送られてきたオーディオファイルの一つを再生させて流れてきたのは、基本的にルートを八分で刻むゴリゴリとした音色のベースで、左手が動きまくるメロディアスなベースラインのような派手さはなかったけどBPMが180近い速いテンポなのもあって疾走感があった。経過音をスライドで繋いだり次の展開へと移る際にグリスを挟んだりしてベースらしいうねりを演出しているのはいかにも恋だ。

 ファイルはもう一個あって、そっちはエレピらしき音色でコードがつけられていた。メトロノーム代わりのクリック音が残っているし、なにより三人で演奏しようとすればキーボードなんて入れられないから、コード進行を示すための仮のものなのだろう。


 同様のものが先輩にも送られているようで、要するにギターとドラムをつけてオケを完成させろってことなのだろうけどその辺の説明はなかった。

 なんにしたってやることは決まっている。

 ボーカルはついていなくとも曲調からライブで盛り上がるキラーチューンにしたいのだとは想像がついた。パンクやメロコアなんかのジャンルに属する、モッシュやダイブ、ともすれが合唱をともなうサークルピットが発生するタイプの曲は、バンドとして一曲くらいは持っておいては損はない。


 ライブの定番曲を狙うならベタなくらいがちょうどいいと、ハイゲインのディストーションサウンドにセッティングして、Aメロはブリッジミュート、Bメロでパワーコード、サビでコードを思いっきりかき鳴らす。8ビートのドラムはサビで2ビートへ。


 ミックスによる調整を終えてできあがったオケを頭から聴いてみて、まず私が感じたのはひねりがなさすぎて面白みがないということだった。ライブではフロアを湧かせられるかもしれないけど、その肝心のライブはいったいいつになったらできるのだろう。新曲としてアップしたとき、このコロナ禍では大多数の人が自宅で一人で聴くだろうし、ヘッドフォンを装着してじっくりと聴く人も多いかもしれない。そういう環境で音楽に接するとき、はたして単純にノリがいいだけの曲が歓迎されるのだろうか。聴き応えのある曲、聴く度に新しい発見があるような曲こそが求められているのではと私には思えた。


 DAW上でオーディオファイルを切り刻み、ピッチをいじったりFXエフェクトを入れたりと音を加工して並び変えていく。BPMも落とした。小節の区切りを無視してカットしたり、ブレイクを挟んで変拍子へと展開させたりしていると、音が足りなくなり、ベースはサンプラーに読ませてそれで補った。ドラムは元から打ちこみだし、ギターは空間系のエフェクトを足した短音弾きのトラックを別に打ちこんでいるうちに最初に録ったものはほとんど捨てることになった。


 スライスと加工により原曲の面影はもはやない。

 誰もが一度は耳にしたことのある有名なドラムソロ「アーメンブレイク」は、ブレイクコアではテンポを弄って細かく切り刻まれ、どこから拾ってきたともわからない素材を加えられ、まったく異なったビートへと変貌を遂げた。

 そこに私は文学におけるカットアップのにおいを嗅ぎ取ってしまう。直線的なテキストが切断され、バラバラになった断片を並べ替えて新たなテキストとして再編する。書き手の意図から切り離され、前後の流れさえあべこべな並びとなるようランダムに入れ替えられた文章は、その再構成によって偶発的に新たな意味を生み出す。あるいは意味さえ生み出さない。


 音を寸断し試行錯誤を繰り返し組み替えるその作業を、私は無秩序に行っていたわけではなく、理想の形がある程度頭のなかで定まっていた。偶発的に生まれるフーレーズを求めて私の意図を排除する行為ではない。私が私の意識で、私の趣向に沿うように分解し結合したのだ。


 けれど、寸断という行為はいつだって前後の流れを断ち切り文脈コンテキストを破壊するものだ。

 スリーピースのバンドのためのキラーチューンとなるべき曲を、切り貼りでジャンルさえ異なるポストロックじみた曲へと変えた私。

 私はいったい何を断ち切ろうとしていたのだろうか。

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