第1話 容姿端麗、成績優秀、スポーツ万能なコミ障

 「ねー見て見て。香川先輩だよ」

 「あっ、ホントだ。いつ見ても恰好いいよね」

 朝登校していると後輩の女の子の好意の声が聞こえてくる。中学に進学してから早一年。定期テストで常に学年一位を取り、サッカーで階段を駆け上がっていくにつれて自然と好意を抱かれることが多くなっていった。顔には出さないようにしていたものの、心の奥底では素直に喜び、容姿端麗、成績優秀、スポーツ万能と三拍子揃ってるんだから当たり前だよなーと分かりやすく自惚れもした。今思えば自分のことを知らない青い反応だ。今は浮かれるどころか沈むことの方が多い。目の前にご馳走があるのに決して食べることが出来ないんだと分かってしまったから。

 はあ、とため息が漏れそうになるが「たっくん、おはよー!」と底抜けに明るい声と共に背中を勢いよく叩かれて沈んだ気持ちが吹き飛んでいく。足を止めて横を見る。ショートカットに満面の笑顔、そして太い足。幼なじみの大倉光がすぐ傍に立つ。何がそんなに嬉しいのか光は太陽のような笑顔を浮かべている。朝の占いで一位だったんだろうか、十二分の一の確率で笑顔になれるんだからお気軽でいいよね全く。

 「ああ」

 短く答えて歩き出す。「あっ、待ってよ」光が慌てて横に並ぶ。

 「叔母さんから聞いたよ。たっくんが十五歳以下の日本代表に選ばれたって。すごいよね、日本代表なんて」

 「別に」

 「そんなことないよ、全然すごいよ!中二なのに十五歳以外の日本代表だよ!飛び級みたいなものでしょ?」

 「まあ、ね」

 「いやー、幼なじみが日本代表に選ばれるなんてアタシも鼻が高いよ!」

 「だから嬉しそうなの?」

 他人の成功でここまでテンションがあがるなんてホントお気軽で羨ましかった。世界を見渡せばどこかに成功している人はいるんだから一年中ハッピーでいられることだろう。

 「うん!」大きく頷く。「嬉しすぎてたっくんのこと書いてるページないかと思って一時間くらい検索しちゃった。アイツは日本のサッカー界を背負って立つ逸材だって熱く熱く語ってるページもあったよ」

 「へえ」

 随分気の早い話だ。年齢別の日本代表に選ばれたからと言ってそれは何も保証しない。今選ばれているメンバーの中からサッカー選手として階段を登っていくことが出来るのはほんの一握りのメンバーだけ。まっ、サッカーに関して言えば僕は変わらず”選ばれた人間”だからそのページは正しいと言えるだろう。サッカーに関して言えば、ね。

