ミノタウロス迷宮
冒険者ギルドから『ミノタウロス迷宮』へ向かう一行の足取りは重かった――ただ一人を除いては。
探偵は、まるでこの先にあるダンジョンに事件の最も重要なカギが隠されているとでも確信しているかのようだった。彼は足取りも軽やかに――ことあるごとに、ころころ話題を変えては他の三人のワトソンに話を振っていた。
「や、向こうに雲が見えるな。こりゃ一雨降るぞ」
「キマイラを知ってるかな? 僕は一度見たことがあるんだ。あれこそが神の存在する証明だとしたら、よっぽどこの世界は狂ってるな」
「ラドクリフ伯爵のご令嬢は世にも珍しい未来余地の能力を持っているらしいが本当なのかな」
始終こんな調子でいる。息をつく間もなくしゃべり続けるので、先に聞き手の方がばててしまった。むろん、呼吸もなおざりにべらべら語っていたアランの方も、ぜえぜえと浅い呼吸を繰り返していたのだが、彼は自分の身に起こっていることも知らずにやはり興奮の絶頂にあった。
「ちょっと、ストップ! ストップ!」
ようやく、耐えかねたエリザベス・アリスンが立ち止まった。一行にやや遅れて、先頭に立っていたアランも足を止める。
「どうかしたのかね?」
「どうもなにも……さっきからちょっとおかしいわよあんた」
アランは顎に手を当て、
「……確かに、興奮を沈めるために少しとりとめもなく喋り過ぎたみたいだ。すまないね。どうも、興奮していては冷静な捜査ができないものだから」
「ならいいけど……」
すぐにダンジョンの入り口に着いた。
一見すると、『ミノタウロス迷宮』は巨大な岩である。木も草も苔もついていない裸の肌で、それが横に広くどこまでも続いている。正真正銘の死を体現したモニュメントのようだ。読者の皆様には、オーストラリアにそびえるあの有名な巨岩を思い浮かべていただくとよいだろう。
死の記念碑には穴が開いており、それが一行に向けてあんぐりと口を開けている。まるで捕食者のようだ。事実、ここには数多くの冒険者が引き寄せられ、蜜を吸い、そして食い殺されている……。
アラン・ベックフォードは入り口のところの岩肌に手をついた。
「入り口はここだけなのかい?」
「いや、違う」
即座にサンドラ・ブレイクが否定した。「さっき『レッドウィング』の奴らも言っていたと思うが、この迷宮は上空から見ると円形になっていてな、放射状に出入口が開いているんだ。そして、その中心部にミノタウロスがいる」
アランはポケットから折りたたまれた紙を取り出して、広げた。
そこには円形の図形の中に錯綜した迷路が描かれており、右上に方角が書き込まれている。円周上には等間隔に八つの出入り口が描かれており、中心点に値するところには不格好な怪物のデフォルメされた姿が描かれている。
そして、彼の手によって、『レッドウィング』の三人がたどり着いたと証言した出入口にそれぞれ丸が付けられていた。
「なるほど、そのようだね」
アランは満足げにうなずくと、『ミノタウロス迷宮』の地図をエリザベスに渡した。「では道案内を頼むよ、わが騎士殿」
「はあ? なんで私が……ったく、しょうがないわね」
エリザベスはほかの面々を見てまともに地図を読めそうなのが自分だけであることを悟り、甘んじて役目を受け入れた。
「ところで、このダンジョンに棲んでいるモンスターを教えてくれるかな」
アランは隣を歩いているサンドラに目を向けた。
「このダンジョンにはそれこそ腐るほどモンスターがいる。スライム、ゴブリン、オーク、トロール、オーガ、ヴァンパイア……あらゆるモンスターの揃った、まさしく冒険者の登竜門にふさわしいダンジョンだよ。事実、このダンジョンと取っ組み合って冒険者としての人生を終える人間もいるくらいだからな」
「君はよく来るのか?」
「まさか」
サンドラは自信満々にそう言ってのけた。実際、S級冒険者たる彼女にとっては、こんなダンジョンは寝起きでも踏破するのは容易いだろう。
とはいえ、非力な小市民たるアランにとっては恐るべき場所だ。サンドラとエリザベスがいるからこそ堂々としているけれども、一人で入れば1分のうちにズタズタに八つ裂きにされた挙句、ダンジョンのシミになると決まっている。
