ハンドメイドの王子様

猫田パナ

ハンドメイドの王子様

「このビンテージトーキングバービー、日本製ヘッドでニアミントなのに一万二千円か……。くうぅ……」

 そんな独り言を呟きながら、目の前の古びたバービー人形とにらめっこする。


 今日、私はドールイベントに来ている。年に二回、浜松町で行われるこのイベントのために私は生きていると言っても過言ではない。


私はドールオタクだ。彼氏もいない、しがない片田舎の冴えない事務員だが、人形を愛でることだけを生きがいとしている。


「でもビンテージバービーは最近お迎えしたばかりだしなあ……。すいません、また来ます」


 そう言い残し、私は苦悶の表情を浮かべたままそのブースを去った。正直かなり迷っている。だがまだイベントは始まったばかり。見ていないブースが沢山ある。もう少し考えたい。


 辺りを見回す。一旦、全く違うものを見て頭を切り替えたい。私は人形のお洋服やアクセサリーを扱っているエリアへと足を踏み入れた。


「うわあ、すげぇ可愛い……うわあ……」


 そんな独り言を呟きながらブースを見て回る。絶対に気持ち悪い人になってしまっているが、そのことはもうこの場では気にしない。抑えきれない感情が溢れるのを止めはしない。

 全身の細胞が活性化しているのを感じる。平熱35度5分、血圧は上が90で下が60という低体温低血圧の私だが、おそらく今測定すれば体温も血圧もかなり高くなっているだろう。めったにかかない汗までかいている。


 そのような状況で、私はアクセサリーを販売しているブースに近づいていった。どうやらお人形用と人間用に似たパーツのアクセサリーが用意されていて、リンクコーデができるというコンセプトのお店のようだ。

 アクセサリーを一目見て、私は小さく叫んだ。


「ふわぁ、なにこれぇ」


 アクセサリーはどれもヨーロッパのビンテージパーツが仕様されていて、とても可愛らしい。お値段は安くはないけれど、手が届かないという程でもない。

 ブースの名前を見ると「ココロドロボウ」と書かれている。まさに文字通り、心を奪われてしまった。


「あの、手に取って見ても大丈夫ですか?」

 

 念のためそう声をかけると、アクセサリーが展示されているラックの向こう側に座っていた男性が少しオドオドした様子で答えた。


「あっ、はい。どうぞ……」


 可愛らしい作品だけれど、作家さん、男性だったのか。と意外に思って、まじまじと相手の顔を見つめる。

 少し長めの黒髪でほとんど顔が隠れてしまっているけれど、線が細くて色が白く、整った顔立ちの男性。澄んだ瞳をしていて、ナイーブで純朴な性格が見た目から伝わってくるような人だ。


 私の中で一気に緊張感が高まった。すっかりドールオタクモードになっていたけれど、すぐ近くにいるのはいわゆる美男子……イケメンだ。

 しかもこんなに美しいアクセサリーを生み出す感性を持ったイケメン。


 手は汗ばみ、心臓の鼓動は高鳴る。

 私は赤い顔をしながらアクセサリーを手に取った。どうしよう、どれも可愛くて迷ってしまう。

 しかし迷っている間ずっと、このイケメンに自分の姿を晒していなければならないのだ。

 それはまるで拷問のようですらあった。私には自分の手足が相撲取りのように太く思え、来ているワンピースは救いようのない程ダサくて場違いなものに思えた。髪型も出かける時には整えてきたけれど、今どういう状態なのかが気になって仕方ない。靴も、歩きやすいからといって幅の広いスニーカーになんかしなければ良かったと思った。

 だが、どうしてもこのブースのアクセサリーをどれか買いたい。だから必死に目を凝らし、頭をフル回転させて、一組のネックレスを手に取った。


「すみません、このセットをください」


 震える手で商品を差し出すと、ココロドロボウさんは控えめに微笑んだ。


「ありがとうございます。……そのサイズってことは、ミニSDのオーナーさんですか?」


 そう尋ねられ、私は答えた。


「ふぁい」


 舌が、回らなかった。



 その後、私はココロドロボウさんの情報をネットで調べた。どうやらドールイベントに参加することは稀で、普段はハンドメイドイベントにアクセサリーを出品していることが多いとわかった。そして翌月、都内で行われるハンドメイドイベントに参加することを知り、そのイベントへとまた出かけて行った。