 「たっくんが将来世界に羽ばたく日を見越して今からサインもらっとこうかな」

 「高いよ?」

 「えー」頬をぷぅーと膨らませる。光の表情はコロコロと変わる。「幼なじみ価格で安くしてくれないの?」

 「むーりー」

 光との会話はいつもこんな感じ。光が話して僕は短い言葉を返すだけ。母親と思春期の息子のような会話。

 「光ーーー!」

 前方から光を呼ぶ声がし、「あっ、楓ちゃん。おっはよー」すぐ挨拶を返す。

 「じゃあ、たっくん。アタシ先に行くね」

 「ああ」

 離れていく光の姿を見てしみじみと思う。やっぱ、光足太いな。

 「おっす、拓実!」

 「おっす」

 小学校からの付き合いである小林と並んで学校へと向かう。

 「いやー、もてる男はつらいねー」

 小林が意地の悪そうな顔を浮かべる。

 「何がよ」

 「右後方をちらっと見てみ」

 右後方に視線を走らせる。ロングヘアの少女、光の友だちである水無月さんがこちらを睨んでいた。背筋がぞくっと震える。

 「いやー、実に羨ましい。朝から女の子の熱い視線を感じて登校してみたいなー俺も」

 あの視線を羨ましいと感じられるのは歪んだ感性を持っている人間だけだろう。

 「実はお前のこと睨んでるとかないかな?」

 「俺が観測する限り、あの視線はお前が光ちゃんと話し始めた時から開始されてたぞ」

 「だよなー」光によって吹き飛ばされた沈んだ気持ちが素早く蘇ってきた。「僕、今日休もうかな?」

 「逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだよ拓実君」

 「だよなー」

 重い、重い足取りで学校へと歩を進めていく。


 朝のホームルーム、一時限目、二時限目といつもの学校シーンが流れていく中、ついにその時が訪れた。

 「おーい、拓実。お客さんだぞ」

 入口から呼ぶ声。目をやると小林が朝と同じ意地の悪そうな顔で廊下を指さしている。ここからでは姿が見えないが、廊下にはきっと彼女がいることだろう。大きなため息を残して席を立ち、重い足取りで廊下へ向かう。廊下へ出ると予想通り光の親友である水無月さんが待ち構えていた。腕を組んでじっとこちらを見つめてくる。

 「話があるんだけど、ちょっといい?」

 心の色を感じさせない声。水無月さんが階段の踊り場を指さし、無言で頷く。二人で階段の踊り場まで移動すると心の色が一気に赤に染まる。

 「アンタの光へとの態度、何とかならないの!」

 僕は口を開きかけるが、口からは何の言葉もでてこない。

 「ああ、別に、まあ……。アンタは三歳児なみの語彙しか持ち合わせていないわけ!」

 光曰く水無月さんは誰にでも優しく丁寧に接するため、誰からも好かれているらしいが僕だけは数少ない例外らしい。

 「で、私には無言ってわけですか。大丈夫ですかー、日本語話せますかー?」

 言葉もなく、ただ水無月さんを見つめる。僕に出来ることはこの嵐が過ぎ去るのをただ待つことだけ。お互い無言ーーー水無月さんは怒りの色、僕は困惑の色を浮かべて見つめ合う。三十秒ほど経ったろうか、水無月さんが根負けしたのか、大きくため息をつく。

 「いい、光への態度ちゃんと改めてよね。私が言いたいことはそれだけ。じゃあね」

 踵を返し、離れていく水無月さんの姿。嵐が過ぎ去ると嵐の中の出来事は忘れ去られて視線は自然と水無月さんの足へと吸い寄せられていく。先輩ほどじゃないけど、水無月さんも足綺麗だな。

 教室の自席へ戻ると小林が前の席へ陣取って待ち構えていた。無言で席へ腰を下ろす。

 「休み時間に美少女に呼び出され、激しい会話を楽しむ。成績優秀、スポーツ万能なイケメンはいいよなー。俺もそんなキャッハウフフな学園ライフを送ってみたいよ」

 「だ・か・ら」一言ずつはっきりと力を込める。「お前、何で呼び出されたか分かってて言ってるでしょ!」

 「でも休み時間に美少女から呼び出されたのは事実だろ?」

 「まあ、そうだけど……」

 「俺なんてそんなイベント全く起きないんだぞ。イベントが発生するだけいいだろうよー、贅沢言うなよ」

 授業開始を告げる鐘の音と同時に社会教師の麻生先生が入ってくる。

 「おらー、鐘鳴ったぞ。さっさと席つけ、席。席付かないヤツは遅刻にするぞー!」

 「や、やべぇ」

 小林が慌てて自席へと戻っていく。その姿を見つめながらぼんやりと思う。イベントが発生するだけいい、ね。イベントが発生するのはいいけど望む結果が得られることはないと絶対に分かっているなら起きない方がいいと思うんだけどね。


 「よーし、帰りのホームルーム始めんぞー。と言っても連絡することも特にないのでさっさとお開きにするか。部活に入っているものは部活をきりきりと頑張り、部活に入っていないものは寄り道せずに真っ直ぐに帰るよーに。日直!」

 「起立、礼、さよーなら」

 「はい、さよーなら」

 帰りのホームルームが終わり、クラスメイトは各々の目的地へと向かっていく。

 「ねえねえ、初美ちゃん。部活やってない者同士この後どっか遊びに行かない?」

 見ると小林がクラスメイトの女の子を遊びに誘っていた。イベントが起きないと嘆いていた小林はだったら起こせばいいじゃないと行動を起こすことにしたらしい。速攻振られてたけど。頑張れよ、小林。僕とは違ってお前の頑張りはいつかきっと実を結ぶことだろう……多分。

 心の中で小林にエールを送って教室を後にする。


 サッカー部の部室に向かうために廊下を歩いていると「おい、あれ見ろよ」という囁き声が聞こえてくる。

 「何だよ?あっ!」

 何だろ?と声につられて周りを見る。一瞬にして鼓動が一気に跳ね上がる。

 いた!

