2:僕らは託された想いを
…… ZZZ ……
気付けば、午後の診察業務は終わりの時間を告げ、時刻は17時。
途中、合流していた
いつも通りであれば、午後の診察は『
しかし、最近、新人の認定治療医が配属されたため、彼女らは、昼一から
それに合わせ、僕の治療班からも『
レベル2患者が治療中にレベル
だからこそ、専門治療医の立会が必要なのは分かるが……。
「にしても多すぎだよ。ヒットしちゃった件数もそうだし」
「おいおい。心の声が
待機ステーションの中央に置かれる、木目があしらわれたテーブルに突っ伏していると、対面に座っていた男が、僕の頭に軽くチョップをお見舞いしてきた。
顔を上げれば、茶髪にツーブロック、加えて奥二重でガラの悪い大男、
僕は咄嗟の判断で、ジェスチャーを行い、その腕をゆっくり降ろさせる。
傍からみれば、嶺吾は筋骨隆々の大男だから、それを
「流石に疲れたもんは仕方ないよ。それより、
「なにも問題はなかったぞ。『
「ほう、嶺吾がそこまで褒めるなんて明日
「お前は俺をなんだと思ってんだ、あまのじゃくでもへそ曲がりでもねえぞ」
「わるいわるい、
鼻を鳴らし、
彼、
背は僕より少し高く180センチはあり、趣味の筋トレの成果か、体表面に浮き出た筋肉が、その体格の良さを際立たせる。
髪形や見た目はガラの悪く感じさせるが、実際の所、それらがまったくの偏見だということはあまりにも有名だ。
顔に似合わず特撮アニメを好み、仕事がない日曜は、リビングのデカいテレビに
病院ではちびっこたちと話が合い、二四歳ではあるものの、精神年齢も近いことからたいへん好かれ、看護師からも影では、人の
ただ、本人も『ガキは好きだ』と
「でも、近嵐さんはいつも安定して評価がいいね。『
「『
「新人君の調子が良さそうなのは安心したよ。でも、その様子だと有栖は相変わらずみたいだね。初めは自分を
「それは問題ないぞ。大神の奴も、退き際を見極めれるようになったし、むだが減ったのは確かだな。ストレス値の管理もうまいし、後処理もきれいにな、っいだだだだだ⁉ 急になんだ
「……他の女性をそんなにべた褒めしてると、いくら
嶺吾と、女性の認定治療医である有栖の話題に花を咲かせていたのが、もう一人の同期で、嶺吾の自称嫁、
今だけは、
「出してから言うな! それにいつも言ってるだろ、怒りの感情は五秒もしたら消えるから、まずは頭の中で考えろって」
「……五秒以内に相手にとどめを刺さないと、この感情がもったいない」
「そんなもったいない精神があってたまるか‼」
嶺吾は、自分の隣に座る桐谷さんに向かって、
そんな常識が通じるわけがないことは、当の本人が一番、付き合いが長いため知っていると思う。
「いや、今のは桐谷さんが隣にいるのに、不用意な発言をした嶺吾に、非があると思う」
「……湧泉さんは分かってる」
「お褒めに預かり光栄です」
「お前がそうやって聖を
「えっ、わ、私がですか⁉ え、……えぇっと。聖先輩、耳は引っ張る力よりせん
僕の隣に座っていた木下さんへと、急に話題を振ったせいで、見当違いのキラーパスが返された。
「……わかった」
「いや木下おま、ちがぁぁぁぁああああ‼」
なんともご
木下さんもまずいことを言ってしまった自覚があるようで、バツの悪そうな表情を浮かべていた。
「……
「院内で俺になにをやらそうとしてるんだ、そういう要求は、業務時間外にしてくれ」
そんな嶺吾の抗議も意に
彼女、
整えられた前髪から覗く、切れ長な目の下に二つ縦に並ぶ小さなほくろが、桐谷さんの
博識で頭も切れ、佇まいや落ち着いた話し方を他人にはするため、周りからは
しかし、これらはすべて、嶺吾が絡まなければ、のイメージだ。
桐谷さんは嶺吾が絡むと、途端に
一日暇な休日は、ずっと嶺吾の行動について回るほどの嶺吾バカで『……私は嶺君の嫁だ』と
ほどなくして、桐谷さんの
「まあまあ、桐谷さんにとって治療後のストレス値の減少方法は、嶺吾とくっつくことなんだから勘弁してあげたら?」
「……
いや、そこまで許可を出したわけじゃないが、まあ休憩時間内で終わるなら目を瞑ろう。
「バカ言え、もう休憩も終わるぞ。患者のカルテには目を通したのか?
嶺吾の指摘に、桐谷さんは目の色を変えると、身に纏う空気感を即座に変えた。
「……それはもう終わってる。優先するのは411号室の田中さんと、462号室の八宮さん。起床時間が普段より一時間遅れてた。……恐らく、
「なら必然的に体温や血圧も下がるし、後は回診で直近の筋肉運動量とか見る必要があるな」
「……看護師さんのほうには
さっきまでイチャイチャと騒がしかった二人が、急に仕事モードになる。
基本この二人は、業務時間と休憩時間をくっきり分ける性格なため、どれだけ休憩中にバカをやっていたとしても、業務に支障をきたすことはしない。
だからこそ、僕は二人が休憩中になにしていようが
「あ、そういえば。忘れてないと思うけど、今日は六八二号室の
「了解した」
「……わかった」
「かしこまりです!」
了承の返事が、重なって返ってくる。
同時に、夕方業務の開始を告げるチャイムが、院内に鳴り響いた。
僕らは席を立つと、色の落ち着いた私服の下に着込んでいた『
直後、
これは、専門治療医と認定治療医が業務時間中、着用が義務付けられている治療衣だ。
普段は私服の下に隠れているため、あまり表に見えることはない。
おかげで、常時、着ていても悪目立ちすることはなく、靴や手袋もこれに
あとは、上に白衣を
僕と木下さんはレベル3患者を、嶺吾と桐谷さんはレベル1・2患者を担当として、回診を始めた。
…… ZZZ ……
「日中の脈拍、血圧は安定していますが夕方のこの時間になって来ますと、寝ることへの恐怖でそれらが弱まってきています。特に血中の酸素飽和度も低下していきます――」
「眠りが深く睡眠時の筋肉は活動を止めてしまっているため、寝返りができない状態が続きます。また長い時間眠られている関係から
「
…… ZZZ ……
順序良く回診を済ませていくが、時刻はすでに十九時を過ぎ、それぞれの病室で患者の睡眠活動計や日中の活動計を
しかし、弱音を吐く暇もなく、最後に訪れたのは、休憩終わりに話していた
適切な挨拶を済ませ、病室に入ると、真彩さんと御両親が揃っていた。
僕らの顔が見えれば、カプセル式ベッドの対面に配置されたカウチソファから御両親は腰を上げ、その場で会釈をする。こちらもそれに応え、腰を下ろしてもらう。
部屋は十畳ほどの広さで、全体的に白を
ここでは、患者に余計なストレスを与えないように、自宅に帰ってきたような感覚で過ごしてもらうため、家具のレイアウトなども自由に動かすことが可能だ。
ただ一点、でかでかと存在を主張する睡眠治療用ベッドは、その例外だった。
「こんばんは、凛さんに咲楽さん。今日はよろしくお願いしますね」
ベッド上でこちらを見つめながら、か細くも
今夜、治療を行うことを事前に話していたが、予想と反して、随分とリラックスしている様子に見えた。
しかし、ベッド脇に繋がる行動計を見ると、
そのため、真彩さんの顔に張り付けられている表情が、僕にはどうしても、これから悪夢をまた見てしまう恐怖を誤魔化して、強がっているように映ってしまう。
だからこそ、僕はそんな真彩さんの努力に対し、応えたいと強い想いを抱く。
「真彩さん体調の方はいかがでしょうか、すでに
「いいえ、問題はありません。ご心配かけるほど弱い身体に生んでいただいていません」
御両親の手前、無駄な心配を掛けたくないのか、真彩さんは僕の言葉を遮(さえぎ)った。
しかし、数値は
今、こうして話す間にも、身体は
「では手短に、今夜の治療について簡易的な説明をいたします。たびたび
それに、真彩さんと御両親が了承を示したため、説明に取り掛かった。
「この後、看護師よりストレス
大まかなさわりの説明を終え、「なにか質問や気になった点は?」と尋ねる。
「その、なんでしたか、記憶信号(?)を治療すると、具体的にどうなるんでしたか? いたずらに年を重ねたせいで最近物覚えが……」
お父様が冗談を交えながら、申し訳なさそうに聞くので「納得いくまで、いくらでも聞いてください」と返した後、その問いに答えた。
「ストレスの源になる記憶信号が消えるので、それに関連する記憶が薄れます。これは後に控えるカウンセリング治療を行う際、真彩さんが、少ないリスクでストレスの原因を思い出し、克服の手助けをするための治療法、と思っていただいても差異はないです」
この回答にお父様は理解したのか、大きく
「ではこれより、先ほど説明した手順で、治療を始めさせていただきます」
その後、僕の指示で看護師が真彩さんのバイタルチェックを行い、用意されたストレス誘発剤の投与が完了した。
副作用により、真彩さんの意識が次第に
「ではまた後ほど、迎えに上がります」
これ以上、家族の時間を
「はい、お待ち……、しております」
僕らが病室内から見えなくなる最後まで、真彩さんは、僕らに希望を見出すような眼差しを向けていた。
その夜、21時に時刻が差し掛かろうとした時、待機ステーション内で
…… ZZZ ……
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