第24話 愛してるぜ、相棒!
駅のホームに着くまで自転車の全力で、10分くらいかかった。
息を整えながら時刻表を見ると、電車が来るまで15分ほどだった。
「はあ、はあ……。電車……30分に一本……。慌てる必要なかった……。自転車、鍵かけたかな」
慌てていたから、数分前のことすら、はっきりしない。
ポケットに手を突っこむと、自転車の鍵があった。
軽く安堵して椅子に座る。
冷えた背もたれが、ほてった背中から熱を奪ってくれて気持ちいい。
陽は完全に沈んでいる。
見上げれば、星がぽつ、ぽつ、と出ていた。
郊外にある駅のホームは黄ばんだ電灯が点滅し、今にも消えてしまいそう。
居るのは、ベンチに独り座る僕だけ。
休日の十八時に、田舎から名古屋方面への電車に乗る者は居なくて当たり前だ。
「ジェシカさんに、何処にいるか聞こう。とにかく、アリサに会って謝らないと」
スマホの電源を入れると不在着信が四件あった。
二時、三時、四時、五時と、ぴったり一時間おきに五コール。
「大雑把な人かと思ってたけど、時間はきっちり護るんだ。……というか、全部、一分の誤差もないって、どうかと思、うわっ」
いきなりスマートフォンが振動した。
液晶にはジェシカさんの名前と電話番号。
「も、もしもし」
応答しながら駅の時計を見たら、ジャスト六時だった。
「オレ、オレ。オレだよ」
「あ、藍河です」
妙な緊張があり、一瞬、視界が暗くなる。
僕は深呼吸し、スマホを握る手の力を強くした。
頭上の蛍光灯が明滅を繰り返す。
点くか消えるかの瀬戸際のようだ。
「ん、何か息が荒いな。……あ。ごめんごめん。カズは年頃の男子だもんな。後でかけなおそうか?」
「き、切らないで」
「なんだよ。オレの声を聞きながらしたいのか。変態め」
ジェシカさんが冗談を言っているのは確かなようだが、元ネタが見当も付かない。
とりあえず、「走った直後だから」と言うと、苦笑とともに「青春だねえ」と返事が着た。
「昼間、いきなりだろ。何処かで事故ってないか心配したぞ。電話にすぐ出たってことは、そっちもオレに何か用あった?」
「うん」
僕がアリサを泣かせたのに、Sinさんはいつもの口調だ。
「分かった。ちょい待って。移動する。他人に聞かれたくない話だろ。ん?」
「うん」
「今さ、ホテルのレストランで食事中。ゲームイベント参加者の交流会を兼ねているんだけど、ほら、ゲームだから若い子が多いだろ? だからアルコール無しで早めなんだよ。食い放題で色々あるぞ。……ああ、分かった分かった」
電話の向こうでアリサの「ビュッフェ」という声がした。
「食い放題って言ったら怒られたぞ」
「うん。聞こえた」
僕のテンションが低いことを気にした様子もなく、もしくは気にしたからか、ジェシカさんはボイスチャットをするときと同じ雰囲気だ。
「なあ、聞いてくれよ。アリサのやつ、皿に料理を山盛りにしやがったんだぞ。オレが普段、ろくなもん食わせてねえみたいで気まずい」
昼間のアリサの口ぶりから察するに、普段の食事はインスタント食品ばかり。
実際、ジェシカさんはアリサにろくなものを食わせていないのに、当人に自覚がないのが笑える。
「なんだよ、何か言いたそうな顔だな」
見えてないでしょ、という突っこみは心の中だけだ。
もしかして僕は知らず知らずのうちに笑ってしまっていたのかな。
「アリサの奴、今日から名古屋飯だろ? ネットでこっちのこと調べて、何もかも味噌味じゃないかって不安がってたけど、案外、普通だな」
「うん」
「飯食い終わったら、ホテルの広間を借りて、皆でBoDの練習をするんだ。お前も来いよ」
「うん」
「なんだよ。うんしか言わないな。らしくないな。何か企んでるのか?」
「うん。あ、いや、別に何も」
「よし。他人の耳がないところに来たぞ。話せ、話せ、遠慮なく話せ」
「うん」
アリサに会って謝りたいと伝えるだけなのに、いざとなると口が動かなかった。
数秒かもしれないし数分経っていたかもしれない。
けど、ジェシカさんは黙って待ってくれた。
「……アリサに謝りたい」
「ん? ああ、昼間のこと? カズが謝るようなことなのか? アリサのやつ、だんまりで教えてくれないんだよ」
「ジェシカさんは怒ってないの? 僕がアリサを泣かせちゃったけど」
「んー。まあ、お前じゃなかったら、裸にして逆さに吊すけどさ。オレはカズのことを全面的に信頼しているから。泣かすくらいなら気にしないよ。兵士ってのは、排莢で顔を火傷して一人前になっていくもんだ」
「例えがよく分からないです」
「人は失敗して成長するってことさ」
ジェシカさんが僕の非を疑っていなかったというだけで、胸の奥に詰まっていたものが、取れたかのようにすっきりした。
息も落ち着いてきて喋りやすくなってくる。
「ありがとう。でも、アリサに謝りたい。僕がアリサを怒らせたから。楽しみにしていてくれたのに、僕はアリサの気持ち分かろうとしていなかった」
「ちょい待って。話が長くなりそうなら、先に聞かせてよ。お前、アリサのこと好き?」
「えっ?」
「おいおい。顔が真っ赤になってるぞ。過剰に反応しすぎ」
見えてもいないくせして決め付けてきて、しかも当たっていそうだから、悔しい。
「別に愛の告白をしろって言ったわけじゃないんだ。気楽に答えろよ。オレはアリサのことが好き。カズのことも好き。カズもオレのこと好きだろ」
「え、あ、その。ジェシカさん、僕がそういうこと言えるような度胸がないって、分かって言ってるでしょ」
「だから難しく考えるなって。アリサだってカズのこと好きだよ。な?」
僕に同意を求められても困るんだけど……。
「嫌いなヤツと二年間もゲームなんかしねえだろ」
「う……」
好きという言葉を聞くだけで頬が熱くなってくる。
ゲームが好きとかアサルトライフルが好きとかと同じレベルの意味だとしても、異性の声として聞こえてくると、何だか違う意味のように思えてしまう。
意識しすぎだろうか。
「オレたちの三角関係でさ、カズだけアリサと初対面なんだよ」
三角関係という言葉の使いどころは間違えている気はするが、確かにジェシカさんの言うとおりだ。
僕たち三人の関係で、僕だけがアリサの存在を今日まで知らなかった。
僕が初対面のアリサに余所余所しい態度を取って、嫌な思いをさせたんだ。
アリサは最初から、僕に親しげに接してくれた。
けど、僕はアリサのテンションに付いていけずに戸惑うだけだった。
「オレたちの関係って、昨日まで言葉だけで成り立っていたよな。だからさ、アリサのことをどう思っているか言葉にしてよ」
「うん……」
返事はしたし、アリサが好きなのは事実だけど、いざ口にしようとすると恥ずかしい。
真っ直ぐ伸びたレールの遥か彼方に、まばゆい光が現れた。
数十秒もすれば電車が着くだろう。
周囲を見回しても、誰も居ない。
言うなら今しかない。
この世界がFPSのストーリーモードだったら、きっと今、テーマ曲のアレンジバージョンが流れ始めた。
僕はスマートフォンの通話部分と口を左手で包んで囁く。
「あ……アリサのこと、好きです」
「んなこたあ、分かってんだよ! どんなとこが好きなのか、言ってみな!」
芝居がかった声は、窮地に到来した近接航空支援のように僕の気分を高揚させる。
「……ッ。か、可愛いところ!」
外見だけで好いているように思えたので、慌てて「あと、元気なところ」と継ぎ足す。
ドクンドクンと音がして揺れるから、もう電車が到着したのかと思ったが、線路の光はまだ遠い。
音源と震源は僕の心臓だった。
人を「好き」と口にすることは、こんなにも心を揺さぶることだったのか。
