第300話 ローエン海軍2、レマ沖海戦

[まえがき]

ついに300話。ここまでお読みくださりありがとうございます。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



 合戦準備の始まった旗艦ネベンケブラの甲板上では、控え漕手たちが帆を畳む傍ら、ロープの付いたバケツを海面に投げ入れて水を汲み上げ、甲板や舷側にぶちまけて濡らしていった。舷側は内側に向かってわずかに傾斜しているため、上から水を掛けるだけでうまく全体が濡れる。


 つぎに甲板上の各所のかがり火に火が入れられていき、いぶし矢用の魚油の入った樽が開けられていった。上甲板各所には先端に油をしみこませるための布を先端に巻いた矢の束が用意されている。


 甲板上での作業が続く中、40本オール艦は速度を増して左右に開いていき、単横陣を形成した。120本オール艦5隻×2列の縦陣がその単横陣の真ん中を進む。


 横に広がった40本オール艦にセロト艦隊を拘束させ、中央2列の120本オール艦が敵の横陣を中央突破し、そこから、左右に広がり、敵艦を後方から片舷射撃する作戦である。




 ローハイム艦隊の陣形が整ったころには甲板上でも艦影を視認できた。セロト艦隊も横に広がり単横陣を形成しつつある。あと1時間もしないうちに海戦が始まる。


 控え漕手たちは腰に短剣を下げ、長弓を片手で持ち海戦に備え弓兵と化している。


「距離、2キロ!」


 見張り員の声が前方マストの上から響く。副官が後部露天艦橋に立つ艦長に手を振って合図する。艦長はそれを受けて艦内の太鼓手に増速の指示を出した。


 艦内から響くドラムのピッチが上がり、オールの動きも早まる。艦内からはドラムの音と一緒に、漕手たちの息遣いが聞こえてくる。


 再度甲板と舷側に海水が掛けられ、後部マストに戦闘旗が上った。


 旗艦ネベンケブラの増速に合わせて両翼と後続の各艦も速度を上げていく。セロト艦隊も増速を始めたようでオールの動きが速まったのが見て取れた。



 モンドー海将が後ろに控える副官に向かい、


「格下のセロト海軍といっても油断は禁物だが、ここで息の根を止めるつもりで積極的にいくぞ!」


「はい」


 ローハイム艦隊の各艦は正面のセロト艦隊に向け一糸乱れず増速していった。


 それに対して、セロト艦隊も増速したが、各艦の速度が合わず、単横陣に凸凹ができてしまった。先頭を走る艦と最も遅れた艦とでは50メートルも差が出ておりその差が徐々に広がっている。接敵までに100メートルは距離が開きそうだ。


「セロト艦隊で先頭を走る船の連中は生きがいいのか、頭が悪いのか。単艦でわが方に近づけば何もせぬまま袋叩きにあうだけだ。あの艦だけの話ではなく、1艦が抜ければ、そのほころびからわが方が食らいつくことになる。ありがたいことだがな」


 モンドー海将は、セロト艦隊のあまりの稚拙さに呆れてしまった。案の定、その艦をいぶし矢の射程に捉えた複数の40本オール艦から無数のいぶし矢が放たれ、30秒ほどでその艦のオールの動きは乱れ始めすぐに行き足が止まってしまった。40本オール艦のうちの1艦が斜め前からその艦に突き当り、斬り込み隊が突入していった。


 もちろんそのころにはセロト側からもローエンの各艦に対して火矢が射かけられ、艦首に据え付けられた投石器からも焼けた丸石が投じられている。


 ローハイム艦隊の各艦では、甲板や舷側に突き刺さった火矢を燃え移る前に水をかけられてすぐに消し止めていく。放物線を描いて飛来する丸石はそうそう命中などしないが、それでも何発かは命中する。しかしわずかに命中した焼け石も、甲板にめり込むだけで突き抜けることなく、すぐに水がかけられた。


