6:見知った、天井だ

   …… ZZZ ……



 目を覚ました場所は、無機質で光沢のない天井があることから、休養室きゅうようしつだと理解した。


 手術が終わり、患者から発生した磁場が収まったのを確認してから看護師らがここまで運んでくれたのであろう。

 どうやら寝ている間に治療用ベッドから普段の仮眠用に移されていたようで、起き上がる前に、体を伸ばす。


 他に誰かいるのか確認するが、僕しかいないようだ。


 視界に入った壁に掛けられたデジタル時計には『2021/05/08 8:49』が表示されていた。

 時間から加味して、普段なら等間隔に並ぶ二段ベッドに、複数の夜勤明け看護師らがいてもおかしくないが、今は好都合。


 誰かがくる前に済ませてしまおうと、腰元のホルスターに入った脳波測定器を取り出し、『脳波測定デフォルトモード』に切り替え、自分の顔に銃口部を向け、引き金を引く。


 この行動の真意は、すべての治療医が治療後に必ずバイタルチェックを行うことが義務付けられているからだ。


 いつも通り、短い電子音とともに赤い閃光が照射された。

 光の反射量で、皮膚下ひふか発汗量はっかんりょう経皮的動脈血酸素飽和度サチュレーション、無意識で行われる眼球運動や表情筋を機械的に計測し、どれだけストレスが溜まっているかをサイドに展開されたディスプレイに表示する。


 それを見るに、脈拍や血圧などに異常数値は見られないが、皮膚下発汗量ひふかはっかんりょうが多く、体温が下がっていることや、本来、弛緩しかんしているはずの筋肉が緊張しているのが分かった。


 これらの計測結果をもって、ストレスを可視化する値は『47』と診断されている。

 結果は、いつもよりほんの少しだけ良い。

 これが嶺吾の言葉を無視してもう少し残っていたら、と考えると、背筋に悪寒が走った。


『100』を上限とするストレス値は『80』以上がステージレベル3患者と呼ばれ、そこから『50』『25』と、段階的に値が小さいほどステージレベルが緩和(かんわ)していく。

 治療医は普段『25』ほどのストレス値を抱えて生活しているため、治療後のメディカルチェックでストレス値が『40』を越えていると、医療活動に関わることが禁止されている。


 治療におもむく前の数値を『35』以下に維持しておくのは、ストレスを思い出す治療方法を用いるため、治療中に患者の悪夢に感化されて、医師側の発症を予防する理由がある。


