第2話 仏様、稲尾様、選択式会話の神様

 満開の桜の木の下。大きく深呼吸して彼女を待つ。彼女に僕の気持ちを伝えるんだ。遠くに彼女の姿が見える。鼓動は一気に高鳴り、彼女の姿が大きくなっていくにつれて鼓動も激しさを増していく。

 「話って何?」

 彼女は少し緊張しているのか、少しぶっきらぼうに口を開く。彼女は白い膝上までの丈の白いワンピースを着ていて、ほっそりとした足がすらりと伸びていてとても可愛かった。僕が何も言わないのを見て彼女が眉を寄せる。言わなきゃ。今日ここに呼んだ理由、僕の気持ち、僕の願いを彼女に伝えるんだ!

 意を決して口を開く。が、口が動くだけだった。あれ、言葉がでてこない。伝えなきゃ!僕の気持ちを言葉にして彼女に伝えなきゃ。気が急ぐだけで”想い”は胸の中に留まり続けている。

 困惑は不審へと変わり、怒りへと繋がっていった。

 「用がないなら、アタシもう行くから!」

 その言葉は心の奥底に深く刺さり、言葉を紡ぐどころか口を動かすことさえ出来ずに遠ざかっていく背中をただ見つめることしか出来なかった。彼女が動くたびにスカートの裾が揺れて隠れていた太ももが姿を見せる。その光景がスローモーションのようにゆっくりと流れていく。

 どうして?何で?頭の中ではこの二つの言葉だけが尽きることなく湧き出てくる。どんなことでも人より上手く出来た。僕は何でも人より上手く出来る人間なんだ。本気でそう思っていた。なのに、どうして?何で?

 彼女の姿が見えなくなってもいない彼女を見つめ続ける。どれほどそうしていただろうか?「???」と僕を呼ぶ声がし、横を向くと”彼女”がいた。彼女はいつからそこにいたんだろう?全く気が付かなかった。口を開きかけるがやめる。僕は彼女に何を言うんだ?彼女は見てたのか、見てなかったのか?取り繕うのか、自分自身を笑ってみせるのか?分からなかった。

 彼女がためらいがちにハンカチを差し出してくる。紋白蝶がプリントされたハンカチを見つめる。ハンカチ?彼女の意図が分からなかった。

 「涙、出てるから」

 左手で頬に触れると指先が濡れる。ああ、僕は泣いているのか。ハンカチを受け取って涙を拭う。そうか、僕は彼女に想いを伝えることすら出来なかったのか。これが出来ないってことなのか。

 出来ないって苦しいんだな。


 懐かしい光景を見た、ような気がした。詳しい状況、自分は何歳だったのか、それはどこだったのかは思い出せない。ただ今でもくっきりと刻み込まれてはっきりと思い出せることが一つだけある。遠ざかっていく白いワンピースを着た少女の姿。その少女の白いワンピースからすらりと伸びた足がとても綺麗だったこと。僕は彼女の足に見とれ、心を奪われてじっと見つめていた。そう、僕は彼女の姿が見えなくなってもずっと見つめていた。何故なら、彼女の足があまりに綺麗だったから。

 目を開く。ぼんやりとした視線の先には見慣れた白い天井。夢、か。夢の中の彼女の足はとても綺麗だった。そう、先輩のように。そうだ、先輩だ!

 ベッドから飛び起きて頬を勢いよく叩く。机に向かうとノートを開き、赤ペンを手に取って『女の子と上手に話せるように僕はなる!』とでかでかと書きつける。

 よし!心の中で大きく頷く。そのページを破って机の前の壁に貼り付ける。その言葉をしっかりと焼き付ける。

 「女の子と上手に話せるように僕はなる!」

 言葉にも出してみる。僕は天才だ。僕は何でも出来る。女の子とだって上手に話せる。昨日の傷だってもう癒えた。たから、僕は大丈夫だ!


