湧泉凛は悪夢に魘されない

士笑(ジエイ)@💤😈

第1章:湧泉凛は悪夢に魘されない

第0夜 ボクト悪夢ト罪ト罰 

-1:悪夢の中で

   …… ZZZ ……



「さすがにえぐいな」


 燃え盛るの手が、道端に設置された自動販売機の上半身を飲み込んだ。

 ドロドロに溶け落ちた腹から、ペットボトルや缶飲料が転がり落ちて、側溝そっこうへと吸い込まれていく。

 

 それが、今回の患者である湧泉 凛わきずみ りんの悪夢に悪夢を治療する医師の廣瀬 嶺吾ひろせ れいあが、初めて見た光景だった。


 火事に見舞われた住宅街を、再現した悪夢世界、通称『夢界ゆめかい』と呼ばれる空間に、顕現けんげんした彼は、辺りを見渡し、ライオンのたてがみのように逆立つ髪を、くしゃくしゃにかき混ぜながら、酷く頭を悩ませた。

 

 空は、朱殷しゅいん色に染まり、星明かりなどは、視認できない。

 家屋かおくから家屋へと、延焼えんしょうを繰り返す炎海えんかいは、留まることを知らず、際限はない。

 

「凛のやつ、どうしてここまで放っておいたんだ。さっさと見つけ出して、ここから早く連れ出さないと、あいつ自身もこの炎に焼かれて死んじまうぞ!!」


 嶺吾は、この『悪夢を感染させる病』の発症者、いわば、この世界の核となる凛を探すため走り出そうとしたが、同様に、この夢界に顕現けんげんしていた桐谷 聖きりたに ひじりに腕を掴まれる。


 彼女も、嶺吾と同じく悪夢を治療する医師だったが、こちらは彼と違い、切れ長の目を細め、胸元まで伸びる黒髪を後ろで束ねながら、顔色を一つ変えずに、状況を分析し始める。


「……ここは湧泉わきずみさんの悪夢で、彼のPTSDトラウマを再現した世界。闇雲に走り回るより最適解があるはず、そうでしょ有栖ありすちゃん?」


 聖はそう言って、隣で頬にたれる黒いエクステを指で弄りながら状況を俯瞰している大神おおが・レフェーブル・アイリス・有栖ありすに、情報を求めた。

 有栖は、聖の質問に対し、指を止め少し考えた後、口を開く。

 

はいoui、凛がまだ必ずそこにいます。バカ男un conが焦る気持ちは分かるけど、ワタシは今、それ以上の想いをもって、この治療に挑んでいるのよ」


 この場で最年少ながらも、凛と一番付き合いの長い有栖が、焦燥感を押し殺しているのを見て、嶺吾も「すまん、熱くなって」と冷静さを取り戻した。


「……決まりね、有栖ちゃん案内お願いするわ」

「わかりました。聖姉様、こちらに」


 聖の指示に、有栖は頷くと、目的地へと足早に駆けだした。


 所々、炎海で寸断された道や、崩壊した家屋に押しやられ、道端にはみ出した石垣を、現実離れした跳躍ちょうやくかわしながら急いぐ。

 しかし、そんな彼らの行く手を阻むように、黒い炎で形成された、体長6mほどの巨人が、突如として現れ、地面に拳を叩きつける。


 その時生じた衝撃波は、しっかりと熱さを感じられる熱波だった。

 嶺吾は、咄嗟に聖と有栖の前に立ち塞がり、彼女らを守る。


「……嶺君大丈夫?!」

「ああ、少し腕に違和感はあるが問題ない」

「……全然問題あるじゃない」


 嶺吾は、熱波から顔を守るためにあげた腕を擦りながら答えると、聖は申し訳なさそうに唇を噛みしめる。


「咄嗟ながら、守ってもらったことには感謝します。でもmais、これで貴方に怪我でもされたら、聖姉様に罪悪感が生まれてしまうこと、お忘れなく」

「それには返す言葉もないな」


 有栖は礼を告げると共に、一抹の不安要素を感じ、苦言をていす。

 嶺吾も自分の行動を顧みて、最善の行動ではあったが、反省の意を示した。


「今ので確信したが、今回ばかりは俺たちも『無幻肢痛むげんしつう』を患う可能性があるな。凛の【メア】、聞いてた話よりデカいし、何より、それを構成するストレス残留記憶分子の密度が濃い」

