3:大和撫子は猛獣を

   …… ZZZ ……

 


 気付けば、午後の診察業務は、終わりの時間を告げ、時刻は17時。

 途中、合流していた木下きのしたさんと、院内の食堂でご飯を軽くつまみ、六階のレベル3治療エリアに存在する治療医待機ステーションでくつろいでいた。


 いつも通りであれば、午後の診察は、『認定にんてい治療医ちりょうい』の二人が、僕らの補佐ほさをしてくれているのだが、彼女らは、最近配属された新人の認定治療医がいるため、昼一番から現任訓練OJTねて、レベル2患者の治療に当たっていた。


 それに合わせ、僕の治療班からも『専門せんもん治療医ちりょうい』が二名、立会人たちあいにんとして同行どうこうしていたので日中動ける医師が僕と木下さんしかいなかった。


 例え、レベル2患者が治療中にレベル変位へんいし、悪化したとしても、経験けいけん豊富ほうふな認定治療医なら、すぐに対処ができるだろう。

 しかし、新人がパニックにならない保証はない。


 だからこそ専門治療医の立会が必要なのは分かるが……。


「にしても多すぎだよ。ヒットしちゃった件数もそうだし」

「おいおい。心の声が駄々だだれだぞりん、おまえらしくないな」


 待機ステーションの中央に置かれる木目があしらわれたテーブルに突っ伏していると、挟んで対面に座っていた男が、僕の頭に軽くチョップをお見舞いしてきた。


 顔を上げると、奥二重で目つきが悪く、茶髪にツーブロックとガラの悪い大男、廣瀬ひろせれい追撃ついげきを食らわせようと、構えていた。


 僕は、咄嗟とっさにジェスチャーでその腕をゆっくり降ろさせる。

 傍からみれば、嶺吾は筋骨隆々きんこつりゅうりゅうの大男だから、それをなだめる僕は、いわゆる猛獣もうじゅう使いのようにでも見えるだろうか。


「流石に疲れたもんは仕方ないよ。それより現任訓練OJTの方はどうだったんだ?」

「なにも問題はなかったぞ。『近嵐ちからし』は、新人のころに比べてずいぶん治療に慣れていたな。PTSDの想起そうきも早いし、扱いもけていた印象だ。『大神おおが』は、そうだな、言及する点はない。それと新人も積極的な治療を心がけていたな。まあ、まだ危なっかしいところはあったが」

「ほう、嶺吾がそこまで褒めるなんてひょうでも降るんじゃないか?」

「お前は俺を何だと思ってんだ、あまのじゃくでもへそ曲がりでもねえぞ」

「わるいわるい、冗談じょうだんだって」


 鼻を鳴らし、不貞腐ふてくされた表情を浮かべる嶺吾に形だけの謝罪を述べるが「はいはい」と軽くあしらわれてしまった。


 彼、廣瀬ひろせれいは研修時代からずっと一緒に活動している専門治療医だ。


 背は僕より少し高く、180センチはあり、趣味の筋トレの成果か、体表面に浮き出た筋肉が、その体格の良さを際立たせる。

 髪形や見た目は、ガラの悪く感じさせるが、実際の所、それらがまったくの偏見だということは、あまりにも有名だ。

 顔に似合わず特撮アニメを好み、仕事がない日曜は、リビングのデカいテレビにかじりついているくらい純粋な男だ。

 病院では、ちびっこたちと話が合い、24歳ではあるものの、精神年齢も近いことからたいへん好かれ、看護師からも影では人のなりをした保育園と比喩ひゆされている。

 ただ、本人も『ガキは好きだ』と公言こうげんしているので満更まんざらでもないらしい。


「――って事は、『有栖ありす』もずいぶん落ち着いたみたいだね。初めは自分をかえりみずって治療方法だったけど」

「考えてみればそうだな、『大神おおが』の奴も引くときは引くようになったし、何よりむだがなくなったのは確かだな。ストレス値の管理もうまいし、後処理もきれいにな、っいだだだだだだ⁉ 急になんだ『ひじり』! 俺の耳に何の恨みがあるんだって言うんだ!」

「……他の女性をそんなにべた褒めしてるといくら温厚おんこうな私でも手が出るよ」


 嶺吾と女性の認定治療医である『大神おおが有栖ありす』の話題に花を咲かせていたのが、もう一人の同期で嶺吾の自称嫁、桐谷きりたにひじりさんの逆鱗げきりんに触れた。


 今だけは丁寧ていねいかれつややかに光るその黒髪が意志を持つかのように逆立ち、うねっているような錯覚をしてしまう。


「出してから言うな! それにいつも言ってるだろ、怒りの感情は五秒もしたら消えるからまずは頭の中で考えろって」

「……五秒以内に相手にとどめを刺さないと、この感情がもったいない」

「んなもったいない精神があってたまるか!」


 嶺吾は、自分の隣に座る桐谷さんに向かって、理不尽りふじんにも見える仕打ちに対し、猛抗議もうこうぎするが、相手が悪かった。

 そんな常識が通じるわけがないことは、当の本人が、一番付き合いが長いため知っていると思うのだが……。


 華奢きゃしゃながらも、嶺吾を張り倒した経験が何度もある桐谷さんを前に、嶺吾のフォローに回ろうとは、僕には到底思えなかった。


「いや、今のは桐谷さんが隣にいるのに、不用意な発言をした嶺吾に、非があると思うが?」

「……湧泉わきずみさんは分かってる」

「お褒めに預かり光栄です」

「お前がそうやって聖を助長じょちょうするのも問題だからな! 木下も笑ってないで聖になんか言ってやってくれ」

「えっ、わ、私がですか⁉ え、……えぇっと。聖先輩、耳は引っ張る力よりせんだん的なねじれ応力の方がダメージはデカいですよ!」


 僕の隣に座っていた木下さんへと急に話題を振ったため、テンパったのか見当違いのキラーパスをそのまま返した。


「……わかった」

「いや木下おま、ちがぁぁぁぁああああ‼」


 ひねられた耳に感じる痛覚のベクトルから逃れようとしたが、そのまま机に突っ伏してしまい、その痛みを受け入れることしかできなかったようだ。

 なんともご愁傷しゅうしょうさまで。


 木下さんも何かまずいことを言ってしまったな、とバツの悪そうな表情を浮かべた。


「……れい君はこの度の反省を行動で示すため、この後の回診かいしんは私と回ること。間隔は開けずにぴったりくっついて手も繋いで時には愛をささやいて――」

「院内で俺に何をやらそうとしてるんだ、んな要求は業務時間外にしてくれ」


 そんな嶺吾の抗議も意にかいさず桐谷さんは暴走を続けていた。


 彼女、桐谷きりたにひじりさんも僕の治療班に所属する専門治療医で、嶺吾とは同い年の従妹いとこらしい。

 整えられた前髪から覗く、切れ長な目の下に二つ縦に並ぶ小さなほくろが、桐谷さんの妖艶ようえんさを醸し出す。

 博識はくしきで頭も切れ、佇まいや落ち着いた話し方を他人にはするため、周りからは大和やまと撫子なでしこ体現たいげんさせた女性と呼ばれるほどだった。


 がしかし、これらはすべて嶺吾が絡まなければ、のイメージだ。

 桐谷さんは嶺吾が絡むと、途端に知能ちのう指数しすうが一桁台まで下がることが、たびたび確認されている。

 一日暇な休日なんかは、ずっと嶺吾の行動について回るほどの嶺吾バカで、『……私は嶺君の嫁だ』と豪語ごうごすることは珍しくない。

 それくらい個性的な女性だ。


 ほどなくして、桐谷さんの嫉妬しっとの炎が沈下ちんかしたようで、また平穏へいおんな空気が流れ始める。


「まあまあ、桐谷さんにとってストレス値の減少方法は嶺吾とくっつく事なんだから勘弁かんべんしてあげたら?」

「……湧泉わきずみさんはほんとよくわかってる。じゃあ嶺君、湧泉さんの了承も得れた事だし、私たちは仮眠室でしっぽり休みましょう」

「バカ言え、もう休憩も終わるぞ。患者のカルテには目を通したのか? 回診の順序も決めないとだぞ」


 嶺吾の指摘に桐谷さんは目の色を変えると、身に纏う空気感を即座に変えた。


「……それはもう終わってる。優先するのは411号室の田中さんと462号室の八宮さん。起床時間が普段より一時間遅れてた。恐らく起床促進ホルモンコルチゾール分泌ぶんぴつ量が少なくなってると思う」

「なら必然的に体温や血圧も下がるし、後は回診で直近の筋肉運動量とか見る必要があるな」

「……看護師さんのほうには血管収縮刺激薬ミドドリンを用意してもらってるから。あと電極も持ってきてもらって、今夜中に筋力検査をする必要があったらその説明も――」


 さっきまでイチャイチャどったんばったん騒がしかったあの二人が、急に仕事モードに転換した。


 基本、この二人は業務時間と休憩時間をくっきり分ける性格なため、どれだけ休憩中にバカをやっていたとしても、業務に支障をきたす事はしない。

 だからこそ、僕は二人が休憩中に何をしていようが関与かんよしないし、木下さんも、最近それを理解したのか、当然のことと割り切っていた。


「あ、そういえば忘れてないと思うけど今日は682号室のさくらさんの発症を、それぞれ治療にあたるまでに、ストレス値を『35』には収めておいてね」

「了解した」

「……わかった」

「かしこまりです!」


 と、了承の返事が重なって帰って来ると同時に、夕方業務の開始を告げるチャイムが院内に鳴り響いた。


 僕らは席を立つと、おのおの色が落ち着いた私服の下に着込んでいた『黒衣こくい』の襟元にあるボタンを二度押し込む。

 すると、伸縮性しんしゅくせいのあるラバー質の黒衣と体の間に存在する空気が一瞬で抜け、体表面に吸着きゅうちゃくしたのが分かる。


 これは、専門治療医と認定治療医が、業務時間中は常に着用が義務付けられた治療衣ちりょういだ。

 普段私服の下に隠れているため、あまり表に見えることはないから、常時着ていても悪目立ちすることはなく、靴や手袋もこれに付随ふずいしているが、それぞれ治療の時以外は、すそそでぐちのボタン結合部によりセパレート化がされているため、取り外していても問題はない。


 あとは上に白衣を羽織はおれば、仕事の準備は完了。

 僕は木下さんとレベル3患者を、嶺吾と桐谷さんはレベル1・2患者を担当として、回診かいしんを始めた。



   …… ZZZ ……

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る