「……とりあえずメディカルチェックの話題が出ないことを祈るか」

 結果はどう足掻あがいても一朝一夕いっちょういっせきでは変えることができないため、近くに畳まれていた白衣を軽く羽織り、待機ステーションへと重い足を進めた。



   …… ZZZ ……



「――で、メディカルチェックはどうだった?」

「……よくもピンポイントで聞かれたくないことを聞いてくれたな」


 テーブルに腰かけるや否や、嶺吾れいあが地雷を踏み抜いてきたが、十中八九、確信犯だろう。


「どうだ、大方おおかた『40』後半か?」

「僕は嶺吾が怖いよ」


 現在、桐谷きりたにさんと木下きのしたさんはカウンセリング治療の様子を見にいったらしい、嶺吾は恐らく、僕を心配して残っていてくれたんだろう。


「とりあえず今日の夕方で業務は終わりだから、夜はうまい飯を作ってやるよ。それ食ってストレス値を減らすことを考えろ。薬に頼っても、根本的な解決にならないぞ」


 顔はこちらに向けず、対面に頬杖ほおづえをついて座る嶺吾は、目を閉じながら言った。


 どうやら、僕が裏でストレス値抑制剤オキストリン服薬ふくやくしていることを知っているらしい。

 別に隠していたわけではないが、薬の保管も徹底していたから、どうして知っているのか疑問に思った程度だ。


 この薬は、抱擁ほうようホルモンや幸せホルモンと呼ばれるストレス抑制ホルモンオキシトシン分泌ぶんぴつを促すもので、多幸感を与える効果が実証されている。


 反面、多量に摂取せっしゅを続けるとその効果に取り付かれる危険性があるので、嶺吾は僕がそうならないように釘を刺してくれているのだろう。


「大丈夫だよ嶺吾、使用量は守ってるし、本当にやばい時しか飲まないようにしてるから」

「ならいいが、くれぐれも過信かしんはするなよ」

「肝にめいじておくよ」


 そう答えると、嶺吾は雰囲気で「はいはい」と返事をした。


木下咲楽きのしたさくら、只今戻りました! あ、りん先輩起きられたんですね」


 唐突に扉が開かれると、待機ステーション内に明るい声色こわいろが弾けた。

 寝ぐせなのか、後ろの毛を少し跳ねさせた木下さんが僕を認識すると、挨拶をくれるので、僕もそれに応じる。


「……湧泉わきずみさんおはよう、今日は遅かったのね。真彩まやさんのカウンセリング治療は、一段落付いたわよ」


 木下さんと一緒に帰ってきた桐谷さんが、挨拶をほどほどに、僕が気になっていたことを口にした。


「どうだった! 治療は、成功してる⁉」

「……ええ、私が見た限りだと、そう見えたけれど」

「よかったぁ、僕もあとで二回目のカウンセリング治療には立ち会うよ」

「……今は真彩さんが疲労してるから、それが正解ね」

ひじり近いぞ、しれっと俺の膝に座ろうとするな、せめて隣にしろ」

「……あら、惜しかったわね」


 桐谷さんは僕と会話しながらも、足早に嶺吾の方へ最短距離で向かい、なに喰わぬ顔で平然とことを成そうとしたが、寸での所で、嶺吾によって止められた。


「凛先輩がカウンセリング治療に間に合わないのも珍しいですね、ギリギリまで待っていたんですが、寝顔がキュートだったので起こすのやめたんですよ」

「そうかいそうかい、木下さんは僕の無防備な姿を、そのキュートなまなこに焼き付けていたんだね」


 僕の横に座った木下さんに対し、わざとらしく、恥じらうような見振りを加えて動揺どうようを誘うと、見事なまでに引っかかっていた。


「そ、そんな聖先輩みたいに、寝ている人にちゅ、ちゅーとかしてませんからね⁉」

「聖ちょっと話があるから備品倉庫までいいか?」

「……告白ならもっとムードのあるところがいい」


 片や、行動を口にするのを恥ずかしがる女性がいる反面、それを善と見なし、すべてをいい方向に受け入れる女性がいるのはどうしたものか。


 言ったそばから赤面する木下さんの前では、二人が仲良さそうに痴話ちわ喧嘩げんかを始め、そんないつも通りに近い光景を見ると心が安らぐ。


 少しして、落ち着いた木下さんが、思い出したかのように口を開いた。


「ちなみに今日のカウンセリングは、しずくさんの判断で反復回想リフレクション治療が選ばれてましたよ」

「そっか。姉さんは真彩さんの意志力にストレスの克服を任せたんだ」

「みたいですね。真彩さんは受け答えもしっかりされてましたので、記憶改竄タムパリング治療の必要はないと」

「姉さんもそっちの治療はあんまり気が乗らないって言ってたからなぁ」


 亜種夢あしゅむ強制きょうせい共感病きょうかんびょうの治療は、なにも夢界での相殺そうさい治療だけではない。

 事前にストレス値抑制剤オキストリンなどを使う所から治療は始まる。


 相殺治療はあくまで患者がストレス値の許容を超えて発症した際に行う粗治療で、本当に大事なのは、カウンセリング治療だと僕は思っている。

 患者は手術後、起床から一時間以内に、選択式のカウンセリング治療を受けることが義務付けられており、それが反復回想リフレクション治療と記憶改竄タムパリング治療だ。


 どちらの治療もまず初めに、相殺治療で悪夢を構成していたストレス分子を減らし、悪夢の内容を思い出すことを妨げる『脳の自己じこ防衛ぼうえい機能きのう』を一時的に透過とうかさせる必要がある。


 前者リフレクションは人によって時間が掛かるが、自分の言葉で悪夢内容を繰り返し話すため、思い出すことや、フラッシュバックへの耐性が付きやすい。

 後者タムパリングは悪夢の元になった感情や記憶を明確化し、一対一の対話形式でそれに対する認識を少しずつ変えていき、記憶を上書きしていくものだ。


 ただ、カウンセリング治療医のほとんどは、あまり記憶改竄タムパリング治療を用いらない。


 いうなれば、人の記憶を弄る治療なので、協会側も大手を振って推奨をしていない。


「凛、時間はいいのか? あと40分で午前の業務始まるぞ。風呂にいくなら早くしないと朝飯を食う時間も夢日記ゆめにっき書きにいく時間もないぞ」

「えっ? あ、やば、もうそんな時間か! じゃ、じゃあ木下さん、またあとでカウンセリングの話少し聞かせて。僕は時間までに管理室いったりしてくるから」


 僕は木下さんたちの声を背に受け、足早にここをあとにすれば、義務付けられた業務をこなし、定刻までに再度待機ステーションへと戻ってきた。



   …… ZZZ ……

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