Standing Still

十一

 集団感染の発生しやすい場所として名指しされたライブハウスが休業を余儀なくされた自粛期間中はもちろん、緊急事態宣言が解除されウィズコロナなどと囁かれるようになってからも、以前のようにはライブができなくなっていたけど、もともと私たちはそれほど頻繁にステージに立っていたわけではない。小規模のハコさえ単独で埋められず、音源もまだリリースしていない駆け出しのインディーズバンドなんて、イベント、対バン、コンテストにとともかくライブをこなしてお客さんを少しずつ掴んでいくしかない。けど、ドラムの野一色のいしき先輩が大学進学で一人暮らしを始めてしまったし、なにより私たちの受験があったからバンド漬けの日々なんて送れるわけもない。去年は、夏休みに数回やったライブくらいしか音楽活動をしていなかった。ベースボーカルの市ノ瀬れんと私は県内の大学に受かり地元に留まることになったものの、長期休暇でもなければメンバー全員が揃うのが物理的に困難なのは変わらなかった。たとえ新型コロナウイルスが猛威を振るっていなかったとしても今年もライブはできなかった。


 私たちにとって深刻な問題となったのは三人で集まれない事実だ。

 中心核となるメンバーがDAWデジタル・オーディオ・ワークステーションソフトで全パートきっちりと作りこむワンマンタイプのバンドとは違い、私たち「とりのぉと」ではデモ曲はあくまでもたたき台で、セッションを通じてブラッシュアップしていくスタイルで作曲を行っている。私がギターから起こすデモなんか、8ビートのループ素材を貼り付けて終わることすらあった。


 ライブハウスで演奏できなくなった今、デモをストックしておき先輩が帰省したときにスタジオに入って一気に曲として整えてライブに挑むという方法、そこに拘泥する必要なんてない。けれど私たちはその方法しか知らず、個人の力のみで作曲を成し遂げる能力を三人が三人とも持っていなかった。それに、こうも思う。生演奏でそれぞれのポテンシャルかが最大限に引き出され、異なる個性がひとつに纏まり化学反応を起こすのがバンドではないか。


 新曲を発表し続けていればバンドが完全に忘れ去られるのは少なくとも避けられるというのに、このまま行けば、再びライブハウスのステージに立つことができたとしてもチケットノルマを達成できなくなる。お金を払って出演させてもらうのが何度も重なれば資金が尽きていずれ立ちゆかなくなる。行き着く先は解散、インディーシーンに一瞬だけ登場し瞬く間に消えていった泡沫バンドの仲間入り。


 曲を完成させられない窮状を打開すべく、オンライン遠隔合奏サービスを利用してみたりもした。オーディオインターフェイスでPCにライン接続可能なギターやベースは自宅でも可能だけど、さすがにワンルームでドラムは叩けない。先輩にはスタジオから参加してもらった。


 自粛解除された当初はそれで上手く行っていたのに、あと何度かセッションをすれば満足のいくものになりそうだという段になって歯車が狂いだした。感染拡大防止策を講じてコロナと共存する形で日常が取り戻されるのにつれてスタジオが埋まりはじめ、全員が都合の良い時間に部屋を確保できなくなった。平日の日中に予約をできても私たちはそれぞれ大学生活があって融通がつかないから結局キャンセル。最初、先輩が嘘をついているだけなのではと恋は疑っていたらしい。高校時代は、機材は一式あるし楽器もレンタルできるからと手ぶらで気軽に出向き予約なしで普通に使えてりしていたから。私たちの地元はバンド激戦区ではないにしろそれなりに音楽の盛んな土地柄ではあったけど、それでも所詮は地方都市で、同じ地区にいくつもライブハウスがある本当の都会ではほいほいスタジオを利用できるわけではない、そう判明してからも「なんで皆バンドを優先できないわけ」と恋は不満を漏らしていた。主に非難されているのは私で、PCのモニターに映る先輩は柔和な笑みを絶やさず「まぁまぁ」と恋を宥めるから大きな衝突にはならない。先輩は先輩でスタジオ代について思うところがあるけど揉めるのも嫌でそれを飲みこんでいる様子だった。割り勘すればカラオケ程度の料金で済むけど彼はそれを一人で負担していたし、おまけに機材のレンタル代やキャンセル料だってあるのだから結構財布に響いていたはずでどうしたって不公平感は拭えない。もっとも、私たちもお金を出すと申し出ても受け取ってくれないのだろうけど。


 喧嘩ですらない小さないざこざでもしこりは残った。それぞれが微妙にフラストレーションを溜めたまま演奏を合わせても上手くいかない。音楽は正直だ。気持ちのズレがそのまま音に出て曲作りはちっとも捗らず、私たちはせっかくの貴重な時間を無駄にしてしまい、それがまた鬱屈となってぎくしゃくとした空気が流れる。メンバー間に溝ができ、そのうち私たちはオンライン上ですら集まらなくなっていた。


 それでも私は毎日ギターを弾いていた。ヘッドフォンをつけて自室でSGをかき鳴らす。アンプシュミレータの音では物足りなくなればスタジオに足を運び、大音量のひずんだサウンドが空気を振るわせる感覚を肌で味わう。特別何かを弾いているわけではなく指の赴くままただ自分が心地よくなるために弦を爪弾く。それでも手癖からこぼれたフレーズが案外良かったりして、カッティングのリフを中心として音をばらしてみたりソロを挟んでみたりと展開を構成しているうちにそれはいつしかひとつの曲となっている。


 ギターパートができれば他の楽器の音も欲しくなる。ライン録りしたデータをDAWに読ませてドラムをつけ、それからベースを加え独力で一仕上げようとしてみるのだけど、三人で練りあげた曲には明らかに劣っていた。とりわけドラムがひどい。ただ音を並べただけのベタ打ちそのままではなくノート強弱ヴェロシティを自動で調節してくれる補助機能を用いても、機械っぽさが抜けてそれなりに人間が演奏しているっぽくなった程度の固いビートにしかならない。グルーヴが弱すぎる。

 ギターの打ちこみであれば生音と遜色ないとまではいかずともある程度聴ける音にできるのは、私がギタリストだから。ストロークのアップダウンを再現するためにピックが最初に当たる弦のアタック感を強調し発音タイミングをわずかにずらすという具合に実際に弾くのを意識してパラメーターをいじってやればいい。


 けれど他の楽器ではそうはいかない。

 圧倒的に知識が不足していた。デモ用だからとなんとなくの感覚でいじりDAWを使いこなせていなかった私は、幸い時間はあるからと、動画サイトなんかを頼りにDTMの勉強を本格的に始める。それぞれの楽器の特性を学び、音作りに拘り自力で一曲を完成させたあとにはバンドサウンド以外のアプローチにも手をのばすようになりどんどん創作の幅は広がっていく


 もうバンドは必要ないのではないか、私だけで足りるではないか。ライブだって機材を調達して一人でやれないことはない。ルーパーを駆使したパフォーマンスでお客さんを熱狂させたミュージシャンだっているではないか。


 私がそんな思いに駆られていたころだった。恋からオーディオファイルが送られてきたのは。

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