11:逢いたくて、遭いたくない
…… ZZZ ……
「――で、最近悪夢ってどんな頻度で見るんだ?」
「ぶっ、ごほっ、っ⁈ んんっ‼」
カウンター席に並んでコーヒーを
絶賛、命の危機に迫られている。
まじでやばいところに入ったかもしれん。
「わるいわるい、大丈夫か? 死ぬのか?」
「んんっ、ごほっ、ごぶ‼ ……ぜぇはぁ、死ぬかと思った、いや一回死んだかもしれん」
「生きてるし大丈夫そうだな、そんなことより」
と、僕の背中をさすりながら嶺吾は続けた。
「いや先週、治療が多くて患者のPTSDに触れ続けていたから、俺らもストレス値は溜まってるけど、克服したPTSDが起因の悪夢は見ないからさ」
そう切り出し、急に真剣な面立ちに変わった嶺吾を見て、僕は胸を叩き、呼吸をむりやり整え、その質問に向き合う。
嶺吾が問う今の質問の意図は簡単だが、されることに意義がある。
なぜなら、嶺吾が言うように、治療医は克服したPTSDが原因の悪夢は見ないからだ。
まず、治療医になるために必要な絶対条件は、『PTSD群
それで、ようやく保健衛生省の
この部は文字通り、人が引き起こす実体のない災害に対処するための存在であり、それに連なる特夢課は、僕らのような人間に治療資格を与える存在だ。
そこが開く研修を通し、一般的な薬の扱い方などの教養を始め、他者の悪夢の中での動き方、治療方法を学ぶ他、感受性や想像力、自分の経験から他者のストレスにどう寄り添うか、適性などを総合的に評価される。
そして晴れて、合格者だけが、各地の
以上のことを踏まえたうえで、今朝、悪夢を見たという事象は、医師になるための絶対条件を無視している証拠であり、嶺吾の質問の真意へと繋がる。
当時より、カウンセリングを担当していた姉さん
僕のPTSDは、
そんな自責の念から唯一逃れられ、あわよくば、克服できる可能性があったのは、医師となって他者を救うことだった。
最悪、治療中にPTSDに飲まれて発症する恐れもあったが、自分の抱える罪悪感がストレスの増加をある程度、抑制していると、カウンセリングの際、結論付けられた。
それをもって、当時の担当医が推薦状を書いてくれたおかげで、僕は『
嶺吾と
嶺吾らは、僕を監視しているみたいで嫌だと言っていたことがあり、その正直な想いを受け取り、何気ない素振りで答えるように心がけている。
「……そうだね。大きな治療が立て続けに入って、尚且つ、ストレス浄化がままならない日が続いたりすると、まれにみる感じかな」
医師は、治療時に自分の克服したPTSDを思い出さないといけないため、その都度ストレス値が溜まってしまう。
僕の場合は克服できていないため、人より溜まる速度が速くなっているのも問題に上がっている。
昨日も浄化に努めていたが、休養を取ることで
「そんなに見てない様子なら大丈夫だろう。俺らも極力、お前に
「通りで最近僕に治療をさせないようにしているわけか……。頼もしいけど、その分嶺吾たちに夢幻肢痛のリスクが上がるから気を付けてくれよ」
「大丈夫大丈夫」と適当に答えた嶺吾だったが、今までどれだけ無茶な治療をしてきたか知っているため、不安は払拭されなかった。
「――あ、そういえば、
「えっ? それならあのゴリラみたいな姉さんがいるのは知ってるだろ?」
「いやゴリラではないだろ。そうじゃなくて、他にだよ。ほら、意外とお前面倒見いいし、関係あるのかと思ってさ」
「いないよ、あの姉さんだけで手一杯だよ」
何気なく冗談交じりに返したが、嶺吾は、なんとも言えない表情を浮かべて、変に口ごもっている様子がすこし引っかかる。
そんな話の際中、リビング側に設けられた扉が開き、その奥から白髪を揺する
「あ、先輩方はやいですね。……んぁお」
木下さんは僕らを見ると軽く
「凛、テレビでもつけたか?」
「いや、僕は、嶺吾の携帯から動画の音声でも聞こえてきたかと思ったけど?」
「っ⁉ えっ、もしかしてまた私がちっちゃいこと弄ってますか⁈ ここですここ‼」