「可愛くて元気なんて、アリサの第一印象そのままじゃねえか。他にもあるだろ。ほっぺたがプニプニしているとか肌がツルツルで触ると気持ちいいとか、具体的に、どんなところが可愛くて好きなんだよ」
含み笑いしていそうな声だけど、ジェシカさんの表情を想像できない。
「朝、お前らバス停のベンチで重なってたじゃん。アリサ、ちっちゃくて柔らかかっただろ」
「うん。柔らかいし、軽くて驚いた。抱き枕にしたらよく眠れそう」
誘導尋問に乗せられているような自覚はあったけど、もう、恥のかきついでだ。
「一緒に屋台を周って、楽しかった。僕、ゲーム以外だと上手く喋れないから、手を引っ張ってくれて嬉しかった」
顔から噴出した湯気で、視界が曇るんじゃないかってくらい、むんむんする。
多分、熱い息と上がった体温が僕を包んでいる。
言葉にして気付いた。
「初対面なのに僕はアリサに惹かれていた……。僕にないものを持っているから。人と話すことが苦手な僕と違って、アリサは元気の塊で……」
「まあ、お前にないものをアリサが持っているとは限らないけどな。どちらにせよ、それだけ聞ければ十分だ。な、アリサ?」
「うん……」
「え?」
ジェシカさん以外の声が囁いた。
「アリサも、カズのこと、大好きだよ……えへへ」
「ア、アリサ? 聞いてたの? いつから?」
「最初からに決まってんだろ。カズがアリサのことを好きって言ったのも、しっかり聞いてた。仲直り完了だろ。な?」
「え、いや、ちょっと待って。人の居ないところに移動するって言ってたじゃん、何でアリサが居るの?」
「別に聞かれて困る話じゃないだろ。オレは他人の居ないところに移動すると言ったんだ。アリサは他人じゃない。家族だからな」
「え、あ、いや、それ、卑怯だって」
「戦争を終わらせる最良の方法は、相手国の民と仲良くなることだって、身をもって理解できただろ?」
「あ、いや、でも、凄く恥ずかしいんですけど」
「人を好きになる感情を恥じる必要はない。ジェシカ・サンチアゴ」
「ローディング中に表示される名言っぽく言わないでくださいよ」
「ん、元気になったな。安心しろよ。こっちも、愛しい妹が顔を真っ赤にして額から湯気を出しているからさ。痛み分けだろ。お前が好きって言った瞬間のアリサ、見せてやりたかったぜ」
「あ、いや。ええっ?」
ん、もしかして、さっきジェシカさんの言っていた顔が真っ赤というのは、僕の様子を言い当てたのではなく、単にアリサを見ていただけなのだろうか。
「よし。問題解決。ってことでさ、カズ、今、駅だよな。これから来るんだろ。名古屋駅を降りてすぐのイージスホテルって分かる?」
「あ、うん、なんとなくどこか分かる」
周囲が急激に明るくなる。
上り電車がもう、すぐそこまで来ていた。
ベンチの周りは電車のライトを浴びて輝き、スポットライトを浴びたかのように浮かび上がっている。
ゴトンゴトンと重い音がどんどん大きくなる。
僕のストーリーはクライマックスだ。
テーマ曲がサビに突入した。
ジェシカさんは格好付けた台詞と口調で僕の感情を揺さぶる。
「相棒。一階のロビーに着いたら合図しろ。必ず迎えに行く。生きて会おう」
「了解。これより無線を封鎖する。三十分後。悪魔とダンスだ!」
「ああ。愛してるぜ、相棒」
通話終了。
いやいやいや、愛してるって!
LIKE って意味だと分かっていても、心臓に悪い。
僕が「愛」という言葉を聞き慣れている愛知県民じゃなかったら、心臓が破裂して死んでるよ……!
乗りこんだ電車の乗客は数名なので、座席は殆ど余っていた。
けど、僕は連結部の重いドアを開け、先頭を目指す。
何故だか電車の走る様子を見たい気分だった。
電車は夜の闇を一直線に切り開いて、僕を、相棒達の待っている場所へと連れて行く。
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