第9話 会釈
馬力鉄鋼株式会社は、都内の駅前一等地に20階建ての本社ビルを、でんと構えている。
(これが、大手の企業ってやつなのか!?うーん、スゲエーの一言に尽きるぜ!こんなでかいビルで働いている人間達は、さぞかし俺達ホームレスを侮蔑の目で見てやがるんだろうな……)
人間は、年収が上がれば上がる程に人間性は卑しくなっていく、健吾が前に在籍していた派遣会社の管理や上層部の人間達裕福層は、時給1000円程度で働く健吾達部下を冷たい目で見ていたのを健吾は思い出して、寝る前にラーメンを食べた次の日の如く、胃袋が気持ち悪くなってきてムカムカする気持ちに襲われる。
クマ達は一色と駅で合流した後、本番のリハーサルをしに、駅前にあるスターバックスに足を進める。
(「馬子にも衣装とはこの事だな……」)
見栄えを良くしようと美容院やエステに出向き、前日にUNIQLOやH&Mで購入したジャケットやチノパンにレザーシューズ等の最近流行りのオフィスカジュアルに身を包んだ健吾を見て、マイコンは溜息をつく。
マイコン達の目の前には、どこに出してもおかしくない格好をした小僧がいる。
クマもこの日の為に新調したスーツに、普段入っていない風呂に入り、無精髭を剃り、普段ボサボサの髪の毛をわざわざ美容院にまで出向きカットして貰い、はたから見たら、それなりの企業の重役にしか見えない。
「えー、多分会長は健吾君にいろいろな事を聞いてくるかと思います、先週、クマさんに手渡した資料に目を通してあるのかと思いますが、念の為にもう一度目を通してください……」
一色はそういい、スターバックスラテを口に運ぶ。
健吾は袋の中から用意した資料を改めて目を通す。
そこには、勇気が好きなものや、生年月日、趣味だけでなく、仁美との初デートの日にちや場所、仁美との初キスの場所など、一歩間違えばストーカーになりそうな事が書かれている。
「簡単なテストをします、勇気君の生年月日は?」
「平成10年の12月3日です」
「好きな音楽のジャンルは?二つあります」
「ミスクチャーロックと、ヒップホップです」
「……どれも正解です、多分これならば大丈夫でしょう」
「ええ、この日の為に普段使わない頭を使わせましたから」
天狗は健吾の頭を軽く叩く。
資料の中には、個人情報だけでなく、専攻していた機械工学の知識や、知り合いの名前や嗜好に出身地まで書いてあり、やや知的障害気味の健吾の頭は悲鳴を上げたのだが、クマから「今回の仕事がうまくいって株式が手に入ったら、お前に余分にやる」と言われて、学業よりも難しい内容全てを記憶するという偉業を成し遂げた、これで準備は万端、といった具合に自信に満ち溢れた表情を健吾は浮かべている。
「これがうまくいったら、ソープにでも連れていってやるからな」
「マジで!よーし、やるぞぉー!」
現金な野郎だ、とクマはそんな健吾の様子に微笑みながら、シケモクに火をつける。
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ビルの中は、清掃員のパートにより綺麗に仕上がっており、今までが薄汚れた工場でしか働いたことがない健吾は凄まじいカルチャーショックに襲われる。
それよりも驚いたのが、受付嬢の美人な顔、モデル並みの面構えの女性が、一色達を会長室へと案内してくれる。
(「顔採用というものは本当にあるのだな……」)
少し前に、テレビでモデルと素人をどちらを採用するかという企画番組があり、面接官はほぼ全員、モデルを採用したのを健吾は思い出す。
ビルは20階建、最上階に和成がいる会長室がある。
「これから会長と会う、お前は何も喋るな、筆談だけで済ますように俺の方から伝えておくからな……」
雰囲気に圧倒されっぱなしの健吾に、クマは静かに伝える。
「あぁ、一世一代の大勝負だ、ヘマはしねぇよ……! 」
健吾はニヤリと笑い、大きく深呼吸をした。
エレベーターを出て、役員室を横目に、奥の方にある会長室に足を進める。
ドアをノックすると、入れ、と声が聞こえ、クマ達はネクタイを締め直す。
「失礼致します」
『日進月歩』の掛け軸と、神棚、デスクが置かれた30畳ほどの部屋の中には、頭が禿げ上がったグレーのストライプスーツを着た、腹が醜く出た初老の男性が立ち、顔が重病人のようにげっそりと痩せて焦燥しきった、紺のスーツを着た初老の細身の男性が椅子に座って、健吾達をジロリと見やる。
「勇気君をお連れ致しました」
