エピローグ ~アラン・ベックフォードの推理~

 翌朝、自室のデスクでアラン・ベックフォードは、半分船を漕ぎながら書類整理をしていた。探偵助手アイリスにたたき起こされて無理やり仕事机に座らされたのだ――寝間着姿のままで。


「それにしても先生、昨日はお見事でした」


 そう言いながら、アイリス・クルックは探偵の前に湯気の立ったコーヒーを差し出した。


「おお、コーヒーじゃないか!」


 アランは書類を投げ捨てて小さなカップへ飛びついた。「まさかまた飲めるとは……やれやれ、最近のコーヒーブームには困ったものだね。本当に必要な人の手に渡らないんだから!」

「わたし、アラン先生のために王都中を歩き回って探しましたの。結局相場の2割増しでしたけど、喜んでもらえたようで何よりですわ」


 アイリスも自分用の椅子に座り、アランの何倍も速いスピードで書類をさばきはじめた。ただの書類のファイリングのみならず、家賃の支払いや諸々の請求書、顧客の個人情報が書かれた依頼書や契約書などの膨大な紙の山を一手に処理している様は、やはり公爵家の箱入り娘というよりはやり手の銀行家に教育を施された娘という印象を与える。


 それに比べると、アランに割り振られた仕事というのは、必要そうな書類と不要そうな書類を己の考えに従って分類するだけで、しかもちょっとした紙束という程度である。これじゃあどっちが事務所長なのか分からないな、とアランは心の中で自嘲した。


 玄関のベルが鳴った。


「はいはい」


 立ち上がろうとしたアイリスを手で制し、アランは自らドアを開いた。


「いらっしゃいま――なんだ、君か」


 眼前には、相も変わらず仏頂面のエリザベス・アリスン小隊長が腰に手を当てて立っていた。


「なんだとは何よ。こっちは事件の報告をしに来たのに」

「そんなの手紙でいいって、何度も言ってるだろう」

「っ! そっ、それは……そう、あんたが怠けてないかを見に来てあげてるのよ!」


 エリーはなぜか顔を真っ赤にして怒鳴った。


 部屋の方からくすりと笑い声が聞こえた。


「うーん、まあいいや。入りたまえ」


 エリザベスを来客用の椅子――最近買ったのだ――に座らせ、自らは台所に引っ込み、アイリスが買ってきたコーヒー豆を砕いてお湯を注いだ。


「朝食はまだかい?」

「ええ、起きてすぐにこっちに来たから」


 確かに、エリーの顔には全く化粧っ気がない。普段からあまりしない方なのだが、今日はそれに輪をかけていた。それでも十分美少女と言えるほどの器量なのだから、まったく末恐ろしい。


「なら食べていくといい。わが有能なる助手が多めに買ってきたからね」


 アランはコーヒーとパンをエリーの前に置いた。


「ありがとう。コーヒーなんてよく買えたわね」

「アイリスが買ったんだよ。彼女は将来有能な探偵になるに違いない」


 アイリスはにっこりと微笑んで頭を下げた。


 昨日と同じく、優雅な朝食会が始まった。貧民窟にあって、公爵令嬢と騎士団の小隊長が同じテーブルに就くというのはひどくアンバランスに思える。そして、そこに加わる道化師のような美青年は、彼女たちの食卓を彩るための装置に違いない。


「それで、あの後どうなったのかな?」


 アランがふいに尋ねた。


「そうそう、あんたの言う通りだった」


 エリーは何度もうなずいた。「オリビア・コーンウェルが何もかも自白してくれたわ。でもどうして彼女が犯人だってわかったの?」

「教えてあげよう。アイリスもとくと聞いておくがいい」

「はい」


 アイリスは品よく背筋を伸ばした。


「まずこの事件についてまとめてみよう。


 1. 午前7時、モリス・ウルフが『ケイロンの森』で死体を発見する。死体は死後12時間ほど経っていた。

 2. 前日の夕刻、『レッドウィング』が『ミノタウロス迷宮』に入り、ミノタウロスに襲撃される。この時、パーティーは散り散りになり、少なくとも犯人以外はお互いに合流していない。

