第15話 昔の彼女

 健吾の手術が成功してから一週間が過ぎた。


「クソッタレ、まだおならが出ねえ、腹減ったよ! 」


 盲腸の手術後、おならが出るまでは食事はしてはいけないのだが、一週間が経つのに全くおならが出る気配は無い。


 「まあよかったじゃねえか」


 クマは健吾を見て、にやりと笑う。


「先生に感謝しろよ、ったく!」


 天狗は健吾の頭をぽこんと軽く叩き、明彦を尊敬と感謝の眼差しで見やる。


「道明寺さん、うちの馬鹿がお世話になりました」


 天狗は明彦に深々と頭を下げる。


「いえいえ、先生などおやめください、私は病院を首になった身なのですから」


「いえいえそんな自分を責めないでください、あれは多分誰かが仕組んだのでしょう、私はそんな予感がするのです」


「そうですか……。まあ、私はそんな事はもうどうでもいいのですが、大人しく派遣に落ち着きます」



「いえ、その事でお話があるのです」



 天狗達の話を遮る形で、院長の鏑木が部屋に入ってきた。



「道明寺さん、お話があります、別室にて宜しいでしょうか? 」



「は、はあ」



「こちらの部屋に来てください」



 道明寺は、鏑木に誘われるがまま、別の部屋へと足を進めていく。



 *


 鏑木から案内された部屋は、元々は診察室だったらしく、先生の据わる机と医療機器の置かれた跡がある。


「こちらにお座りください」


「はい」


 鏑木は置かれている椅子に道明寺を座らせて、真剣な眼差しで、口を開く。


「単刀直入に言います、この病院で勤めて欲しい、この病院、昴病院にはあなたの様な素晴らしい人材が必要だ」


「え? いやでもしかし、私は医療ミスで前の病院を首になったのですが」


「その件は別にいいでしょう、現にあなたは、盲腸を直ぐに発見して、完璧なオペで後遺症や傷跡がほどんど残らない状態にした、これほどいい医者はいない、待遇は前の死神病院に比べたら劣るのでしょうが、月収20万円、ボーナスは3か月分出します。だから、ここに来てほしい!」


 病院を首になり、路頭に迷っている明彦にとってそれは朗報以外の何物でなく、寝耳に水、普通の大卒のサラリーマン程の収入に直ぐに首を縦に振る。


「是非私でよければ……」


(また、医者として働く事が出来るんだ……!)


 明彦の心には、暖かな光が差し込んでくる。


 それもその筈、人を助けたい一心で、医者に志願した為である。


 医療ミスをした人間を使う病院など何処にも無いのだが、そんな事を関係なく、自分自身の腕だけで判断してくれる良識ある人間が目の前にいる、だが、当然の如くそれに反対する人間はいる。


「院長、私は反対です」


 ドアが開き、そこには、銀縁眼鏡の医者――風間正平が不満を撒き散らした顔で明彦達を見やる。


「この男は、あの有名な死神病院で重大な医療ミスをした男です、今回はたまたま運よくいったからいいものの、またミスを犯します!ここは大人しく、別の医者を雇いませんか?」


(やはり俺はまた医者をやるのは無理なのか……)


 風間の反対意見を聞き、明彦は気持ちが一気に沈んでしまう。


 医者だけでなく、普通にサラリーマンをやっている人間でもミスは命取り、信用失墜、ましてや、命を預かる医者など医療ミスはあってはいけない事、下手を打つ人間とは手を組みたくはないのが人間の心情――


「だが、俺はこの方の腕前は本物だと思う」


「ですが私は反対します」


「……」


(あぁ、やはり俺は何処行っても雇ってはくれないんだな、やっぱり俺にはバイトとか、日雇い派遣とかそっちの方がお似合いなんだな……)


 彼等が話していると、看護師が険しい顔つきで中に入ってくる。


「先生!急患です!ダンプに轢かれた患者さんが来ました!」


「何!? 今すぐ行くぞ!外科医の先生はいるのか!?今日はいるだろう! 」


「患者さんの容体は酷くて治療に当たっているのですが、状態がかなり悪く人手が足りません!救急先の病院は何処も入れてはくれません! 」


「な……!」


「道明寺さん!あなたの力が必要だ!今すぐ来てくれないか!? 」


 鏑木は、意気消沈して凹んでいる明彦の手を、カンタダが絶望の最中、天から吊る下がっている蜘蛛の糸に縋るようにして握りしめる。


「はい、分かりました! 今すぐレントゲン撮影しましょう! 」


 明彦は瞬く間に医者の顔になり、立ち上がり、部屋を出る。


 ☆

 

 元死神病院看護師、朝比奈真知子はその日、勤め先のデリヘルからの帰り道、反対車線から飛び出してきたスピード違反のダンプカーに轢かれた。


 全身は酷く痛めつけられており、特に両足の怪我は酷く、両方の半月板は損傷、骨は粉砕、所謂複雑骨折で、更に運が悪い事に、医療設備が整っている病院は今日に限って外科医はおらず、外科医がいるのは鏑木のいる昴病院の様な、あまり医療設備の整っていないぼろ病院だけ。


 真知子の顔を見た途端、明彦は強烈な吐き気に襲われて、地面に吐きたくなる衝動を押さえながら、レントゲンの写真を見やる。


「これは、複雑骨折だな、かなり酷いぞこりゃあ……! 切断は免れないだろう……」


 昴病院の外科医師、榊原は深い溜息を付き、明彦に見せる。


 自分を嵌めた人間が、両足切断で障碍者は確定している――恨みを持つ人間にとって、これ程小気味の良い事は無い。


 だが――医者としての使命なのか、明彦は丹念にレントゲンを見やる。


「うん? いやこれは切断しなくてもいい、大丈夫です、治ります」


「治ると言っても、肝心の神経が潰れているんだぞ? 」


「いえ、ここは道明寺さんの言う通り、手術してみましょう」


 鏑木は、明彦に全幅の信頼を寄せているのか、諦めモードの榊原にそう言って、明彦から手術の説明を受ける。


「……うん?これならば、助かるかもしれないな!やりましょう! 」


 榊原は、明彦と共に、真知子のいる手術室へと足を進める。


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