いつものように、打ち合わせもなく、声の出所が分からないふりをする。
「あ、おはよう。木下さんもいつもより早いね」
僕は平然を装うが、木下さんは意義を申し立てるため、ずんずん近づいてくる。
「また、私のこと探してませんでしたか⁉ しましたよね‼ 私、朝弱いんですよ‼」
とか言いつつ、ちゃんといじりには乗ってくれるあたり、根が明るくてノリがいい。
「ごめんね、次はもっと早く視野を広げるよ」
「それはフォローになってませんよ!」
木下さんは、手を広げ羽ばたかせるような動作を取り、さっきより存在を主張する。
しかし、僕も嶺吾も身長がそこそこある。
カウンター席の椅子は高く、実際の所、少々木下さんが視界に入りにくかった、という事実は
「木下、そこに俺が淹れた、めちゃくちゃうまいコーヒーあるから飲んでいいぞ」
木下さんを
『これ煎り過ぎて苦い』って言っていた、あれほど
「え⁉ ほんとですか、いただきます!」
僕が止める間もなく、純粋に嶺吾の勧めを聞き入れると、流し台の横まで駆けていく。
ただ、女の子らしく乳製品が好きな木下さんは、コーヒーを見つけると、屈託のない笑顔を浮かべ、コーヒー一割に対して、牛乳を九割投入する。
こうなってしまったら、コーヒーの風味も、なにもかもすべてが掻き消されてしまうわけだが、そうした方が飲みやすい。
ちなみに、隣で嶺吾は「あれで正解だろう」と呟いた。
木下さんは、僕らの後ろにあるダイニングテーブルに腰かけ、襟元や裾に白いフリルのあしらわれた水色のネグリジュのポケットから携帯を取り出し、操作し始める。
慣れた手さばきでフリック入力していき、間もなくして、目的のページに辿り着いたのか、画面をまじまじと眺めていた。
「今月はストレス値診断チェックの申し込みが、……月半ばに固まっているみたいですね。見てください! この辺り真っ赤っかですよ!」
意気揚々と、木下さんは携帯の画面を僕の方に向け、指を指す。
黙々となにを調べているのかと思ったら、どうやら、保健衛生省の公式ホームページを確認していたらしい。
ストレス値診断チェックは、定期的にストレスが溜まっていないかを確認するもので、目安としては、月半ばか、月末に受けることとなっている。
このホームページには他にも、来診予約のオンライン受付ができたり、夢幻肢痛被害者の報告などが載っているため、僕もよく確認していた。
それも大事な情報だが、今気になったのは、携帯の左上に映る時刻の方で、僕は慌てて嶺吾に質問を投げかける。
「そういえば、朝から僕に付き合ってて時間はよかったの?」
普段の嶺吾は、こうして一人でここにいることはほぼ無い、必ず、と言っていいほど休日の朝は二人でここにやって来る。
無駄話などをしていたら、あっという間に時刻は7時を過ぎており、僕は嶺吾に時計を見るように促す。
その直後、色を失っていく嶺吾は、血相を変え、僕を問いただした。
「なんでもっと早く教えてくれないんだ⁉ 俺がどうなってもいいのか⁈ またあいつが変な行動してたらどうするんだよ‼」
嶺吾はマグカップを置き去りにして、急いでキッチンルームからエレベーターホールへと、一目散に飛び出す。
そして自室の方を向いた瞬間、身体は硬直し、小刻みに震え始めた。
腰を抜かし、崩れ落ちると、床に這いつくばりながら僕の下へと泣きついてくる。
「ちゃ、ちゃんと証言してくれよな! 俺がなんで部屋にいなかったかを! 頼ん
だぞ!」
必死に取り繕うように僕に縋ってくる。
まあ、今回のことは、僕に非があるので証言はしようと思う。
だけど、嶺吾の後ろに立つ
「……なにを
ねっとりと、それでいて背筋が凍るほど淡々と、感情を押しとどめながら、桐谷さんは言葉を放つ。
震える嶺吾の後を追うように、共同キッチンへと入ってきた桐谷さんは、紫のネグリジュからその柔肌をふんだんにチラつかせていたため、直視が危うい。
