第四夜 ボクト悪夢ト光届カナイ底

17:海原は広く、どこまでも深く

   …… ZZZ …… 



 視界に遥か彼方まで広がる水平線を捕えて数秒、脳はここが夢界の中だと認識し始めた。


 夜空に煌く無数の星々が明かりをもたらしているからか、人工灯が辺りに見当たらなくても視界は開けており、周りの情景も輪郭がはっきりと分かる。


 砂浜に突き刺さるビーチパラソルは波風で煽られ、昼間のそれとは違い人気のない海の家は閑古鳥かんこどりを鳴かせているなど、妙な現実感を醸し出していた。


 ただ、眼前に構える大海原が妙に不安や焦燥感を駆り立ててくる。


 プランクトンの死骸が放つ匂いは恐ろしいほど鼻を刺激し、光を一切透過させない紺色は、奥でうごめくなにかを隠しているようで、心胆しんたんさむからしめる。

 それを助長するように、他の治療医が周りに見当たらず、不安の芽が成長していく。


 ただ、同様にメアの姿もなく、おかげで一時的な安心に繋がる。


 とりあえず、嶺吾れいあたちと合流する前に夢界の感覚を掴むべく、手始めにあまり力を入れず砂浜を踏み込み、跳躍する。

 直後、その反作用に見合わない場所まで僕の体は浮き上がり、思わず声が漏れた。


 がしかし、時間が経過すると加速をつけながら体は落下してしく。

 その道中、頭の中で着地時にどこに負荷が掛かるのか、また、それをどう分散させるかイメージを固め、砂を巻き上げながら着地する。


 現実世界なら確実に足が折れ、下手すれば死んでもおかしくない衝撃が加えられたはずだったが、明晰夢めいせきむ状態を利用すれば話は別だ。


 大抵、突発ナルコレプシー性発症者の夢界は、高濃度なストレス残留記憶分子に満ちている。

 それには悪夢そのものを構成する他、発症者や感染者の動きを鈍くする働きが内包される。


 例えば、熱にうなされ、脳が疲弊した際に見る悪夢にもこの分子が多く含まれており、うまく動けなかったり、話せなかったりする現象を引き起こす。


 もちろん、僕らも例外なくこの分子の影響を受けるが、自分の持つストレス残留記憶分子がそれを相殺しているおかげで、イメージの相違ラグを減らしている。

 僕の意識が確立してから少し経った。


 引き続き、身体の動きに遅れが無いかを試していると、視界上に三つの靄が現れる。

 それらは次第に人間のシルエットを作り上げ、一人ずつ時間差で嶺吾らを顕現させる。

 これで治療に当たる医師が患者の脈動が作る磁場に脳波が同調し、感染したことになる。


 空間を認識しようと辺りを見渡していた嶺吾が、僕に気付いたようで、足早にこちらに向かってきた。


「棒立ちのひじりたちを見るに、りんが一番乗りだったみたいだな。俺らが来る前に危険なことしてないだろうな」

「僕もちょうど今さっききて、感度を確かめていたところ。ちなみにその間、近くにメアは確認してないよ」


 少ないながらも得た情報を共有していると、僕の元に遅れてやっていた桐谷きりたにさんと木下きのしたさんは、絵に描いたような疑念を抱いた表情を張り付けていた。


「……あのストレス値で夢界がこんなに静かなのは不思議ね」

「私も同様の第一印象です。身体の動きは重たいですが、近くにメアも見えないですし」


 桐谷さんに賛同し木下さんも疑問を口にしたが、二人の意見は統計上正しく、それには僕も頷けた。


 本来、発症者のストレス値が高ければ高いほど害を成すメアの湧きも多く、意識が確立して早々、目の前にメアがいた、という事例も全体を見れば珍しくない。


「逆に好都合と捉えて、今の内に悪夢内の患者さんを探して夢幻肢痛から保護しないと」

「確かにそれもそうだな。とりあえず俺と凛であそこに見える海の家から向こう側を探すか?」


 自然な流れで持ち掛けられた提案に、僕は何気なしに了承しようとしたが、木下さんが別の提案を持ちかけた。


「いえ今回は突発ナルコレプシー性発症なのでメアの数も多いはずです。組み慣れたパートナーで治療をした方が早く治療が終わり、患者さんのためになるかと思います」


 それこそもっともな意見だったが、なにやら嶺吾と桐谷さんは、複雑そうな表情を浮かべていた。

 もの言いたげそうな嶺吾の腕を、桐谷さんは掴むと、首を左右に振った。


「……確かに木下さんの言うとおりね。嶺君、私たちが向こうを探しましょう。……早く治療をしてしまえばいい、それだけ。いつも通りの仕事よ」