 朝の登校中、前にショートカットで太い足の女子生徒が見える。光か。スピードを緩めることなく光を追い越していく。

 「あっ、たっくん」こちらに気付いた光が駆け足で横に並ぶ。「おはよー、たっくん」

 元気一杯な光の挨拶に対して「ああ」と平坦な声で挨拶を返してスピードを緩めることなく歩いていく。

 「あっ、ちょっと待ってよ」光が慌てて歩を早めて横に並ぶ。「たっくんって歩くの早いよねー」

 「サッカーで鍛えてるからね」

 ふと夢で見た少女のすらりと伸びた綺麗な足が思い出される。視線を光へと向ける。光は指で髪をいじりながら横目でこちらを伺っている。視線を光の足へと向ける。視線の先にはお世辞にも綺麗とは言い難い太い足。

 「光って足太いよね?鍛えてんの?」

 光が夢の中の少女のような足を持っていたらこんなこと言えないんだろうなぁ。横を見ると光がいない。不思議に思って振り返ると光は立ち止まっていた。

 「どうしたの?」

 「ゴメン、何ーーー」

 「光、ゴメン。香川君のことちょっと借りるね」

 光の言葉は水無月さんの言葉に遮られる。僕の手を掴んで光から離れた所へ引っ張られていく。人気のないところまで連れていかれると開口一番「ちょっとアンタ!どういうつもりよ」と大声で怒鳴られた。

 水無月さんが何を言いたいのかはよく分からなかったけど、とても怒っていることはよく分かった。

 「アンタにはデリカシーというものがないの!」

 その一言で水無月さんが光とのやり取りに対して怒っていることが分かる。

 『女の子と上手に話せるように僕はなる!』

 朝の誓いを思い出す。意を決して口を開こうとするも水無月さんの吊り上がった目で見つめられていると意識すると口からは何の言葉も発せられない。ダメだ。やっぱり、僕は。次の瞬間、急に世界が灰色で塗り潰された。水無月さんも色を失って彫刻の像のように静止している。今、世界に何が起こっているのか、状況が全く分からずに本能のように回りを確認しようとして気付く。自分も像のように指一本動かすことが出来ないことを。どうなってる?どうすればいい?動かぬ体に頭は精一杯のアラームを上げ続けるがどうすることも出来ずに混乱の度合いだけが高まっていく。そこへ声が響いた。神宮で聞いた言葉が頭の中にダイレクトに響く。

 『汝の前に言の葉で現される可能性を示す。自らの意思で選ぶがよい。

 A:水無月さんには関係ないでしょ?

 B:光とは幼なじみで付き合いが長いから光の気持ちも考えないで言葉にしちゃうんだよね。ホント、僕の悪い癖だよね。光には後で謝っとくよ。

 C:水無月さんも光の足、太いって思うでしょ?』

 『自らの意思で選べってどういうこと?』

 声の主に問いかけてみるも返答はない。世界は色を失ったまま止まり続けている。『僕は、選べない』そう念じてみたものの変化はない。選ばなきゃ世界はこのまま、か。

 声の主に示された選択肢を吟味する。水無月さんは光のことを心配して、僕の態度に怒っている。だったらーーー。

 頭の中で『B』と念じる。

 「光とは幼なじみで付き合いが長いから光の気持ちも考えないで言葉にしちゃうんだよね。ホント、僕の悪い癖だよね。光には後で謝っとくよ」

 言葉がすらすらと僕の口から紡がれていく。あれ、僕が女の子に対して普通に喋れてる?素直に自分の非を認める言葉が返ってくるとは予想していなかったのか目を丸くしている。

 「わ、分かればいいのよ」背を向け「とにかく!光への言葉つかいには気を付けてよね」

 言い残して慌ただしく去っていった。遠ざかっていく背中を信じられない気持ちで見送る。

 できた、会話が!

 頭の中に選択肢が示されて、選んで、会話が出来た!


 部活を終え、学校を出ようとしたところで白くて細い綺麗な足、この学校で一番綺麗な足の持ち主だと確信している藤崎先輩が一人で歩いていた。脳裏に先輩の隠しきれない失望の色が現れた顔が浮かぶ。謝らなきゃ。思っているだけでは何も伝わらない。言葉にしなきゃ!

 今までの僕だったら先輩に自分から話しかけることなんて出来なかっただろう。心にどんな想いを抱えていたとしても。でも今の僕は違う。想いを伝えるために行動することが出来る。

 先輩へと駆け寄って声をかける。

 「あの、先輩」

 「あら、香川君。」ニッコリとほほ笑む。まるで会議の出来事などなかったかのように。「どうしたの?」

 「あの……」

 世界は色と刻を失い、僕の選択を待つ。

 『A:先輩って足綺麗ですよね。

  B:初めて会った時から好きでした。僕と付き合ってください

  C:この前はすいませんでした。緊張しちゃって』

 最初の時は深く考えることはなかったけど、この選択肢はどういったものが提示されているんだろう?僕の願望なんだろうか?願望だとしたら謎の声によってそれを提示されるというのも変な気分だった。

 足が綺麗、付き合いたい。間違いなく僕の思っていることではあったけど、流石に今の僕でもそれを口に出す勇気はないので無難な『C』を選ぶ。

 「この前はすいませんでした。緊張しちゃって」しゅんと肩を落とす。意識することなく自然と相応しい仕草を取っていた。「早乙女から聞きました。先輩が僕を推薦してくれたって。それなのに僕は何も言えなくて」

 「そんな顔しないで」優しい声と共に先輩の手が僕の肩に置かれる。「私の方こそゴメンね。香川君の気持ちも考えずに勝手に推薦しちゃって。迷惑だったでしょ?」

 「そんなことないです」慌てて首を振る。「先輩が推薦してくれたって聞いた時、僕素直に嬉しかったんです」

 「ホントに?」

 「ハイ」大げさに首を縦に振る。「あ、あのもし僕に生徒会のことで手伝えることがあったら声かけてください」

 「そんな気を使ってくれなくてもいいのよ?」

 「気を使うなんてそんなことないです。先輩の力になりたいんです」

 「じゃあ、その時はお願いしようかな」

 「是非ともお願いします!」

 「これからよろしくね」

 「こちらこそよろしくお願いします」

 「じゃあ、香川君。また明日ね」

 「はい!また明日、ですね」

 できた!先輩と会話が出来た。先輩の姿が見えなくなると軽やかな足取りで駆け出していた。選択肢を提示してくれる神様ありがとー!そう全力で叫びだしたい気分だった。


 「あっ、たっくんだ」校門を出ようとしたところで光と鉢合わせする。「たっくんも部活終わり?」

 「ああ」

 今まで通りの短い返事。そこで気付く。願い事をしてから女の子と話しをする時は選択肢が提示されるようになったけど、光と話す時は今まで通りで頭の中に選択肢が浮かんでくることはなかった。光とは普通に話せていたから?幼なじみだから?いくつも仮説は浮かんだものの答えは分からなかった。

 もし、この場面で選択肢が示されるとしたらどんな選択肢なんだろうか?

 『A:じゃあ、お先。

  B:家の方向同じだし一緒に帰らない?

  C:一緒にいられるところ見られて友だちに噂とかされると恥ずかしいから学校で声かけないでくれる?』

 Cは論外としても、今までの僕なら迷うことなくAを選ぶことだろう。でも、急に別の考えが浮かんできた。何かと気にかけてくれる幼なじみに対して僕はどんな選択肢を選ぶべきなんだろうと。

 僕は……。

 「家の方向同じだし一緒に帰らない?」

 信じられないといった感じで口をぽかんと開けている。その反応に眉を寄せると「帰る!帰る!絶対に帰る!」と勢いよく同意してくる。

 「じゃあ帰りますか」

 「うん!」

 二人並んで歩いていく。歩幅が違うために少し離れてはまた横に並びまた離れるを繰り返していく。気にせずにいつものスピードで歩こうとしたが水無月さんの『デリカシーがない!』という言葉が蘇ってくる。『デリカシー、デリカシーね』スピードを緩めてゆっくり目に歩く。二人同じスピードで歩いていく。

 「今日、風強いね」

 「そうだね」

 いつもなら光が喋って僕は短く返すのがいつもの光との会話だったけど今日の光は何故か無口だった。視線を少し俯かせて指で髪先を遊ばせている。

 「テニスってやっぱり風が強い日はやりにくいの?」

 「そ、そうだね。軟式だとボールが風の影響を強く受けるから大変だよ」

 「ふーん」

 気のない相槌を打ったところで一際強い風が吹いて光の髪とスカートの裾を揺らす。「きゃあ」と短い悲鳴を残して慌ててスカートを抑える。いつもならパブロフの犬のように視線は太ももに引き寄せられるところだったけど今日は違った。

 「か、風本当に強いね」

 「そうだね」

 同意しつつも意識は別のところにあった。風に揺らされて形のいい耳がのぞく。光はショートカットでいつも耳がのぞいていたけど今は隠れていることに初めて気づいた。

 「髪」

 「えっ?」

 「髪、伸ばしてるの?」

 「あっ、うん。どうかな?」

 上目遣いに聞いてくる。

 『A:彼氏できたんだ。おめでとう。

  B:適当に言ったんだけど、あたっちゃったよ。

  C:よく似合ってるよ』

 選択肢が示されるとしたらこんな感じかな?髪切ったら失恋、なら伸ばしたのなら恋の成就というのは我ながら変な発想だった。

 「よく似合ってるよ」

 「ホント!」

 身を乗り出してきてすぐ目の前に光の顔がきて思わず後ずさりする。

 「ち、近い近い」

 「あ、ゴメン」

 慌てて顔を離し「よかった」と自分に言い聞かせるように小さく呟く。

 「つぐみのアドバイス通りに髪、伸ばしてよかった」

 続けて呟かれた言葉はよく聞き取れなかった。

 髪に気付いてくれたことがそんなに嬉しかったのか、ずっとニコニコし続けて光の家の前へと着いた。

 「じゃあ、また明日」

 別れの挨拶をして自宅に向かおうとすると光に引き留められる。

 「また機会があったら一緒に帰ってくれる?」

 「もちろん」

 それは選択肢を検討するまでもない言葉だった。


 学校の休み時間。職員室での用事を終えて教室に戻ってくると廊下で光と小林がスマホを見ながら話している。珍しい組み合わせだなと思いつつ「何してんの?」と輪に加わる。

 「あっ、たっくん」

 「おー、拓実。まー、見てみろって」

 小林がスマホを見せる。スマホには青いユニフォーム、日本代表のユニフォームを着た僕の姿があった。

 「これって、この前の全日本大会の?」

 「そう。ネット検索してたら試合の映像がアップされてたから、こりゃ学校でお前の勇姿を確認しなきゃと思って光ちゃんと確認してたってわけ」

 「たっくんってホント、すごいよね」

 試合の映像は七十分過ぎ、僕が決勝点となるゴールを決める直前の映像だった。三人してスマホを凝視する。


 中盤の選手から長いパスが右サイドの選手へとパスが渡る。「ヘイ!」と声をかけながら近づいていくとパスが出される。ボールを足元へと収めてペナルティボックスの角付近で相手ディフェンダーと対峙する。チラと横を見て味方選手の位置を確認してから小刻みなステップで相手へと近づいていく。相手の足が伸びてこようとするその刹那、体を少し前に倒して足へと力を込める。相手がゴールへの壁にならんと並走する、とボールをちょこんと左に蹴りだす。相手の驚きの顔。相手が足を伸ばすよりもよりも早く左足を振りぬく。放たれたボールはキーパーの手をかすめてゴールネット左上へと突き刺さった。


 普段、自分のプレイを見返すことはしないので自分のプレイをこうして見ると映像の中の自分が自分じゃないみたいな不思議な気持ちがしてくる。

 「すっごーい!しゅっと抜いてすぱーんと決めちゃった」

 光が元国民的野球選手なみの感想を口にする。

 「こういう時にどんな感じでプレイしてるの?」

 「どういう感じ?」

 「うん。この時って拓実は一人で勝負しにいってゴールを決めたわけじゃん。何を見て、それをどう判断して、その決断をしたのかなと思って……」

 何でと聞かれることはよくあったけど、どうと聞かれることは今まであまりなかった。

 「そうだね」

 あまり意識することはなかったけど、試合のことを思い出しながら”言葉”にしてみる。

 「この試合、僕は右のウイングでプレイしてたんだけど、相手はスリーバックだったから左のセンターバックと一対一になるシーンが多かったのね。外側から内側に切り込んで、あっ、これよくカットインするって言ったりするんだけど、カットインからのシュートを相手がすごく警戒してるっていうのがすごく分かったわけ。準決勝でカットインからシュートしてゴール決めてたからね」

 「ふんふん」

 二人して食い入るように話を聞いてくれて少し気持ちよくなってくる。

 「相手はカットインさせまいと内側のコースを防ぐようなポジションをとる。それを見て僕は縦に突破してクロスをあげる。変な言い方になるんだけど、それはお互い同意の元でのプレイだったんだよね。相手はカットインからのシュートは打たせたくない。僕はチャンスを作りたいってわけでクロスをあげるもゴールはならずっていうのが何回かあった上でゴールのシーンになるわけ。ボールをもらった時、チラっと横見たんだよね、味方の位置を確認するために。何で見たのか、試合の時も今もよく分からなかったんだけど、味方の位置を確認してからディフェンダーへと意識を戻した時にふと思ったんだ。『相手は今の僕の仕草をどう受け取ったんだろう?』って。『今までカットインはさせなかった。縦に切り込んでクロスも決定的なチャンスは作らせなかった。この試合、初めて相手は味方の位置を確認した。つまり、一対一では勝てない。そう思っているんじゃないか?』と勝手に想像したわけ。一対一で勝てない、だからパスする。相手がそう思っているなら、勝負だろ!ってわけでズドーン!ゴール!ってわけ」

 「なるほど、なるほど。天才サッカー少年は試合中はそういう風に考えてプレイしてるんだ」

 すぐ近くからの声。話すことに熱中していたからか、光と小林以外の存在が近くで話を聞いていることに全く気が付かなかった。慌てて声の主を確認すると先輩が僕のすぐ傍に立っていた。

 「ふ、藤崎先輩!」

 僕の一言で一気に廊下がざわめく。

 「香川君、ちょっとお願いがあるんだけどいいかな?」

 「な、何でしょうか?」

 「来月開催される鹿ノ島祭り。それに向けての会議を来週開くんだけど、参加してもらえないかなと思って。どうかな?」

 選択肢を検討するまでもない。

 「是非参加させてください」

 「ありがとう」先輩が微笑む。先輩が笑ってくれた。先輩の笑顔にこちらまで嬉しくなってくる。「じゃあ、会議は来週水曜の放課後だからよろしくね」

 「ハイ、こちらこそよろしくお願いします」

 先輩の後ろ姿を幸せな気持ちで見送る。

 「あ、あれ藤崎先輩だよね?たっくん、先輩と仲いいの?」

 「おい、拓実!お前、藤崎先輩と普通に会話してんじゃん。どういうことだよ!」

 二人の質問に意味ありげに「まっ、色々あってね」と余裕たっぷりに告げて教室へと戻っていった。


 鹿ノ島祭り。一年に一回行われる地元のお祭りで地元の学校はそれぞれブースを持って出し物をするのが通例となっていた。

 生徒会室にこの前のスポーツ会議の時と同じメンバーが集まってどんな催しをするのか話し合う。一時間ほど話し合って喫茶店、縁日風の出店、漫画喫茶などいくつか意見が出されたものの、どれもありきたりの出し物ではあった。

先輩が案の書かれたホワイトボードを前にして腕を組む。

 「うーん、どの案も悪くはないんだけどわが校ならではって所があまりないのよね。太田君はどう?わが校ならではっていうオリジナリティがある意見はないかしら?」

 意見を求められるとは思っていなかったのか、驚いた顔で「僕は特に……」と口ごもってしまう。

 「そうよね、わが校ならではっていうのも難しいわよね」会議室を見渡していく先輩を見て予感があった。視線が僕で止まる。「香川君はどう?何か意見ある?」

 きた!唇をなめて、気を落ち着かせる。これはチャンスだ。この前の僕とは違うということを先輩に見せるまたとないチャンス。

 『A:別に……。

  B:スポーツ喫茶店はどうですか?

  C:何もやらない。あえてね』

 提示された選択肢をしっかりと吟味して口を開く。

 「スポーツ喫茶店はどうですか?」

 「スポーツ喫茶店?」

 「ハイ、うちの学校は部活動が盛んで、強い部活が多いじゃないですか?基本は普通の喫茶店なんですけど、そこに各部活の試合の映像を流すんです。タイムテーブルを作って、時間ごとに映像を流す部活を変えて……」

 固唾を飲んで先輩の反応を待つ。

 「スポーツ喫茶店……部活動の試合の映像ならわが校ならではってところもクリアしてるし、事前の了承も得られやすい。わが子の勇姿を見たいと多くの保護者の来店も見込める。うん、いいんじゃないかしら」

 先輩の賛同の言葉にほっと胸を撫で下ろす。

 「みんなはどうかしら?」

 「いいと思います」

 「準備もしやすいと思いますし……」

 次々と賛同の声があがる。それを見た先輩がホワイトボードに『スポーツ喫茶店』と書いて丸で囲む。

 「じゃあ、鹿ノ島祭りの出し物はスポーツ喫茶……」

 バン!と生徒会室のドアが勢いよく開け放たれて先輩の声が途切れる。教頭の阿部先生が姿を見せて不機嫌そうな顔で生徒会室に入ってくる。ホワイトボードに目をやったかと思うと開口一番「スポーツ喫茶店だぁ!ダメだダメだそんなのは」と否定の声。

 「いいか、お前ら!」先輩の横に立ってだみ声を飛ばす。「世界トップレベルのスポーツが気軽に見れるようになって視聴者の目は肥えてきてるんだ。そんな目が肥えている視聴者に中学生の試合の映像だしたって満足してもらえるわけないだろ。ったく、お前らの頭には脳みそ詰まってのか。しょうがねえ。頭空っぽのお前らに俺が素晴らしいアイデアを授けてやろう」

 阿部先生はマーカーを手に取ると『ハイカラ喫茶』と書きつけた。

 「せ、先生。ハイカラ喫茶って何ですか?」

 「頭からっぽのお前らにも分かるように簡単に説明してやる。大正浪漫風のメイド喫茶だと思ってくれればいい。女子生徒がはいからさん、着物に袴、黒いブーツ姿で接客するんだ。どうだ、素晴らしいだろう?」

 先輩のはいからさん姿を想像してみる。ダメだ、ダメだ。はいからさんスタイルだと先輩の綺麗な足が拝めないじゃないか。このぴっちり横分け、鼻デカ先生は何も分かってない。

 「で、でも先生。ハイカラ喫茶ですと学校の特性を活かすという点に問題がある気がするんですが……」

 「お前らの武器は何だ?若いってことだろ」先生が先輩の髪へと手を伸ばす。「すれてない黒髪の中学生がはいからさん姿で接客してくれる。それがこの学校の特性を活かしていないってのか。活かしてるよなぁ」

 無茶苦茶な理論だったけど、誰も声を上げない。顔を近づけて先輩の匂いをかぐ。

 「ちょ、ちょっと先生やめてください」

 「先生!」

 太田先輩が抗議の声をあげる。

 「何だ、太田。まさかお前、俺に文句あるのか?この鹿ノ島を支える住田自動車の副社長の息子であるこの俺様に文句なんかあるわけないよなぁ?俺様に文句言ったらどうなるか分かってるよなー、その空っぽの頭でも」

 太田先輩が俯く。この学校一の権力者である阿部先生に逆らったらどうなるか、この学校の生徒なら誰でも知っていた。

 先輩と目が合う。初めて見る、余裕が感じられない先輩の表情。次の瞬間、選択肢が示される。

 『A:……。

  B:先輩から手を離せよ、クソ野郎!

  C:先生の案は素晴らしいと思うんですけど、住田自動車の社長にはスポーツ喫茶の方がアピールできるんじゃないでしょうか?』

 Aは容認。Bは反逆。どちらも選んでも僕の望む結果は得られそうにない。だったら……。

 「先生の案は素晴らしいと思うんですけど、住田自動車の社長にはスポーツ喫茶の方がアピールできるんじゃないでしょうか?」

 先輩から手を離して、こちらへ向き合う。

 「何で住田自動車の社長が急にでてくるんだ?」

 「この前行われたU-15の全日本サッカー選手権のスポンサーが住田自動車で、表彰式で社長にお会いしたんですよ。その時に鹿ノ島祭り楽しみにしてるよ、私も行く予定だからって言われまして。ハイカラ喫茶も捨てがたいんですが、社長が来られるなら社長の好みに合わせてスポーツ喫茶の方がアピールできるんじゃないでしょうか?先生にとっても」

 先生の部分に力を込める。

 「うーむ」あごをさすりながら視線は宙を彷徨う。下世話な下心と現実でのポイント稼ぎ。どちらを優先すべきか頭の中で必死にそろばんを弾いていることだろう。

 「そうだな。ハイカラ喫茶ももちろんいい案だが、改めて考えるとスポーツ喫茶もいい案だな。スポーツ好きな住田自動車の社長が来られるならなおさら」

 「そうです、そうです」

 調子のいい相槌を打つ。

 「よし!じゃあ、わが校の出し物はスポーツ喫茶にするか!」

 「ハイ!スポーツ喫茶にしましょう。じゃあ、先輩。しめの挨拶をお願いします」

 「し、締めの挨拶?」

 「ハイ!みんなで頑張っていこうぜ的なやつをお願いします」

 「じゃ、じゃあみんな」先輩が拳を握りしめ「スポーツ喫茶が繁盛できるように頑張っていきましょー!えい、えい、おー!」

 拳を高々とあげる。

 「えい、えい、おー!」

 みんなも呼応して掛け声と一緒に拳を突き上げる。その中で一人、教頭乱入というイベントを無事やり過ごすことが出来てほっと胸を撫でおろしていた。


 生徒会室のドアを開ける。窓際で校庭を見ていた先輩が振り向く。夕日が先輩の顔をオレンジに染めている。

 「ごめんね、部活で忙しいのに呼び出しちゃって」

 「いえ、それで話っていうのは?」

 「ここに、私の隣に来てもらっていい?」

 先輩の隣に並ぶと「校庭、見てみて」校庭を指さす。校庭に目をやると野球部、サッカー部、テニス部が部活動に励んでいる。あっ、光がからぶった。

 「香川君はここから、高い所から他のみんなを見下ろしてどう思う?」

 先輩の質問の意図がよく分からず、「みんな頑張ってると思いますけど……」一番無難な選択肢を選ぶ。

 「私はね、高い所からみんなを見ていつも確認してるの。『ああ、私はあの人たちとは違う人間なんだ』って」

 先輩の発言の意図がよく分からない。

 「急にこんなこと言われても困っちゃうよね」困惑が伝わったのか、苦笑する。「順をおって説明するね。まず」

 向き合って「この前は助けてくれてありがとね」頭を深々と下げる。

 「いえ、そんな……」

 「私はあの時、会議の議長として選択すべき行動をとることが出来なかった」

 「しょうがないですよ。相手は阿部先生だったんですから」この学校で阿部先生に逆らった行動を取れる人は誰もいない。「僕だって表彰式で住田自動車の社長に会ってなかったら何もできなかったですよ、きっと」

 「ううん、相手が誰であれ私は取るべき選択肢を取るべきだったの。それが私のルール、私の行動基準だったから。私の行動基準は他の人は私に何を求めているのか、両親は私に文武両道であって欲しいと思っていた。だから私は勉強もスポーツも頑張った。物心ついた頃から両親の口には出さない期待に応え続けた。それを続けていたら周りからーーー友だち、両親、先生から一目置かれる存在になっていって、いつからか自分のことを”選ばれし者”なんだと思うようになった」

 「”選ばれし者”、ですか?」

 その言葉は無性に胸をざわめかせた。

 「そう。私が香川君のことを生徒会のミーディングに推薦した理由、言ってなかったよね?」

 「ハイ」

 「最初に香川君のことを知ったのは一年生にずっと定期テストで満点を取っている生徒がいると聞いたとき。次はその子がサッカーの年齢別の日本代表に選ばれたって聞いたとき。何でかは分からなかったけど、その子のことが無性に気になった。今まで他の人のことが気になることなんてなかったのに。だからどんな子なのか、どんな考えを持っているのか知りたくて生徒会のミーティングに推薦した。そのミーディングでは香川君のことをよく知ることは出来なかったけど、偶然香川君がクラスメイトとサッカーの試合のこと、相手がどう感じているかを考えてゴールを決めたって聞いて何で私がキミに惹かれたのかはっきりと分かった。キミは私と同じ。だから私はキミに惹かれたんだって」

 僕が、先輩と同じ?嬉しいはずの言葉は何故か戸惑いを生んだ。

 「この世の中には二種類の人間がいる。一つは自分の気持ちに忠実に振る舞う羊。もう一つは自分はどうすべきかを察して周囲の人が期待する通りに振る舞うことができる羊飼い。私とキミが羊飼いでその他大勢は羊。自分の選択がどういう結果を招くのか考えることができない羊は考えることができる羊飼いによって導かれなきゃいけない」

 先輩が手を差し出す。

 「私の手を取って。”選ばれし者”として一緒に歩んでいきましょう」

 「僕は……」

 頭の中に自然と選択肢が浮かぶ。

 『A:僕は人を導ける選ばれし者なんかじゃありません。

  B:嬉しいです。共にいきましょう

  C:……』

 僕が選ぶのは……。

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