2:僕らは託された想いを

   …… ZZZ ……



 気付けば、午後の診察業務は終わりの時間を告げ、時刻は17時。

 途中、合流していた木下きのしたさんと院内の食堂でご飯を軽くつまんだ後、六階のレベル3治療エリアに存在する、治療医待機ステーションでくつろいでいた。


 いつも通りであれば、午後の診察は『認定にんてい治療医ちりょうい』の二人が、僕らの補佐ほさをしてくれている。

 しかし、最近、新人の認定治療医が配属されたため、彼女らは、昼一から現任訓練OJTを兼ねて、レベル2患者の治療に当たっていた。


 それに合わせ、僕の治療班からも『専門せんもん治療医ちりょうい』が二名、立会人たちあいにんとして同行どうこうしていたので、日中動ける医師が、僕と木下さんしかいなかった。


 レベル2患者が治療中にレベル変位へんいした場合、経験豊富けいけんほうふな認定治療医ならすぐに対処ができるだろうが、新人がパニックにならない保証もない。


 だからこそ、専門治療医の立会が必要なのは分かるが……。


「にしても多すぎだよ。ヒットしちゃった件数もそうだし」

「おいおい。心の声が駄々洩だだもれだぞりん、おまえらしくないな」


 待機ステーションの中央に置かれる、木目があしらわれたテーブルに突っ伏していると、対面に座っていた男が、僕の頭に軽くチョップをお見舞いしてきた。


 顔を上げれば、茶髪にツーブロック、加えて奥二重でガラの悪い大男、廣瀬ひろせ嶺吾れいあが追撃を食らわせようと構えていた。


 僕は咄嗟の判断で、ジェスチャーを行い、その腕をゆっくり降ろさせる。

 傍からみれば、嶺吾は筋骨隆々の大男だから、それをなだめる僕は、いわゆる猛獣もうじゅう使いのようにでも見えるだろうか。


「流石に疲れたもんは仕方ないよ。それより、現任訓練OJTの方はどうだったんだ?」

「なにも問題はなかったぞ。『近嵐ちからし』は、新人のころに比べてずいぶん治療に慣れていたな。PTSDの想起そうきも早いし、扱いもけていた印象だ」

「ほう、嶺吾がそこまで褒めるなんて明日ひょうでも降るんじゃないか?」

「お前は俺をなんだと思ってんだ、あまのじゃくでもへそ曲がりでもねえぞ」

「わるいわるい、冗談じょうだんだって」


 鼻を鳴らし、不貞腐ふてくされた表情を浮かべる嶺吾に、形だけの謝罪を述べるが、軽くあしらわれてしまった。


 彼、廣瀬ひろせ嶺吾れいあは、研修時代からずっと一緒に活動している専門治療医だ。


 背は僕より少し高く180センチはあり、趣味の筋トレの成果か、体表面に浮き出た筋肉が、その体格の良さを際立たせる。

 髪形や見た目はガラの悪く感じさせるが、実際の所、それらがまったくの偏見だということはあまりにも有名だ。

 顔に似合わず特撮アニメを好み、仕事がない日曜は、リビングのデカいテレビにかじりついているくらい純粋な男だ。


 病院ではちびっこたちと話が合い、二四歳ではあるものの、精神年齢も近いことからたいへん好かれ、看護師からも影では、人のなりをした保育園と比喩ひゆされている。

 ただ、本人も『ガキは好きだ』と公言こうげんしているので、満更まんざらでもないらしい。


「でも、近嵐さんはいつも安定して評価がいいね。『有栖ありす』と新人君のほうは?」

「『大神おおが』か? まあ、そうだな、言及する点はない。新人は、積極的な治療を心がけていたな。まだ危なっかしいところはあったが、有望株じゃないかな」

「新人君の調子が良さそうなのは安心したよ。でも、その様子だと有栖は相変わらずみたいだね。初めは自分をかえりみずって治療方法だったけど、そこはどう?」

「それは問題ないぞ。大神の奴も、退き際を見極めれるようになったし、むだが減ったのは確かだな。ストレス値の管理もうまいし、後処理もきれいにな、っいだだだだだ⁉ 急になんだひじり! 俺の耳になんの恨みがあるんだ⁉」