 桐谷さんは、優しく宥めるように諭すと、嶺吾も落ち着きを取り戻したのか、自分の意見を飲み込んだ。


「じゃあ俺らはこっちを担当するから、木下、凛を守ってやれよ」

「おいおい嶺吾、僕が木下さんを守るの間違いじゃないのか?」

「そうですそうです、私がフォローしなくても、凛先輩の相殺治療ならどんなメアでも一撃ですもん」

「まあそうかもしれないが、凛の治療はメアに触れるのが前提で、患者のストレスに感化されやすいからな、あんまり無理しないよう、見張っておいてくれ」


 そう言い残した嶺吾は、桐谷さんを連れて、足早に自分たちの捜索範囲へと向かった。


   …… ZZZ ……


 僕らは手分けしてパラソルの陰や岩場など、患者が隠れている可能性が高い場所を大方探し尽くしたが見つからず、捜索は難航をきわめていた。

 他に隠れられる場所の見当も付かず、木下さんの表情に焦りが見え始める。


「堤防の上、林の方はどうでしょうか? この辺りにもメアを見ていませんし」

「うーん、だとしても多分、あっちにはいけないと思うよ。ちょっと離れててね」


 僕は自分の仮説を証明して見せるため、手ごろとは思えない大きさの流木を持ち上げ、雑木林の方角へと放り投げた。

 すると、それは雑木林に飲み込まれるようにして、形が認識できなくなった。


「やっぱり、あそこが夢界範囲の端っこみたいだね」

「みたいですね、ということはやっぱり海の中なんでしょうか。劇場型の悪夢にはあまり考えられない事象ですが」


 苦笑いを浮かべる木下さんと、僕も同じ考えではあったが確信を持てなかった。

 海の中となると息ができない、正確に言えば、水中で呼吸をする想像をしないといけないからだ。


 僕らのように治療研修である程度訓練していたとしてもやりたくないことを、わざわざ患者が行うのは考えにくいが、これだけ探していないことを考慮すればありえなくはない。


 僕らが悪夢に感染している時点で、患者がこの夢界内で死んでしまっている、という最悪の事態は考えられない。

 だからこそ、僕は夢界内にきてから違和感が拭えず、内心の焦りが言動に現れていた。


「にしてもメア、まったく見ないですね……」


 砂浜の奥にあった堤防付近に集まる消波ブロックテトラポットを持ち上げながら、木下さんが呟いた。


「そうだね、普通なら夢界に侵入してきた者を優先して狙うはずだけど、――おおっ! 桐谷さんが治療を始めたみたい⁈」


 応答の最中、嶺吾たちがいる方角から耳を劈くほど巨大な破裂音と、地面の揺さぶりが伝わってくる。


 恐らく、今のは桐谷さんの【想像の定型文アウェイクワード】が放たれた結果だろう、時間差でさらに大きな空気の振動が肌を撫でた。


「噂をしたら出たっぽいかな?」

「かもしれないですね、わわっ! えっ、メア⁉」


 木下さんも、状況が変化したのを感じ、慌てて持ち上げていた消波ブロックテトラポットを地面に置こうとした。

 その瞬間、地面から生えた黒い腕が木下さんの足首を掴み、地面に引き倒そうとする。

 意表を突かれ、体を傾かせながら声を上げる木下さんの腕をつかみ、引き上げる。


 木下さんは明晰夢下において身体強化にイメージを寄せるのではなく、反射神経など、第六感を高めることを得意としている。

 それにも関わらず、自分が反応できなかったことに驚きを隠せなかったのだろう。


「い、今のメアでしたか?」

「恐らくね、でも全貌が分からないから、なんとも言えない」

「この濃度の中だと相違ラグが酷く、いつも通りを保つのに精一杯でしたが、少しばかり無理をしないといけないみたいですね。凛先輩は平気ですか?」

「え? 平気もなんもイメージの相違ラグなんて一切――木下さん下がるよ!」


 メア出現の前兆を感じ、地面から湧き出たメアから逃げるように僕は木下さんを抱え、いったん開けた場所まで後退し、警戒を続ける。


「凛先輩、危ないっ!」


 なにかに気付いた木下さんが、咄嗟に僕らを覆う砂の壁を想像し、創造する。

 直後、それがなにかを食い止めるように大きな衝撃音を放ち、亀裂が入ると、一メートルほどの肘から先を模した黒い腕が見えた。


 その破壊力は、砂の壁を突破するには十分すぎる威力だ。


 木下さんが稼いだ一瞬の時間、僕らは攻撃の軌道から逃げるように急いで飛び出す。

