第5話

 酷くのどが渇く。枕元のスマホで時間を確認する。午前11時を回ったところだ。体を動かすのは面倒だが、汗をかいたし、動ける時に水分を補給しないと具合は悪くなる一方だろう。

 私は、ベッドから体を起こした。多少ふらつくが、朝よりも幾分楽になった。部屋から出てキッチンに向かう。ダイニングでは、佐伯さんが仕事をしていた。

 「おはよう、ございます」

私は、ふらふらとしながら、挨拶をする。キッチンへ向かう私に、彼が問いかける。

「調子はどう?」

言葉の意味を理解するのに時間を要した。どうして、体調が悪いのを知っているんだろう、と疑問が浮かぶ。私は、朝の出来事を反芻した。佐伯さんとは、今日、初めて顔を合わせる気がしていたが、よくよく考えれば、倒れた後、ベッドに運んでくれたのも、熱を測ってくれたのも、佐伯さんである。熱のせいで記憶があいまいになっている。

「なんだか、朝からすみません」

私は振り返って謝罪したが、佐伯さんはノートパソコンの画面を見つめていて、こちらを見てはいなかった。踵を返して冷蔵庫に向かう。扉を開けるとスポーツドリンクがきれいに並んでいる。気を使わせてばかりだな、と思いながら、ペットボトルを1本取り出して、ダイニングに向かう。

「これも、どうも」

これ、と言ったのが何か分からなかったようで、彼は一瞬だけパソコンの画面から視線を離して、こちらを確認した。

「ああ、部屋の机にも置いておいたんだけど、冷たい方がよかった?」

話しながらも、せわしなく指がキーボードを軽快に叩く音が聞こえる。

 全く、気が付かなかった。本調子になるまでは、まだ時間がかかりそうだ。

「気が付きませんでした。レシート、机の上に置いておいてください」

私は、それだけ言って部屋に戻ろうとした。

「病院、行けそうなら車出そうか」

背中を向けた私に、彼が声を掛けた。私は、足を止める。倒れたときは、病院に行かなければと焦ったが、不思議なもので、少し回復して動けるようになると、行く必要性を感じなくなる。しかし、半分、居候の身で、よく分からない病気にかかっている状況は避けたい。そうなると、病院には行かなければならないが、仕事をしている人に車を出してほしい、とは言いづらい。

「タクシー呼びます」

私は、佐伯さんの方を向いて、そう言った。

「たぶん、朝みたいなことにはならないと思うので」

「そう。スマホは持って行ってね」

一緒に暮らし始めてから1か月にも満たないが、よく分かっている。

「…気を付けます」

それだけ告げて、私は、部屋に戻った。

 病院に行くなら、昼を回ってからの方が混まないだろうか。病院なんて行く機会がないから、勝手がよく分からない。そもそも、内科はどこにあるのだろう。病院に行くにも、色々と準備があると思うと、何の準備もしていないのに挫折しそうになる。

 このまま寝るといつ起きるかも分からない。このまま支度をして出かけよう。

 地理もよく分からなければ、家にタクシーを呼んだ経験もないが、スマホがあれば、何とでもなる。本当に便利な世の中だ。まず、内科を探す。何のことはなく、すぐ近くにあるようだった。いつも意識していないだけで、何度か通ったことのある道沿いにある。今度は、この距離でタクシーを呼んでもいいものか、と悩む。呼ばなければ呼ばないで、佐伯さんに溜息をつかれそうだ。そんな調子で、必要なことを順に調べ上げた。あとは身支度を整えるだけだ。クローゼットから、適当にブラウスとパンツを引っ張り出す。あとは、マスクをしていれば問題ないだろう。

 私は、タクシー会社に電話を掛け、住所と目印を告げる。10分ほど待てば到着するだろう。私は、玄関に向かった。

「いってきます」

ダイニングに向けて、小さく挨拶する。

「行ってらっしゃい。気を付けて」

 佐伯さんの対応を、冷たいと言う人もいるのかもしれない。私が、もっとふらついていたならば、支度に手間取っていたならば、あの人は手を貸してくれたと思う。手を貸すどころか、半ば強引に病院に連行されただろう。そのために、彼は今日はダイニングに張り付いて仕事をしているのだと思う。でも、それを恩に着せることもなく、必要以上に世話を焼くこともなく、普段通りを装う彼の思いやり方は、私にとっては心地の良いものだった。


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水仙 みや @okita3000

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