 そうしたことを、数回繰り返し、二年の歳月が過ぎた。

 自室のアクセサリースタンドには、ココロドロボウさんのアクセサリーがいくつも飾ってある。

 私はただただ、ココロドロボウさんのアクセサリーに囲まれて生活ができればそれで満足だった。


「あ、来週のハンドメイドイベント、ココロドロボウさん出るんだ」

――そうしてまた、いつものようにイベントへと出かけて行った。


 イベント会場に着くと真っ先に、ココロドロボウさんのブースを目指す。今回初めて出品されるシリーズがとても可愛らしくて、ぜひ手に入れたいと思っているのだ。

 

 しかし、ココロドロボウさんのブースが見えてきたあたりで、私は足を止めた。

 ブースにはココロドロボウさんともう一人、可愛らしい女性が立っている。

 女性はココロドロボウさんと同い年くらいで、同じくらい痩せていて、同じくらい整った顔をしていた。


 二人は談笑している。その様子はとても自然で、絵になっている。


「ああ……」


 きっとあれは彼女さんだ。そう思った。

 その瞬間、私は自分が恥ずかしくなった。

――私はただ、アクセサリーが欲しかっただけじゃないんじゃないのか?


 そんな自分の気持ちを否定したくて、私は無理くり歩みを進め、ココロドロボウさんのブースに近づいていく。


「ゆっくり御覧になっていってくださいね~。こちらが新作になっておりま~す!」


 控えめなココロドロボウさんと違って、その可愛らしい女性は自然で社交的な声かけをしてくれた。鏡を出してくれて、アクセサリーの試着までさせてくれた。そして私は当初からのお目当てだったアクセサリーを購入してからブースを離れた。

 その間、緊張と様々な感情がないまぜになり、ほとんど頭は働いていなかった。



 その後私は、ココロドロボウさんを追ってイベントに出かける事はなくなった。

 ココロドロボウさんを追っていたこと自体が、とても恥ずかしい行為だったようにも思えて自己嫌悪に陥っていた。



 あれから半年後。私はドールイベントに来ている。


「えー、ヴィンテージブライスが十万円? 結構ダメージはあるけど私の欲しかったブルネットか……」

 そんな独り言をつぶやきながら、ブースを見て回る。


 そしてひとしきり買い物を終え、ふらふらと適当に見て回っていると、ココロドロボウさんのブースが前方に見えた。


「あ……このイベントに出展してたんだ」


 ゆっくりと、近づいていく。ブースの中にはココロドロボウさん一人しかいない。

 なんとなくその事に安心して、私はブースの前に立ち止まった。


「あ」

 ココロドロボウさんは私の顔を見て声をあげた。どうやら私の顔を覚えてくれていたらしい。


「……どうぞ、御覧になっていってください」


 特に「お久しぶりです」などの会話もなく、いつも通り最低限の言葉だけが投げかけられた。

 私は迷った。本当はもっと会話したい。だが、なかなか勇気も出ない。

 アクセサリーを見て回る。やっぱり、ココロドロボウさんのアクセサリーはどれもとても可愛くて、私の琴線に触れるものばかりだ。


「すいません、これをください」


 私は悩んだ末に一つのアクセサリーに決め、それをココロドロボウさんに手渡した。そしてお会計を済ませた後、思いきって言った。


「今日は……彼女さんは、いらっしゃらないんですか?」


 私がそう言うとココロドロボウさんは不思議そうな顔をして、少し考えてから言った。


「ああ……あれは、僕の妹です」

「そうだったんですか!」


 思わず少し大きな声を出してしまった。


「すいません、勝手に勘違いを」

 自分の耳まで真っ赤になっていくのがわかった。ああ、恥ずかしい。こんな醜態をもうこれ以上この場で晒したくない。


「いつもありがとうございます」

 そう言ってココロドロボウさんに商品を手渡され、私は何度か頭を下げ慌てふためきながらその場を去る。


――「いつも」なんて言われてしまった。

 動悸がするし、身体が熱くて、額からは汗が流れている。


「いやだなあ~もう。いやだなあ~」


 そんな独り言を漏らしながら自動販売機で冷たいアクエリアスを買って、喉を鳴らしながら体内に流し込む。

 恥をかいたのに不思議と気持ちは晴れ晴れとしている。

 周りに人がいるのも気にせずに、私は一人で声をあげて笑った。



 その後も私は、ココロドロボウさんの出展するイベントに足を運び続けている。

 いつも会話はしない。ただ商品を買うだけ。

 そしてそのアクセサリーを身に着けるだけ。


 それだけで、私は充分に満足なのだ。

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