5:後悔が、救いであるために

   …… ZZZ ……



 そろそろここに来てから、20分くらい経ったはずだ。

 僕らが担当した方角に、真彩まやさんがいる気配はなく、焦りがつのる。


 メアが密集していたのは、恐らく、真彩さんの自宅がこの付近にあったからだろう。

 完全に、こちらはむだ足を踏む形になってしまい、桐谷きりたにさんは、僕の代わりに多くの治療を行った弊害へいがいとして、さっきまで形を保っていたパーカーに水玉模様が出来ていた。

 下にはなにも身に着けていないようで、お腹の辺りから肌色が、かなり露出している。


想像の定型文アウェイクワード】もそうだが、この治療装衣ちりょうそういを維持している時は、常に自分の過去を思い出すため、ストレスが溜まってしまうのは必然だ。

 ストレスを抱えた状態でここに長く滞在たいざいすることは、優れた治療医でも許されていない。


 しかし、桐谷さんは自分の格好に意識を割くことなく、嶺吾れいあたちがいる方角へと走り続けていた。


「流石にこっちもさっきの所同様、身体が相違ラグで動かしにくいね」

「……メアが密集する、せいで、ストレス残留記憶分子ざんりゅうきおくぶんしの、濃度が高いのが、原因ね」


 そう話す桐谷さんは、肩で呼吸をするほど疲労が目に見えていた。


 白い雨が次第に強くなる中、等間隔に街灯が並ぶ車道を走る僕らの前方より、スタンガンを携えたメアが、青白い閃光を放ちながら、ジグザグに向かってくるのが見えた。


「――……っ! 雷来ライイ一発いっぱつ――」


 それに桐谷さんは対応しようとしたが、ストレス値の蓄積に加え、視界不良も重なり反応が一歩遅れてしまった。


 しかし、桐谷さんのおかげで余力が十分残された僕は、準備万端だ。


「いくぞ、相殺そうさい治療開始【夢充むじゅう】! ここからは僕の番だ!」


 キーワードに反応するように僕の身体から黒い靄が溢れ出し、思い出したくもないPTSDトラウマが脳内を占有せんゆうしていく。


 でも、これが人命を救う代償だというならば、僕はこの【トラウマ】に、喜んで身を投じる覚悟だ。



「……ダメ、湧泉わきずみさん!」


 僕は、桐谷さんの手を引き、自分の体を盾にするため後ろへと隠し、黒いもやが右腕に集まって形成された半透明な腕で向かってくるメアを受け止める。


「後悔【なにも掴めない手】!」


想像の定型文アウェイクワード】により形成させた掌に触れた瞬間、そこに存在したはずのメアはきれいさっぱり消滅していた。


 ただ、代償として、僕の脳内には真彩さんの記憶が流れ込む。



【――仕事終わり、帰路を急ぐ私の様子を伺いながら付いてくる男。

 彼を撒くために、住宅街を縫うように歩いたが、人気のない場所に誘導されていたことに気付いた時はもう遅かった。

 刃物やスタンガンをチラつかせ、金品を強奪するだけでなく、性的暴行を加えてきた不審者の不敵な笑みが私の網膜に酷く、こびり付いている――】



「――あああああああああああああああああああああああああああああああっ!」


 声を張り上げ、患者のストレスに感化されて、引き込まれるのをなんとか持ちこたえる。

 たった一度の相殺治療だったが、それでもかなりの疲労感をともない、乱れる息を落ち着かせるのに、少し時間が掛かってしまう。


 微かに桐谷さんが、なにか苦言を零したように感じ、安否の確認のため振り返れば、うつむき、へたり込んでいた。

 少し緊張感がほどけたのだろう、さっきまで節約しながらも、一人でメアを治療していたから、相当なストレス値も溜まっていたはずだ。


「桐谷さん大丈夫?」


 僕が手を差し伸べると、桐谷さんの顔には、もの思わしげな表情を張り付けていた。


「……湧泉さんこそ、平気?」

「平気もなにも、今夜初めての治療だよ。これからこれから」


 おどけて見せると、少しだけ笑みを浮かべた桐谷さんは、差し出した手に掴まり、立ちあがった。


 次に僕の顔を見ると、両の掌を小さく上げ、口を尖らせる。

 その様子から、お手上げを意味しているのが分かったが、僕にはその真意を理解しようという気はなかった。


「……これからはフォロー、任せても大丈夫なのよね?」


 僕が「もちろん」と返せば、桐谷さんは、再度、足を速めた。



   …… ZZZ ……



 嶺吾れいあたちと合流できたのは、それから5分も掛からない警察署の駐車場だった。


 駐車場には激しい相殺治療の爪痕が残っており、コンクリートはえぐれ、敷地を囲うように植林しょくりんされた植木は、根元から折れているものが多数確認できた。

 規則正しく整列されていたはずのパトカーも右へ左へ流され、あるところではひっくり返り、バンパーから地面に突き刺さっている。


 まるで、津波の被害に遭ったかのような光景だ。


 真彩まやさんはこちらにいたようで、嶺吾れいあの【想像の定型文アウェイクワード】で無事守られており、現在は、桐谷さんを除いた三人で治療を進めていた。


 桐谷さんは、ストレス値が限界まで達し、これ以上の滞在は困難だと判断したところ、少し前に現実世界へと、しぶしぶ戻っていった。


 明晰夢めいせきむ状態の僕らは、任意のタイミングで夢から覚めることを選択できるが、その前に必ず、夢幻肢痛むげんしつうの被害が無いかなどを確認しなければならない。

 戻ってから気付いては、治しにくくなってしまうからだ。


「凛、こっちはもう終わるがそっちはどうなってる!」

「ちょっと手こずってる、よ!」


 真彩さんの身を潜めた警察署を背に、向かってくるメアを相殺していくわけだが、いかんせん僕の治療方法は一対一に特化しており、多数に囲まれると分が悪い。


「凛先輩! それ全部押し流すのでいつも通りお願いします!」


 僕の後方で対応をしていた木下きのしたさんが合図を送ってきたので、僕は迫りくるメアに背を向けた。


彼方かなたまで! け、警報【すべてを流す大波】!」


 木下さんの【想像の定型文アウェイクワード】に反応し、足元より水の壁がせり上がり始める。


 それは、瞬く間に身の丈を遥かに超える高さへと到達し、直後、前方に倒れ込むようにして雪崩なだれ込む。

 僕はわざと巻き込まれる位置で制止し、メアを引き留める。


 水圧が押し寄せ、衝突の瞬間、右手を突き出し、自分の周りだけ水の流れを相殺させた。

 濁流だくりゅうとなったそれは、地面をえぐり、数十体いたメアをすべて巻き込んで、消えていく。


 ただ、その凄まじい威力に比例するよう木下さんに掛かる精神的負荷も高いようで、身にまとっている迷彩柄のセーラー服は、肩を丸だしにしていた。


「ふぇぇ、疲れました。……疲れました!」

「そうだな、木下もそろそろ離脱のタイミングだがどうする? もう治療も終わりそうだが、先に休んでおいてくれ」

「嶺吾の言う通りだよ、木下さんありがとうね。残りは僕らだけでも問題ないからさ」


 先ほどまで好戦的だったメアもこちらに対し、あまり興味を示さなくなってきているのが見て分かる。


 これは悪夢を構成するメアが減ってきたことで、現実世界にいる患者の脈動が落ち着き、磁場が弱まってきた証拠でもあった。


「そう、ですね。では、お言葉に甘えさせていただきますね」

 メアの変化が木下さんも確認できたようで、夢幻肢痛の症状がないかを確認し、離脱の準備を始めた。


「身体に異常はないみたいです。先輩方も気を付けてくださいね」


 その言葉を残し、木下さんの身体はもやのように薄れると、蒸発するように消えていった。


「どうする嶺吾、もう少し相殺しておく?」

「ああそうだな。だけど凛、ここからは俺一人で十分だ。お前も先に戻れ」


 言葉強めに言われ、僕は少したじろいでしまう。


「どうして、僕だってまだ余力は残ってる。それに嶺吾だって桐谷さんがいない今、ストレス値の上昇は激しいはずでしょ?」

「言ってくれるなあ。でも俺を見ろ、この通り治療衣に欠けは無い。でもお前はどうだ? いつものきれいな腕がひどく灰色に濁ってるじゃねえか」


 嶺吾がまとう黒い長ランは、微々たる変化こそ見られるが、まだ十分な治療可能時間が残されていることを物語っている。


 一方で、僕の方は正直なところ、出来て、残り十体くらいといったところだろうか。


 夢充したタイミングがいつもより早かったのも原因だが、僕の治療方法は他のみんなと違って、直接メアに触れないといけない関係上、記憶の干渉が起こり、ストレス値が急増するため、治療可能時間が大幅に減ってしまう。


 嶺吾はそれを見越しての提案だったろうが、これ以上みんなの負担を増やすわけにもいかず、残りたい気持ちが先行してしまう。


「それでもあと少しじゃないか、なら僕だってやれるよ」

「駄目だ、いざって時にお前をかばえない可能性だってあるんだ。それにこのくらい俺の手に負えないわけもないだろ? いいところ作らせてくれよ」

「はあ、そこまで言うなら戻らせてもらうけど、一人で背負って潰れたりしないでよ?」

「ははっ、……まあ、善処するさ」


 含みのある乾いた笑みを浮かべる嶺吾は、最後の抵抗とばかりに、じりじりと距離を詰めるメアから僕を安全に現実世界に戻すため、目の前で大きく構えた。


「決めたんならさっさと戻れ! 少し時間を稼ぐからよ」


 嶺吾はそう言うと、長ランのポケットから小さい板塔婆いたとうばに似た木板もっばんを取り出すと、そこに指で文字を書き始める。


 嶺吾は、過去に自分の言葉で人を傷つけたPTSDトラウマを抱えていたらしく、【言葉】を介して相殺治療を行っていた。


 僕は急いで身体に異常が無いかを確認し、離脱の準備を整えると、意識を夢から覚める方向に持っていく。


「そんな一斉に凛を追いかけたって、お前らじゃ届かねえよ! こと閑却かんきゃく】!」


 意識が次第に遠のいていく中、嶺吾が唱えた【想像の定型文アウェイクワード】が効力を発揮し始め、メアが一時的に僕らに興味を示さなくなり、無視するように立ち止まった。

 それをぼんやりとした意識で眺めるうちに、目の前が真っ白に――



   …… ZZZ ……

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