18:苦肉の策を講じることが、最善の策

   …… ZZZ ……



 嶺吾れいあたちの元に合流してから、治療現場は激化し、混戦状態にもつれていた。


 海から際限なく這いずるように出てくるものと、地中から突然現れる二種類のメアを一度に相手しているため、メアに向ける注意の方向がバラバラで、一時も気が休まらない。


 そんな中でも、嶺吾は【言葉】巧みに、桐谷きりたにさんは【雷】を落とし、木下きのしたさんは【波や渦】を用いて、各々が【PTSD】を想起しながら相殺そうさい治療を行っている。


 もちろん、僕もすでに夢充していた。

 三連休中にストレス値の浄化が出来ていたことで、相殺治療を行える時間に余裕があったからだ。

 それでも、ストレス値の過度な上昇などを避けるために、仕組みや構造を理解し、尚且つ、メアから一定の距離をとって戦える武器を創造し、時間稼ぎをする必要はあった。

 現状を俯瞰ふかんした結果、構造が単純で部活の経験もあった弓矢を用いて、嶺吾たちが対峙するメアを形成している質量を崩し、足止めをしている。


 突如、地面が大きく揺れ動き、海の方角より砂浜を盛り上げながら、なにかが潜行せんこうしてきたのが見えた。


「でかいのがそっちいったよ!」


 僕が嶺吾に注意喚起を行ったのも束の間、それとは別のメアが僕の目の前に地中より湧き出た。

 それはイソギンチャクを模した形で、無数の触手を携えている。

 そのメアも利口で一番戦闘力の小さいのが僕だと分かっているのか、他に目もくれない。


りんそっちの奴は大丈夫か⁉ 木下、フォロー回ってくれ!」

「大丈夫、僕だって今は夢充してるんだ、メアの大なり小なりなんて些細な問題だよ」


 弾力を含み、弧を描きながら打ち付けられる触手をいくつか見切りながら、回避不能な複数方向からくるものは、想像で創造した砂壁を用いて軌道を反らす。


 僕の【想像の定型文アウェイクワード】が触れたメアを消滅させるものだとしても、今までの経験上、大型のメアは分裂などを行うため、触手ごときにそれを使うなんて、触れ損と言わざるを得ない。


 雨のように振り下ろされる触手をくぐり抜け、ようやく胴体の近くまで迫る。


「ここならどうだ! 後悔――【なにも掴めなかった手】!」


 突き出した磨りガラスのような右腕が、メアの胴体根本に触れた後、一秒ほどの時間をかけながら蒸発していく。


 やはり、メアの質量によって消滅までの時間に誤差はあるが、他の治療医を見ても類を見ない治療速度なのは自負している。まあ、デメリットは大きけれど。

 苦戦を強いられるわけでもなく、あっけなく終わったように見えても、僕の身体に掛かる疲労は常人の比ではない。


 今も過去の治療と同じように、患者のストレスの基になった記憶が頭に流れ込んできて、吐き気を催すほどだった。

 それでも、嶺吾たちの方に現れた別の大型メアを前に、弱気になっていてはいけない。


 今すぐに、相殺治療で貢献ができないのは頭でわかっているため、即席でさっきまで手に持っていた弓矢をより大きく、そして、据え置き型の弩砲バリスタへとイメージを組み替える。


