第5話 過大評価
図書館の中に入った僕は真っ直ぐに司書室へと向かい、軽い朝食を摂ってすぐに昨日の続きを行っていた。
魔法文献を片っ端から読み漁り、時折並列思考の酷使により痛む頭を休めるために休憩を挟みながら、着実に読み進めていった。
一度読んだことのある本しかないので、読んでいる最中に「懐かしいなぁ」なんてことを思い浮かべながら。
だけど、ここ本多すぎだろ! 読んでも読んでも全然終わらないよッ! まだ半分以上魔法文献が残っているなんて、終わりが見えない。
これ、見つけることができるのかな……何とか今週中に終わらせたいところではあるんだけど、この分では無理そう。
並列思考を増やすか? 僕なら最大で七つの思考を同時並行で進めることができる。
だけど、デメリットは大きすぎる。五分もすれば、脳の処理能力が限界を迎えて数日間寝込むことになってしまうし……せめて、三つくらいならなんとかなるかな。
はぁ、二つでも頭痛と疲労が半端じゃないのになぁ……。でも、時間には代えられないし、ここは覚悟を決めて──頭を撫でまわされる感覚が。
次いで、僕がよく知る少女の声が響いた。
「朝からこんなに本を読んで何やってるの? 如何にも寝不足ですって顔をしてるけど」
「…………フィオナ?」
「そうよ。フィオナ王女殿下ですよー。ちゃんと見えてる?」
僕の頭から両頬に手の場所を移した王女殿下──フィオナは僕の顔を覗き込むなり心配そうに目を合わせた。
この子が本気で僕の心配をしてくれるなんて珍しい。いつもは偉そうな態度を取って、でもそれが最後まで続かなくて可愛い姿を僕に晒しまくっているのに。
「見えてるよ。ちょっと並列思考の使い過ぎで疲れてるだけ」
「並列思考って頭に相当負荷がかかる魔法じゃない。この浮かせている本の数も凄いけど……何冊読んだの?」
「昨日と合わせて……六千五百とか?」
「異常よ、異常。そんなに読んだら疲労が溜まるどころか一周回って破裂するわよ?頭がパンクするの」
「いや死ぬことはないけど……ちょっと疲れたかな。今何時になった?」
多分、二時間くらいは読んだと思うけど、時計は見てなかったからなぁ。
フィオナははぁっと溜息を吐き、懐中時計を取り出して僕に見せた。
「八時前よ。図書館が開くにはまだ一時間くらいある」
「そっか……なに?」
「こっち」
フィオナは僕の手を引いたかと思うと、近くの背もたれのないソファに僕を横たわらせ、後頭部を自身の膝に乗せた。
柔らかな感触に、微かに香る香水のいい匂いが鼻腔を擽る。
本当に、この子は優しい王女様だなぁ。
「ありがとう。ちょっと休ませてもらうよ」
「いいえ。でも、本当に疲れた顔してるわよ? 今日は図書館閉めて、休んだら?」
「そういうわけにもいかないよ。勉強したい子たちだっているだろうし、何よりあんまり時間もないんだ」
シオン様の体調は、現段階では問題ない。
昨日魔力も十分に発散させたので、しばらくは蓄積障害を起こすこともないだろう。だけど、悠長にしている暇もない。
これを聞いただけで、フィオナは何を意味しているのかを察した様だ。
「シオンのことね」
「うん。ちょっと厄介な病にかかっていてさ。文献を片っ端から漁ってるところなんだよ」
「病? あぁ、だからベルナール公爵はあんなにも焦った様子で私に相談してきたのね。そりゃあ、娘の一大事ともなれば取り乱しもするか」
「君は詳細を知らされないまま僕を紹介したんだろう? なんて相談を受けたんだい?」
「誰か、博識であらゆる病について知っている賢人は知らないかって」
「その問いで僕の名前を出したの!?」
賢人って……そんなの遥か昔の歴史に消えただろう。
当代の賢人に僕みたいなまだまだ未熟者の名前を出さないでくれよ。公爵様が過度な期待をしていたのは、そういう理由もあるのか……。
「フィオナ。前から思っていたんだけど、あまり僕を過剰に持ち上げるのはやめてくれないか。力不足にも程があるよ」
「あら? そんなことないでしょ。王国唯一の宮廷司書にして、この図書館に所蔵されている書物を全て網羅し身に着けた知識を有し、尚且つ能天書と位階の低い魔導書を持ちながら常識離れした雷魔法を操る。私のセレルに対する評価は全く過大ではないわよ」
「……どう思いますか? ルーナさん」
僕は真っ直ぐに僕を見下ろすフィオナに溜息を吐いた後、先ほどから本棚の陰に隠れて僕らを見ている──正確には、王女であるフィオナを護衛している騎士の女性に声をかけた。
「気配は消していたのですが……」
そうふてくされながら姿を現したのは、赤い目を輝かせた竜人族の女性。
鋭いながらも魅力的な瞳と背中に携えた槍が特徴的な赤髪の彼女はルーナさん。現在王女殿下専属の護衛を務めている騎士で、相当の実力者だと聞いている。
今は戦時でもないので甲冑は来ていないけれど……いや、そもそも竜人族には戦闘形態があるからいらないのか。鱗で全部防いじゃうね。
「ここを何処だと思っているんですか? 図書館にいる人が気配を消そうと、僕には探知できますからね」
「御見それした。それと、私としては王女殿下の貴殿に対する評価は全く過大ではないと思います。寧ろ、過小評価に過ぎる程とも言えるでしょう」
「貴女までフィオナの肩を持つんですか?はぁ、僕より凄い人なんて幾らでもいるでしょうに……」
「「いないと思う(います)」」
即答に、僕は目を閉じて諦めた。
どう頑張っても、僕の評価は変わりそうにない。なら、諦めるしかないね。
「大体、フィオナは僕を専属護衛にしようとしているんですよ? 僕の事、快く思わないんじゃないですか? ルーナさん」
「王女殿下の意思を尊重します。それに、何も専属護衛は一人というわけではないのです。その場合、セレル殿と私の二人が専属護衛をすることになるのでしょう」
「その通りよ。私は優秀な人は手元に置いて置くタイプだし、気にいった人は更に傍に置くの。だからセレルを勧誘してるのに……いけず」
「だから僕は司書なんだって……あぁ、このままじゃ鼬ごっこだ。今話すべきなのは、シオン様の容体についてだよ。早く調べを進めなくちゃ──」
「まだダ~メ」
起き上がろうとしたけど、フィオナに肩を押さえられて止められた。
再び膝枕の状態に戻った僕を見て、彼女は柔らかな笑みを浮かべている。
「時間いっぱいまではこうしていなさい。王女としての命令よ」
「……わかったよ」
「全く、目を離すとすぐに無理するんだから」
「でも、無理しないとシオン様がね?」
「それはそれ。これはこれ。シオンも貴方が身体壊すまで頑張ることを望んでいるわけじゃないでしょう? 無理無茶をし続けるなら、王宮の私の部屋にしばらく監禁するわよ?」
「……何するつもり?」
「…………お、女の子の口からそういうことを言わせようとしないの!!」
いや監禁した僕に何をするのかを聞いただけなんですけど……
口にするのも憚られるようなことをするつもりなのですか? この変態王女め。
ジト目を向けていると、ルーナさんがくすくすと笑った。
「お二人は本当に仲がよろしいですね。仲睦まじい、恋人のようです」
「王女殿下という身分のフィオナと平民の僕が結ばれることはまずあり得ませんがね」
「……そうね。今のままでは、無理ね」
身分の差というものは、どうしても覆すことができない。
何かそれを取っ払ってしまう程の功績が僕にあればいいけれど、残念ながら僕はただの図書館勤めの司書だ。
功績を上げる機会もない……何だよその眼は。
「今のままなら、絶対に無理よ。今のままならね?」
「……何が言いたいんだ?」
「ふふ、さぁ? でも、言うとすれば……身分何て小さなものにできるくらいのものを、貴方は持っている。以上」
「……」
からかう口調のフィオナから視線を逸らす。
全く、本当に厄介でお節介なお姫様だことだ。
「フィオナ様は昨日の会談で気分が落ち込んでいるので、セレル殿とお話しできて嬉しいのですよ」
「ちょっとルーナ!?」
「会談? そういえば、公爵様も会談があるって言っていたなぁ。確か、伯爵たちとか言ってたけど」
寝転がったまま、僕はフィオナの頬に手を添えた。
「何か嫌なことでもあったのかい? 気持ちが楽になるなら、話を聞くよ」
「……そういうとこよね」
「何が?」
「別に。……じゃあ、ちょっと愚痴を聞いてもらおうかしらね」
少しだけ嬉しそうにするのが伝わってくる。
これは、結構嫌なことがあったんだなぁ。王女殿下も大変だ。
軽く同情している中、フィオナは僕の手を握りながら話し始めた。
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