第三夜 ボクト悪夢ト我儘ナ彼女
10:延々炎々、夢我夢中
…… ZZZ ……
上半身が焼け
「――あ、ごめんなさい」
星明かりが
その生活通路のド真ん中で
しかし、向こうは、こちらの謝罪に反応する素振りを見せることなく、炎の中に消えていった。
不愛想な自動販売機を見送った後、なにをするわけでもなく、僕は現状を、ただ受け入れていた。
地平線が
見ている? いや、見ていた?
分からない、一体、いつから僕はここにいるのか。
あそこで支えを失い、電線で首を吊っている街灯は、なにかを知っているのだろうか。
時間感覚も麻痺する中、
それは燃え盛る炎に絡め取られそうな距離にも関わらず、たじろぐ様子もない。
それどころか、さも当然の如く、炎海の中に自ら足を踏み入れていく。
始めは、気なしに人影が進む
不思議と僕自身も炎に恐怖心は一切なく、それより、炎海が人影へ道を
…… ZZZ ……
火の手が増す住宅街の中、夢中で人影を追いかけていたため、どれくらい時間が経ったか分からない。
人影がふと正面を見据え、立ち止まっていたおかげで、ようやく、それが女性のようなシルエットをしていることがやっと分かった。
彼女の周囲では、怒り狂ったように炎海が勢いを増しており、辺り一帯の家屋は骨組みを剥き出しにしながら、なんとか形を保とうと踏ん張っていた。
にも拘らず、彼女が見据えた先にある家屋だけは一切の被害を
「……
「えっ⁈ は、はい!」
さっきまで一切、気づく気配を感じさせなかった彼女に、震えた声で突然、名前を呼ばれたため、驚いて答えてしまった。
いつからばれていたのかを考える以前に、なぜ僕の名前を知っているのか、また、その聞き覚えのあるような声が、思考を
それにくわえ、ここが夢界に似た世界だと理解したせいで、余計、思考が混乱していた。
「やっぱり凛君だ。……でもどうして、また」
目に見えて明らかに戸惑い始める彼女は、僕から距離を取るように後ずさりしていく。
一方で、さっきまで僕を誘導してきた通路が塞がり、炎海が迫ってきているため、彼女の方へと歩かされてしまう。
「だめ! それ以上こっちにきたら!」
彼女は強く僕を制止するが、今の僕は、殺人鬼に
その心情に拍車をかけるかの如く、さっきまで鈍っていた五感が戻ってくる。
急激に肌に感じる熱さを増す炎海に対し、今は恐怖しか感じられなくなっていた。
「それ以上こっちにきたら、もう、今度は戻れないんだよ!」
彼女が必死に僕を説得するが、今の僕にはどうすることもできない。
それに、こっちにくるな、と言われても、彼女の近くには炎は存在しなかった。
今の僕よりよっぽど安全ではないか、と思考した瞬間、見えていた風景が塗り替わる。
瞬きも許さない間に、彼女の周りも炎海に飲まれてしまい、残ったのは、僕らを結ぶ一筋の道だけ。
それでもなお、彼女は僕から遠ざかるように
僕は咄嗟に駆け寄り手を伸ばそうとしたが、彼女が手を横に払うと、その動作に連動しているのか、僕が近づくのを
「だめ、……だめだめだめだめ! 来たら、ダメなのに……」
彼女は独り言のように、ブツブツと自問自答を繰り返しながら、頭を抱え、
その背後から、容赦なく勢いを増す火の手が近づくため、説得を試みる。
「火がそこまできてる! 考え事はいいから、早く逃げよう!」
炎への恐怖心を抑え、さらに近寄り、再び彼女へと手を伸ばしたのだが、指し返された手を握る寸前、嫌な悪寒を感じた僕は、手を引っ込めてしまう。
そんな僕の反応を見てか、彼女は俯いてしまった。
当然だ。
今のは、僕が露骨に彼女を避けてしまったのだから、避けられたと感じられてもおかしくはない。
「ご、ごめ――」
『マた、見捨てタンだ』
僕の謝罪を遮るよう、先ほどまで彼女から発せられていた声とはまるで違う、ドスの利いた低い声が漏れる。
「違う、凛君は私を見捨ててない! 私がそう望んだの!」
『お前ダケ、お前だけ助かリヤがって』
「そうじゃない、そっちは、そっちの記憶は違う!」
一つの身体を通し、
彼女の言葉は、僕を
その不気味さに、また一歩後退りしてしまう。
『そうだ! お前はそうヤッテ見捨てたんだ! 自分だけ助カルためにナ!』
怒りを露わにするように声色が一層強まる。
「――っ!」
恐怖のあまり声を上げることさえできない僕に、
そして、彼女の身体を
『ヒキょうもノ! 自分ノツみを償エぇぇェっェぇェぇ!』
激しい殺意に中てられ、腰が抜けて動けなくなった僕に対し、馬乗りの状態になった巨人は、理不尽にも回避不能な一撃を振り下ろす。
「だめぇぇぇ! 我儘、【なにも掴まなかった手】!」
一瞬だけ、身体の主導権を奪い返した彼女が【
――――それが僕の体に触れた。
…… ZZZ ……
「――あああああああああああああああああああああああっ!」
悪夢から強制的に追い出されるような感覚が襲った直後、僕は体を飛び起こした。
今が本当に現実世界なのか、悪夢の中なのか、パニック状態の頭では、理解することにしばらくかかった。
暴れまわる心臓の
ただ、さっきまでの肌が焼けるような熱気や耳を
汗で肌に張り付いた衣類を急いで脱ぎ、体に
結果として、考えられる最悪の事態は
ただ、今回は無事だっただけで、もし、あの空間が夢界と同じ条件であれば、拳が体に直撃していたら、胸部から腹部に掛けて、
いや、下手をすればそのまま死んでいたかもしれない。
そう考えると、
次の瞬間には、どうにもやるせない気持ちがこみ上げてきて、目頭が熱くなってしまう。
この悪夢をまた見始めたのは、大体、一年くらい前だったろうか。
初めの頃は、宙に浮いて、燃え盛る住宅街をぼんやり眺めているだけの夢だったが、次第に、一人称視点に切り替わっていき、最近は、悪夢内で襲われるまでに発展していた。
PTSDを発症した当時に見ていた悪夢に
悪夢が進行していく原因として考えられるのは、僕が
治療後に抱えるストレス値の大きさに比例して、悪夢を見る確率が上がっている。
このことに感付いている姉さんや
自分でもびっくりするくらい大声を上げて飛び起きてしまったが、寮の個室には簡易シャワー室や洗面台など、水回りが充実してある関係上、コンクリート製の壁が分厚い。
悪夢に
しかし、壁に掛けられたデジタル時計は『2021/05/07 5:07』を表示しているので、最低限周りに配慮し、音を立てないよう心掛けて行動に移す。
汗で湿ったベッドシーツを丸め、着替え一式を持った僕は、一階の大浴場に向かう。
途中、エレベーターホールからアクセスする共同施設の洗濯機にシーツを放り投げる。
大浴場は、まだ夜勤明けの医療従事者もおらず、少しだけぬるい湯を独り占めだった。
体がほんのり温まったおかげで血行も良くなり、冴え始めた頭で、今朝見た悪夢について思い
「……あの子、やっぱり顔が見えなかったな」
脳裏に鮮明に浮かび上がったのは、悪夢に出てきた女性の人影。
PTSDの原因を僕は今でも悪夢として見るが、それはあくまで記憶に刻まれた映像をなぞり、脳内で整理しながら再体験しているに過ぎない。
にも関わらず、なぜか見たことあるはずの彼女の名前と、顔がどうしても思い出せない。
その
「――……はあ」
長いこと湯船に浸かっていたからのぼせてしまったのだろうか、視界がぼんやりとし始めてきたため、僕は足早に湯から上がり大浴場を後にする。
自室へと戻るため、指定の階層でエレベーターから降りると、ホール右手の共同キッチンの扉が開いていた。