「……他の女性をそんなにべた褒めしてると、いくら温厚おんこうな私でも手が出るよ」


 嶺吾と、女性の認定治療医である有栖の話題に花を咲かせていたのが、もう一人の同期で、嶺吾の自称嫁、桐谷きりたにひじりさんの逆鱗げきりんに触れた。

 今だけは、丁寧ていねいかれつややかに光るその黒髪が、意志を持つかのように逆立ち、うねっているような錯覚をしてしまう。


「出してから言うな! それにいつも言ってるだろ、怒りの感情は五秒もしたら消えるから、まずは頭の中で考えろって」

「……五秒以内に相手にとどめを刺さないと、この感情がもったいない」

「そんなもったいない精神があってたまるか‼」


 嶺吾は、自分の隣に座る桐谷さんに向かって、理不尽りふじんな仕打ちに対し、猛抗議もうこうぎするが、相手が悪かった。

 そんな常識が通じるわけがないことは、当の本人が一番、付き合いが長いため知っていると思う。


 華奢きゃしゃながらも、嶺吾を張り倒した経験がある桐谷さんを前に、嶺吾のフォローに回ろうとは思えなかった。


「いや、今のは桐谷さんが隣にいるのに、不用意な発言をした嶺吾に、非があると思う」

「……湧泉さんは分かってる」

「お褒めに預かり光栄です」

「お前がそうやって聖を助長じょちょうするのも問題だからな! 木下も笑ってないで聖になんか言ってやってくれ」

「えっ、わ、私がですか⁉ え、……えぇっと。聖先輩、耳は引っ張る力よりせんだん的なねじれ応力の方が、ダメージ大きいです!」


 僕の隣に座っていた木下さんへと、急に話題を振ったせいで、見当違いのキラーパスが返された。


「……わかった」

「いや木下おま、ちがぁぁぁぁああああ‼」


 ひねられた耳に感じる痛覚のベクトルから逃れようとしたが、そのまま机に突っ伏してしまい、その痛みを受け入れることしかできなかったようだ。

 なんともご愁傷しゅうしょうさまで。


 木下さんもまずいことを言ってしまった自覚があるようで、バツの悪そうな表情を浮かべていた。


「……れい君はこの度の反省を行動で示すため、このあとの回診は私と行うこと。間隔は開けずにぴったりくっついて、手も繋いで、時には、愛をささやいて――」

「院内で俺になにをやらそうとしてるんだ、そういう要求は、業務時間外にしてくれ」


 そんな嶺吾の抗議も意にかいさず、桐谷さんは暴走を続けていた。


 彼女、桐谷きりたにひじりさんも僕の治療班に属する専門治療医で、嶺吾とは同い年で従妹いとこらしい。


 整えられた前髪から覗く、切れ長な目の下に二つ縦に並ぶ小さなほくろが、桐谷さんの妖艶ようえんさを醸し出す大きなポイントだ。

 博識で頭も切れ、佇まいや落ち着いた話し方を他人にはするため、周りからは大和撫子やまとなでしこ体現たいげんさせた女性、と呼ばれるほどだった。


 しかし、これらはすべて、嶺吾が絡まなければ、のイメージだ。


 桐谷さんは嶺吾が絡むと、途端に知能ちのう指数しすうが一桁台まで下がることが、たびたび確認されている。

 一日暇な休日は、ずっと嶺吾の行動について回るほどの嶺吾バカで『……私は嶺君の嫁だ』と豪語ごうごするのは珍しくない、個性的な女性だ。


 ほどなくして、桐谷さんの嫉妬しっとの炎が沈下ちんかしたようで、また平穏へいおんな空気が流れ始める。


「まあまあ、桐谷さんにとって治療後のストレス値の減少方法は、嶺吾とくっつくことなんだから勘弁してあげたら?」

「……湧泉わきずみさんはほんとよくわかってる。じゃあ嶺君、湧泉さんの了承も得られたことだし、私たちは仮眠室でしっぽり、休みましょう」


 いや、そこまで許可を出したわけじゃないが、まあ休憩時間内で終わるなら目を瞑ろう。


「バカ言え、もう休憩も終わるぞ。患者のカルテには目を通したのか? 回診かいしんの順序も決めないといけないぞ」


 嶺吾の指摘に、桐谷さんは目の色を変えると、身に纏う空気感を即座に変えた。


「……それはもう終わってる。優先するのは411号室の田中さんと、462号室の八宮さん。起床時間が普段より一時間遅れてた。……恐らく、起床促進ホルモンコルチゾール分泌ぶんぴつ量が少なくなってると思う」