「……嶺君、凛も私たちも五体満足で現実に帰ってくる、って『しずく』さんに大口叩いたでしょ。 ……弱音吐く暇も、出し惜しみしてる場合でもないわ」


 聖は、珍しく弱音を吐く嶺吾の背中を叩いた。

 しかし、気を確かに持って見える彼女の手が震えていることに気付く。

 その強がりを見て、嶺吾は、ようやく、自分の中の恐怖心と、向き合うことが出来た。


 一歩間違えれば、全員、この夢界内で炎に焼き尽くされ、死んでしまい、現実世界で目覚めることは無い。

 ましてや、今回の患者、湧泉凛は、嶺吾と聖にとっては研修時代からともに切磋琢磨せっさたくましてきた同じ医師であり、有栖にとっては、幼馴染に近い存在だ。

 友人とも家族とも呼べる彼を自分たちの医療ミスで殺せない、というプレッシャーが嶺吾たちには圧し掛かっていた。


「――そうだな、最善を尽くすためにも、覚悟決めてやるしかないな。『夢充むじゅう』した後、聖は俺の声聞こえなくなるから、随時、合図に反応してくれ」

「……合図無くても私なら合わせられるわよ」

「ワタシ、凛のためなら出来ること、何でもするつもりよ」


 嶺吾は、それぞれの反応を受け取り、号令をかける。


「それじゃあ行くぞ!」

はいoui

「……ええ」


「「――『夢充むじゅう』!!」

「――……『夢充』」


 嶺吾たちが、特定のキーワードを発した瞬間、黒いもやが溢れ出し、身体を包み込んだ。


 初めは、靄が膨張するように膨れ上がったが、次第に彼らの体表面へと収束し、さっきまで着ていた、黒いラバースーツを異なる衣装へと変化させる。


 嶺吾は、改造された長ランを羽織はおり、腰元には板塔婆いたとうばによく似た木板もっぱんが荒縄で括りつけられ、ガラの悪い風貌へと。


 聖は、灰色の男物パーカーだけが、その柔肌を包んでおり、かんざしをモチーフにした身の丈より長い槍を携え、それにもたれ掛かるさまは妖艶なものだった。


 有栖は、咬傷こうしょう防止のスリーブを腕に巻きつけた婦警の衣服を纏い、傍らに、顕現した二頭の背の高い犬を愛おしそうに撫でた。


『俺が先行して突っ込むから、聖と大神は援護に回ってくれ』

「……背中は私に任せて、絶対嶺君は死なせたりしないから」

「貴方ばかりに責任を肩代わりはさせることはしないわ」


 嶺吾は、手話を交えながら、口をわざと大きく動かし、聖の読唇どくしん術の手助しながら、指示を出す。

 彼女は、そこから彼の意を汲み取り、すぐさま返事を返す。

 有栖もそれに続き、返答すると、嶺吾の行動を待った。


 彼女らの反応を見て、嶺吾は、言葉の通り、炎の巨人に向かって駆け出した。

 近づけば近づくほど、体感温度は増していくため、嶺吾は腰元の木板を一枚外すと、そこに文字を指で書き込み、口の前に構える。


「何秒維持できるか分からんがやるしかねぇ! こと――【閑却かんきゃく】!!」


 嶺吾が【想像の定型文アウェイクワード】を唱えると、それに込められた想像イメージ通り、降りかかる火の粉や熱波が、彼を避けるように道を開けた。

 そして、もう一枚続けざまに、木板を突き出し、巨大なメアの腹部に向けて、言葉を放つ。


「吹っ飛べ! こと――【撥無はつむ】!!」


 再度、【想像の定型文アウェイクワード】を唱えると同時、対象に向かって衝撃波が打ち出され、メアの腹部に大きな風穴が開く。


 それを狙ったかのように、嶺吾の後方で聖は簪の矛先を傾け、有栖は、首に掛けられたホイッスルを咥えながら言葉を紡いだ。


「……とどろいて。雷来ライイ一発雷いっぱつらい】」

「行くよ【テスtess】【テオtheo】――警笛Klaxon攻撃指令Commande d'attaque】」


 嶺吾同様、彼女らも【想像の定型文アウェイクワード】を発すると、聖は、矛先から一撃、巨大な稲妻を放ってメアの頭部をその火力で溶かし、有栖の指示をうけた犬たちは、狩猟本能を全開に飛び出した。


 頭部と腹部の質量を失ったメアは、動くこともままならず、【テスtess】【テオtheo】と呼ばれた犬たちの猛攻に、成すすべなく、その数秒後には、黒い靄となり霧散していった。


「……嶺君ぼうっとしてる暇はないみたいね。まだこれと同じ大きさのメアは、ごろごろいるみたい」

『そうだな、急ぐぞ。お客さんも大勢、ご機嫌なこった!』


 メアを一体相殺そうさいすることができたが、聖らは遠くから地響きから判断し、このスケールのメアが、複数いることには勘づいていた。

 それに加え、彼らの視界の先には、それを小型化したメアが、複数体、視認出来ていた。

 

 嶺吾は、手話を交えながら『気を引き締めて行くぞ』と指示をすれば、彼女らも「……お互いね」「貴方もね」と返し、地面を蹴った。



 …… ZZZ ……

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