ただ、黒いオーラを放出しながら、握りしめている携帯に110番通報の履歴があることは見逃さなかった。
木下さんは読み始めたファッション雑誌で顔を隠し、今から起こるであろう惨劇に構えたが、いい判断だ、と僕は心の中で呟いた。
今、なにかを口にすれば、飛び火がきてもおかしくないから。
「……ねえ嶺君なんでお部屋にいなかったの? ノックしても返事はないし、この前作った合鍵もなぜか合わないから、仕方なくピッキングして入ったのに嶺君いないし、誰かに誘拐されたのかと思って、私、警察に通報して捜索届け出しちゃったんだけど」
息継ぎをほとんどすることなく切羽詰まる様子でゆっくり、それでいて着実に嶺吾に詰め寄る
所々、自主規制が必要そうな言葉が聞こえてきたが、僕は絶対反応してやらない。
「まてまてどこから突っ込んでいいか分かんねえけど、それくらいで警察に電話掛けるなって先々週も言っただろ! てかもう鍵破ったのか⁉ 最速記録だぞ、変えた意味ねえだろそれ!」
「……そんなに褒めたって、ご褒美は口づけくらいしか出ないよ?」
「んなもんいらねぇ‼」
頭を抱える嶺吾に対し、桐谷さんは未来の旦那(ひろせれいあ)がいることに安堵したのか、そのまま背中にしがみ付き、がっしりと、その体をホールドする。
そして、チチチチッと音が聞こえると同時に、後ろ手に回された嶺吾の両親指は、結束バンドで固定されていた。
目と鼻の先で見ていた僕ですら気付けないほど、
された嶺吾本人が一番驚き、顔が引きつっている。
「……なにはともあれ嶺君がいてよかった……、勝手にいなくなったら私、私……」
よよよ、と泣き始める
……思っていても、口には出してない。
「ち、違うよ桐谷さん。嶺吾は僕が悪夢に魘されたのを心配して来てくれたんだよ」
僕は事態が大きくなる前に、嶺吾へ助け舟を渡す。
「そ、そうだぞ
嶺吾もその助け舟に、よし来た! と飛び乗る。
「やっぱり聖さんの嶺吾は人を思いやる心が大きいね」
「凛、余計なこんがもぐぐぬっ!」
僕は咄嗟に嶺吾の口を手でふさぎ、言葉を遮る。
こいつ、僕が出した助け舟から飛び降りようとしやがった。
いいや、そうはさせないね。
せっかく僕がフォローを入れて、桐谷さんを落ち着かせようとしているんだ、これくらいの犠牲許してほしいものだ。
まあ、原因は僕にあるんだけど。
「……ほんとにほんと? ……ならちゃんと次は書置きを残してからいってね」
桐谷さんが一呼吸ついて、普段の落ち着いた話し方に戻ったのを見て、僕はホッとした。
これで収まらなかったら、嶺吾のズボンや、さらにはトランクスまで
木下さんも、終わりましたか、といった様子で、ファッション誌から顔を覗かせる。
巣から出てきた小動物のようだ。大丈夫、もう怖くないよ。
「ああ、誓うからとりあえず、……とりあえず、まじで警察に弁明の電話をさせてくれ」
「……ええ、いいわよ」
軽くそう言って、桐谷さんは掴んでいた手を放す。
許しを得た嶺吾は、器用に結束バンドで結ばれた手で、ポケットから携帯を取り出し床に投げる。
そして、体を倒し、床に転がりながら携帯を操作していた。
慣れたもんだ、普通の常人なら一生身につけなくていいスキルを、良くそこまで上達させたな。
ほどなくして、落ち着いた桐谷さんに対し、僕は嶺吾の作ったコーヒーがキッチンにあることを教える。
すると、わざわざ嶺吾が使っていたマグカップを当たり前のように使い、上機嫌で木下さんの横に座った。
ちなみに嶺吾は、いまだに床から起き上がれていない。
「……
何食わぬ顔で、呼吸をするように嘘を吐く
「朝から賑やかで、……よかったです」
一生懸命返答を考えただろうが、それが木下さんの精一杯だった。
木下さんが嶺吾の縛られる姿を見ても動じなくなったのは、不幸中の幸いと言えるのだろうか。
…… ZZZ ……
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます