抜刀した護衛が二人、僕に迫る。
上段に構えたそれは、すぐにでも僕を切り捨てるために振るわれることだろうね。でも、護衛の割には強そうには見えない。そもそも──。
「護衛が主人を護るため以外に剣を抜いてどうするんだよ」
目的を完全に履き違えていることにも呆れるけど、それ以前に僕は今魔導書を召喚した状態で、即座に魔法を発動させることができるんだ。
それなのに剣で勝てると思っている辺り、この護衛たちの程度の低さが伺える。
呆れと共に僕は迫ってきた護衛二人に地面を伝わせた雷を流す。
以前シオン様に行ったマッサージ用のものではなく、意識を完全に狩り取るほどの威力を持つ雷だ。それでも、後遺症や怪我などは一切なく、ただ単に気絶させる程度のものだけど。
剣をカランと床に落として倒れ伏した二人の護衛を一瞥し、僕はパタンと魔導書を閉じた。
傍から見れば、僕は何もせずに立ったままであり、向かってきた護衛たちが勝手に気絶し倒れこんだように見える。魔導書の強さが全てではないけれど、剣で魔法士に対抗しようとするなら相応以上の実力がないとね。
倒れた護衛を見たレベスは、数歩後ずさった。
「い──っ」
「グランツ伯爵家次期当主レベス様。これより、貴方方一族の一切の図書館への入館を禁止致します。既に魔力を記録致しましたので、強引に入館なさろうとした際には強力な電撃が身体を焼き焦がすことになりますので、ご注意を。それと──」
人差し指をくいっと上にあげると、レベスをはじめとした一行の身体が宙に浮かび上がり、独りでに開いた図書館入り口の扉の中へと吸い込まれる。
「これ以上この場におられても不快ですので、さっさと出て行ってくださいな」
去り際に何かを叫んでいた奴だったが、風魔法でその声を掻き消し、強引に館外へと放り出す。扉が閉じられた後に、館内にはしばしの間静寂が訪れる。
うん、図書館内はこうでなくてはね。
静かになった館内に満足しながら、僕は少女たちに話しかける。
「もう大丈夫だからね」
「あ、ありがとうございました! あと、その、うるさくしてごめんなさい」
「いいよ。あの馬鹿が騒がしかっただけだし。君たちは自分の勉強に集中しな」
頭を撫で付け、僕は様子を見守っていたシオン様の元へと戻った。
「申し訳ありません。お勉強の続きをしましょうか」
「いえ、見ていてとてもすっきりしました。今後レベスは、この図書館には入ってこれないのですよね?」
「えぇ。彼の魔力は既に読み取りましたから、もう入ってこれませんよ。安心ですか?」
「はい。だって、安全圏が出来たんですからね」
嬉しそうに言うシオン様を連れ添って、僕は再び五階のカウンターへと戻る。
うん、シオン様。本当にあいつのこと嫌いだったんだなぁ。こんなに喜ぶんなんて。
誰にでも優しいと思っていたので意外。それと、レベスの性格の悪さを改めて実感したのだった。
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