一色は、今回の大勝負に緊張の色を隠しながら、和成に淡々と述べる。
「……うん!?勇気君か!!」
「……」
「勇気君は、酷いストレスに襲われて、失踪をしておりました、その時の影響で喋ることができません……申し遅れました、私は熊山と申します、私と一色さんは昔からの知り合いで、勇気君が近所の公園でホームレスをしている所を保護致しました」
「そうですか……失礼ですが、何の職業をしていらっしゃるのですか?」
「しがない、何でも屋です」
まぁ、何でも屋といえば何でも屋だな、と健吾は思い、和成を見つめる。
和成は不安そうな顔で、健吾を見つめる。
「勇気君と似てはいるのですが、簡単なテストをしたいと思います、筆談で結構です、おい、葉山……」
「はい」
和成は葉山と呼ばれる、先程のグレーのストライプスーツの男に顎で指示を送ると、タブレットを取り出して持って来る。
(やっぱり、大企業となるとどこもタブレットとか使うんだな、タブレットはマイコンさんが持っているから、勉強しておいて良かったぜ……! )
クマ達はホームレスという立場なのに、何故か最新式のタブレットや、SIMフリーの最新のスマホを持っており、健吾は普段から彼らとの連絡でそれを使っている為扱いには慣れている。
「では、簡単なテストをします、生年月日は?」
平成10年の12月3日、と健吾はタブレットに記入する。
「好きな音楽のジャンルは? 」
ミスクチャーロックと、ヒップホップと記入する。
「……ふうーむ、この情報では、少し調べればわかる事だな、ではこれはどうかな?君は風俗で童貞を捨てたのだが、風俗嬢にどこを舐めてもらって感じたかな? 」
「……!?」
(こんな情報初めてだぞ……!? )
健吾だけでなく、クマ達も驚愕する、一色の持って来た資料には書いていない情報だった為だ。
1分程の沈黙が流れ、和成達は健吾が替え玉ではないのかという疑いの視線を彼等に送る。
(えーいこうなりゃ、ヤケクソだ!)
金玉の裏、と健吾は書く。
「……うーん、正解だな。となると君は、本当に勇気君か。だが、もう一つ気になることがある、勇気君の右脇腹には、青い痣がある、それを見せてはくれないか? 」
健吾は白のワイシャツをめくり、腹を見せる、そこには、確かに青い痣がある。
「ふうーむ、本物だな……」
(わざわざ、天狗さんが蹴りを入れて作った痣だ、バレなくて良かったぜ……)
昨日の晩、天狗は健吾の脇腹に蹴りを入れて、わざと内出血を起こして痣を作った。
「では、今から来て欲しい所がある」
和成は、葉山に車を手配するように伝える。
本物だと疑いの目が消えた和成を見て、健吾達は安堵する。
(これで、株式は俺達のものだ……!)
だが、葉山だけは、ひどく焦燥した顔で健吾達を見ている。
¥
金持ちの代名詞と言われるポルシェに乗り、健吾達が案内された先は、とある国立総合病院。
「仁美に会ってくれ、多分もう先は長くはない……」
和成はそう言いい、健吾達を車に乗せて、この病院の個室に案内する。
(金持ちはこんな凄い所で治療を受けられるのだが、俺達ホームレスとかの底辺の人達は、満足に治療を受けられずに死んでいくのか、だが、これから会う仁美とかいうブスは助からないんだ、金持ちも貧乏人にも平等に死はやってくるのだな……それよか、君島さんは大丈夫なのだろうか?ピロリ菌とかに掛かって、二週間ぐらい入院すると言っていたのだが、こんなブスどうでもいいや……)
仁美の入院する病室に入った途端、健吾は酷い吐き気のようなものに襲われる。
そこには、抗癌剤の影響で髪の毛が抜け落ちて禿げ上がり、蛍光灯の明かりが頭に反射して、壁に光があたり、数学の関数グラフを彷彿とさせる心電図、シューシューと不気味なリズムを刻む酸素呼吸器のつけられた、人とはいえない、ただ生かされているだけのたんぱく質と脂肪の塊がそこにはある。
「仁美、勇気君が来たぞ……」
仁美は、虚ろな目で健吾を見やり、何かを言いたそうな目をしており、思わず健吾は仁美の手を握る。
仁美の手は、木の幹を触っているかのように、角質がボロボロと崩れ落ちていき、悲しいまでに冷たい感触が健吾の手に伝わってくる。
「う……」
仁美の目からは、一筋の涙が流れ落ちた。
「一色、株式はお前にやろう、馬力鉄鋼を頼む……!」
和成はそう言い、仁美の手を握りしめる。
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