 3. 被害者は、パーティーがミノタウロスに襲われてからギルドに帰還するまでの間に殺害された。


 大枠をまとめるこんなところだろう」

「そうね」

「まずは容疑者の絞り込みからだが……これは疑うべくもなく『レッドウィング』の誰かだった。ギルドに問い合わせてみたところ、その時間帯に『ミノタウロス迷宮』に潜っていたパーティーはほかに3組いた。が」

「いずれも『レッドウィング』と面識はなく、また彼らとダンジョン内で遭遇した形跡もないし、お互いがお互いにアリバイを証明している」


 エリーの補足に、アランはうなずき、両指を組んだ。


「モリス・ウルフもその日は依頼を受けず、奥さんと一緒に家で過ごしていたんだから白だ。だから、この点は非常に簡単だった」


 彼は葉巻を取り出して吸い始める。


「次に、僕は死体の謎に取り組んだ。あの死体は血の飛び散り方に違和感があり、また右脚に刺し傷があった。正直に言うと、これらの点について僕は当初解ける気がしなかったんだがね。運命はいつも気まぐれに微笑む……今回はオリビアにではなく、僕に微笑んだんだな。まったくの偶然から、問題の解決の糸口を見つけた」

「それは――?」

「スライムだよ」


 アランは寝ぐせの立った髪をなでつけた。「いやあ、あれの性質には目を見張ったね。君らも見ただろう。あの物体は物質を内部へ取り込んで消化するんだよ。それに加えて、途切れた血痕に、何かが置かれていた痕跡……これはもう、と思ったね」

「でもそんなこと可能なの?」

「ああ、できるよ。僕はダンジョンで、スライムが紅茶を瞬時に体内に吸収するのを見て思いついてね。解散後、サンドラに付き添ってもらって実験を試みたんだ。具体的に言うと、53匹のスライムを被検体として、アルバート・ウィルキンスの死体から流れ出ていた血液量――彼は15歳にしては小柄だったから、多めに4リットル程度を仮定して――スライムに吸収させる実験をした。場所は『ケイロンの森』、なぜかといえば安全でありかつ豊富な水資源があるからね」

「そんなことしてたのね……」


 エリーはあきれて首を振った。アランは上機嫌に鼻を鳴らし、


「結果は大成功だよ。53匹――一匹の例外もなく、瞬時に4リットルの水分を吸収してしまった。これで僕の仮説は説得力を得た。犯人はスライムに4リットルの血液を吸わせたんだよ。……その証拠に、アルバートの死体周辺をよく見てみると、わずかだがスライムの肉片が残存していた」

「でも――」


 異論を唱えようとするアイリスを手で制し、


「言いたいことはいろいろあるだろう。だがまあ、僕の推理の道筋を聞きたまえ。……さて、犯人がスライムに血液を吸わせていたのは分かった。ここでその理由を問わねばならない。なぜそんな必要があったのか? ここでは、死体が湖で発見されていることを手掛かりにしてみたんだ」


 アランはコーヒーを飲んだ。続けて、


「普通に考えると、湖で殺されたと考えるのが妥当だ。しかし僕が不自然に思ったのは、血の飛び散り方だよ。首を斬れば首から血が噴き出すはずなのに、なぜか左の脇腹から血が死体に降りかかっているんだ。変だなと思ったよ。なんでこの血痕はこんな変なふるまいをしてるんだろうって。そこでスライムのお出ましだ。おそらく、犯人は迷宮から湖へ被害者を移した後、その場でスライムを殺したんだろう。スライムだって一瞬で血液を消化できわけじゃないから、ほとんどそっくりそのまま外にまき散らされたに違いないね」

