第3話 自分で考え、自分で決めろ!

 日曜の午後。他に誰もいない公園で一人リフティングをする。左足の甲、太もも、右足の甲、太ももと様々な箇所でボールを蹴っていく。左足の甲でボールを高く蹴り上げる。額で受け止めてそのままバランスを保つ。

 『好きなことを仕事にするべき』

 父さんは僕によくそう言う。必ず寂しげな笑顔を浮かべながら。好きなこと、ねえ。好きなことって何だろう。好きな仕事、好きな人……この二つの好きは同じ好きなんだろうか?サッカーを始めたきっかけは覚えていない。でも、サッカーを始めた時からずっとボールを蹴り続けてきた。僕はサッカーが好きなんだろうか?好きなんだろう、多分。誰に言われなくてもボールを蹴ってきたんだから。自然と行っていることが好きなこと。なら先輩のことは……。

 前はボールを蹴っていたら他のことは忘れることが出来た。でも今はボールを蹴っていても思考はすぐ先輩の方へ向いてしまう。

 女の子と全く会話ができない時は諦めていた。スポーツ大会のミーディングではそれを改めて突きつけられた。それでもやっぱり諦めることが出来なくて神頼みをして選択式会話術で先輩と仲良くなれて、一緒に歩いていこうと言ってくれた。でも、僕は頷くことが出来なかった。先輩のことが好きだったら喜んで頷くべきだったんじゃないのか?頷くことが出来なかった僕は”本当”は先輩のことが好きじゃない?

 本当の気持ちーーー考えれば考えるほど分からなかった。本当の気持ちとはある対象に対して抱く想いと仮定してみよう。心の奥底ではパレットの絵の具のように様々な色が混ざり合っていることだろう。でも、それを表に出す時は一つの色として表現される。怒り一〇〇%と怒り六〇%なら区別はつくだろう。じゅあ、怒り七〇%と怒り六〇%の区別がつくんだろうか?区別がつかないとしたらその一〇%に意味はないんだろうか?

 分からない。自分の”本当”の気持ちが分からない。

 頭の上にのっけていたボールを前方へ飛ばして公園にある壁へと思いっきり蹴り飛ばす。跳ね返ってきたボールを肩でトラップし、ボールを頭の上へとあげてオーバーヘッドキックで再度壁へともやもやした想いと一緒に蹴り飛ばす。

 「痛っ!」

 地面に手を付いた瞬間に痛みが走る。目をやると石で手を切ってしまっていて、手の平が赤く染まる。

 「たっくん、大丈夫?」

 光が血相を変えて駆け寄ってくる。「ひ、光?」予期せぬ来訪者に声が上ずる。

 「手、みせて!」

 「大したことーーー」

 「いいから手みせて!」

 光の剣幕に押されて手を差し出す。光ががっしりと握ってじっと視線を落とす。

 「血でてる!早く洗わないと!」

 光に公園の水飲み場まで引っ張っていかれる。手を水で濡らし、光の手が丁寧に汚れを払っていく。汚れが落ちたのを確認するとポケットからハンカチを取り出して傷をしばる。紋白蝶がプリントされたハンカチで。

 「これでよし、と」

 満足気な声。でも僕の目と意識は紋白蝶がプリントされたハンカチに吸い寄せられていた。校庭の桜の木の下、白いワンピースを着た少女、失望がハッキリと見て取れる表情。去っていく少女。脳裏に焼き付けられる少女の綺麗な足。そして差し出された紋白蝶がプリントされたハンカチ。

 次々と光景が浮かんでは消えていく。

 「ねえ、光」視線をハンカチから光へと移す。「何してたの?」

 「えっ?」

 「いや、急に光が来たから」

 「えっ、えっと」目が泳ぐ。「か、買い物。そう、買い物。お母さんにお使い頼まれちゃって」

 「今から行くところ?」

 「そ、そう。買い物に行こうと思ったらたっくんが公園でサッカーの練習してるのが見えたからちょっと見てたの。そしたらたっくんの『痛っ』て声が聞こえたから」

 「何か、光っていつも僕のこと助けてくれるよね」

 「そ、そうかな?」

 「うん。ずっと忘れてたけど、前にもこんなことがあったような気が……」

 「あっ!ゴメン」心の奥底にひっかかっていたものを吐き出そうとした言葉は光の言葉で打ち消される。「アタシ、お母さんに急ぎでってお願いされてたんだ。もう行くね」

 「う、うん」

 「じゃあね」

 そう、ちょっと前に見た夢の光景。僕は確かにあの光景を体験している。小学校の校庭で。


 鼻から息を吸い込む。肺を新鮮な空気で満たしてゆっくりと吐き出していく。久しぶりに訪れた母校の小学校。校庭の外れにある桜の木。その木の下に立つとあの夢の光景、僕を変えて”今”の僕を作った出来事がありありと思い出された。

 いつからか自然と女の子の足に目がいくようになった。その事に何の疑問を持つこともなかった。僕は心のどこかで白いワンピースの少女を追い求め、その”想い”が辿り着いたのが記憶の少女と同じ綺麗な足を持つ先輩だった。

 初恋の少女に告白しようとこの桜の木の下に呼び出したものの、緊張のあまり何も話すことが出来ずに告白することなく振られてしまった。この出来事が傷をつくり、傷の痛みから女の子と上手く話すことが出来なくなった。原因から目を背け続けては遂には神にまですがった。自分のことながら滑稽で情けなくておかしかった。

