第267話 弱体化から無力化、そして抑止力


 ボルタ兵曹長に『弱体化』の魔術ができないものかと尋ねられたキーンは、兵隊たちの訓練を見ているような感じで訓練場の脇から顔を向けてはいたが、頭の中はそのことでいっぱいになっていた。


――ボーゲン将軍が最初のボスニオンの戦いで使った毒煙なんかはそのいい例かもしれない。一時的にでも目が見えなくなれば降参せざるを得なくなる。これが一番有効じゃないかな。


――しかし、あれは用意周到に計算されていたようだから良かったけれど、まかり間違えれば敵味方関係なく見えなくなるし、一体どうすれば?


 あーでもない、こーでもないと考えてはみたものの、なかなかこれといったアイディアは浮かんでこなかった。


 結局その日は何も思いつけないまま訓練時間が終わったので、キーンは自宅から持参した荷物を持って、中隊長たちと一緒に軍学校の寮に帰っていった。



 寮に帰る道すがら、新中隊長たちが、


「新人と言っても、いちおうは兵隊になるつもりで志願したんだろうけど、アレが本当に一人前の兵隊になるのかな?」


「右と左を一瞬考えないといけないようでは先が思いやられるわ」


「心配しなくても大丈夫。3カ月もすれば立派とはいえないかもしれないけれど兵隊らしくなる。現に入隊して3カ月ちょっとしか経ってないのに、ギュネンで実戦したから」と、トーマス。


 今度はソニアが、


「あのときは内心不安だったけど、実際楽勝だったものね。とにかく古参兵たちが優秀だったのよ」


「あの古参兵たちが、他部隊で持て余していた兵隊たちだったって聞いていたけどとても信じられないわ。今ではみんな立派な下士官だものね」


「みんなやる気が出たんだろうな。キーンのお陰で。

 そういえば、さっきからキーンはおとなしいけどどうかしたか?」


「うん? 何?」


「なんだよ、話聞いてなかったのか? 古参兵たちは立派な下士官だって話」


「そうだね。よくやってくれてる」


「キーン、どうかしたのか?」


「いや、敵を死傷させずに無力化する魔術をずーと考えているんだ」


「戦いなんだから、敵がケガしたり死んだりするのは仕方ないんじゃないか? 味方だってケガしたり死んだりするんだから。幸いキーンの強化のお陰で俺たちはほとんどケガしないけどな。初めての負傷者がいきなり現れたあの・・『黄金の獅子』相手だったから仕方がないし、ケガしたと言っても、その日のうちに治るようなケガで済んだしな」


「あんなのがいれば別だけど、その気になれば敵軍を文字通り皆殺しにすることも簡単なんだよ。いくら戦争してると言ってもそれはそれでマズいだろ? それくらいなら早めに降参させたいんだよ」


「だったら、敵の目の前に溶岩池を作ってやればいいんじゃないか。眼の前の溶岩池を見れば敵も戦う気も失せるだろ?」


「そうか。自分たちが何を相手に戦っているのか教えるのも一つの手ということか」


「相手の気分次第でいとも簡単に皆殺しされるとわかっていて戦いを仕掛けてくる軍隊はまずいないからね。ただ、敵が守備側とかでどうしても守りたいものがあるなら全滅覚悟で戦ってくることもあると思う」


「都市の守備隊なんかはそうだよね。街の人を守らなくちゃいけないんだし、戦わずに降参では、住民が許さないもの」


「少なくともサルダナ軍は敵の都市を攻め陥としても、住民に危害は加えないから降参してくれたほうがいいけどね。敵からすればそんなことはわからないんだから抵抗するのも仕方ないと思う」


「敵が最初から攻めてこないだけの力があれば何も問題ないのよ。エルシンやソムネアに攻め込む国はないでしょ?」


「そうだよな。超大国に成ればどこからも攻められない。これこそ一番の無力化じゃないか?」


 そこでキーンはモーデル聖王国がかつて帝国だったころロドネアを支配したという話を思い出した。その中では戦争など起こらなかったはずだ。


――そうか、ほんとうの目的は敵を無力化することじゃなくて、戦争のない世の中にすることだった。武力で威嚇しようが何をしようが、戦争して殺し合いをするよりずっといいのは確かだ。


――この夏には、僕の連隊はモーデル解放軍として、セルフィナを聖王の後継者とするためエルシンをモーデルから追い出すわけだけれど、僕はその先、サルダナ軍の軍人として戦っていくのか、モーデルのために戦っていくのか覚悟だけは必要か。




 中隊長たちが、訓練のことで盛り上がっている中、敵の無力化方法を考えていたキーンは、そのうちモーデルの将来、自分の将来について考え始めてしまった。


 軍学校の裏門が見えてきたところで、遠い将来のことではなく、どうやって魔術師小隊の魔術師たちにミニオンを教えるかのほうが重要だったことを思い出してキーンの頭は現実に引き戻された。





 こちらはその日の魔術師小隊の小隊長メリッサ・コーレル少尉補。


 キーンがうわさでは聞いていたが、実際あれ程の魔術師だったことに驚いてしまったうえ、6種類の『強化』を一度にかけられ身体能力が一気に上がったものの違和感がまったくないことにしばらく呆けていた。


 ボルタ兵曹長に午後からの訓練は午前中と同じく行進するよう言われたため、午前中と同じく小隊を率いて訓練場の内側を行進した。午前中の前半は付きっきりのボルタ兵曹長に普通に足並みを揃えるよう言われながら行進していたが、途中でボルタ兵曹長はキーンの隣に立って全体を眺め始めた。午後からも午前同様、足並みをそろえて行進するよう言われたので、何も言い返すこともなく行進を延々と続けた。


 いくら魔術兵は士官待遇だと言っても、戦場に向かうには歩かなくてはならないので行進する意味は理解できる。その上、今は『強化』によって体の負担は全く無いので肉体的にはなんともなかった。しかし午前中と同じくただ行進するだけでは精神的に辛いものがある。かといって、一般の新人たちは午後からも号令に合わせて方向を変えたり整列しなおしたりを繰り返しており、それはそれで大変そうだ。


 魔術大学付属校に入った以上、将来の就職では魔術を生かした職に就くわけだが、魔術大学で成績が特別優秀ならばそのまま魔術大学に残り研究を続けるか、あとは軍人になって魔術師団に入団するくらいだ。キーンのデタラメな魔術を見たあとではあるが、魔術大学での魔術の研究に意味があるとはとても思えなくなってしまった。


 父の勧めだったが、サルダナ軍でもっとも安全・・で武功を立てやすいアービス連隊に入隊したことは悪くない選択だったと今では自分でも納得している。


 とはいえ、次女ではあるものの伯爵令嬢の自分が、そこらの兵隊たちと同じように朝から号令に合わせて右を向いたり左を向いたり、並んで歩き回ったり。自分の思っていた軍人とは違うところが恨めしい。


 ということなので、メリッサ・コーレル少尉補は、魔術師小隊員9名を率いて今は無心・・になって行進を続けている。これこそが兵隊に求められる境地であり、彼女は知らぬうちに軍人としての第一歩を踏み出していたわけである。




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