第309話 セルフィナの帰還3


 ヤーレムにはそれ相応のホテルがあり、アービス連隊ではセルフィナたちのためにホテルに部屋を用意していたのだが、セルフィナはアービス連隊の駐屯地で一泊し、ギレアを横断中も護衛の兵隊たちと同じように野営すると言い出した。


 サファイアは事情を知っているので、セルフィナにホテルを勧めようと思い口を開きかけたところ、


「兵舎の中で寝泊まりしたことは一度もないので、すごく楽しみです」と、セルフィナが嬉しそうにキーンに向かって言ったので、何も言えなくなってしまった。


 セルフィナは良くも悪くもお姫さまなのである。



 そこまで言われてしまえば、対応するしか無いので、ゲレード中佐が隣に座るボルタ兵曹長に耳打ちした。


 ゲレード中佐に耳打ちされたボルタ兵曹長は、セルフィナたちの部屋を兵舎内に用意するためとヤーレムの宿をキャンセルするため部屋を出ていった。


 実は、ヤーレムだけでなく明日以降のギレア国内の宿もアービス連隊で押さえていたのだが、そちらの方は簡単にキャンセルできない。今後セルフィナの気が変るかもしれないのでそのままにすることにして、キャンセルするとなったら当日多めのキャンセル料を払うことにした。


「今部屋の準備をしていますので、お茶でも飲んでいましょう」とゲレード中佐。その言葉で当番兵たちがお茶の準備を始め、すぐに各人の前にお茶のカップが置かれた。



 ボルタ兵曹長が部屋に戻りセルフィナたちの部屋の準備ができたことをゲレード中佐に告げた。荷物も部屋に運び込まれている。ボルタ兵曹長がセルフィナたちのために用意した部屋は、おそらくローエンのボーゲン将軍が使っていた部屋で、一続きの部屋には内部に風呂やトイレも備わっている。軽く掃除をして、寝具などを入れるだけで使えるようになったようだ。


「殿下、部屋の準備ができたようです。荷物などは運んでいます。お部屋の方にご案内します」


「ありがとうございます」


 セルフィナたちを案内するため、ゲレード中佐が席を立ち、ボルタ兵曹長と連れだって部屋を出て行った。



 セルフィナたちが部屋を出たところで、ノートン少佐がキーンに向かって、


「連隊でホテルを用意していただいていたのにもかかわらず、お手間を取らせて申し訳ありません」と、謝ってきた。


「アハハ。そんな気にしないでいいんですよ。それにサファイアさんは今ではうちの少佐なんだから謝っては逆に変ですから。

 セルフィナさんはモーデルに入ってしまえば、すぐに聖王陛下として即位するわけで、兵隊たちと一緒に寝泊まりするようなことはできなくなるでしょう。やりたいことはできる時にやっておいた方がいいですから」


「ありがとうございます」


 キーンの今の口ぶりから言って、セルフィナが聖王として即位することに全く異存はないようだ。そのことの方にサファイアは安堵した。


 キーンの立場になって考えてみると、現在でさえ、大国に伍する実力を持ったサルダナの伯爵である。しかも、サルダナ躍進の立役者本人だ。さらに、莫大という言葉では言い表せないほどの貴金属を所有しているうえに、究極のアーティファクトであるデクスシエロも自由に操ることができる。その気になればデクスシエロなど関係なくキーン一人で一国を滅ぼすことも可能だ。そういった人物が、わざわざ聖王や皇帝とかに成りたいと思うのか? と言うと、はなはだ疑問だ。


 これまで、キーンの気持ちが変わりセルフィナに代わって聖王に即位すると言い出しはしないかと心配していたサファイアはバカらしくなってきた。



 その日の夕食もキーンたちはセルフィナたちと摂ったが、夕食はさすがに軽めのものだった。



 翌朝、予定通りアービス連隊の第1から第5中隊と魔術師小隊が、セルフィナの乗る馬車を護衛して駐屯地を発った。キーンが馬車を半変性させたため、高速での移動も可能であるが、モデナ到着は先方に連絡済であるため予定日を守るよう1日40キロを目安としたゆっくりした・・・・・・移動である。



 移動中セルフィナは予定通り・・・・野営をしたため、予約済みだったホテルはその都度キャンセルしている。



 そして、一行はとうとうギレアとモーデルとの国境のとうげに差し掛かった。


 峠で昼食のため大休止をとった後、越境し、モーデル内で1泊し、翌日の昼前にモデナ入りの予定だ。モーデル内ではセルフィナは野営せず街道沿いの街のホテルで泊まることになっている。


 峠で馬車を降りたセルフィナに向かってルビーが、


「殿下、モーデルに戻ってこられました」


「いちどは諦めたモーデル入り。すべてはキーンさんのおかげ。感謝しても仕切れない恩があります」


「殿下が即位された後、少しずつご恩を返していけばいいと思います」


「そうね。モーデルは小さな国かもしれないけれど、そのためにもしっかりしなくては」


「アービスさまが待っておられるようですから急ぎましょう」


 昼食の準備を始める兵隊たちの間を縫ってセルフィナたちがキーンたちの元に歩いていった。



 野営や行軍中の大休止では、兵隊たちは地面に直接腰を下ろして食事をするのだが、雨が降って地面が濡れていたりする場合は、各自それほど濡れていない場所を見つけて腰を下ろすか、それが見つからなければ立ったまま食事をすることになる。


 さすがにセルフィナたちを地面に座らせるわけにはいかないと考えたキーンは、その場その場でセルフィナたち用に、ミニオンの殻を変形させて、上を平らにした半球状の椅子と上を平らにしてさらに横に広げた大きな丸テーブルを用意してやっている。椅子は人数分丸テーブルの周りに置いているので、一同が円卓を囲み食事することになる。



 食事の準備が済むまで、雑談するだけだが、それはそれで、セルフィナにとっては楽しいようだ。むろんキーンもセルフィナと話すことを楽しみにしている。


「ここから先はモーデルですから、われわれは整列して行進していきます。

 セルフィナさんが帰国することはモーデル内に触れを出しているそうなので、セルフィナさんは、道で出会う人や荷馬車に向かって馬車の窓から手を振ればいいかもしれませんね」


「わかりました。頑張って手を振ります」


「そんなに頑張らなくてもいいから、軽く手を振るだけでいいです。周囲については僕と魔術師小隊で警戒しているから間違いはないと思うけど、セルフィナさんもこれまで通り注意だけはしていてください」


「はい!」



 準備のできた食事が当番兵たちによってテーブルに運ばれ、一同は食事を始めた。


「私たちは馬車に乗っていただけで何もしていませんが、青空の下での食事はどうしてこんなにおいしいのでしょう。特に今日の食事はおいしい。私がサファイアとルビーに連れられてモーデルを出た時も青空の下で何度も食事したはずだけどその時はそんなにおいしいとは思わなかった。……。

 サファイアとルビーごめんなさい。二人がせっかく用意してくれた食事がおいしくなかったなんて言ってしまって」


「殿下、いいんです。私も妹も殿下と同じです。私たちもこんなにおいしい食事は今まで食べたことはありません」


「よかった」


 キーンとボルタ兵曹長、それにセルフィナの侍女二人は黙って3人の会話を聞いていた。



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