第6話 恋話

フィオナの愚痴はおよそ三十分程続いた。

昨日の会談、内容自体は特に問題はなかったようだが、彼女が気にしていたのは会談に出席した貴族のことだった。

人が一番ストレスを抱え込むのは対人関係だというし、頻繁に会食や会談、パーティーなどの社交の場に出席することを余儀なくされる貴族特有の悩みが多かった印象。この王女殿下、普段は僕をからかって返り討ちにあっているのに、中々厳しい環境に身を置いているのだ。


「でね! グランツ伯爵の家とは正直もう会談なんてしたくないわ! 長男のレベスが私たちのことをいやらしい目で見て来るし、発言が一々貴族主義で、いつの時代の馬鹿なの? って思ったくらいよ。盛りのついた獣ね、あれは」

「貴族も大変だねぇ」

「そうよ! 幸いベルナール公爵やフロイジャー侯爵もいたから、何とか我慢できたけど……会談の終わり際にレベスからお茶でもどうかって誘われたしね。気持ち悪くて鳥肌が立ってしまったわ」

「断ったんだろう?」

「当然よ。何されるかわからないし。私は貴方以外の男と二人きりになるつもりなんてないんだからね」


フィオナは微笑みを浮かべているルーナさんを見やった後、僕の膝に頭を預け、僕を見上げながら言いきる。

いつの間にか逆転してしまった膝枕。

その辺りは対して気にせず、昨日の会談で多大な精神的ストレスを被ったお姫様の髪を撫でる。

気持ちよさそうにしている姿は、何処か猫を連想させる。


「そういうことを恥ずかしがらずに言うところ、君らしいね。でも、例え二人きりになって君に手を出そうとしても、君のすぐ近くにはルーナさんだって控えているわけだし、大丈夫だと思うけど。君自身も相当強いし」

「二人きりの空間、っていう時点で嫌なのよ。強いって言っても、貴方には遠く及ばないし」

「まぁ、身の安全を考えるならできる限り一緒にならないほうがいいね。近寄ってきても、何か言い訳を取り繕って逃げるとか」

「それができればいいけど、仮にも王女という身分である以上、そうもいかないのよね。第三王女で、王位継承権も下位だけど」


身分はどうしようもないか。

王女という身分のフィオナが特定の貴族を邪険に扱ってしまえば、それは大変大きな問題になってしまう。皆に平等に接するということが、最低限求められているわけだ。それでも人間ということに変わりはないので、好き嫌いはあるだろうけどね。合う合わないも、絶対にあるさ。

それを抑圧しながら愛想を振りまくなんて……僕には無理だね。

ん? そういえば。


「フィオナが嫌って言ってる人って、伯爵って言っていたよね?」

「えぇ。私だけじゃなくて、ベルナール公爵たちもあまり関わりたくないと言ってる、グランツ伯爵家よ。現当主のグランツ伯爵は、どうも上位貴族との関係が欲しいらしくて、公爵家や侯爵家の人と顔を合わせる度に、自分の子供を婚約者にどうだって訴えかけてるわ。努力が実を結んだことはないけど」

「あぁ、公爵様もってことなら確定だね。シオン様も君と同じように苦手だからって言って、昨日の会談には参加せずに図書館で一緒にいたんだよ」

「シオン……は、そうね。あの子は元々男の人を苦手としているところがあるから、露骨にあんな視線を向けられるのは拷問みたいなものでしょうね。シオンはレベスの求婚をかなりばっさりと断っていたし」

「へぇ……でも、そんな嫌な相手に求婚されるなんて」

「嫌よね、普通に」


可哀想に、と言いながらフィオナは僕の手と自身の手を絡める。

別に抵抗することなくそのままにさせて、僕は自分の思考に耽っていた。


シオン様にそんな弱点があるとは思わなかったな。

僕とも普通に接してくれるし、男性嫌いっていうイメージは全然湧かない。寧ろ、愛想も良くて色んな人から好かれるタイプの子かと思っていたよ。

昨日見た限り、勉強にも熱心に取り組んでいて集中力も高い。病さえなければ、今頃魔導書と契約して数多の魔法を使いこなしていただろうな。


「本当に、男性が苦手っていうのは厄介よね。貴族なら子を残すことは義務のようなもの。いざ婚約者を、っていう時に必ず困るわ」

「そうなっても、好きになった相手なら大丈夫なんじゃない?」

「馬鹿ね。恋愛結婚が必ずできる程、自由は高くないわ。政略結婚だって十分にあり得る。まぁ、ベルナール公爵家は長男のマイル君が継ぐだろうし、シオンは比較的自由にさせて貰えるかもしれないけどね」

