第一夜 ボクと病院と感染する悪夢

1:診察室ではお静かに



「あ、アシュラ強制驚嘆病きょうせいきょうたんびょう……ですか?」

「違いますよお母様、遥佳はるかちゃんが患っているのは、『悪種夢あしゅむ強制きょうせい共感病きょうかんびょう』。昨今問題に上げられるあの精神病のことです」


 昼休憩が終わり、13時も4分の1を経過した診察室。

 僕の対面に娘の遥佳ちゃんを抱えながら座る若いお母様が、まことユニークな聞き間違いを披露ひろうされた。


 しかし、厳密に相手の気持ちを汲み取るならば、聞き間違いであってほしかった、だろう。

 うちの子に限ってそんなはずはない、という意志が汲み取れた。


 確かに、お母様が、そう願いたくなるのも頷ける。


 ここ、江南こうなん厚生こうせい睡眠すいみん療養りょうよう病院びょういん受診じゅしんし、先ほどの『病名』を診断しんだんされた者は、例外なく他者を傷つける可能性を持ち、発症者だけでなく、最悪、他者の命も奪いかねない。


 お母様の方も、ようやく、僕が口にした事実を受け入れたようで、顔が引きつり始める。


「まま、いたい」

「――! ご、ごめんね遥佳」


 身体にも緊張きんちょうが出始めたせいで、遥佳ちゃんを抱きしめる力が、無意識に強くなってしまったようだ。


「まだ、他患者様の症例に比べましても、ストレスは低く、脈拍みゃくはく発汗量はっかんりょう、あとは表情筋ひょうじょうきん眼球運動がんきゅううんどう簡易かんい的に測定した結果、断定されるステージは、現段階でレベル1となりますので、……少々お待ちください」


 説明を止め、手元のキーボードを操作し、病床びょうしょうの空きを確認する。

 不幸中の幸いと言って良いものか、先月に多くの患者がレベル変位へんいをしていたね合いで、ステージレベル1の病床には普段より余裕があった。


「そうですね、病床には十分空きがございますので、審査が通り次第、即日入院も可能ですし、追加の検査によっては自宅療養じたくりょうようという形も提案できます。いかが致しましょうか?」


 この提案に、めんを食らったのか、お母様は、軽く狼狽ろうばいしていた。


「も、もう入院も視野に入れないといけないのでしょうか? まだ遥佳は一人で寝るのも怖がりまして……」


 診察室に入り、問診もんしんを通してものの数分検査をしただけで、入院という単語を聞かされたお母様の反応は、至極しごく真っ当なものだった。

 今まで対応してきた患者の中でも、同じ悩みを持つ親は、大勢存在している。


 だとしても、僕は心を鬼にして伝えることは伝えないといけない。

 それがこの精神病を扱う専門治療医としての役目だから。


「今現在、比較ひかく的発症までの猶予ゆうよ期間きかんは十分にあり、突発的な発症へと繋がる可能性は、きわめて低いです。……ですが、何らかの拍子ひょうしでストレスがフラッシュバックし、ストレス値が増幅ぞうふくすることで発症した事例じれいも確認されていますので、こちらと致しましても、提案をさせていただいています」


 僕が念を押すように話す理由は、過去に自宅療養していた患者が発症し、他者を死なせた事件が起こっているせいだ。


 『種夢しゅむ強制きょうせい共感病きょうかんびょう』というのは、周囲で眠っている他者に病だ。

 それだけなら、まだ、危険視されるほどの精神病ではなかったが、この病が恐れられているのは発症者と感染者の脳が夢と現実を区別できない状態におとしいれる点だ。

 これが原因で、夢の中で痛覚つうかく刺激しげきされると、脳が現実でともなったと勘違かんちがいを起こし、現実世界の身体に反映させてしまう錯覚さっかく現象『幻肢痛げんしつう』が起こる。