 生徒会長であり、僕の憧れの藤崎皐月先輩が。他の女子生徒と同じ制服に身を包んでいるにも関わらず、先輩の華やかさは際立っていた。癖がなく肩まで真っ直ぐ伸びた黒髪、端正な顔立ち、すらりと伸びた肢体ーーー先輩の素晴らしさを語るには言葉がいくつあっても足りないが何より素晴らしいのはスカートから伸びた二本の足の綺麗さだった。僕は断言できる。先輩の足こそこの世界全ての美の極みだと。先輩の足をずっと眺めていられる空間に閉じこめられたい。何度そう願ったことか。

 先輩が廊下を歩いている。ただそれだけのことなのに性別問わずその場にいた生徒が足を止めて先輩の姿を追う。誰もが声をかけるという発想を持たずにただ見つめる。そこへーーー。

 「藤崎先輩!」

 先輩へ声をかける勇気ある者の声。この学校にそんな勇者がいるのかと驚きの気持ちで声をかけた人物を確認する。いたのはクラスメイトの早乙女だった。その事実に腰が抜けそうになる。

 クラスメイトが先輩へ声をかけた。生まれて初めて、十五歳以下の日本代表の練習の時にも感じなかった敗北感を覚えた。

 重く、黒いものを感じながら早乙女と先輩が話しているのを見つめる。何を話しているのかは分からなかったけど、楽しそうに話している。心の中の何かがより重くより黒くなっていく。

 もう耐えられない。早く部室に向かおうと足に力を込めようとしたその時、先輩の目が僕を捉えて一歩も動けなくなってしまう。先輩は僕をしばらく見た後、早乙女に声をかける。早乙女も僕も見て先輩に何かを告げている。二人して僕を見つめ、話し合い、そして分かれてそれぞれの目的地へと歩いていく。

 僕を見た。先輩は確かに僕を見た。それだけで重く、黒いものは綺麗さっぷりに消え去っていた。


 「あっ、香川ちょっといいか」

 帰りのホームルームが終わった。部活に行くために教室を出ようとしたところで担任の神無月先生に呼び止められる。何かしたっけ?

 「何ですか?」

 「引き留めて悪いな。来月クラス対応のスポーツ大会が行われるだろ?そのための話し合いが来週行われるんだ」

 この学校ではスポーツ大会、文化祭などの学校行事の前には生徒会のメンバーと各学年の代表者がどんなイベントになるのかを話し合うのが通例となっていた。自分には縁のない話だと思ってすっかりその存在を忘れていた。

 「生徒会のメンバーと各学年の代表が集まって話し合うヤツですね」

 「ああ、そうだな。で、だ。その話し合いに二年の代表として香川にでてもらいたいんだ」

 予想外の依頼だった。

 「え、僕が、ですか?」

 「ああ」

 生徒会メンバーとの話し合い。生徒会ということはそこには先輩がいるということ。先輩との話し合い。それはとても素晴らしい提案に思えた。

 「いいですよ」

 深く考えることなく了承する。

 「おお、やってくれるか!」

 「ただ……」気になることが一つあった。「その話し合いって今まで部活やってない人の中から選ばれていたと思うんですけど、何で今回は僕だったんですか?」

 「ああ、それはな……」

 「藤崎先輩から要望があったんだよ」

 早乙女が会話に入ってくる。

 「この前、俺が廊下で藤崎先輩と生徒会のことで話してた時に香川もいたでしょ?」

 「うん」

 「その時、藤崎先輩にお前のこと聞かれたんだよ。『あの子、香川君だよね?早乙女君は香川君のこと知ってる?』って。同じクラスだからよく知ってますよって言ったら。『どんな子』って聞かれたから……」

