16:明滅繰り返すは、命の灯

   …… ZZZ ……


 同階に設けられた親族応接室にて、僕らはお父様に状況説明することになった。


「先生、話というのは?」


 初めに口を開いたのはお父様で、僕は用意していた言葉を発する前に、端的に返答してしまう。


「――今夜。お子さんが発症する確率は十二分にあります。不安にさせてしまう発言にはなりますが、事実として認識していただきたいのです」

「な、え……まだゆうはレベル2症状だと聞いていましたが?」


 思わしくない発言に、お父様は動揺を隠し切れていない。

 それもそうだ、お父様が確認を取ったように現在、夕君の亜種夢強制共感病あしゅむきょうせいきょうかんびょうの進行具合はレベル2なのだから。


 医療従事者以外なら、発症するのはレベル3からだと認識しているかもしれない。

 ただ現実問題、そんな形式上表される『レベル』なんて概念は、時として無視されてしまう。


「本来、薬というのは患者様の体重などから、適切な効果が得られる量が割り出され、処方量が決まります。今回の場合、夕君にはストレス値抑制剤オキストリンを3ミリグラム、これを朝晩一錠ずつと出していました」


 この適切な薬の量で、夕君は昼間や入眠中の『突発的にストレス値が上昇し、発症する』という確率が大分軽減される。


「しかし、夕君は昨晩から朝飲む分を夜に回し、一度に二錠飲んでいたみたいです」


 それは僕が夕君から聞いた確かな情報でもあり、睡眠時脳活動計のグラフにも症状は表れていた。


「私が夕君に話題を振ってしまったばかりに、さっきも、本当にすみませんでした」


 自分に非があると感じたようで謝るが、この場合、木下さんが悪いわけではない。

 タイミングもそうだったがグラフに対し、常に疑念を持ち続け、疑いをかけていなかった僕ら医師全員の責任だ。


 僕は、お父様に回診前に見ていた折れ線グラフを電子タブレットで提示し、分かりやすくポイントを丸で囲った。

 ポイントは右下に向かう縦軸の睡眠時脳波が一瞬で高くなり、その後、横軸とほぼ平行になった場所。


「この縦軸が高いほど脳活動が盛んな『ノンレム睡眠』と言う浅い眠りに。低いと脳が活動を停止し、『レム睡眠』と言った深い眠りになり、本来は、この時に『悪夢』を見ます」


 次に白衣のポケットから錠剤タイプのストレス値抑制剤オキストリンを取り出し、机の上に乗せる。


 お父様もそれを見て、どういうものか知っているという反応を見せた。


「このグラフはストレス値抑制剤オキストリンODオーバードーズで、失礼、過剰摂取かじょうせっしゅで起こりえるものです。睡眠前にこの薬を飲むと、ストレスを抑制するホルモン、幸せホルモンの分泌を促し、悪夢を見た際のストレス値の上昇を軽減させる効果があります。しかし、軽減させる際の注意点として、軽減させすぎないことが挙げられます」

「といいますと?」

「悪夢を定期的に見たほうがストレス値の増加量はゆっくりなんです。一度に大きく波が来るのと何回かに分けてくる、と表現した方がいいでしょうか」

「イメージはなんとなくわかります」

「一方で、ストレス値抑制剤オキストシンを過剰摂取してしまうと、過度にストレスを抑制するホルモンを分泌させようと脳が疲弊してしまい、かえって分泌の妨げに繋がることがあります」

「しかし先生。昨晩はうまく抑え込んでいて、日中も薬なしで発症を抑えていたので、そのホルモンと言うのは、うまく分泌できていたのではないでしょうか?」


 お父様の指摘も、もちろん一理ある。

 僕も初めはそう思ったから、副作用が出ないことを願っていた。


 だけど状況がわかった今、こうなってしまったのは必然とも言えた。


「恐らくですが、今までは『薬を飲む姿をお父さんに見せる』と言う目的が、ストレスを抑制するホルモンを自発的に発生させていたんだと思います。ただ、目的を達成してしまった今……」