「なら必然的に体温や血圧も下がるし、後は回診で直近の筋肉運動量とか見る必要があるな」

「……看護師さんのほうには血管収縮刺激薬ミドドリンを用意してもらってるから。あと電極も持ってきてもらって、今夜筋力検査をする必要があったらその説明も――」


 さっきまでイチャイチャと騒がしかった二人が、急に仕事モードになる。

 基本この二人は、業務時間と休憩時間をくっきり分ける性格なため、どれだけ休憩中にバカをやっていたとしても、業務に支障をきたすことはしない。


 だからこそ、僕は二人が休憩中になにしていようが関与かんよしないし、木下さんも、最近それを理解したのか、当然のこと、と割り切っていた。


「あ、そういえば。忘れてないと思うけど、今日は六八二号室の櫻木さくらぎ真彩まやさんの発症を、それぞれ治療に当たるまでに、ストレス値を『35』には収めておいてね」

「了解した」

「……わかった」

「かしこまりです!」


 了承の返事が、重なって返ってくる。

 同時に、夕方業務の開始を告げるチャイムが、院内に鳴り響いた。


 僕らは席を立つと、色の落ち着いた私服の下に着込んでいた『黒衣こくい』の襟元にあるボタンを二度押し込む。

 直後、伸縮性しんしゅくせいのあるラバー質の黒衣と体の間に存在する空気が一瞬で抜け、体表面に吸着きゅうちゃくしたのが分かる。


 これは、専門治療医と認定治療医が業務時間中、着用が義務付けられている治療衣だ。


 普段は私服の下に隠れているため、あまり表に見えることはない。

 おかげで、常時、着ていても悪目立ちすることはなく、靴や手袋もこれに付随ふずいしているが、それらはセパレート化がされているため、邪魔な時は外していても、問題はない。


 あとは、上に白衣を羽織はおれば、仕事の準備は完了。

 僕と木下さんはレベル3患者を、嶺吾と桐谷さんはレベル1・2患者を担当として、回診を始めた。



   …… ZZZ ……



「日中の脈拍、血圧は安定していますが夕方のこの時間になって来ますと、寝ることへの恐怖でそれらが弱まってきています。特に血中の酸素飽和度も低下していきます――」


「眠りが深く睡眠時の筋肉は活動を止めてしまっているため、寝返りができない状態が続きます。また長い時間眠られている関係からじょくそうができやすくなっていますので――」


突発性過眠症ナルコレプシーの症状が出始めた当初より量を調整し、精神刺激薬ミダフィニルを投与してきましたが、これ以上は依存性の高い薬のため、投与を抑え、決められた時に休まれるよう――」



 …… ZZZ ……



 順序良く回診を済ませていくが、時刻はすでに十九時を過ぎ、それぞれの病室で患者の睡眠活動計や日中の活動計を注視ちゅうししていたのもあいまって、疲労はかなり溜まっていた。