 迫るセロト艦からの攻撃に対して、無数のいぶし矢が放たれていく。放たれたいぶし矢のうち、9割がたセロト艦の各所に突き刺さる。もちろん甲板上の兵に刺さる矢もある。立ち上った煙で甲板上の敵兵は咳き込みながら視力を失い無力化されていく。


 旗艦ネベンケブラも至近に迫るセロト艦目がけて突っ込んでいった。その艦の操舵手はこの時点では煙に巻かれておりだれも舵を握っておらず艦は直進するのみだった。さらに煙は艦内にも侵入したようでオールの動きも乱れてしまい速度はぐんと落ちている。



 セロト艦の手前で最後のオールを漕いだ漕手はすぐにオールを艦内に引き入れ、ネベンケブラは行き足だけでセロト艦の横を抜けていく。


 旗艦ネベンケブラが至近を航過した際、収納の遅れたセロト艦のオールはネベンケブラによって折られていった。セロト艦の艦内からは折られたオールを握っていた漕手の悲鳴とうめき声が響いてくる。すれ違いざま射かけたいぶし矢でセロト艦の艦上はかすみ、ところどころ火の手があがっているようだ、甲板上にいた船員たちはその場でしゃがみ込んで咳き込んでおり反撃などの余裕はまったくない。


 セロト艦の脇を航過したネベンケブラは再びオールを張って、左手に回頭しつつセロト艦の後方から今度はいぶし矢と共に火矢も放っていった。ネベンケブラに続く艦も難なくセロト艦をすり抜けて、ネベンケブラの後を追って回頭する。もちろん、ネベンケブラと並走していた僚艦もセロト艦をすり抜けて右手に回頭している。


 5隻の120本オール艦に艦尾後方を航過されたセロト艦の甲板からは火の手が上がり、いぶし矢のものではない煙も立ち込めて、咳き込む声も聞こえなくなってしまった。


 乱れた戦列の隙間から40本オール艦が次々とセロトの大型艦に食らいついていく。




 30分ほど海戦は続いたが、海上に健全なセロト艦は浮かんでおらず、かろうじて浮いている艦はローハイム艦隊に降伏し拿捕された艦である。



「思った以上に楽な戦いだったな」


「こちらはいぶし矢を射るだけで無力化できるわけですから、勝負になりませんでした。しかし、いぶし矢は反則ですな」


「だな。

 ボーゲン将軍さまさまだ。

 レマの艦隊を撃滅した以上、陸軍はレマまで進出するのだろうが、そうなると、われわれもレマに拠点を置かなくてはならなくなるな」


「王都を離れたいわけではありませんが、新しい場所での仕事も悪くありません」


「そうだな。そういえば、前回の出撃時に見た昼間の星は本当に瑞兆だったな」


「そうですね。私は気付かなかったのですが、アレ以降も数回星が昇ったそうです」


「瑞兆だらけだったわけだ。セロトに取っては凶兆だったようだがな。フフフ、アハハハ」




 東進作戦を開始して1カ月。ローエン軍はローエン湾のセロト側沿岸を完全掌握し、名実ともにローエン湾とした。セロトとの国境線についても200キロから300キロほど東に押し込み、そこまでを自領としていた。もちろんレマもローエンに組み込まれ、ローハイム艦隊の主力が進出し、ローエン海軍の拠点の一つとなった。ローエン側の消耗は想定を大きく下回ったためさらなる東進も可能だったが、セロトをこれ以上疲弊させた場合、セロトのソムネア側の国境がソムネアに抜かれる可能性が高まるため、東進作戦は当初の予定通り終了した。



【補足説明】

射程:

弓矢を例に取ると、木製の盾に矢じりが貫通する目安である有効射程に対し、単純に矢が飛ぶ距離を現したもの。有効射程の3から5割増になる。ローエンの船上弓兵の操る弓矢の射程は、一般の矢で250から300メートル。火矢の場合、120から150メートル程度となる。


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