第3話 今は歓迎されている身

 壇上の女性の合図で、覆っていたものが一斉に崩れ落ちるパリパリとした電子音が鳴り響く。


「な、なんだなんだぁ!?」

「こ、講堂の壁が……」


 室内にいた別の新入生も焦燥を隠せていない。

 皆が皆、まるでパネルが畳まれるように剥げていく壁を見回している。


「……仮想領域」


 こじんまりと座っていた金髪の女子が立ち上がり、小声でぽつりと呟いた。

 その声がテセルに届くかどうかのところで、あったはずの講堂は無限のモノクロ空間へと切り替わった。


「な、ななななんですかこれわっ!?」


 テセルのパーカーに力強くしがみつき身を縮こませるナギサ。またしても不安で早口になっている。

 対して返答も忘れて周囲を観察するテセルは、状況把握に必死だった。

 限りなく広がるチェス版のような床は、あくまで目に見えて認識した世界だけの変化なのか、現実的に空間が広がっているのか。

 皆目見当がつかない現状に、漏れ出る焦燥を隠せない。


「ふっふっふ……驚いてるわねー。いやー苦労して準備した甲斐があったわー」


 恐らくこの場にいる全員が驚いているであろう中で、わざとらしく喋るのは先ほど壇上にいた女性。

 しかし、声は聞こえど円形のステージはすでに消失しており、合わせてマントコートの女性の姿はどこにもない。

 声の主を探すべく視線を泳がせる面々。


「ほーら、こっちこっち!」

「……え」


 声のする方角ーーつまり、真上。

 一斉に顔を上げた先には、そこにあるのかもわからない真っ白な天井から、コウモリのように逆さまになった茶髪の女性の姿があった。

 よく見れば、彼女の髪や濃紺のマントコートはこちらに垂れ下がることもなく、彼女に対する重力はテセル達と反対側に働いているようで、文字通り天井に立っている事を証明している。

 見れば見るほど目を疑いたくなる光景に、テセルは思わず声を漏らしてしまった。


「みんなそこの黒髪君みたいに聞きたいことは山ほどありそうだけどーー全部まとめて後で聞いてあげるわ」

 

 女性は天井からテセルに対してウインクを一つ飛ばす。

 その可愛らしさも束の間、即座に悪戯好きな子供のように白い歯を見せてニッと笑った。


「これは歓迎試験ーー貴方達の入学祝いも兼ねて、実力テストを強行するわ!」


 そう元気よく宣言をする女性。

 祝いの席なのに、テストとは?

 そんな思考をこの場の人間全員が思っているはずだろう。

 だが、彼女は有無を言わさず右手を地上側へと勢いよく挙げる。

 すると、彼等のいる区画を囲むように四方から青紫色のモヤが発生した。

 

「わわわっ! い、いきなりなんだぁっ!?」

「フム、このモヤは……」


 突如現れたモヤに対して、新品かつ最近流行りの服を着た低身長の銀髪少年が声を上げる。

 対して彼の近くにいた、テセルと同じ新入生にしては達観した長身の褐色男子。モヤに臆する事なく、考え込む仕草を見せる。

 そして、また少し離れた位置で、


「ちょっとちょっと! 聞いてないわよこんなの!」

「フフッ……ここに至るまでの計画性、アサナシアとしての優雅さ、誠実さ。それら全てが欠けてしまっているね」

「あまりに暴力的、あまりに低劣。美しくないですわ、あなた」


 と気が強くもどこか凛とした長髪女子にサラサラな跳ね髪を弄る男子。少し離れた場所で桜色の巻髪をツインテールにした女子がつまらなそうに立っており、彼女に至っては煌びやかなドレスに日傘をさしている。

 どう見ても貴族という身分をひけらかすような三名が、モヤを気にもとめず頭上の女性に口撃していた。

 

 一番最初の金髪少女ともう一人いたと認識していたテセルだが、状況も状況のために今は自分自身の事に徹することにした。


 ここに集いし面々が、それぞれ違う方法で状況を把握する中、天井の女性は相変わらず無邪気な笑顔を崩さない。


「そこ、うるさいわよー! 毎年あんた達みたいなお子さま思考がいるから、こうしてアタシみたいなガサツな女がいるんじゃないの」

「だ、誰がお子様ですって!?」

「フフ、少し腹が立つね」

「はいはい静かに! 目上の人間に対して礼儀がなってないわよー? アタシはこんなナリでもアンタたちの教官なんだから」

「きょ、教官?」


 貴族風の二人が口うるさく反論する中、恐らく担任の教師などではないかと予想していたテセル。

 しかし我慢できず、教官を名乗る女性に対して無意識に聞き返してしまう。

 当の教官も、楽しそうな表情のままテセル達を見上げていた。


「いいからいいから。アタシのことより、自分の身を心配しなさい! そこ、安全じゃなくなるから」

『え?』


 揃って呆けた声を漏らした直後ーー。

 四方のモヤは何かの物体を形作っていく。

 モヤは液状へ、それから粘土のような固体へ。

 それらはより強固に固まり、魔法のように鮮やかな色が塗られていく。

 その一部始終に全員が見惚れていた。


 ーーその咆哮がこだまするまでは。


『GRrrruAAAAAAA!!』


 形成された四体の怪物が、世に生まれ出でた悦びを表現するように、地響きを伴う雄叫びを放った。


「ーーっ! 魔獣か!」

「あわわわわわ!!」


 冷静に身構えるテセルと、彼に守られるような姿勢になりつつ、より騒がしく慌てるナギサ。

 二人の目の前には、四体のうちの一匹ーー獅子のようなたてがみが太陽の如く燃え盛り、その強靭な体の背筋から蛇のような長い尻尾まで、眩しいほどの炎が伝う。

 その熱と迫力を威圧に乗せた巨大な四足獣が、ギラつく赤い眼を向けて見下ろしていた。


「チィッ! なんだこのクソライオンが!」


 その聞き覚えのある尖った声にテセルが一瞬視線を向けると、姿形が全く同じ別の一匹を単独で迎え撃とうとするジャックの姿が。


 さらに、


「モヤから獣を生み出すとは……都会の学び舎はこれほどまでに技術を発展させているのか」

「そんなわけないだろ!? 魔獣は人類の敵! 無駄にお金かけて敵を再現することに何の意味があるってのさ!?」


 今も分析を続ける長身男子と、彼の視界に入るべくぴょんぴょん跳ねながら騒ぐ銀髪少年。


 また、


「『イグニスレオ』。パ……ンンッ、父上の、書庫にあった記録で見た事があるよ。数年前に討伐されたB級魔獣……その複製ってところかな。こんなことができるのはーー」

「ーー『ニューマンズ=ラボ』ね。まさか魔獣のクローンまで作り出せるなんて……」

「不潔……人の身で獣を生み出すなんて……あぁ、汚らわしいですわ」


 もう一体と冷静に相対する高飛車三名。


 単独でメンチを切るジャックを除けば上手い具合に人数を配置できている。

 これは偶然なのか、それとも計算されたものなのか。


(どちらにしても、これはあくまでテスト……魔獣相手にどう対応するのかを見定めるつもりなんだ)


 テセルの頬を汗が一雫伝っていく。


 一般的な十代の少年少女は、このイグニスレオのような大型魔獣と接触する機会は滅多にない。

 ただ知識として存在を把握しているだけで、「どんな外見をしているのか」という疑問に対しては全員が書店に並んだ「魔獣大図鑑」の絵を想像するだろう。

 それも当然、最後に人類が大きな被害をこうむったのは気の遠くなるほど大昔。

 巷で小さな被害は出ているものの、それは単にペットの犬の目が赤く染まり「魔獣化」した程度の事件に過ぎない。

 なぜこうも魔獣の認知度が低いのかーーそれは、これからテセル達が通うアサナシア学園が関係している。


「ほら、ボケーッとしてるとあっという間に丸呑みにされるわよ! さっさと自分の獲物を構えなさい!」


 教官の言葉の真意を、その場で動ける面々は瞬時に理解した。

 その中の一人であるテセルは右手を胸に、左手は腰に添えて、迷う事なく瞳を閉じる。

 荒ぶる心を鎮め、慣れ親しんだソレを愛おしく、力強く握りしめるように。


「……武装解放〈リベレィション〉」


 短く唱えた直後、テセルの心臓部が淡く光出した。さながら沈みゆく夕陽のような、切なく燃え上がる炎のごとき意思の塊。

 その光の揺らぎから、煌めく薄い糸が一本だけ伸びる。向かう先は左手ーー糸は互いにつながり合うために身体を伸ばす。

 そしてついに辿り着いた糸は激しく光を放ち、形状を変えていく。

 それは、テセルが求めていた愛刀へと変貌を遂げた。


「……落ち着くな」


 手に馴染む感覚、続けて押し寄せる安心感。

 握りしめた太刀の黒鞘はマットな感触で、右手で吸い込まれるように掴んだ柄は、包帯に似た滑り止めの布が巻かれている。

 使い古されあちこちほつれており、握るたびに毎度変えてあげなければならない保護欲も湧き出てくる。


「GRrrruAOOOOO!!」


 目の前で燃え盛るイグニスレオが、微塵も怯まないテセルに対して再度咆哮を浴びせる。


「ひいぃぃぃっ! て、テセルさぁぁあん!!」


 背後で頭を抱え込むナギサはもはや立ち上がれないようで、既に戦意喪失してしまっている。

 彼女のような小心な人間がこの学院に入学できたことに違和感を覚えるも、その無駄な思考をすぐに振り払い、左脚を滑らせ半身に構えるテセル。

 

 親指で鍔を押し出し、次の行動への準備は全て整った。


「綺羅一薙流〈きらひとなぎりゅう〉、二の太刀」


 前脚を数ミリ浮かせ、後脚を腰から蹴り出す。

 同時に鞘からゆっくりと抜刀し、音もなく雲のように滑らかな曲線の刃文を曝け出す。


「て、テセルさん危ないっ!」


 頭上から首を噛みちぎろうと試みていた魔獣の仕草に、ナギサが声を上げた。

 しかし、その言葉が終わるか否か、テセルの姿は残像を残して消えた。


「華裂き〈はなさき〉」


 その短い一言は、魔獣の背後で小さく響いた。

 言い放った瞬間、イグニスレオの顔の中央から縦線が一つ走る。


「えっ」


 その様子にナギサから驚愕の声が漏れる。

 焼き切れるような蒸発音と共に、イグニスレオの巨躯はものの見事に真っ二つとなった。

 まるでまな板の上で半分に切り落とされたようなイグニスレオ。

 その間から、太刀を上から振り下ろしたテセルの後ろ姿が顔を出した。



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焔の岐路 紫原彰蘭 @shogolen

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