第2話 最悪なはじまり
「あっ、すみませーん! 営業部ってここですか?」
明るい声色をした方を振り返ると、モデルのようにスラリとした長身の男性が一人。
髪の色こそ漆黒なものの、パーマがかかったような緩いウェーブを描いているヘアセットは、遊び人のような印象を抱く。
「はい。そうですが?」
声を掛けられた千代子は、少し訝しむようにその男性をじろじろと見定める。
「今日から異動になったんですよー」
よく見れば、両手いっぱいダンボール箱を抱えている。
「もしかして、ネット事業部から異動の……?」
昨日の清美さんの言葉を思い出す。
「そうそう。それ多分僕ですね。あ、とりあえず荷物ここに置いちゃって良いっスか?」
質問してきたくせに千代子が答えるより先に、デスクの上に荷物を下ろした。
くだけた言葉遣いに、軽そうな見た目。
千代子が思い描いていた“ネット畑の人間”とは全くと言っていいほど真逆の人物だったため、面食らってしまっている。
「あ、自己紹介がまだだったっスよね。高野です!」
「はじめまして。瀬戸と申します」
千代子が名乗ると、高野さんは目をぱっと輝かせた。
「あー! “ちょこ”ちゃん!」
ちょこちゃん……?
素っ頓狂な返しに、千代子の眉間にますますと皺が刻まれる。
「下の名前、千代子さんですよね? 異動する前にどんな人がいるんだろうって思って、名簿を確認したんですけど、チョコっぽい名前の人がいるなぁーって!」
「は、はぁ……」
「瀬戸千代子ってなんだか古臭いっスよね? 瀬戸さんはどっちかと言うと“チョコ”って顔してるのに勿体ないなぁ」
マシンガントークだけどほとんど何を言っているのかついていけない。
しかし、営業部に異動するのだから、全く喋れないよりはマシなのだと思い込むことにする。
「あ、めちゃめちゃ可愛いって意味です。というかどストレートタイプ! ど真ん中! 好きです! ちょこちゃんって呼んでいいっスか?」
前言撤回。全然マシじゃない。
初対面で(しかも会ってものの数分)、好きだのタイプだの触れ回る軟派なイケ好かない野郎だと、千代子の脳内ではアップロードされたようだ。
「勝手に変なあだ名を付けないでください。それとわたしは全然タイプじゃありませんので」
かなりバッサリと切り捨てたつもりだったけど、高野さんはそれでもめげていないらしい。
「今日からよろしくお願いしまーす!」
立ち去ろうとする千代子の顔を覗き込み、白い歯を見せてニッと笑う。
第一印象は最悪に近いのに、思いの外、爽やかな笑みを浮かべる人だと思った。
◇
「本日付けで、ネット事業部から営業部へと配属になりました、
毎朝恒例の朝礼では、高野さんが皆の前に立ち、挨拶を行っていた。
あのチャラチャラした第一印象とは打って変わって、真面目で誠実な挨拶をしていたため、周りの人たちも心做しかオープンな笑顔を浮かべている。
「高野さんはマンツーマンで、瀬戸にいろいろと教えてもらってね。瀬戸ちゃん、よろしく」
清美さんがこちらに向かって目配せをしてきたので、一応ぺこりと頭を下げておく。
「キャリアも年齢も高野さんの方が上だけど、うちでは一番下っ端という扱いをします。なので当然、瀬戸ちゃんが先輩になるわけだけど、瀬戸ちゃんはまだ若いけどシッカリしてるから、いろいろ教わって早く一人前になれるよう頑張ってください」
「はい、元からそのつもりです! 瀬戸さん、よろしくお願いします!」
またあの爽やかなそうな笑みを浮かべている。
千代子はそんな笑顔を見ても(わたしだけは騙されないぞ)という気持ちで高野さんに向かって目を細めた。
【ビター】 水瀬 葵 @blue_m
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。【ビター】の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます