十六話 一度だけの…禁じられた言葉
そんな毎日のささやかな時間ですら、枕元のカレンダーは残酷にもうすぐ節目を迎えてしまうことを伝えていた。
新年度を迎えるとき、私はもちろん、先生もこのまま三年生の担任に上がってくれるかなんて分からない。
受験を控えた学年をまだ経験の浅い先生が持つことは、これまでのクラス担任の傾向からしたら、可能性はとても薄いと思う。
お礼をしたくても、先生は生徒から物を受け取らないことで有名。
だから、私は……、先生への手紙を書くことにしたの。
私を最後まで担当生徒として見てくださったこと。
毎日のあの時間を楽しみにしていて、辛い検査や治療も頑張ってこられたこと。
四月から、クラスが変わって不安だらけだけど、精一杯頑張ってみること。
一番伝えたかったのは、一年間、先生の生徒で幸せだったことだから。
でも、それは建て前の話。言ってはいけない……。
それでも、先生が好きです……。
泣いちゃいけないと思っていても、一度こぼれ落ちはじめてしまった涙がいつまでも止まらない。
分かっている。決して書いてはいけない言葉であることは分かっているよ……。
先生と生徒である私たちの関係。
私も女の子である以上、いつかは誰かに恋心が芽生えることもあると思っていた。
小島先生は若くて性格もルックスもよかったから、赴任一年目からいろんな女の子に声をかけられていたというし、それで玉砕したという子が一年生の頃からクラスの中にいたと聞いたのも一度や二度じゃない。
私もそんな一人にすぎないんだって、何度も自分を押し止めようとした。
この人に告げてはいけない……。分かっている。
でも、ここまで私のことを見てくれた先生は小学校から思い出しても記憶にない。
もちろん、担当した生徒だから、先生の責任でやってくれていたのだとも十分に想像できた。
私が自分一人で熱を上げているだけだよ。
きっと先生の中では何人も同じように返してきた冗談か笑い話になって埋もれてしまうだろう。
それならそれでいい。
初恋は成就しないってジンクスは何度も聞いたことがある。
いつか、私も笑って語れるようになると思う。それまでは、失敗の初恋記憶として存在していてもらえればいいんだから。
数日して、驚いたことに先生から返事をもらった。
私が知る限り、返事をもらった生徒というのは初めてだと思う。
「開けてもいいですか?」
「ああ……」
失礼だと思いつつ、帰りがけの先生が見ている前で封を切らせてもらった。
「原田……」
「いえ、大丈夫です」
内容は想像していたとおり。
でも、私のことを少しでも傷が深くならないようによく考えてくれて、言葉を選んで書いてくれたことがすぐに分かった。
ここで泣いてはいけない。逆に先生を苦しめてしまうから。当然の答えなんだもの。
生徒と先生。そう、許される恋じゃない。分かっていたんだから。
なんとか、涙をこぼさずに読みきった。
ちゃんとお礼は言わなくちゃ。
「お返事まで書いていただいて、ありがとうございました。私は大丈夫です。ご迷惑をおかけしました」
それから一ヵ月で、小島先生は私の担任ではなくなった。
「まだできていない。迷惑かけたことはちゃんと謝らなくちゃ……」
お風呂上がりに、部屋の窓を開けて外の風を入れる。
もう過去のこととはいえ、迷惑をかけたのは間違いないのだから……。
先生が消えていった路地を、私はしばらく見つめていた。
原田と別れて自分のアパートへと道を歩く。
住宅街の路地をいくつか曲がり、見慣れた二階建ての建物の前に着いた。
階段を上りながら、ふと気づいた。この階段から見える景色の中にさっきの原田の家があるはずだ。今は暗くて判別がつかないけど、明るいところで見れば方角から分かるかもしれない。
「でもなぁ、これじゃストーカーになっちまう」
我ながら何を考えているのかと苦笑しながら部屋の扉を開けた。
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