 「アナタのことが好きです」

 あの日、言いたくても言えなかった言葉を口に出してみる。この言葉を言うことが出来ていたら白いワンピースの少女は何と答えてくれたのだろう。その答えは僕をどう変えたんだろう。

 再び大きく息を吸い込んで答えの出ない問いかけと共に吐き出していく。

 僕は僕だ。良かろうと悪かろうと僕でしかない。その事実を噛みしめながらあの日佇むしかなかった桜の木の下を後にした。


 桜の木の下からの帰り道。よく駆け回っていたグラウンドを歩くと幼い日の記憶が蘇ってきた。一人居残り練習をする小林を朝礼台からぼんやりと眺めていた。楽しそうに居残り練習をする小林の気持ちが全く分からずに。

 『何でマイナスの状態を改善するために練習してるのに、この人は楽しそうに練習してるんだろうと不思議に思って……』

 真っ白な気持ちから発せられた真っ黒な質問に幼い小林は笑って答えてくれた。

 『仮に出来ない状態というのがマイナスだとしてもマイナスからゼロの状態に、出来ないことが出来るように、つまり練習すればなりたい自分に近づいていくことが出来る。そう思うとワクワクして来ない?』と。

 マイナスからゼロに、なりたい自分に近づいていく。それを”ワクワク”と感じることは僕がずっと知らなかったことだった。

 そう想うと足は自然とあの場所へと向かっていた。


 鹿ノ島神宮の拝殿にある賽銭箱の前に立ってあの日と同じように財布から五円玉を取り出して投げる。二拍子し、目を閉じて選択式会話の神様へと話しかける。

 『神様、頭の中に浮かんだ選択肢を選ぶことによって女の子と会話出来るようにしてくれてありがとうございます』

 水無月さん、そして先輩。神様が授けてくれた選択式会話術がなけれ彼女らときちんとコミュニケーションを取ることなく心の奥底に負った傷に目を背け続けていたことだろう。

 『でも僕はもう大丈夫です。選択式会話術なしでやっていこうと思います。ないことで失敗することも多いでしょう。それでも自分で選択肢を考えてやっていきたいと思います。ワクワクした想いと共に』

 一礼して立ち去ろうとするとーーー

 『その願い叶えて進ぜよう』

 同じ声が頭に響く。声は続けて『頑張れよ、少年』と励ましてくれた。きっと選択式会話の神様は僕の”選択”を喜んでくれている。確信と共に鹿ノ島神宮を後にした。


 「すいません。先輩の言葉はすごく嬉しかったんですけど、先輩の気持ちには答えられません」

 放課後の生徒会室。先輩の告白に答えるために先輩と向かい合う。

 「そう」少し黙った後に短く呟いた。「理由を聞かせてもらっていい?」

 「先輩、言いましたよね。部活に励む生徒たちを見て『私はあの人たちとは違う人間、選ばれし人間なんだ』って。そして僕も選ばれし人間なんだって」

 「そうね」

 「実は僕も自分は特別な人間なんだと思っていたんです。勉強もスポーツも人より上手く出来たから。だから爆は他の人たちとは違う、選ばれし者なんだって。でもそれはただの勘違いでした。得意なこともあれば苦手なこともある。僕も他の人たちと何も変わらない。そんな僕に他の人を導くことなんて出来ません」

 先輩が小さく息を吐く。

 「私ね、他の人にお願いして断られたことって今までなかったの。前にも言ったと思うけど何となくその人が何を望んでいるかが分かったから無意識の内にその望みに沿ったお願いをしちゃうしね。だからキミは私に好意を持っていてくれて私と同じ選ばれし者って言ったら喜んでくれると思ったんだけど……残念だなぁ」

 「すいません」

 そう言うしかなかった。

 「謝らなくてもいいよ、私が勝手に勘違いして先走っただけなんだから。でもなぁ、私は前よりもキミに惹かれるようになっちゃった。だって……」腰を屈め、見上げる形になる。悪戯っぽい笑みを浮かべて「キミは私の初めての人なんだから」

 先輩の言葉に鼓動が早くなり、顔が赤くなる。僕の反応を見て先輩が可笑しそうに笑う。

 「か、からかわないでください」

 「ゴメン、ゴメン。でも初めての人っていうのは本当だよ」

 「えっ……」

 「他の人にお願いして断られたの初めてだって。ねえ、前言ってくれたよね。『僕に生徒会のことで手伝えることがあったら声かけてください』って。あの言葉、今でも有効?」

 「も、もちろんです」

 「本当?じゃあ、これからも困った時は声かけさせてもらうからよろしくね」

 差し出された手を遠慮がちに握る。

 「こちらこそよろしくお願いします」

 「その活動を通してキミも私に惹かれるようになってくれたら嬉しいんだけどな」

 「だから、からかわーーー」

 「からかってないよ」先輩は僕を真っ直ぐに見つめ「言ったでしょ?キミは私にとっての初めての人だって。初めての人に振り向いてもらいたいって思うのは別におかしいことじゃないでしょ?」

 改めて見ると先輩はとてもきれいで、僕は言葉を知らずにただ見つめることしか出来なかった。

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選択式会話の神様が微笑んでいる @ichiryu

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