 しかし、弱音を吐く暇もなく、最後に訪れたのは、休憩終わりに話していた櫻木さくらぎ真彩まやさんの病室だ。


 適切な挨拶を済ませ、病室に入ると、真彩さんと御両親が揃っていた。

 僕らの顔が見えれば、カプセル式ベッドの対面に配置されたカウチソファから御両親は腰を上げ、その場で会釈をする。こちらもそれに応え、腰を下ろしてもらう。


 部屋は十畳ほどの広さで、全体的に白を基調きちょうとし、内装の家具は刺激色ではないリラックスできる緑や水色を主に置かれている。 

 ここでは、患者に余計なストレスを与えないように、自宅に帰ってきたような感覚で過ごしてもらうため、家具のレイアウトなども自由に動かすことが可能だ。


 ただ一点、でかでかと存在を主張する睡眠治療用ベッドは、その例外だった。


「こんばんは、凛さんに咲楽さん。今日はよろしくお願いしますね」


 ベッド上でこちらを見つめながら、か細くもつややかな声であいさつをくれた真彩さんは、頬の横を流れるサイドバングを耳にかき上げ、少しだけ口角をあげる。

 今夜、治療を行うことを事前に話していたが、予想と反して、随分とリラックスしている様子に見えた。


 しかし、ベッド脇に繋がる行動計を見ると、睡眠促進ホルモンメラトニンの多量分泌に加え、基礎体温や血圧などの低下が確認できた。

 そのため、真彩さんの顔に張り付けられている表情が、僕にはどうしても、これから悪夢をまた見てしまう恐怖を誤魔化して、強がっているように映ってしまう。


 だからこそ、僕はそんな真彩さんの努力に対し、応えたいと強い想いを抱く。


「真彩さん体調の方はいかがでしょうか、すでに睡眠促進ホルモンメラトニンの多量分泌が確認できています。恐らく体内時計も狂い始め、身体がいうことを聞かなくなったりしていませんか? 横になりながらでも――」

「いいえ、問題はありません。ご心配かけるほど弱い身体に生んでいただいていません」


 御両親の手前、無駄な心配を掛けたくないのか、真彩さんは僕の言葉を遮(さえぎ)った。


 しかし、数値はうそをつくことは出来ない。

 今、こうして話す間にも、身体は睡眠促進ホルモンメラトニン誘惑ゆうわくに負け、体温や血圧、筋肉運動量は下がる一方だ。


「では手短に、今夜の治療について簡易的な説明をいたします。たびたび省略しょうりゃくする箇所がありますが、ご了承ください」


 それに、真彩さんと御両親が了承を示したため、説明に取り掛かった。


「この後、看護師よりストレス誘発ゆうはつ剤が投与されますと、一時的にストレス値を超過フローし、疑似ぎじ的に亜種夢強制共感病あしゅむきょうせいきょうかんびょうを発症させます。それを確認した後、治療室に運び、私たちは、真彩さんが発生させる磁場を治療医用のベッドで受け取り、同調どうちょう、感染します。感染後、私たちは真彩さんの悪夢内に入り、ストレスの源であり、悪夢を形成する【メア】と呼称される記憶信号の集合体を攻撃し、相殺そうさい治療する形になります」


 大まかなさわりの説明を終え、「なにか質問や気になった点は?」と尋ねる。


「その、なんでしたか、記憶信号(?)を治療すると、具体的にどうなるんでしたか? いたずらに年を重ねたせいで最近物覚えが……」


 お父様が冗談を交えながら、申し訳なさそうに聞くので「納得いくまで、いくらでも聞いてください」と返した後、その問いに答えた。


「ストレスの源になる記憶信号が消えるので、それに関連する記憶が薄れます。これは後に控えるカウンセリング治療を行う際、真彩さんが、少ないリスクでストレスの原因を思い出し、克服の手助けをするための治療法、と思っていただいても差異はないです」


 この回答にお父様は理解したのか、大きく相槌あいづちを取った。


「ではこれより、先ほど説明した手順で、治療を始めさせていただきます」


 その後、僕の指示で看護師が真彩さんのバイタルチェックを行い、用意されたストレス誘発剤の投与が完了した。

 副作用により、真彩さんの意識が次第に混濁こんだくとしていく中、御両親は「頑張ってこいよ」などの声掛けをされ、それに真彩さんも、精一杯の笑顔で応える。


「ではまた後ほど、迎えに上がります」


 これ以上、家族の時間を邪魔じゃましてもいけないなと感じ、僕らは挨拶を済ませ、真彩さんに向けて、一言だけ添えて退室した。


「はい、お待ち……、しております」


 僕らが病室内から見えなくなる最後まで、真彩さんは、僕らに希望を見出すような眼差しを向けていた。


 その夜、21時に時刻が差し掛かろうとした時、待機ステーション内で注視ちゅうししていたバイタルモニターの背景が、赤い警告色に切り替わった。


   …… ZZZ ……

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