 僕も過去にこの病気に感染し、命を落としかけたことがあったため、その恐怖や夢から覚めた後の喪失感そうしつかんなどを、痛いほど理解している。

 今回の早すぎる提案は、一人でも同じ思いをして欲しくないが故の提案でもあった。


 しばらく考え込むお母様に、アプローチを掛けてみることにした。


「どうでしょう。例えば、入院という形を取られても遥佳ちゃんが安心して眠れるまでそばに居ていただいても問題ないですし、同じフロアに親族様用の個室も別途べっとご用意できますので、そちらに一番近い病床も手配できますが」


 この提案に一度は「本当ですか!」と声色が一瞬明るくなったが、それもすぐに曇ってしまった。

 どうしたら良いかなど思考を巡らせる間もなく、お母様は口を開いた。


「ニュースやネットの情報を鵜呑うのみにしただけかもしれませんが、病気の感染は、発症者が眠ると心臓の脈動みゃくどうが作る磁場じば(?)が周りで寝ている人の脳波を同調どうちょう(?)させることで、相手側にも同じ悪夢を見せる、と聞きました」


 その疑問符はてなだらけの意見を聞くに、お母様は遥佳ちゃんだけでなく、他患者のことまで気遣えるほど、頭が切れる方だとよく理解できた。


 大抵の場合、パニックに近い感情に押しつぶされてしまい、思考しこうがそこまで回ることはない。

 僕も逆の立場ならそうなっていただろう。


「遥佳は、他の患者さんたちに迷惑をかけたりしませんでしょうか? 私たち親ならともかく人様にだけは……」

「確かにお母様が心配されることはもっともですが、その点でしたら心配には及びません。睡眠治療用ベッドには、電磁でんじ制御層せいぎょそうが組み込まれた開閉式のカバーが付いています。患者様より磁場の発生を検知けんちすると、それが自動で閉じ、磁場が外部に影響を与えないようになっていますので」


 別に今は、相手に病気の感染の仕方などを詳しく話さずにいても、不安要素をんでしまえばよかったので、細かい話は、省略しょうりゃくさせてもらった。


 それを聞いて、お母様は胸をなでおろし、表情が改善されたのがうかがえた。


「でしたら入院の方をお願いしたいのですが、1度持ち帰って、主人とも相談させていただいても?」

「構いません、いつでも受け入れられるよう準備を整えておきますので。何かありましたら、再度、病院にそのむねをお伝えください」


 互いの意見がまとまったため、そろそろめに移る。

 今日は、他の受診予約が普段の平日に比べて多い上に、対応できる医師が、僕と隣の診察室を任された木下咲楽きのしたさくらさんしかいない。

 そのため、回転率をあげねばならなかった。


「では、今しがたの入院と自宅療養の説明を持ちまして、診察は以上となります。お大事にしてください」

「ありがとうございました。ほら遥佳も湧泉わきずみ先生にありがとうは?」

! ありがとござました!」


 母親に腕を軽く持ち上げられ挨拶するよううながされると、遥佳ちゃんは両手を上げると、八歳の小さな体を精一杯広げながら、感謝の意を伝える。


「見た怖い夢について良く頑張って話してくれたね。僕も遥佳ちゃんが早く良くなるようお手伝いするから。……あとね、一応僕は男の先生なんだ、紛らわしくてごめんね」


 背もたれから体を前にかたむけると、遥佳ちゃんの目線に合わせて挨拶あいさつを返すついでに、間違いを訂正しておく。


 よく顔を合わせる病院関係者からも間違われるほど女顔なので、初見の人からは九割の確率で性別を勘違いされる。別段、相手に落ち度はないので、僕は気にしていない。


 ただ、遥佳ちゃんとの会話を聞いた母親の反応を見るに、母親の方も、僕の性別をあやふやに判別していたようで、僕の顔をしばらくチラチラ見ていたのは面白かった。


   ……ZZZ……

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る