第23話 炎上

 6畳一間の部屋には、洗濯物が吊るされて、あまり外に干していないのか湿っている万年床の布団、テーブルの上には無造作に置かれたコップと空のペットボトルとテレビゲーム、灰皿に山盛りになった煙草の吸殻、そして数年前の中古のノートパソコン。


 布団に鼠のようにくるまって寝ている女は歳は20前半の肌ツヤである。


『ブブブ……』


 スマホのバイブの音で、その女は目が覚めた。


「何よこんな朝っぱらから……」


 朝、と言ってももう午前11時、太陽は上りきり、タバコのヤニで黄色く変色したカーテンからは陽の光が射し込んできて、その女の目にあたり、女は軽く目を閉じる。


 スマホを手に取ると、そこにはこう書いてある。


『お前とんでもないことしちまったな』


 LINEのアカウントには、徹と、美智子文字が書いてある。


 昨日の夜、ホームレス狩りをした女、ミンミンこと真壁美智子は、徹のアカウントの発言が気になり、徹に返信を送る。


『おはようございます、とんでも無いということはなんでしょうか? お客様からきちんと、ツケの分の代金は貰いましたよ』


 徹、という人物は美智子の上司に当たるのか、美智子は友達に送るラインの内容ではなく、言葉選びを慎重にして徹に返信を送った。


 美智子は都内にあるガールズバーに勤めている、そこでツケを踏み倒そうとしている客がいるのできちんと代金を回収するようにと徹から言われており、昨日、何とか代金を回収して徹に手渡したのだ。


 程なくして、徹から電話が入る。


「おはようございます」


「おはようございます、じゃねぇよ、お前昨日ホームレス狩りをしたらしいな、その事で色んな人から店に問い合わせの電話が来て、こんな奴を雇うなんてどうにかしているから首にしろと言う電話ばかり来るんだ、なので、今日付けでお前をクビにする、もうこなくていいぞ、給料は配送するからな、二度と来るな!」


 電話は一方的に切られた。


「……!?」


 美智子は、何が何だかよくわからないでいる。


 空白の時間が数分ほど過ぎたであろうか、またラインが来て、すぐに美智子はラインを見る。


『昨日俺たちがした事が、ネットに書かれた! 多分俺達の元に警察が来る!』


 カッちゃん、と書いてあるアニメキャラの画像のアカウントはそう、美智子に伝える。


『人生オワタ、俺達塀の中だ……』


 トニーと書いてあるアニメキャラの画像のアカウントも、ネット用語満載で美智子にそう伝えた。


「え……?」


 美智子は恐る恐る、自分の名前をGoogle検索する。


『バカ 真壁美智子 伊勢原克哉 西原富雄 S街燈火公園でホームレスを襲撃、住所氏名電話番号……』


 自分の名前と、住所に家族構成、電話番号やアドレスが書いてあるサイトが数件ある。


 某匿名掲示板には、自分達の事が書いてあり、一晩で900件以上のレスが書かれている。


 美智子の頭に、稲妻が落ちたかのような衝撃が襲いかかって来る。


「? ええっ?」


 親からの電話があり、美智子は辛うじて正気を保ち、電話を取る。


「はい」


「お前ネット見たけれども、ホームレス狩りなんてやったんだな! 家にな、警察が来たんだ、娘さんの居所を教えてくれと。父さんの職場にも電話がかかってきたんだ。その事で話があるから……」


「嫌よ! もう家には帰らないし帰りたくない! じゃあね!」


 美智子は電話を切り、親との電話を着信拒否設定にして、テーブルに置かれている酒を口に運ぶ。


 ――軽い悪戯が、取り返しのつかないことになっちゃった……


 スマホのバイブがまた鳴り響く。


『ミンミン、俺とトニーは逃げる。どうせ俺はヒモ生活のようなもんだし、トニーもニートだし親から勘当されたから。ミンミンも、逃げたほうがいいぞ』


(逃げよう、こんな町から……!)