「でもなぜ?」


 エリザベスが顔を上げた。「話を聞いている限り、スライムを殺す必要はないはずよ。血がなければ、もっと不可解な事件になってたはずで――」

「思うにそれこそが、犯人の予期せざる失態であり、同時に僕らに光明を与えてくれたんだろうね」


 アランはしみじみとつぶやいた。「殺す必要がないのに殺したということは、つまり殺さなければならなくなったんだよ。それもその場で、すぐに」

「だから、どうしてよ!」

「スライムは触れたものを体内に取り込んで消化する。だから、犯人にとって何か非常に大事な――それこそ命よりも大事とさえいえるかもしれない何かを、スライムに取り込まれてしまったんだ。だから犯罪がバレる可能性が増える危険を冒して、スライムを殺したんだろう。一瞬でも躊躇するとその何かは溶かされてしまう。わずかでも溶かされるのは許せなかった」

「その、犯人――オリビア・コーンウェルさんにとって命よりも大事なものってなんなのですか?」


 アイリスの目は、おとぎ話を聞く幼子のように純真無垢だった。


「剣だよ」

「剣?」


 今度はエリザベスが疑義をはさんだ。「なんで剣なのよ。確かに取り調べの時にあんたが触ろうとしたら、ものすごい豹変ぶりだったけど」

「よく聞いてくれた!」


 アランは机をたたいてはしゃいだ。「それが――それこそが、事件の残りの謎に光を投げかけるピースなんだよ」

「そのピースとはいったい――」





「ドワーフ? ドワーフって、あの?」

「ああ、あのドワーフだ。人間族に比べて小柄で、鍛冶の技術に長けて、気難しく怪力に優れている、あのドワーフだ。思うにあの時オリビア嬢が剣に触れようとした僕に激高したのは、家に代々伝わる家宝だからじゃない。そもそも家宝だったらあんな風に堂々と持ち歩かないだろう?」

「それもそうね」

「多分、あの剣は彼女が自ら製作したものだったんだ」

「……なるほど」


 アイリスが顎に手を当ててうなった。「ドワーフは自らの製作した武器に並々ならぬ誇りを抱くと聞きます。剣を褒められて嬉しそうだったのも、自分の作品が認められたからなのでしょう」

「そういうことだ」


 アランは新しい葉巻に火をつけた。「だがね。彼女が帯刀していた剣は、アルバート・ウィルキンスの死体につけられていた二つの傷と形が一致しないんだよ」

「そういえば、あの傷と比べて大きすぎるわね」

「そう。だから僕はこう考えた。脚の傷と首の致命傷を負わせた剣が同一のものだったんだろうと。すると今度は剣の出どころが気になるが……これはアリス・ドランが吐いてくれたと思うよ」

「大当たりだったわ。あのウィリアムとかいう男、ミノタウロスに襲われたときに、自分たちのおとりにするために脚に剣を突き立てたらしいの」

「そうだろう。そして、その剣は――おそらく、ウィリアム・モーガンに惚れていたオリビアが、丹精込めて造って贈ったものだった」

「……よく分かるわね、そんなところまで」

「ウィリアムの靴に血痕が残っているという騎士団の発見から思いついたんだよ。こりゃあダンジョンで何かがあったに違いないって。ただ、ウィリアムはダンジョンでの一事ですっかり愛想をつかされたみたいだけどね。その証拠に、彼はもうちょっとで濡れ衣を着せられるところだった。

 さて、続けよう。ウィリアムはアルバートをおとりにするために右脚を刺して動けなくした。もちろん、刺した剣はオリビアが贈った剣だ。三人は散り散りになって逃げたが、いざ危機が去ってみると、オリビアはやはりあの剣が惜しくなった。自分で造った剣だからね、ドワーフじゃなかろうが愛着は湧くだろうさ。

 そうして、剣を回収するためにもう一度ダンジョンへ戻った。彼女はおそらく、アルバートがもう死んでいるものと思い込んでいただろう。死体から剣を抜き取るだけだ、とね。

 