 理論、理屈、原理に構造、それにくわえ、ゲームなどで見た完成品のイメージを固め、頭の中で反芻はんすうし、夢界内に質量を持ったそれを部品毎に顕現させていく。

 十秒ほどで完成した弩砲バリスタの弦を横のハンドルを回して限界まで引ききり、トリガー機構に引っ掛ける。


「みんな、一気に分散させるから離れて!」


 メアと対峙する嶺吾らに合図を送ったあと、痙攣けいれんするように震えていた弦の緊張を解く。

 弦がレール上をなぞりながら元の位置に戻る際、設置されていた矢をさらい、それが射出された。


 甲高い空を切る音と、ほぼ同時に、矢はメアにめり込み、内部でドラム缶が破裂したような爆発音をあげる。

 だが、この方法でメアを相殺できるわけではなく、それを形成するストレス分子の質量をそのままに、分裂させることしか叶わなかった。


「凛ナイスアシストだ、これなら。言の覇【崩落ほうらく】!」


 嶺吾は、一枚の板塔婆いたとうばを構え【想像の定型文アウェイクワード】を放つと、分裂したメアのいくつかが言葉の意味通り、ボロボロに砕かれた。


 少し離れた場所では、桐谷さんが三本の避雷針に見立てた槍を等間隔に地面に突き刺し、それらを結ぶ範囲内のメアを、飛び交う無数の雷でこんがりさせていた。


「――先輩あぶない! 警報【せきを切る大波】」


 そんな治療風景に見とれていると、分裂したメアのいくつかが僕の方に向かってきたようで、フォローのため、駆け寄ってきていた木下さんが叫んだ。


想像の定型文アウェイクワード】により顕現する大波はダム放流、もしくは鉄砲水と表すにふさわしいほどのすさまじい水圧で宙を舞い、メアに風穴を開ける。


「間一髪の所でしたね!」

「ありがと、助かったよ」


 にっ、とはにかみ木下さんにお礼を言うと、安心したようで胸を撫で下ろしていた。


   …… ZZZ ……

         

