第23話 ボイスメッセージ
目が覚め重いまぶたを開けると、枕のすぐ横に手提げ鞄があった。
(イベントから帰ってきて、そのままベッドに飛びこんだのか……。まだ17時か。あーあ。明日、どうしよう。行くの止めようかな……)
鞄を定位置である学習机の横に放り投げると、何かがガチャンと硬い音を立てた。
「あっ、VSP!」
慌ててベッドから飛び降り、鞄から携帯ゲーム機を取りだす。
ふだん携帯せずに自室で遊んでいるから、鞄の中に入れていたことをすっかり忘れていた。
「良かった。電源、点く……。あれっ? ソフト取り出しボタンを押してもいないのに、蓋が勝手に開く。ちょっと、勘弁してよ」
携帯ゲーム機をひっくり返してみるけど、外観から分かるような破損はない。
「何でこんな簡単に壊れるの。あーっ。もう!」
最悪だ。
イベントに行ったから、こんなことになったんだ。
家に篭もってゲームしていれば、もんもんと腐ることもなかったのに。
夕食までふて寝しようとベッドに戻ろうとしたら、足に何かが触れた。
ボイスチャット用のヘッドセットだ。
普段はテレビ台の下に片付けるのだが、昨日は興奮していてすっかり忘れてしまったらしい。
「バンド部分が緩くなっているから、新調しようかと思ったんだよなあ」
けど、何となく別のに換える気になれなかった。
ガムテープで補強してあるから、たまに髪の毛が引っかかって痛い。
ヘッドセットのコードを視線でたどっていくと、少し離れた位置にゲーム機のコントローラーが転がっている。
左スティックは親指で触れる部分がすり減っているし、Lボタンを押した感触がスカスカで、たまに武器交換に失敗する困ったちゃんだ。
「パッドは売っているお店も少ないし、壊れたら困るんだけど……」
テレビの電源を入れVirtual Studioを起動する。
「まだ夕食まで一時間あるし、何か適当に新作のプロモムービーでも観るか。……あれ? 新着メッセージ? 32件も?」
32件とも送信者はOgataSinだ。
「受信時間が昨日……今日の朝一時から四時? サーバーのトラブルで古いメッセージが再送された?」
引っ越し準備をしてゲーム機を片付けたであろうSinさんから、一時にメッセージが届くなんて、ありえない。
過去に何度かメッセージの到着が遅れたことがあるし、古いメッセージがまた届くというトラブルも一度あった。
今回もサーバートラブルだろう。
「念のため再生しておくか。一番古いやつを選択して……と。……無音。やっぱりサーバートラブルで空メッセージが届いた?」
停止ボタンを押そうとした瞬間。
『……Hey』
たったそれだけで、ボイスメッセージは終わった。
「ん?」
聞き間違いかと思い、テレビの音量を上げてから、もう一度再生ボタンを押す。
『……Hey』
15秒あるメッセージの最後1秒で『Hey』とだけ聞こえる。
アリサの声だ。
え?
昨日の夜、じゃなくて、今朝、アリサがメッセージくれていたの?
二つ目のメッセージを再生する。
『あ、あはっ……。録音時間、終わっちゃった……。えっとね、あのね……』
何か言いにくそうにしているうちに、メッセージは終わる。
声だけ聞くと凄く大人しそうな子なんだけど、本当にアリサなの?
