選択式会話の神様が微笑んでいる

@ichiryu

プロローグ

 「何でそう簡単に出来るの?」

 幼い頃から何度もそう聞かれ、そう聞かれる度に苦笑するしかなった。全てのことを一目見ただけで出来るようになった。勉強もスポーツも。授業は一度聞けば理解出来たし、スポーツも目の前の動きを再現することが出来た。

 「だって、出来るから」

 答えるとしたらそう答えるしかなく、むしろ「何で出来ないの?」と聞いてみたいくらいだった。一度仲の良かった友だちに聞いてみたものの、その時の反応から嫌味にしかとられないと気付いてからは聞かないようにしてきた。

 今でも印象に残っているシーンがある。

 小学校の時、所属していた地元の少年サッカーチームの練習試合があった。試合は僕のニゴールの活躍で勝ったものの、印象に残っているのは試合のことではなく試合後のこと。試合で活躍することなんて僕にとっては当たり前の事だったから印象に残ることはなかった。

 コーチの話で解散となり、各々が帰宅する中で一人だけグラウンドへと戻っていくチームメイトがいた。特に用事もなく興味を引かれたので少し離れた朝礼台に腰を下ろして観察してみることにした。

 チームメイトの名前は小林好雄。同学年だったものの、あまり話したことはなく、性格などは全く知らなかった。

 小林はペナルティエリアの外からドリブルをしてペナルティエリアに入るとシュートをする練習を繰り返していた。今日の試合で同じような場所からフリーで駆け上がったもののパスするのかシュートするのか迷った挙句にボールを取られてしまう事があったので、その反省からドリブルからのシュート練習を繰り返しているのだろう。

 シュートがいいコースに飛ぶと「よっしゃー」と喜び、コースが甘かったり枠内に飛ばなかったりすると「あー、くそ!」と悔しがる。頬杖を付きながら不思議な気持ちで小林の練習を見つめる。試合でうまく出来なかったプレイをうまく出来るように練習する。ここまでは分かる。僕にはそんな経験はなかったけど……。分からなかったのは小林が”楽しそう”に練習していることだった。喜ぶにしても、悔しがるにしても小林は実に楽しそうだった。出来ないことを出来るように練習するというマイナスの状態にもかかわらず。

 グラウンドで一人練習するチームメイトを遠い世界から来た宇宙人のような目で見つめていた。


 一時間ほど経っただろうか、練習を終えて荒い息を整えている小林に近づいて声をかける。

 「お疲れさん」

 こちらの存在に全く気付いていなかったのか、体をビクッと震わせて慌てて振り返る。

 「あれ、香川じゃん」チームメイトと分かって落ち着いたのか小さく息を吐く。「びっくりしたー、何してんの?」

 「小林が練習してるとこ、ずっと見てた」

 「俺の練習を?」

 「そう、小林の練習を」

 こちらの返答が全く予期せぬものだったのか目を丸くして苦笑する。

 「香川が俺の練習見たって、参考になるところなんて何もないでしょ。何で見てたの?」

 「今日の練習って、試合でシュート出来なかったから練習してんの?」

 「あっ、うん。コーチにも『何でチャンスがあったのにシュート打たなかったんだ?』って怒られたしね」

 「試合でうまく出来なかったから出来るように練習する、だよね?」

 「うん」

 「つまり今はうまく出来るようになりたいけど、出来ないというマイナスの状態なわけだよね?」

 「うーん、そんな風に考えてみたことなかったな」腕を組んで首を傾げる。「でも、何でも器用に出来ちゃう香川の目から見たらそんな風に見えるのかもね」

 我ながら嫌味な言い方だとは思ったが、小林は気分を害した様子も見せずにさらっと受け入れる。

 「で、それを踏まえて不思議に思ったことがあるんだ」

 「何、不思議に思ったことって?」

 「何で楽しそうなの?」

 「えっ?」

 「いいコースにいったら喜んで、コースが甘かったり外したりしたら悔しがったりしてたと思うんだけど、どっちにしてもすっごく楽しそうに見えたのね、僕の目には。何でマイナスの状態を改善するために練習してるのにこの人は楽しそうに練習してるんだろうと不思議に思って……」

 「この人って」

 「だってそう言いたくなるほど小林が遠い人のように感じられたんだもん」

 「仮に出来ない状態というのがマイナスだとしても、マイナスからゼロの状態に、出来ないことが出来るように、つまり練習すればなりたい自分に近づいていくことが出来る。そう思うとワクワクして来ない?」

 「つまり、それが楽しいと?」

 「そうだね」

 小林の言葉を頭の中で繰り返す。なりたい自分に近づいていく、か。出来ないことを当たり前と思わなければ出来ない状態をマイナスと捉えることもない……のかな?

 「何か納得いかないみたいだね」

 「正直、ね」

 「貧乏人にはお金がある苦しみが分からないし、お金持ちにはお金がない苦しみが分からない。何でも出来ちゃう香川には出来ないことが出来るようになる楽しさは無縁の話なのかもしれないね」

 「出来ないことが出来るようになる楽しさ、か」

 小林の言った通り、出来ないことが出来るようになる楽しさは僕には無縁の話だと思っていた。だって、僕は何でも簡単に出来ちゃう”特別な人間”なんだから。

 今の僕からしたら勘違いもここまでくると逆にすがすがしくなるほどだけど、この時の僕は本気でそう思っていた。この時の僕に言ってやりたい。君にもうまく出来ないことがあって、その”ある事”に対して出来るようになる楽しさとは無縁だということを。

 そう。今の僕にはどうしてうまく出来ないことが一つだけあった。それはーーー

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