第2話 最悪なはじまり


「あっ、すみませーん! 営業部ってここですか?」


明るい声色をした方を振り返ると、モデルのようにスラリとした長身の男性が一人。

髪の色こそ漆黒なものの、パーマがかかったような緩いウェーブを描いているヘアセットは、遊び人のような印象を抱く。


「はい。そうですが?」


声を掛けられた千代子は、少し訝しむようにその男性をじろじろと見定める。


「今日から異動になったんですよー」


よく見れば、両手いっぱいダンボール箱を抱えている。


「もしかして、ネット事業部から異動の……?」


昨日の清美さんの言葉を思い出す。


「そうそう。それ多分僕ですね。あ、とりあえず荷物ここに置いちゃって良いっスか?」


質問してきたくせに千代子が答えるより先に、デスクの上に荷物を下ろした。

くだけた言葉遣いに、軽そうな見た目。

千代子が思い描いていた“ネット畑の人間”とは全くと言っていいほど真逆の人物だったため、面食らってしまっている。


「あ、自己紹介がまだだったっスよね。高野です!」

「はじめまして。瀬戸と申します」


千代子が名乗ると、高野さんは目をぱっと輝かせた。


「あー! “ちょこ”ちゃん!」


ちょこちゃん……?

素っ頓狂な返しに、千代子の眉間にますますと皺が刻まれる。


「下の名前、千代子さんですよね? 異動する前にどんな人がいるんだろうって思って、名簿を確認したんですけど、チョコっぽい名前の人がいるなぁーって!」

「は、はぁ……」

「瀬戸千代子ってなんだか古臭いっスよね? 瀬戸さんはどっちかと言うと“チョコ”って顔してるのに勿体ないなぁ」


マシンガントークだけどほとんど何を言っているのかついていけない。

しかし、営業部に異動するのだから、全く喋れないよりはマシなのだと思い込むことにする。


「あ、めちゃめちゃ可愛いって意味です。というかどストレートタイプ! ど真ん中! 好きです! ちょこちゃんって呼んでいいっスか?」


前言撤回。全然マシじゃない。

初対面で(しかも会ってものの数分)、好きだのタイプだの触れ回る軟派なイケ好かない野郎だと、千代子の脳内ではアップロードされたようだ。


「勝手に変なあだ名を付けないでください。それとわたしは全然タイプじゃありませんので」


かなりバッサリと切り捨てたつもりだったけど、高野さんはそれでもめげていないらしい。


「今日からよろしくお願いしまーす!」


立ち去ろうとする千代子の顔を覗き込み、白い歯を見せてニッと笑う。

第一印象は最悪に近いのに、思いの外、爽やかな笑みを浮かべる人だと思った。



「本日付けで、ネット事業部から営業部へと配属になりました、高野たかの綾人あやとと申します。ネットの方では主にエンジニアをしていたため、全く違う分野になりますが、ご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いします!」


毎朝恒例の朝礼では、高野さんが皆の前に立ち、挨拶を行っていた。

あのチャラチャラした第一印象とは打って変わって、真面目で誠実な挨拶をしていたため、周りの人たちも心做しかオープンな笑顔を浮かべている。


「高野さんはマンツーマンで、瀬戸にいろいろと教えてもらってね。瀬戸ちゃん、よろしく」


清美さんがこちらに向かって目配せをしてきたので、一応ぺこりと頭を下げておく。


「キャリアも年齢も高野さんの方が上だけど、うちでは一番下っ端という扱いをします。なので当然、瀬戸ちゃんが先輩になるわけだけど、瀬戸ちゃんはまだ若いけどシッカリしてるから、いろいろ教わって早く一人前になれるよう頑張ってください」

「はい、元からそのつもりです! 瀬戸さん、よろしくお願いします!」


またあの爽やかなそうな笑みを浮かべている。

千代子はそんな笑顔を見ても(わたしだけは騙されないぞ)という気持ちで高野さんに向かって目を細めた。



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【ビター】 水瀬 葵 @blue_m

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