ローキックしたりFuckを連呼したりする少女と音声とのイメージが合わない。
三つ目のメッセージを再生する。
『なし。いまのなし。へ、変なメッセージ送っちゃって、ごめんなさいです。え、えへへ……いつもと違う声だから驚いた? 驚いたです? えへへ。は、初めまして、私、アリ』
早口のメッセージは終わった。
一つ目のメッセージと違って、アリサらしい元気な口調だった。
『うーっ。変なところで切れた!』
「なに怒ってるんだよ。自分で録音中止ボタンを押したんでしょ。それに、メッセージの確認や、録音のやり直し機能があるじゃん」
四つ目のメッセージを突っこみながら聞き、次のメッセージはどれくらい慌てているのか期待しつつ、再生。
『初めまして。OgataSinです。ふだんと違う声で驚かせたらごめんなさいです。いつもカズとボイスチャットをしていたのは姉です』
「あれ? めっちゃ冷静じゃん。あー。前のメッセージから30分も経ってる」
メッセージの到着時間を見る限り、アリサは30分近く、自分のミスに怒り狂っていたか、恥ずかしくて狼狽えていたようだ。
どっちだろう。前者かな。
ファック連呼しながら、床を踏み鳴らしていそうだ。
『あ、明日は、あの、その……。一緒に遊んでくれると、嬉しいです。楽しみにしています……です。私の日本語、変じゃないですか?』
再録音の機能に気づいたのか、メッセージは途切れることなく入っていた。
「なにこの丁寧な挨拶。めちゃ猫被ってるじゃん。つうか、わざわざメッセージを送ってくれていたのか。……けど、夜中に送られたら気付かないよ」
五つ目、六つ目、次々に再生していく。
『明日はいつもみたいに、アリサはM16を使うね。でも、カズがアサルトライフルを使いたいなら、アリサは援護でも良いです』
ゲームの話題が続くかと思えば、
『なんか全然、眠れないです。えへへ……。明日の朝、起きれなかったらどうしよう』
無関係なメッセージもあった。
『ねえ。カズは黒髪と金髪だとどっちが好き? ちっちゃくて金髪の女の子のことって、どう思いますか?』
「ちっちゃくて金髪って、おもいっきり自分のことじゃん。というかアリサ、このメッセージを僕たちが会った後で聞くってこと、分かってないの?」
『明日、待ち合わせ場所で私に気付いてくれるかな……。気付いてくれたら嬉しいな。アリサはカズのこと、絶対に気付いてあげるからね』
「無理だって。過去の会話から、僕がアリサのことを外国人だなんて知ることは不可能なんだし、声から姿を想像しても、別人じゃん。気付けないって」
『ゲームの試合が終わったら、一緒に遊ぼうね。イベントのホームページを見たら、いっぱい遊ぶ場所があるみたい』
「あっ……」
『屋台も色々あるんだって。アリサ、お祭り行ったことないから、凄く楽しみです』
僕は思わずコントローラーを落としかける。
ようやく馬鹿な僕にも、昼間にアリサが怒った理由が分かってきた。
『えへへ。いっぱい聞いてごめんね。明日はカズもアリサにたくさん聞いていいよ。私はカズのこと、色々と知っているけど、カズは私のこと、ぜんぜん知らないもんね。私ね、人とおしゃべりするの苦手だけど、きっとカズだったら平気。だって、ずっとカズが喋ってるの、聞いてたもん。明日は、いっぱい、いっぱいお喋りしようね』
画面がゆっくりと滲んできた。
目元を拭い、メニュー画面を確認すると、メッセージの送信時間は何度見ても、深夜の一時から四時だ。
アリサは一緒に遊ぶことを一晩中ずっと楽しみにしてくれていたのに、僕は期待を裏切ってしまったのだ。
アリサはゲームの観戦なんかしたくなかったんだ。
僕と一緒にイベント会場を見て周りたかったんだ。
アリサは二年間一緒に戦ってきたゲームフレンドと会うことを心待ちにしていた。
たくさん、お喋りしたかったんだ。
きっと、喋れなかった二年間、伝えたいことがいっぱいあったんだ。
いや、そんなことは、アリサが泣いたときから、分かっていた。
でも、僕は勝手に、「僕なんかが人から好かれるはずがない」と思いこんでいた。
ふたりの間に壁を作ってしまっていたんだ。