「シオン様にお兄さんが?」

「弟よ。今年で八つになるんだったかしら」


弟さんか。

もしも魔法学校に通うことになったらここに来るかもしれないし、その時に見ることができるかな。かなり先の話になりそうだけど。


「それにしても、婚約かぁ……」

「なぁに? 興味があるの?」


にやぁ~っと笑いながらそう言うフィオナ。

なんでそんなに嬉しそうにしているのかはわからないけど、別に嘘を吐く必要はないから正直に言おう。


「ないと言ったら嘘になるよ。僕ももう十八になるし、王宮に行くと知り合いからまだ結婚相手はいないのか? って凄く聞かれるしさ。この歳まで色恋沙汰とは無縁だったから、積極的にはなれないけどね」

「ふ、ふぅん……」

「それに、そういう人が出て来るのはもっと先のことだと思ってるから、今の僕は司書をやりつつ、自由にやりたいことをする方が性に合ってる」

「……好きな人とか、いないの?」

「今はね。いずれできるかもしれないけど」


何分恋愛未経験なので、恋に落ちる瞬間なんてものもわからない。自分が今恋しているのか、していないのか。その判断がつくようにならないと。


「……ねぇ、セレル」

「ん?」


突然顔を少し赤らめて僕の名を呼んだフィオナは、一度咳ばらいをした後、意を決したように口を開いた──時、先ほどから無言で僕らの会話を聞いていたルーナさんが言った。


「恋愛関係にある人がいないのでしたら、私との婚約も考えてみてはいかがですか?」

「へ?」

「なぁ──ッ、ル、ルーナッ!?」


突然の宣言。

え? ルーナさんを婚約者に? いや、一体何処からそんな話が出てきたの?


「実は私の父も心配しておりまして。まだ結婚はしないのか、いい男がいないのなら見合いをさせようか、なんてことを帰省する度に言われるのです」

「それで、どうして僕なんですか?」

「そ、そうよッ! 大体、竜人族は多種族との婚姻を認めていないはず──」

「それは随分昔に廃止された法ですので、問題ありません。セレル殿は唯一の宮廷司書というお立場もさることながら、魔法技量においてはかなりの実力者と伺っています。私が伴侶とする男性には、少なくとも私より強い方が望まれますので」


戦闘種族らしい考え方だなぁ……。

僕の戦闘を直接見たことある人って少ないし、彼女は見たことないはず。外聞──フィオナから聞いたであろう情報だけで判断するのはよくないよ。

婚約者っていうのは、生涯を添い遂げる人のことだ。

大切な人をそんな簡単に決めるのはいけない。もっと時間をかけて見つけ出して、そこから愛を育んでいくことが必要……らしい。恋は一瞬とかいう言葉もあるけど。とにかく、きちんと断らないと。


「魅力的な提案ですけど、僕よりもいい人がいると思いますよ。それこそ、宮廷魔法士団には僕より強い人がいますから」

「振られてしまいましたか。フィオナ様」

「な、なによ」

「頑張ってください」

「何がよッ!!!」


ガバッ! と勢いよく起き上がったフィオナはガルル! と唸り声を上げるように威嚇する。真っ赤に染まった顔は羞恥からか。

仲睦まじいようで何よりですね。


「はぁ、本題を思いっきり忘れるところだったわ」

「本題?」

「そうよ。今日ここに来た二番目の理由」


言って、フィオナはポケットの中から何かを取り出し僕に手渡してきた。

これは……鍵。しかも、これって──。


「禁書封印室の鍵よ。これからは貴方がこれを持っておきなさいって、お父様が」

「国王陛下が? どうして──」


これはあいそれと手にしていい鍵ではない。

本来ならば王宮の宝物殿にて厳重に保管し、何十重にも拘束を施しておかなければならない代物だ。この鍵があれば、それこそ世に出回れば大変な惨事を生みかねない書物が何千と保管されている場所に入れてしまうから。


宮廷司書の僕ですら、この鍵を手にしたことは数度しかない。

なのに、突然どうして?


「数日前、宝物殿に何者かが侵入して、拘束を破ろうとしていたらしいわ」

「宝物殿に? 警備は?」

「全員気絶させられていたわ。王宮内にどうやって侵入したのかも不明。幸い、貴方が施した拘束のおかげで鍵を奪われることはなかったけど、このままあそこに置いておくのはまずいと判断したの。で、宝物殿にはダミーを置いて、本物は貴方に持っていてもらった方が安全だろうって。錯乱にもなるし」

「いや、普通僕よりも上位階の魔導書を持つ魔法士に託した方が──」

「へぇ?」

「……わかった。わかりました。これは僕が預からせていただきますよ、王女殿下」

「よろしい。まぁ、その、大変だと思うけど、頑張ってね」


照れ隠しなのか、そっぽを向いてそう言うフィオナ。

こういう時、本当にこの子の魅力は格段に上がると思うな。照れてるときとそうでない時のギャップで、とても可愛く思える。


「ありがと。ちなみに一番の理由は?」

「…………セレルの顔が見たかった」


やっぱりこの王女殿下最高に可愛いよ。

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