 「聞かれたから?」

 急に息苦しさを覚える。審判の刻。早乙女の次の言葉を待つ。

 「一言で言えばジーニアス。何でもうまく出来る天才ですよって説明したわけ」

 ゴール!ナイス、早乙女。心の中で人生一のガッツポーズをつくる。

 「それが藤崎先輩に響いたのかは分からないけど、藤崎先輩から是非香川を今度の会議に呼びたいって話になったわけ。そうですよね、先生?」

 「ああ、藤崎から強い要望があってな」

 藤崎先輩からの強い要望。ああ、甘美な響きだ。その甘さは僕からまともな判断力を奪っていった。

 「背景は分かりました。会議はいつなんですか?」

 「来週の水曜、十六時から生徒会室で行われるからよろしく頼むな」

 「はい、分かりました」

 神無月先生はそう言って教室からでていった。

 「俺も会議に参加するからよろしく!」

 「そうか、書記だもんね」会議、会議か。「会議ってどんな感じでやってるの?僕、会議とか今まで出たことないんだけど」

 「ああ、そんな構えなくても大丈夫だよ。会議って言っても熱い議論を交わすとかじゃないし。大会までに準備しなくちゃいけないこと、当日の流れとかを確認するだけだから」

 「そうなんだ」

 正直、拍子抜けした。先輩にいいところ見せるチャンスだと思ったのに。

 「だから、藤崎先輩が何で香川のことを推薦したのかはよく分からないんだけど、まああの藤崎先輩だから何か考えがあるんだだろ。じゃあ、僕も部活行くから水曜よろしくな」

 「うん」

 藤崎先輩の推薦で生徒会の会議に出席する。先輩、僕のこと知っててくれたんだ。よし、じゃあジーニアス香川の本領発揮といきますか!


 放課後。生徒会室。生徒会のメンバー、各学年の代表が席について先輩がホワイトボードの前に立つ。僕も二年の代表として緊張の面持ちで席につく。

 「はい。では来月行われるスポーツ大会についての話し合いを行いたいと思います。よろしくお願いします」

 「よろしくお願いします」

 先輩の挨拶から会議が始まった。

ホワイトボードに大会までにしなくちゃいけないことが先輩の綺麗な字によって書かれ、それについて一つずつ確認が行われていく。早乙女の言っていた通りに議論が交わされることはなく、確認作業だけで会議は筒がなく進行していく。

 先輩にいい所を見せるチャンスだったのにとちょっと残念な気持ちもあったけど、それよりもほっとした気持ちの方が大きかった。そう思うと気持ちに余裕が出てきた。先輩の声に耳を傾けながらじっと先輩を見つめることが出来る。ああ、何て素晴らしいイベントなんだろう。

 「はい、では何か意見がある人はいますか?」

 先輩という美の極みを堪能する至福の三十分が過ぎた。これで会議も終わりかと多くのメンバーが思った次の瞬間、一人の男子生徒が手を上げる。

 「ハイ、太田君」

 「三年の代表として藤崎さんの非の打ちどころのない議事進行に文句を言うつもりはもちろんないんだけど、今日のこの会議の結論は昨年と同じ、つまり今までと同じようにってことだよね?」

 「そうね。それが何か問題かしら?」

 太田先輩がおもむろに立ち上がり、芝居がかった仕草で手を広げて生徒会室を見渡す。

 「今日、この日、この時、この場所で僕たちが一同に介して来月行われるスポーツ大会について話し合う。それはこの世に二度と訪れることのない、かけがえのない奇跡なんだよ?そのかけがえのない奇跡の結果が今までと同じじゃ味気ない。味気なさすぎる」

 今までとは打って変わって不穏な空気が生徒会室に広がっていく。

 「なるほど。せっかくこうして集まっているんだから今までと同じじゃもったいないってわけね?」

 「エグザクトリー!さすが藤崎さん。理解が早い」

 「じゃあ、太田君はどう?何かいいアイデアある?」

 「ほならね、お前がいいアイデアを出してみろと。なるほど、正論ですね。もちろん、あります。素晴らしいアイデアが。私のアイデアはこれです」

 太田先輩がポケットに手を突っ込む。みんなの視線が太田先輩に集まる中、太田先輩はポケットからスマホを取り出してみんなに掲げてみせる。

 「スマホが太田君のアイデア?」

 「その疑問はごもっとも。今の時代を表すキーワードは何かと問われたら私は”表現”だと答えます」スマホを持つ手を軽く振ってみせる。「”コイツ”で日々行ったこと、感じたことを世界中の人々に”表現”することを多くの人が当たり前のように行っています。だから今度のスポーツ大会も私たちの中でだけ、閉じた世界だけで表現するのはもったいない。そう思うわけです」