 美智子は立ち上がり、荷物はそのままにして、財布を持ち、ドアを開けようとする。


「警察ですが、真壁さんはいらっしゃいますか? 」


 ドアの向こうからは、警察らしき人の声が聞こえる。


 大家がドアの合鍵を持ってきたのか、ドアの鍵が開く音が聞こえる。


(もう私の人生は終わりだ……)


 美智子は観念したかのように、ドアを開けた。


 *


 街にある街頭テレビは、暇潰しにいい、と誰かがそう呟いた。


 昼間の街は、都心にあるのか営業のサラリーマンやOL、アルバイト途中の大学生や暇を持て余したお先真っ暗なフリーターやニート達で溢れかえり、交差点の真ん中にある街頭テレビを彼等はちらりと見ては普段の生活の波に没頭していく。


『えー、本日の昼のニュースですが、昨晩未明、燈火公園に住むホームレスを数名の男女が暴行して動画サイトに投稿する事件がありました……』


 テレビから流れるテロップを、一人の若者は駅の喫煙所で、しわくちゃになったタバコを吸いながら観ている。


『その男女達は以前にもホームレスに暴行を加えており、動画投稿サイトに投稿して炎上しました、その若者はつい先程身柄が拘束されて、警察に……』


 その若者は、タバコをふかしながら、ニュースの顛末をただじっと見つめている。


『真壁美智子(21)都内ガールズバー勤務……』


(あいつ、そんな名前だったんだな……)


 若者は、スマホを取り出して、誰かに連絡を入れる。


「マイコンさん、昨日の馬鹿女パクられた、一応仇は取れたわけなんだな」


「あぁ、その事でな、クマさんから相談があってな、そろそろこっちに戻ってこい」


 マイコンは、電話で先程の若者ーー健吾にそう言って電話を切る。


(微妙に美人だな、あいつは……)


 健吾は吸い終えたタバコを灰皿に入れて、ゆっくりと根城にしている燈火公園へと足を進める。

 交渉

 人生には数回、目の前が漆黒の暗闇に覆われる時があるという。


 その暗闇を健吾は一度経験した、会社が倒産してしまった時である。


 それと同じ経験を、美智子は経験している。


 ――私はこれからどうしたら良いのだろう?


 失明した人間の如く、太陽の光が届かない深海にいるかの様な錯覚に美智子は襲われて、一体どうやって自宅に帰ったのか覚えてはいない。


 ただ、自分は酷く泥酔していたらしく、はいているジーンズには吐瀉物の様なシミがあちこちにあり、着ている服は酒の匂いでまみれている。


 美智子が警察に呼ばれてから数日の月日が流れていた。


『傷害罪 懲役5年執行猶予3年 罰金300万円』――


 裁判官は淡々と事務的に美智子にそう告げ、美智子は泣く泣くお金を支払った。


 勤め先のガールズバーは案の定解雇、転職先を探そうにも、ホームレスという社会的弱者に暴行を振るっていた人間を雇う物好きなど何処にもおらず、仕事は見つからずに、仕方なく駅前で売春をして、その帰りに泥酔したーーと言う始末である。


 ――もう死んじゃおうかしら。


 6畳一間の部屋の片隅で深い溜息をつく美智子の視界に、ある一枚の紙が置かれているのが目に飛び込んできた。


 ――何かしら、これ……?