 アランは沈鬱な面持ちで言葉を切った。それから、葉巻を吸ったり、コーヒーをおかわりするなどして気を落ち着かせたのちに、続けた。


「オリビアはびっくりしただろう。死んでいると思っていた戦友が生きていたんだからね。だが、同時に非常に困惑したはずだ。なぜなら、もし彼が生きてギルドに帰ってしまうと、自分たちの犯した非道の行いが明るみに出てしまって、もう冒険者を二度とできないどころか、この国にすらいられなくなってしまうからね」

「おっしゃる通りです」


 アイリスが相槌を打った。


「だから、いっそ殺してしまおうと考えた。彼らは村の幼馴染パーティーだったというから冷酷非道に聞こえるかもしれないが、最近ではもうすっかり瓦解寸前になっていたというんだから、そんな悪魔の囁きを受け入れるだけの素地はできていたんだろう。

 だが殺すのはいいとしても、迷宮で殺すとなると後が面倒だ。第一死体が発見されれば真っ先に容疑者に挙げられるのは自分たちだ……いや、この時点ですでに、彼女は右を向いても左を向いても地獄への一方通行だったのだろう。もはやどうすればいいのか分からなかった。

 そこで彼女の前に現れたのが、スライムだった。おそらく彼女はスライムの性質を知っていたのだろう。何しろ冒険者なんだからね、僕とは違って。しかしてダンジョン内でアルバートの首を、右脚から抜いた剣で掻き斬って殺し、おびただしい流血をスライムに吸わせた。その後死体とスライムを担いで『ケイロンの森』へ赴き、湖に死体を遺棄した。犯行現場を錯覚させるためにね。それに、そんな芸当は普通の人間には不可能だろうが、怪力を誇るドワーフの一族なら苦も無くやってのけただろう。これでウィリアムの犯行の線は消えた……スライムはどこか人目のつかないところへ――消化が終わって赤色がすっかり消えてなくなるまで見つからないところに隠そうとしたんだろう。だが、何かのはずみで、オリビア製作の短剣がスライムの体内に入ってしまった。実を言うとこれはチャンスだった。なぜって、剣もろともスライムを隠してしまえば、あわよくばスライムは剣を消化しきってくれて凶器を完全に隠滅できるんだからね。だけどやはり、ドワーフの遺伝子に刻まれたプライドがそれを許さなかった。苦悶の末に、彼女はスライムを殺して剣を取り出した。だから多分、凶器は彼女の自宅にあるか、隠されているだろうね」

「その件はこっちでも進めているわ。もう見つかるのは時間の問題ね」

「やれやれ、まったく疲れた!」


 腕の後ろで両手を組んで、アランは天井を見上げた。古びた梁が太く横たわっている。彼は物思いにふけっているようだった。


 その時、玄関のベルが鳴った。


 今度は沈思黙考する主人に代わり、アイリスが出た。


 扉の外には、この安宿の看板娘が立っており、手に今朝の朝刊を抱いていた。


「おはようございます、アイリスさん」

「おはようございます、エミリーさん。朝刊を届けに来てくれたの?」

「はい!」

「ありがとう」


 礼を言って、アイリスは彼女から新聞を受け取った。玄関を閉めて新聞をめくると、彼女はなんともおかしそうな表情を浮かべた。


「先生、先生」

「?」


 ポケットをガサゴソ漁っていた探偵は動きを止めた。


「これ見てくださいよ、今朝の朝刊です」

「どれどれ」


 アランは新聞を受け取って一面を見た。と同時に噴き出し、まったくおかしそうに新聞をデスクに投げ出した。エリーも投げ出された新聞を見て、一緒に笑い出した。

『ダンジョンでの殺人事件! ミノタウロス迷宮に吸血鬼現る!』


「おいおい」


 アランは机をバンバン叩いた。「ヴァンパイアなんて出てこなかったぞ!」


                                     了

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

アラン・ベックフォードの「迷宮」入り事件簿 黒桐 @shibusawa9113

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