第281話 モーデル解放軍、発足1


 キーンは無事軍学校を卒業し、連隊長として駐屯地に住むようになったが、書類仕事がそれなりにあるようで、午前中、書類仕事で時間を取られるようになった。そのことについてキーンはあまり気になっていない。軍学校では午前中一杯座学で教室にいたことに比べれば天国のようなものである。



 副官のゲレード中佐用の机も連隊長室に用意してあり、連隊長の決裁が必要なものはキーンまで回ってくるがそれ以外は、ゲレード中佐が処理してくれているので、書類仕事自体は大変ではない。


 ただ、ゲレード中佐が真面目に仕事をしているので、キーンも真面目な顔をして机に向かっているが、仕事というほどの書類仕事があるわけでもないので、大抵は魔術のことなどを考えて過ごしている。


 そんなふうに机に向かっているわけだが、10時になるとまかないからお茶を届けてくれるようになった。ボルタ兵曹長が手配してくれたようだ。


 サルダナ軍では、佐官以上には通常従兵が付くのだが、キーンは以前から断っている。その関係で、ゲレード中佐も遠慮して従兵を断っている。従兵は兵隊たちの中から当番兵を決めて佐官以上の雑務に充てるのだが、その間は訓練できない。自分のことは自分でできるし、妥当な判断だとキーンは思っている。


 賄からお茶が届くと仕事の手を休め、キーンとゲレード中佐はたいてい世間話をしている。



 そんなこんなで、日々は過ぎていき、兵隊たちの練度も徐々に上がっていった。


 強化状態の兵隊たちの訓練風景をキーンとゲレード中佐、それにボルタ兵曹長が並んで訓練場の隅から眺めている。現在、魔術師小隊以外のほとんどの部隊は剣の訓練を行っている。魔術師小隊は、訓練場の隅の方にキーンが作った土壁に向かってアロー系の魔術を撃ち込んで、連射速度を高める訓練を開いている。アロー系の魔術程度では魔術枯渇の心配はないようだ。アロー系とは言え『連射』など付属校の学生時代には夢にも思わなかった技能である。



「各中隊とも形になってきましたな。長槍は集団戦のため個々人の技量差はあまり気になりませんが、剣の場合は個人戦を想定していますから、差は当たり前のように出ます。まあ、連隊長殿の『強化』のお陰で、ケガだけはしないのが救いです。この程度でも、敵の個兵相手なら遅れは取らないでしょう」


「ボルタ兵曹長の言う通り、剣もそれなりに格好がついてきたようです。これなら軍学校の生徒では、新人が相手でも簡単には勝てないでしょう」


「今年入ってきた連中を、今まで新人、新人と言っていたけれど、そろそろ新人を卒業して、新兵と呼んでもいいかな」


「そうですな」





 そして、暦は7月に入り、1000人の新兵たちが配属されて6カ月が経過した。


 新兵たちも長槍だけでなく剣も扱えるようになり、中隊単位での隊列機動訓練もサマになってきている。いまでは中隊先任曹長の号令一下、長槍を構えた1個中隊が一つの生き物のように機動できるようになっている。



 セルフィナと護衛のノートン姉妹はソーン侯爵家のはなれから、国が用意した王宮近く、アービス連隊の駐屯地にかなり近い屋敷に先月末引っ越している。警護は王都警備を任されている近衛兵団が受け持っている。


 7月15日。キーンは軍本営に副官のゲレード中佐共々呼び出され、トーマ軍総長より連隊員共々ともども予定通り・・・・『モーデル解放軍』への出向を命じられた。なお、同日付でモーデル解放軍は発足しており、当日昼には手回しよく、アービス連隊駐屯地の訓練場入り口の看板と兵舎玄関前の看板は『アービス連隊駐屯地』から『モーデル解放軍駐屯地』にすげ替えられた。連隊員に対する説明などは7月初めにキーンから行っており、特に問題などは起こっていない。



 キーンとゲレード中佐は軍本営を辞した後、挨拶のためにセルフィナ邸を訪れた。キーンは場所を知らなかったのでゲレード中佐に聞いたところ、


「セルフィナ殿下の屋敷は、旧公爵邸です。先代国王の弟君が住まわれておりましたが、独り身を通され、10年ほど前に亡くなられて以降、空き家になっていました。改装してセルフィナ殿下の屋敷としたようです」