 お互い背中を預ける形で再度編隊を組み直し、落ち着いてメアの総数や特徴を分析しようとするが、神出鬼没に現れるメアによって編隊を崩される。

 こんな状況では、夢界内にいる患者の居場所なんて正確に分析できるはずもない。


 そう思っていた矢先だった。


「……それにしてもだいぶ海の方に近付かされちゃったわね」

「そうですね、なんだかまとまる度、こちら側に逃げざるを得ないような湧き出方をしている感じがしますね」


 度重なる疑問と、バラバラになった先でメアを相殺治療して戻ってきた二人の何気ない意見を聞いて、ある推察が一つだけ浮かんだ。


「嶺吾、夕君って劇場型の悪夢だったよね?」

「ああ、そのはずだが」

「ならどうして、僕らが今いる辺りだけメアの湧きが多くて、他の場所にメアが興味を示さないんだろう」


 僕の問いの意図としては『患者の捜索をするにあたり、前提条件に入れていた劇場型悪夢が現状違う形に変化しているのではないか』というもの。

 前提として劇場型は感染者に対し、同一体験をさせようと襲いかかる特徴があるが、第一優先は発症者だ。


 他に危険視する悪夢の形は、支配型と抽象型と呼ばれるものが存在する。


 前者支配型は、発症者がメアの主導権を無意識に握り、感染者に襲い掛からせる特徴がある。

 しかし、その行為でストレス値が溜まるため、発症者の負担が増える。


 後者抽象型は、ピカソ型とも呼ばれるほど奇々怪々なもので、景色が曲がったり、無機物が擬人化する程度だが、他の型と合併することで危険度が増す。


「た、確かに凛先輩の言われている通り、違和感はありますね。――もしかして!」

「……そうね、患者様に心情の変化が生じて、支配型に変位した可能性はあり得るわね」

「抽象型ではないことは確かだからな、……だとしたらまずくないか?」


 そう言った嶺吾は、ちらりと海の方向を見る。

 そこには相も変わらず、薄気味悪い紺色が淀んでいるだけ。


「だとしても今のはただの仮説で、もしかしたらそうなのかなって」

「万が一、その仮説が正しかった時、俺らはこんなところで、無駄に消耗戦を続けるわけにはいかないぞ」

「……その場合、患者様がいる場所は、メアのやってくる方角から見て海中、かしら」


 確かに、今は仮説として話を進めようとしていたがそうだと前提で考えれば、メアが枯れるのを待つには分が悪いことを、ここにいる全員が理解できていた。

 だからと言って、迂闊に手が出せないというのも理解できる。


 あの紺の密度が高い海中のどこにいるかもわからない患者を探しにいくには、いささか危険すぎるからだ。


 その反面、可能性が一でもあるのであれば、誰かがいかなければ患者の生命にかかわってしまう。

 でも、そうだとしたら、やることは決まっている。


「僕が、いってくるよ」

「凛先輩、それは一番危険な選択肢です、私がいきます!」


 僕の決断をぴしゃりと跳ねるかのように、木下さんが声をあげる。


「……そうね、湧泉わきずみさんがいくのだけは、私の目が黒いうちは絶対ありえないわ」


 それに続くように、半ば威圧的に僕を止めようと、桐谷さんは言葉尻を鋭く尖らせた。


「……」


 ただ、嶺吾だけは珍しく即答できずに、頭を悩ましていた。


「……れ、嶺君? どうしたの?」


 桐谷さんも、普段と反応が違う嶺吾に違和感を覚えたのか、心配そうに声を掛けた。

 それでも嶺吾はなにも答えず、黙ったまま一人で結論を出したようで、二つの板塔婆を取り出し、それぞれ文字を書き込むと、僕に突き出す。


「確かにそれが正しいかもしれないな。ひじりも木下も治療装衣が剥がれてきている。俺がゆうを探しにいけば、戦力の要は、現状、一番ストレス値に余裕のある凛になるだろう、言ってる意味わかるよな?」