 次の瞬間、僕らがいた地点には大きな拳が突き刺さり、砂を巻き上げた。


 体勢を整え、悠然ゆうぜんと構えたメアは手に付いた水分を飛ばすように掌を振ると、周囲に振りまかれた黒い霞から、新たに小さい黒い腕を出現させ始める。

 あっという間に、僕らの周囲を囲むように現れたそれは、完全に敵意が剥き出しのメア。


 形のモチーフはわからない。

 発症者の抱えた【父親との遊泳中、足に絡まった海藻に引っ張られ、浮き輪から離れて溺れた】という恐怖心が作り出すモチーフは、本人の想像力に任される。 


「いったん、これをどうにかして、聖先輩たちと合流しましょう」

「そうしたいけど、この数を突破しようにも、僕の相殺治療では厳しいから任せられる?」

「任せてください、多勢を相手にした相殺は私の専売特許ですから!」


 胸を大きく前に突き出し、心持ち得意にふんぞり返ると、覚悟を固めたようだ。


「それでは相殺治療を始めます、――【夢充】!」


 言葉に呼応した木下さんの体内から黒い靄が溢れ出し、秒も掛からない内にその小さな身体を飲み込むと、今度は体表面に集まっていき、さっきまで着ていた黒衣とは違う『迷彩柄のセーラー服』を作り上げた。


「いきます、PTSD想起! 警報【すべてを流す大波】‼」


 治療装衣に身を包んだ木下さんが【想像の定型文アウェイクワード】を唱えると、どこからか重苦しいサイレンが聞こえ始め、地面から黒く濁った水壁がせり上がる。

 それは瞬く間に、視界を覆うほどに成長していき、


「押し流して!」


 号令を皮切りに、ビルが崩壊するような轟音を立て、前方へと雪崩なだれる。


 濁流は形あるものすべてを壊すほどの威力を以てして、大型のメアをはるか後方まで押し流し、周りにいた小型のメアは相殺されたようで、確認できなかった。


 時間経過で濁流が消えるとその威力がいかほどのものだったかが、明白に感じられた。

 砂浜を抉り、ビーチパラソルや近場の消波ブロックテトラポットなどが、終着点である波打ち際で、もみくちゃにされ、原形を留めていない。


「凛先輩の手なんて煩わせるほどでもないですね」


 ふん、と胸を張る木下さんだったが、立派な双丘がセーラー服を持ち上げ、おへそが見え隠れしていたので、思わず目を逸らしてしまう。


「僕の代わりに、その、ありがとね」

「なんでそんなによそよそしいんですか? まあ、凛先輩の副作用は理解しているので、序盤は任せてください!」


 逸らした理由が分かっていないようで、首を傾げながらも、木下さんは自信満々に胸を叩くとその弾力に弾き返されていた。


 この木下さんの自信は口だけのものではなく、今までの治療実績を見れば心強く、頼もしいものだった。


 しかし、僕らの心の優位性が保たれたのは、ほんの一瞬の間だけ。

 遠方まで押し流された大型のメアは相殺治療の影響ではじめと比べると、ずいぶん小さくなっていたが海へ潜ると、再度、元の大きさに戻った。


 その現象を視認した瞬間、水面の奥になにがあるかが、容易に想像できた。


「確証は今もないけど、あの海自体がメアの集合体かもしれないね」

「それなら合点がいきます。メアが近くにいないのに、イメージの乖離ラグが激しいことに」


 たびたび話す中、木下さんは、どうやらストレス分子の影響を多く受けているらしい。

 だが、僕には一切、その影響が感じられない。


 夢界にきた嶺吾と桐谷さんも僕に同意してくれていたから、おかしいわけではない。

 様々な可能性を危険視し、思考を巡らせていたが、元の大きさに戻ったメアは嶺吾たちの方角へと潜行せんこうを始めたため、意識をメアに切り替える。


「凛先輩、あのメア、聖先輩さんたちの方に向かいました! 急ぎましょう!」


 木下さんは自分の記憶から救命艇の構造を思い返しているのか、空中にある程度纏まったパーツを顕現させていけば、質量を持って完成したそれが音を立てて落下した。


 救命艇の船首に跨ると、進行方向を指差し、PTSDを想起する。


「波よ、私たちを導いて!」


 すると、数秒の時間差の後、救命艇を持ち上げる波が現れ、嶺吾たちの元まで僕らを乗せたそれを押し運んだ。



 …… ZZZ ……

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