僕も昨晩は、同じように眠れない時間を過ごした。
楽しみだったから。
僕とアリサは今まで一度も会ったことがない、声だけの知り合いだった。
それどころか、会話していたのは別人だ。
でも、2年もの間、共に戦場をくぐり抜けてきた最高の相棒だ。
発売から五年も過ぎてオンラインプレイヤーも減って過疎り始めたBattle of Duty Ⅱで毎日のように一緒に遊んだ……。
それはきっと、引っ込み思案なコミュ症の僕が口にすることすら憚られる、友達という関係……。
いいや、もしかしたら、親友かもしれない。
「何で、僕はここにいるんだよ……」
たった二日だけのイベントの、初日が終わろうとしている。
次に会う機会は、もうないかもしれないのに。
目元に溢れてきたものを拭い取り、次のメッセージを再生した。
『カズってやっぱサバゲーとかするの? ハゲなの? マッチョなの?』
メッセージを重ねるうちに、だんだんと被っていた猫の皮が剥げてきて、遠慮がなくなっている。
『別にカズがゴリラみたいでも、アリサ気にしないよ。ジェシーはカズのこと、身長も体重も平均的な男子高校生だろうって予想してた。本当? カズ、ゴリラじゃないの? カズ、理屈っぽいから、眼鏡かけてると思う。眼鏡ゴリラ?』
「眼鏡かけてないし。理屈っぽくないし。なんでアリサの中で、僕はゴリラになってるんだよ……」
30分近くかけてメッセージを聞き、最後に一通、未開封のメッセージが残った。
今朝、おそらくアリサが家を出る直前に送信したであろう、最後のメッセージだ。
指が震える。
アリサは最後に、いったいどんな想いを僕に届けようとしたのだろう。
それはきっと、僕が裏切った想い。
『これから聞いているよね? 古いメッセージ全部消して。もし聞いたら許さないからね!』
早口で告げた後に音が途切れるが、未だ再生時間は半分だ。
ハッキリとは聞き取れないが、遠くからジェシカさんの声が混じっている。
早く片付けろ、出発だと急かしているようだ。
メッセージは無言になってから数秒が経ち、残り10秒になってからが、本当に最後の言葉だった。
『……お友達になってくれてありがとう。今日は楽しかったです。また明日も会えるのを楽しみにしています』
僕は手が脱力し、コントローラーを落としてしまった。
アリサは最後の最後で、メッセージを見るのが、僕たちが出会った後だと気づいたのだ。
そして、アリサの思い描いた今日では、僕達は当たり前のように楽しい時間を過ごしていた。
「……ごめん、アリサ」
自分が情けなくて、涙を堪えきれなくなった。
アリサは僕なんかと友達になりたかったんだ。
それなのに僕は女の子との会話の仕方が分からずに、いじけて家に帰ってきた……。
もう一度、最新のメッセージを聞く。
『……お友達になってくれてありがとう。今日は楽しかったです。また明日も会えるのを楽しみにしています』
最悪だ!
僕はアリサを裏切ってしまった。
二年間共に死線を潜り抜けてきた相棒の信頼を裏切ってしまった!
BoDⅡはオンラインサービスが終了してしまった。
次にアリサがハマるゲームが、僕と同じとは限らない。
もし、お互いに異なるゲームで遊び始めたら、もう二度とアリサと遊ぶことはないかもしれない。
それどころか今日の出来事で気まずくなってフレンド登録を解除したら……。
オンラインゲームで二年間かけて築いてきた関係が、現実世界でたった数時間一緒に過ごしただけで壊れてしまうなんて……。
「いや、決め付けるなよ。まだ六時前だ。『今日は楽しかった』というのを、嘘のまま終わらせたらいけない。まだ、本当にできる!」
僕は手提げ鞄とスマートフォンを掴み、部屋を飛びだした。
階段を下りるときに転げ落ちそうになり、注意してきた母さんに「出かける!」と叫び返す。
踵を踏み潰しながら靴を履き、家から転がりでる。
間に合わないかもしれない。
アリサはもうイベント会場には居ないだろう。
でも……。
それでも僕は!
家でただ明日を待つだけなんて、嫌だ!
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