 門前には警備の兵士が2名ほど立っており、屋敷を囲む塀の内外を常に数名の兵士が巡回している。


 門衛の兵士に来意を告げたころ、そのまま玄関まで案内された。前庭の植栽しょくさいも見事に手入れされている。


 玄関脇には旗竿がそびえており、旗竿の先に紺色地に赤いかえでの旗が揺らめいていた。


「ゲレード中佐、その旗は?」


「モーデルの紋章は丸とそこからはみ出した十字模様ですが、この五葉のかえでの紋章は、何でもモーデルが帝国時代使用していた紋章だそうです。帝国の復権を目指すくらいの気概を持っていたほうが勇ましくていいでしょう。明日には連隊の駐屯地にもこの旗が届けられるはずです」


「いままで駐屯地で旗なんか掲げたこともなかったけれど、サルダナ軍じゃないことをはっきりさせるため、旗も必要なのか。

 このかえでの意匠はどこかで見たような気がしたけど、どこだったっけなー?」


「五葉のかえでは珍しいかも知れませんが、普通の楓などはどこにでも生えていますから」


「それなりにカッコいい紋章だから、小さめの旗を作って、黒槍に括り付けてもいいかも。それで行進すれば見栄えもいいし」


「確かに。モーデルの聖王都に入城する時、見栄えが良いに越したことはありませんから、100枚ほど手配しましょう。出陣は今月末辺りでしょうからそれまでには間に合わせます」



 警備兵に案内された玄関は大理石で作られた重厚なもので、かなり広い。その警備兵が「アービス連隊長殿とその副官殿がお見えです」と玄関前で告げたところ、中から現れた侍女に「殿下が応接室でお持ちです」と言われ、屋敷内に案内された。


 キーンはもちろん先触れは出していなかったが、初日の今日挨拶に訪れることは予想できることなので、セルフィナはキーンを待っていたようだ。



 キーンたちが応接室に入ると、部屋の中には、セルフィナの他ノートン姉妹もおり、立ち上がってキーンたちを迎えた。


 ゲレード中佐も同行しているので、改まった物言いでキーンはセルフィナに挨拶することにした。


「本日付で、サルダナ軍よりモーデル解放軍に出向になりましたキーン・アービス大佐です」


「アービス大佐の副官を務めるドリス・ゲレード中佐です」


「アービス大佐、お待ちしてました。

 ゲレード中佐初めまして」


 ゲレード中佐は自分だけセルフィナから『初めまして』と言われたことで、キーンはすでにセルフィナと面識があることを察した。この時点ではゲレード中佐はキーンとセルフィナの関係に付いて何も知らされていない。


 

「どうぞおかけください」


 セルフィナの言葉でキーンたちはソファーに座り、セルフィナたちも向かいに座った。


「この2月にサルダナ王国宰相マウリッツ閣下より正式にこのお話をうかがい、父、聖王陛下の存命中にこういった兵を興すことに多少の抵抗はありましたが、この期を逃すわけにはいかない以上、決断し、モーデル解放軍の代表となることを正式に了承しました。

 昨日、国王陛下にお会いしてお礼を述べたところ、激励の言葉をいただきました」


 キーンたちは黙って頷いている。


「私自身も従軍したい気持ちはありますが、周囲の方々、それに国王陛下からもいさめられましたので、ここセントラムで朗報を待っております。

 私のモーデル脱出以来付き従ってくれておりますサファイア・ノートンを私の代わりにモーデル解放軍に預けますのでよろしくお願いします」


 そこで、サファイアが頭を下げたので、キーンとゲレードも頭を下げた。


「あまり意味はありませんが、アービス大佐はモーデル解放軍では『将軍』と名乗っていただき、サファイア・ノートンは少佐ということでお願いします」


 キーンの誕生日は、亡くなった母の腹からテンダロスによって取り上げられた7月4日なので、16歳になったばかりだ。16歳にして名まえだけでも『将軍』に上り詰めてしまったキーンは、一瞬だけ舞い上がったが、すぐに声だけは落ち着かせて、


「了解しました」


 そう、セルフィナに応えておいた。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る