今朝、ここを通った時は開いていなかったはずだが、とそんな違和感を覚えながら、横を通り過ぎようとするも、内側に開いた扉にもたれ掛かった嶺吾が、僕の帰りを待つように立っていた。
「朝シャンにしては、お早いことで」
嶺吾はこちらに顔を向ける様子もなく、でかい図体とは裏腹、器用にコーヒードリップ用のフィルターを折り曲げながら尋ねてきた。
「……夜暑くて汗かいたみたいでさ、なんか起きちゃったみたいなんだよね」
この時間に起きてしまった理由を悟られたくないため、生まれてから何百回目の嘘をついてみたものの、そんな通常攻撃のような嘘で、嶺吾を騙せれるとは思えなかった。
「五月もいつの間にかそんな暑い時期になっちまったもんだ。もう日本から四季は消えたのかもしれないな」
と、目線だけをこちらに向けた嶺吾に、含みのある返事をされてしまう。
しかし、もう一度だけごまかそうと粘る僕は、その発言に乗っかる。
「だよな、異常気象の連発。雨季と乾季だけになったと言っても過言じゃないよ」
「それは的を得てる。こんなに暑いと嫌でも起きちゃう時、ざらにあるよな」
嶺吾はいまだ顔を上げず、手先を動かしながら淡々と返答する。
「もしかして嶺吾もその口だったか? いまなら大浴場を独り占めできるから部屋のシャワーよりお勧めだぞ」
僕はあえて声色を高めて質問を投げかけるが、
「いや、俺は誰かさんが
わざとらしく大げさにアクセントをつけて返された。
ただ別段、嫌味はまったく感じず、逆に言えば、僕に気を負わせないような口ぶり。
「なんだ起こしちゃってたのか、……そんなひどく魘されていたか?」
「多分、隣室だったから、うっすら聞こえてきたくらいだと思うぞ」
嶺吾は、指と指の間に隙間を作り、それがどれだけ小さかったかを極端に表現する。
僕をからかうような口調だが、やはり、そのどこにも角が立っていない。
嶺吾の性格など加味して推察するに、心配しているのがバレると恥ずかしいから、カマを掛けて、悪役を演じていたにすぎない。
「……まあなんだ、要するに、様子を見にきてくれたのなら素直に言ってくれてもいいんだぞ? まったく意地が悪いんだから。なんか御馳走してくれるつもり?」
近付きながら、いつもの口調に戻すと、嶺吾は少し笑みを浮かべる。
「素直じゃないのはお互い様だろ? 待ってな、すぐにうまいコーヒーを入れてやるよ」
そう言って、嶺吾は僕の肩に手を回すと、流し台の向かい側に設けられたカウンター席へと僕を誘導した。
嶺吾はキッチンのワークトップに置かれたドリッパーへと、先ほどから折っていたフィルターをセットすると、その横で豆を挽き始めた。
「なんだ、また豆から挽いてるのか? 苦いだけで味分からない奴じゃん」
「俺も形だけで味なんてまったく分からんぞ」
「なんで挽いてんだよ、動作のムダかよ」
「いやどっちかって言ったら加工のムダじゃね?」
「わかってんじゃねえかよ」
僕が突っ込むと、嶺吾は満足そうに笑い、フィルターへと挽いた豆を入れ、お湯を回す。
「――アッつ!」
腕にお湯が跳ねたようで、嶺吾が反射的に声をあげる。
よくこの光景を見るが、嶺吾がカッコつけて高い位置からお湯を注いでいるからそうなるわけで、当たり前のことだ。
「それって本来もっと低い位置で、ゆっくり、何回かに分けて淹れるんじゃないの?」
すかさずネットで齧った知識を用いて、
「いいや、これが俺流だ」
納得をせざるを得ない言い分に一蹴されてしまう。
ただ、そんな嶺吾はまた、お湯を跳ねさせた。
「ほら見ろ、言わんこっちゃない」
まあ、この一時も、ほのぼのするから嫌いではない、かな。
…… ZZZ ……
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