第1話 来館者で依頼者
王都にあるこの魔法図書館には、非常に多くの人が訪れる。
その内の半数は学生さんで、近くに王立魔法技能修練学校があるので、向上心の高い生徒たちが学校終わりに復習や予習をしに来るのだ。
司書は僕しかいないので、学生さんたちとはよく交流がある。目的の本の場所を探したり、わからない問題を教えてあげたりと、結構関係が深いかな。
ちなみに当然だけど、禁書の類は立ち入り禁止区域に指定されているので、入るための扉の場所は僕しか知らない。誤って誰かが入ってしまう、という可能性はゼロだ。
「……来たかな」
臨時休館にした午後。
十七階で書物の整理を行っていた僕は図書館の入り口に一台の馬車が停車するのを感知し、螺旋状のため筒抜けになっている中央へと飛んだ。
一階まで繋がっている空洞はとても高く、当然ながらこのまま着地すれば骨折では済まない。最悪死ぬな。
そのため、僕は右手を翳し、その甲に刻まれていた紋章に念じて魔導書を召喚。
「
紫色の表紙をした魔導書──雷天断章を手にした僕は即座に魔力を流して頁を開き、自分自身に浮遊魔法──
途端、落下していた僕の身体は速度を落とし、ゆっくりと安全な速度で一階へと降り立った。
着地成功。
雷天断章を消し、図書館の入り口を開けて外へと出た。
「お待ちしておりました、ベルナール公爵様」
「……この時間に来ると、フィオナ王女殿下から聞いていたのか?」
丁度馬車を下りたばかりだったベルナール公爵は図書館から出てきた僕を見るなり苦笑し、そんなことを尋ねられた。
流石にタイミングが良過ぎたからかな。事前に聞いていないと、ここまでタイミングは合わせられないと考えたのだろう。実際は違うけど。
「いえ、図書館全域、並びにその周辺一帯に感知魔法を使用しておりますので。こちらに馬車が一台止まったため、私の方からご挨拶をと」
「ふむ、フィオナ王女殿下から聞いていた通りだな。まだ若いというのに、膨大な知識と卓越した魔法技量。これなら、問題解決の糸口を見つけてくれそうだ」
「公爵様、詳しいお話は中で」
「そうだな。あぁ、その前に紹介しよう」
と言って公爵様が、馬車から下りてこられた一人の少女に手を向けられた。
「愛娘のシオンだ」
「シオン=ベルナールと申します」
シオンと呼ばれた少女は、とても綺麗だった。
腰元まで伸ばされた栗色の髪に、少し丸く大きな同色の瞳。
年の頃は十四といったところだろうか? 年相応の体つきで、華奢な体躯をしていた。
丁寧なお辞儀をしながら挨拶をしてくれた彼女に、僕もまた一礼を返す。
「ご丁寧に、ありがとうございます。それと、失礼いたしました。この図書館の司書を務めております、セレルと申します」
公爵家のお二人に先に名乗らせてしまった非礼をお詫びし、僕は二人と数名の護衛の方々を図書館の中へと招き入れ、応接室へと入る。
事前に準備していたアイスティーをガラスコップに注ぎ、御茶菓子と共にソファの前に置かれた透明なテーブルの上に置く。
さて、話をする準備はできた。
僕はお二人の対面に座り、メモ用紙を取り出した。
「それで……どのようなご用件でしょうか? ただの司書である僕に、公爵様が抱えられている問題を解決できるとは思えないのですが」
先ほど公爵様が問題の糸口を、なんて言っていたけれど、不安でしかない。
公爵という御方であれば、領土内に幾人もの研究者や学者がいるだろうし、それこそ屋敷の中にそういう専門家がいてもおかしくない。
そんな方々がどうにもならないと匙を投げた問題を、僕の元に持ってこられても困るんだよね。
かといって門前払いなんてできるわけないし。
まぁ、一応話を聞いておくだけ聞いておこうか。
「ただの司書、というのは語弊があるのではないか?」
「それはどういう?」
「謙遜しなくてもいい。この王都で唯一の宮廷司書。危険な書物も保管されているこの図書館を任せられているだけで、普通ではないぞ?」
「そんなことありませんよ。現に、僕の魔導書位階は
「その位階で宮廷司書になったとは、余程魔法書を読み込み、勉学と鍛錬を積み上げたのだろうな」
感心だ。と頷かれる公爵様に、隣で表情を堅くしているシオン様。
魔導書と魔法書という二つの書物は、似たような名前をしているが全くの別物である。
魔導書は所謂魔法士が魔法を発動するために必要な武具であり、契約を交わした生涯のパートナーでもある。詳しいルーツは解明されていないのだが、世界中に点在している魔導書には位階という階級があり、上位の魔導書程強大な力を秘めている。
第九位階──
第八位階──
第七位階──
第六位階──
第五位階──
第四位階──
第三位階──
第二位階──
第一位階、並びに最上位階──
低位の魔導書は比較的簡単に手に入るが、力天書以上の魔導書は各国の名家が代々所蔵していることが多いため、手にする者は限られてくる。
特に熾天書ともなると、現在世界で確認されている数は六つしかない。
その所有者は全員国に仕えており、存在自体が強力な武力となっているのだ。事実、熾天書の契約者はたった一人で一国を相手にしたという文献も残っている。
僕が持っている能天書なんて、持っている人はごまんといるだろうね。
何なら図書館を訪れる学生たちの中にも結構たくさんいるし。
それに代わって魔法書とは、純粋に魔法式などが記された書物であり、読み込み己の中で理解を深めるほど、その威力は向上していくという特徴がある。
一度学習した魔法は魔導書の中に記録され、発動が可能になる。けれど、覚えたばかりの頃は威力も精度も全然だろう。
学習と鍛錬を重ねることで、魔法は初めて精錬されていくのです。
魔導書は発動の媒体であり、魔法書とは魔法を学習・強化していくもの。という解釈をしてもらえればいい。
「で、そんな勤勉で秀才な貴殿に一つお願いがあり、今日はここまで来た」
公爵様はシオン様の肩に手を置き、一度彼女の顔色を窺ってから言った。
「この子の身体を蝕んでいる、病を治す方法を探してほしい」
「病、ですか」
これは少々面倒なことになってきたな……。
病と言っても、様々なものがある。正直これは僕ではなくて魔法医を頼る方がいいと思うんだけど……どうも、普通の病ではないようだ。でなきゃ、僕を頼ってこないか。
「その病というのは?」
「見てもらった方が早いだろう……シオン、大丈夫か?」
「はい。覚悟は、できています」
シオン様は一度深呼吸をした後、首元のリボンを緩め、自身の鎖骨付近を露出するように胸元を曝け出した。
白く美しい肌。
けれど、その中の一点──鎖骨の中央辺りに、まるで異物が混じっているように黒く紫色の痣が出来ていた。
少なくとも、僕も知らない症状だな。打ち身、というわけでもない。黒い血なんて人間には流れていないからね。
となると、これは……。
「四ヵ月程前、突然出現した。病名は私にもわからない。ただ、これがあるせいなのか、シオンは魔導書との契約ができていなくてな」
「魔導書との契約をできなくする病気、ですか? そんな病気は聞いたことがありませんが……」
「実際にそういった病気、というわけではないだろう。何か他の部分に悪影響を及ぼし、その結果魔導書と契約ができなくなっている、と考えるのが妥当か」
「なるほど。原因の解明と、痣を消す方法を、僕は見つければいいというわけですね」
「そうだ。司書の仕事も多忙を極めると思うが、何とかよろしく頼めないだろうか?」
一先ず、僕の知らない病気だし、結構時間はかかるし大変な作業になるだろう。
けど、僕の知らない未知の病、か。
この図書館の書物をほぼ全て網羅し、頭に叩き込んである僕が知らないとなると、かなり興味がある。
職業柄、僕は知識欲が人よりも旺盛なんだ。シオン様の病気、何としてでも詳細を知っておきたい。
「わかりました。色々と調べてみましょう」
「すまないな」
「その前に、シオン様の診断書などはありますか? 魔法医に診ていただいた時に、体内の魔力伝達力や生成濃度、他にも色々と調べていると思うんですが……」
「あぁ、念のため持って来ている。おい」
背後に控えていた執事と思われる初老の男性に言うと、彼はすぐに懐から数枚の封筒を取り出し、僕に差し出した。
「シオンお嬢様の診断書でございます」
「ありがとうございます。今日は休館ですので、色々と調べを進めておきますね」
「よろしく頼む。それと、もしよければなのだが、今日一日シオンをこの図書館に預けてもいいだろうか? これから会談あるのだが、この子が苦手な相手でな。なるべく会わせたくないのだ」
「構いませんよ。今日は休館で僕一人ですし。ですが、よろしいのですか? シオン様お一人をここに残して」
「君は王女殿下からの信頼も厚い。心配はしておらんよ。例え襲撃者が来ようとも、君なら一蹴できるとも聞いている」
「過大評価が過ぎると思いますが……」
まぁいい。
ただ調べものをするので、あまり相手はしてあげられないと思うけど。
ここは腐っても図書館なので書物には困らないし、相当の暇潰しはできるだろう。魔法書以外にも、学術書や哲学書のような本もあるからね。
子どもには難しいか。
「では、すまないな。そろそろ時間だ。会談が終わり次第迎えに来る」
「わかりました」
その後、僕は公爵様を入り口までお見送りし、シオン様を連れ添って再び図書館の中に戻る。
さて、まずはシオン様が現状どんな状態にあるのかを調べないとな。
診断書を手に、僕は医学書が置かれている八階を目指した。
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