 そこまで聞いて、お父様は頭を抱えてしまった。

 恐らく、自分に原因がないとも言い切れない罪悪感があるからだと思うが、完全にこちらの落ち度だ。


「ですので、この場合、事前にこのグラフに潜む危険性に気付けなかった僕らに責任があります。本当にすみませんでした」 


 僕らは頭を下げるが、それをお父様が止めに入った。


「いえ、私たちも薬の副作用について聞いていたにもかかわらず、注意力や危機感が欠けていたので。なにも先生方が謝ることではありません。こちらこそすいませ――」


 お父様が謝ろうとしたタイミングで、首から下げていたPHSピッチがけたたましく響いた。

 一括入電のため、木下さんも同じタイミングでPHSピッチを取った。



『――緊急連絡エマージェンシー緊急連絡エマージェンシー。527号室で【発症】を確認。繰り返す。【発症】を確認』




 部屋番号を聞いて、嫌な予想は最悪な形で的中したことが判明した。

 僕らの表情から察してしまったのか、お父様の顔が青ざめていくのが心苦しい。


突発性ナルコレプシーか、まずいな。嶺吾れいあたちに、いや看護師さんらに今日治療予定だった患者さんにストレス緩和剤トリプトンの投与準備を手配して!」

「すぐにおこないます、りん先輩は先向かってください!」


 木下さんは僕と同じ思考をしていたのか、最適解を導くとここを飛び出て、六階へと向かっていった。


「ナルコレプシーってなんですか、うちの夕はどうなるんですか⁉」


 お父様が切羽詰まったように詰め寄るので、僕は簡単に説明を返す。


突発性ナルコレプシー発症は、ストレス値が急激に上がる際に起こる『強制睡眠状態』に移行する発症パターンの名称です。本来は、フラッシュバックなどをした際に引き起こされるものですが――」


 こうなるのだけはやめてくれよ、と心の中で思っていたが、現実はそんな優しくはない。

 昨日今日にかけて、ストレス抑制ホルモンオキシトシンの過剰分泌していた脳は疲弊し、それを分泌できないあまり、焦りからストレス値の上昇を手助けする形になってしまった。


「今回はストレス値の増加にともない、レベル変異へんいし【発症】したみたいです」



 …… ZZZ ……


 

「呼吸運動量、眼球運動量ともに低下! 酸素飽和量は減少し始めています!」

「車輪ロック解除した⁉ 早く動かすよ!」

「感染力のある『タウ波』検出確認、急いで運んで!」

「六階治療室一番、治療医用のベッド追加で二個用意して‼」


 夕君の病室は、騒然としていた。

 川口主任の指示に看護師たちは、休むことなく手を動かし続ける。


 数十分前までは開いていたベッドの電磁シールド層は、発症を感知したと同時に、心臓の脈動が生む磁場を外部へと漏らさないように密閉されていた。


 僕は看護師の中に混ざり、病室からベッドをエレベーターに押し込んだ後、階段を使って治療室に先回りする。

 そこにはすでにベッドが四つひし形に並べられており、間もなく到着した患者のベッドがそれらの中心に置かれた。

 看護師からは焦りの表情が見えるが誰一人干渉することなく立ち回り、ベッドに収納されているモニターなどの設備を展開していく。


「凛、夕の様子はどんな感じだ?」


 遅れて桐谷さんらがやって来て、開口一番に嶺吾が尋ねた。

 嶺吾は、子供の患者らと僕ら以上に距離感近く接しているため、傍から見て分かるくらいには焦っていた。


「今はこんな感じで、わりとやばいかもしれない」


 僕は患者のベッドから伸びるモニターの睡眠活動計のグラフを指差すと嶺吾は察する。


「この下落の仕方、突発ナルコレプシーか⁉ 夕の悪夢は確か劇場げきじょう型、あんまり悠長にしている時間がないな。ぐずぐずしてると、夕が死ぬぞ」

「……れい君、縁起でもないこと言わないで。そうならないように私たちがいるんでしょ」


 桐谷さんが熱くなる嶺吾を止める。


 ただ、嶺吾の言っていることは、正しい。


 活動計を見れば入眠開始直後から、すとんと折れ線グラフが下に急降下し、現在、睡眠時脳波ゼロヘルツを示していた。


 劇場型の悪夢を再体験する夕君は、すでに悪夢の中でメアから障害を受けている可能性が高く、夢幻肢痛が発生していてもおかしくはなかった。


「湧泉治療班が亜種夢強制共感病あしゅむきょうせいきょうかんびょうの治療に当たります。万が一の干渉により、磁場の漏洩ろうえいが懸念されますので、治療室全体に電磁シールド層の展開をお願いします」


 一刻を争うため、看護師ら役目が終わったことを確認すれば、いつもの定型文を述べる。


 治療医だけを残した睡眠治療室は、照明が落とされる。

 薄暗くなった室内で患者のベッドだけが、異様なほど赤く明滅を繰り返す。


 それが今まさに、悪夢に魘される患者の心情を映しているようで、どうしようもなく僕の胸を締め付けた。




   …… ZZZ ……


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