『ネットの書き込みを全て消して欲しかったら、明日、6月の14日午後1時半に燈火公園にこい クマより』


 ――クマ?誰かしら、でもこれ、怪しいけれども、まぁいいか、どうせ日本国中にいても私の悪口なんて誰かに見られるのがオチだし……


 美智子は欠伸をして、風呂に入らずに布団に潜り込んだ。


 ¥


「俺が支持している政治家は慈愛党党首の春日だが、一人だけではこの計画は成功しない、なので、もう一人、慈愛党からこちら側に引きずり込む」


 クマは天狗やマイコン、ミカド達にそう話し、少し離れた所で正拳突きの練習をしている健吾を暖かな目で見つめる。


「成る程、確かに2人もいれば心強いな。この事はあいつには話さなくていいのか?」


 マイコンは健吾を指差して、クマに尋ねる。


「あいつにはまだ話さない、時期が来たら、いや、あいつが覚醒したら話す」


「覚醒?いや、でもあいつ、空手や柔道の腕前は2段ぐらいあるぞ。ドクの一件でも、ヤンキー相手にビビらずに打ちのめしたし」


「いやな、あいつの持っている強運はまだ覚醒しているうちには入らない。ロシアンルーレットやって勝ち残るぐらいの実力でないとダメだ、拳銃が暴発するぐらいの運ではダメだ、せめて、弾丸が脳を貫いても生きているぐらいなければな……」


「そう、か……」


 ――いや、拳銃突きつけられて、その拳銃が暴発する事自体が強運なんだけどなぁ……


 天狗は溜息をつき、ストレッチをしている健吾を見やる。


 マイコンはスマホを見て、ニヤリと笑い、クマにスマホを見せる。


「ほう……来たようだな」


 クマ達は立ち上がり、テントを出る。


 ☆

 6月の14日、初夏の午後は蒸し暑くはなく、カラッとした暑さなのだが、美智子は何故か震えが止まらずに、長袖のシャツにカーディガンを羽織り、紙に書いてある通りに燈火公園へと足を進める。


 ――何かされるのかしら、ホームレスからの襲撃?レイプ?それとも、ネット民の嫌がらせ?でもどちらにせよ、この街に留まることができない……


 美智子は、何をされるのかわからない恐怖に怯えながら公園に着くと、ホームレス達がぞろぞろと集まってくる。


「ひええええ! すいません! もうやりませんから!」


 美智子はみっともなく小便を垂らしながら、仲間に怪我を負わせた美智子を睨みつけるホームレスに命の懇願を述べる。


「いや、俺はあんたの敵じゃない、あんたに話があってここに呼んだんだ」


 ホームレス達の中心にいるクマ達は、美智子にそう告げる。


「話って何ですか!? もう慰謝料は渡しましたよ!」


「いやその話ではない、ここではあれだから、場所を変えようか、そこのベンチに来てくれ」


「は、はぁ……」


 ――しかしこの女、微妙だが美人だな。


 クマの隣にいる健吾は、美智子を見て溜息をつく。


「よっこいしょ」


 クマと美智子はベンチに腰掛けて、一息を入れ、天狗が渡した缶コーヒーと紅茶を手にとって、美智子に手渡す。


「嬢ちゃん、コーヒーと紅茶どれがいいか?毒は入っていないからね」


「え、ええ、コーヒーをいただきます」


 美智子はコーヒーを受け取り、フタを開ける。


 クマは紅茶を口に流し込み、ぶはっ、と息を出して、美智子を見てニヤリと笑う。


「君のネットの悪口を消してやる、但し、条件があるのだがいいか?」


「え?」


「君の悪口を、裏から手を回して全て消してやる、俺にはその力がある」


「え!? いやお願いします! 条件って体の事ですか!? 何でもいいですよ!体売りますよ!」


「それではない。君の親戚には、慈愛党の梶原太一がいるね、その人と話がしたい。その話がついたら全ての悪口を消してやる、それだけでいいんだよ」


 クマは、美智子を見てニヤリと笑う。


「ええ! 良いですよ! ちょっと待っていてくださいね!」


 美智子は急いで立ち上がり、スマホを開いて電話をしている。


 声をまくし立てて話す美智子を滑稽に思いながら、クマは美智子の帰りを待つ。


 待つ事数分、息を荒らした美智子がクマの元へと足早に戻ってきた。


「良いですよ! 了承が取れました! 明後日の16日にここに来るそうです!」


「有難う、そうか、よし、この話が終わったら悪口を消してやるからね」


「有難うございます!よろしくお願いします!」


 美智子はクマに深々と頭を下げる。

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