 「つまり、今度のスポーツ大会を動画配信したいってこと?」

 「エクセレント!藤崎さんはホント理解が早い!」

 太田先輩の喜びようとは対照的に先輩は頬に人差し指をあてて考え込む。

 「動画配信、ねえ。新しい試みではあると思うんだけど……」

 先輩が生徒会室を見渡していき、僕の所で視線が止まる。

 「香川君はどう?」

 予想外の言葉。先輩の言葉に全ての視線が僕に集まる。

 「スポーツ大会を動画配信しようという太田君のアイデア、香川君はどう思う?」

 『いいアイデアだとは思うんですけど、実現するのは難しいんじゃないでしょうか?先生から許可を取るのも大変でしょうし、何より生徒の中には映りたくないって人もいるでしょう。映っていい人と映りたくない人を分けるってなったらスポーツを通して生徒間の交流を促すっていう本来の目的を損なってしまいますし……』

 心の中で”だけ”ならすらすらと自らの考えを”表現”することが出来た。でも”女の子”に話しかけられてハングアップした頭から紡ぎだされる言葉は何もなかった。

 何も発することが出来ずに気まずい時間だけが流れていく。

 居たたまれなくなって俯く。恐る恐る先輩の様子を伺う。先輩の顔にははっきりと失望の色が表れていた。やってしまった。もうそれだけしか考えられなかった。

 それ以降どうなったのかはよく覚えていない。ただ先輩の「急に質問しちゃってごめんなさい」、早乙女の「あんま気にすんなよ」という慰めの言葉が遠く遠くから聞こえてことだけは覚えていた。


 僕以外誰もいない生徒会室に帰宅を促す鐘の音が響く。このまま消え去ってしまいたい。そう思うものの体は消えてくれない。しょうがなく重い腰をなんとか持ち上げて生徒会室を後にする。

 オレンジに染まる世界を重い重い足取りで歩いていく。子どもの頃から何でも人より上手に行うことが出来た。唯一の例外、女の子と話すことを除いては。いつからそうなったのか、何かあったのか、最初からそうだったのかはハッキリと覚えていない。女の子に話しかけられると頭の中が真っ白になって何も話すことが出来なくなってしまう。そんな状態だからもちろん会話なんて出来るわけがない。僕がまともに会話出来るのは母さんと幼なじみの光だけ。

 断ればよかった。そう、断ればよかったんだ。先輩にいい所を見せるチャンスだなんて思いあがったことなんて考えずに。女の子である先輩が進行役を務める会議でいい所を見せれるかもと考えるなんて頭がイカレているとしか思えない!

 大きなため息が漏れる。先輩の僕に対する印象はどんな投手のフォークボークよりも大きく落ちたことだろう。甘い考えなんか持たずに遠くから眺めていればよかったんだ。そうすれば淡い期待を持ち続けることが出来たのに!クソ!クソが!僕がクソだ!

 怒りが沸き起こってきて、その怒りを足元の石にぶつける。思いっきり右足を振り抜くと石は前を歩いていた男子生徒の足に勢いよくぶつかっていった。ヤバっ!