「……っ⁉ でも、私はまだ、……分かってる。そうね、答えのある質問に時間を掛けるほど悪い頭ではないわ」


 桐谷さんは嶺吾の言わんとすることに理解を示し、首を縦に振ってくれた。

 それでも、嶺吾が苦肉の策として言っていることは、悟っただろう。 

 今から僕がいくのは海中、ストレス残留記憶分子の密度は濃く、あまりにも賭け要素が強いから。


「ありがとう嶺吾」

「その二つの効力は持って二分も無いだろう、絶対に過信はするなよ」

「わかった。それを引き際にするから、こっちは任せたよ」

「駄目です‼ ぜーったいに駄目です‼ 私がいきます!」


 自分の介入なしで勝手に話が進んだことに我慢ができなかったのか、木下さんが背伸びをして嶺吾から板塔婆を奪い取り、海の方へと駆けた。

 僕は反応できなかったが、嶺吾は予測し切っていたのか踏み込んで加速すると、一瞬で木下さんの前に立ちふさがった。


「っ! 廣瀬ひろせ先輩邪魔しないでください!」

「木下、お前がいってどうなる。今の自分を客観的に見ての判断か?」

「でも、でも、凛先輩の相殺治療が、人よりストレス値を多く貯める副作用なのは私も理解しています! それなのに、いかせられるわけないじゃないですか!」 


 木下さんは僕のためを思って言ってくれているようだが、嶺吾は気まずそうな顔を浮かべ、なにやら耳打ちをすると、木下さんはひどく狼狽していた。

 なにを言われているかは聞こえなかったが、そのあとも、二言ぐらい付け加えられているようにも見えた。


「……だとしたら、……私は、でも……分かりました、凛先輩を信じます。……むちゃ、しないでくださいね」


 長い沈黙の末、木下さんは板塔婆を僕に返すと、桐谷さんの方へと歩いていった。

 ついで、嶺吾も僕の横を通り過ぎる際、激励に似た気遣いを口にする。


「尻拭いはしてやるから思う存分やって来いよ」

「僕が片付けちゃって、不完全燃焼にならないようにね」


 僕も思いっきりひねくれた返しをすれば、先ほどの暗い表情とは打って変わり、いつもの気さくな嶺吾へと変わっていた。


「じゃあみんないってくるね、そっちは任せたよ」

「無茶するなよ」

「……怪我だけはしないでね」

「ううう、気を付けてくださいね」


 なんだか気に掛けたはずが、全員に心配されるという既視感があるような光景になってしまった。


 逆にそれに対して謎の安堵感を覚えていると、海の方角よりくぐもった地鳴りが聞こえ、無数のメアがこちらに向かって来るのが見えた。


 まるで悪夢自体が海への侵入を拒むかのような反応に、僕らの仮説もいよいよ確信に変わる。


「本腰を入れて来たか。凛、俺らがここでメアをおびき寄せる間にお前は夕の元へ急げ!」

「了解、じゃあみんな頼むよ。ほんとに気を付けてね」


 そう言い残し、僕は一人だけ迫りくるメアに向かって走り出す。


「使わせてもらうよ嶺吾のトラウマ。……同調どうちょうPTSD、言の覇【閑却かんきゃく】、【拒絶きょぜつ】」


 道すがら、手のひらサイズの板塔婆を口の前に構えると、嶺吾がそれに込めたイメージが頭に流れ込み、自然と、口が動かされていた。

 ほとんど無意識のうちに出た【想像の定型文アウェイクワード】を発した直後、ドーム状の膜が現れ、それが形状を維持しながら、僕の動きに追従する。

 そのまま押し寄せるメアへ突っ込むが【拒絶】により展開された膜がメアを退ける。

 さらにもう一つ【閑却】の効力が発動し、メアは一切僕を感知せず、嶺吾たちの方向へと一目散に流れていく。


 囮を引き受けてくれた嶺吾たちの負担をいち早く減らすため、足早に海へと足を踏み入れると、【拒絶】が海水の侵入を拒み、水の抵抗を感じさせず、少しだけ不安が削がれた。


   …… ZZZ ……


 それから、僕は慎重に一歩ずつ視界の悪い海の中を進んでいくも、さっきまで足のついていた海底が突如として崩れる。

 おそらく、海底へと続く斜面に差し掛かったのだろう。


 ドームが海水を割きながら、ゆらゆらと海底に向けて落下していく中、不思議と光は刺していないのに、底に近付くほど海の黒さは薄れていく。


 ほどなくして明かりは底を照らし、その全貌を見せてくれるが、海底には驚くほどなにもなかった。

 生き物も無機物もそれ以上も以下もなくメアも存在せず、静かな世界が広がっていた、たった一つを除いて。


 なにもないおかげで、異様に存在感を放つそれだけが目立つ。

 海底から顔を覗かせた黒い球体がこぽこぽと泡を噴いている。

 それがチリツモ理論で上の真っ暗な景色を作っているようだ。


 海底に足が付いた。


 さっきまでの浮遊感が体から切り離され、代わりに鉛を巻き付けたジャケットでも羽織はおらされたかと感じるほど、身体の動きが鈍くなる。

 それが錯覚ではなく、ストレス残留記憶分子の濃度により起こる弊害ラグだと気づくのに、時間はいらなかった。


 なんとか身体を引きずるように球体に近づいていくと、さっきまでなんの反応も表さなかったそれが、急激に胎動たいどうを始めた。


 縦横無尽にトゲを伸ばす威嚇とも取れる行動を慎重に警戒しながら進むが、それが仇となった。

 何気なしに威嚇だと捉えていたが、その実【閑却】の効果が切れたことによる反応だと気付いたのは【拒絶】の効力も同様に失われ、ドームの外形が保てなくなり、海水が浸水し始めたからだった。


 それにともない、上空で黒い海を形成していたメアもこちらに反応を示し、編隊を組み上げ迫ってくる。

 焦りも相まった結果、僕は敵意に臆することなく、侵蝕しんしょくした水を掻き分けていき、黒い球体を前腕の射程リーチ内に構え、覚悟を決める。


「本格的に時間がねえな、こうなったらままよ!」


 突き出した右手が球体に触れた瞬間、視界が闇に迷い込んだ。



   …… ZZZ ……

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