 「痛っ!何だ」

 男子生徒が振り向く。小林だった。

 「あれ、拓実じゃん。って、お前どーしたんだよ、その顔」

 今、僕はどんな顔をしているんだろう?この世の終わりみたいな顔だろうか。大きく息を吐いて気持ちを落ち着かせようとする。効果は全く感じられなかった。

 「スポーツ大会に向けての話し合いに参加して先輩を失望させた」

 その一言だけで全てを察したらしく「何も返せなかった?」小林の問いかけに大きく頷く。

 「そっか」深い同情の声。「お前も難儀な男だよな。成績優秀、スポーツ万能、容姿端麗と女の子にもてる要素を多く兼ね備えてるのに、女の子と全く会話できないんだもんな」

 「そうだね」

 「女の子にモテル要素ゼロの俺から見れば羨ましい限りだけど、要素を多く持っててもそれが女の子とのキャッハウフフライフに繋がることがないってのも辛いもんだよな」

 憧れ、期待、そして失望。最近感じることがなかったから忘れていたけど、女の子とのコミュニケーションで待っているのは失望だということをすっかり忘れていた。

 「でも、何でだろうな。光ちゃんとはフツーに会話出来てんのになー」

 「光は幼なじみで兄妹みたいなものだからね」

 何かの本で読んだことがある。同じ環境で育った男女はお互いのことを異性として意識することはないと。女の子とは上手く話せない。光とは話せる。つまり僕は光を女の子として意識していないことになる。

 「分かった。お前、俺みたいなブサメンの霊に憑かれてるんじゃないの?」

 「ブサメンの霊?」

 「そう、俺みたいに女の子に縁のないブサメンが女の子に縁のないまま死んでしまったと。でもあまりに女の子に縁がなさ過ぎて成仏出来ずに生霊となり、モテル要素を多く兼ね備えたお前を見つけて祟ってるんじゃないの?モテル要素を多く兼ね備えているお前はけしからん。呪って女の子と会話出来ないようにしてやるって」

 「呪い、ねえ」

 「で、古来から日本人が困った時にすることは唯一つ。そう、神頼みだ。今、女の子の間では鹿ノ島神宮で悩み事が解決しますようにって願ったら好転するって噂が流れてるらしいぞ」

 「相変わらず女の子の情報について詳しいね」

 「自分、女の子のこと大好きですから」

 「仲良くなれる気配は全くないけどね」

 「お前と一緒でな」

 いつもならここで馬鹿笑いするところだったけど、そんな気にはなれずに代わりに重いため息を返す。

 「本当にね」

 「こりゃ、重症だな」傷の深さを察したのか、小林も笑わなかった。「まっ、流石に俺も解決するとは思わないけど気休め程度にはなるんじゃないか?」

 「じゃあ、一緒に行く?」

 「行かない」

 「でしょ。普段から神様のことを信じてるなら神様に話すことで気休めになるかもしれないけど、心のどこにも信じていない人間がこんな時に神頼みしても気休めにもならないし、神様も迷惑だろうし」

 「違いない。まっ、神頼みは置いておいてあんま思いつめんなよ」

 「うん。明日には立ち直れてると思う。多分」

 この傷もいつか癒える。癒えて元の僕に戻れる。そう、戻れるはずだ。

 「多分、ね」自信なさげな返答に苦笑する。「じゃあ、また明日な」

 「うん。また明日」

 小林と別れると足はいつもとは違う方向へ向かっていた。


 溺れる者は藁をもつかむ。神頼みで解決するわけはないし、何の気休めにもならない。そう思っていながらもわざわざ学校から自宅とは逆の方向にある鹿ノ島神宮に来た自分の行動にあきれていた。

 鳥居をくぐって賽銭箱がある拝殿へ向かって参道を歩いていく。新年には多くの参拝客で賑わう境内も今は静けさで満たされていた。五分ほどで賽銭箱の前に立つ。財布から五円玉を取り出してじっと見つめる。五円玉を見ていると無性におかしくなってくる。

 『かくすれば かくなるものと知りながら やむにやまれぬ大和魂』

 ふと本で読んだ吉田松陰の言葉が思い浮かぶ。叶わないと思いながらもそれはせずにはいられないのが僕の弱さかな。こんなに弱い人間だとは思わなかったな。

 苦笑しつつ五円玉を賽銭箱に投げる。二拍手し、目を閉じて祈る。

 『女の子とうまく話しができるようになりますように』

 目を開けて礼をしようとしたまさにその時、頭に声が響いた。

 『その願い叶えてしんぜよう』

 目を開け、慌てて周りを見渡す。願い事をする前と同じで周りに人影はなく、変わらぬ静けさだけがあった。でも、聞いた。確かに”誰か”の声を聴いた。はっきりと。

 神、様?

 何かが変わるのかもしれない。何の根拠もない。でも、そう思えた。

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