それを自負しているからこそ、大したことない恩を着せて、ダンジョンへ行くときは決まって紅蓮女帝を伴うのだ。
一行は目の前の穴からダンジョンへ入った。
壁に埋まっている石が発光している。そのおかげで、道の行き止まりまでとは言わずとも、戦うには十分なくらいの視野が確保できている。
アランは人づてにしか聞いたことがないのだが、この石はとある錬金術師が創り出したものらしい。ダンジョンはその構造上日の当たらないものもあるが、そういうダンジョンには、真っ先に攻略に乗り出した冒険者が壁にこの石――
道中にはさしたる危険はなかった。モンスターが出てくるとサンドラが一刀のもとに切り捨て、あるいは命を奪うには十分すぎるほどの魔法を使って瞬殺してゆく。それをあくび交じりでやってのけるのだから恐ろしい。
おかげで、エリザベスも迷宮の案内に集中できた。
だから、『レッドウィング』のメンバーが来たという地点に到達するのに時間はかからなかった。
「ここが彼らがやってきた地点のようね」
「ほほう、ここが……」
アランはさっそく例の拡大鏡を取り出して、周囲の地面のみならず、壁や天井までも詳細に調べ始めた。
「なるほど、確かに蹄のような跡がある。本当にミノタウロスがここまでやって来たんだな……壁には何か鋭利なもので穿たれた跡がある。おそらくミノタウロスが斧を振り回してつけた傷だろう」
彼がそうして調査をしている間、他の三人はアイリスが持ってきたサンドウィッチを食べて休憩に入った。
「ははあ、なるほどな!」
ふいに、アランが大きな声で叫んだので、三人はぎょっとして彼の方を見返った。探偵は地面から壁になるちょうど境目のところに顔を触れんばかりに近づけ、何かを一心に見入っていた。
「ちょっと、そんな大声出したらモンスターが来ちゃうでしょ!」
エリザベスが怒りながら彼の方へ近づいて、膝を曲げた。
「ふふん、そんなことどうでもよくなるくらいの発見をしてみせたよ」
顔を上げたアランの目は、病的なほどに輝いている。
「何を見つけたっていうの?」
「これだよこれ、これを見たまえ」
アランが指さしたところには、ただ何の変哲もない壁があるばかりで、いくら目を凝らしてみても目を引く点は見当たらない。
「何があるっていうの?」
「これを使いたまえ」
アランは拡大鏡を手渡した。「もっとよく見るんだ。あるだろう? ここに……」
「あ、血痕!」
今度はエリザベスも素っ頓狂な声をあげたので、サンドラとアイリスも彼女たちの方へ近づいてきた。
しかしアランはまだ満足いかない様子で、
「何を言っているのだ。その血痕をもっとよく見ろ」
「見ろったって、これ以上何も見当たらないわよ」
「よく見ろ……分からないか? 血痕が途切れているだろう……何かで遮られたみたいに」
「あ、ほんとだ!」
確かに、探偵の言う通り、壁についた血痕は、本来あるはずの半身を失っていた。つまり途切れていたのだ。
まるで自分が名探偵になったような気がして、柄にもなくエリーは興奮した。
「こ、これはつまり、どういうこと?」
「何かが置かれていたんだろうね」
エリーの肩越しに小さな血痕を見つめ、アランは冷静な表情で言った。「それと、その付近の地面を見たところ、物体が置かれていた痕跡はあるが、それほどくっきりとは残っていない……」
アランは四つん這いになって地面と目線を合わせた。彼の言う通り、円形に似た跡が、血痕のついている壁のすぐ下の地面についている。しかしとてもかすかなもので、普通なら看過してしまうほどだろう。
「物体は軽かったようだね。これでだいぶ絞れてきた。しかし、問題はまだまだ山積みだが――」
と言いかけた時、彼の視界の端が、ぽよんぽよんと揺れている物体をとらえた。
「なんだ? ……スライムか」
光石の光の下で水色に輝いているスライムが、生物なのかもよく分からない身体を揺らし、時には軽くジャンプしながら移動している。それが、三人の婦女たちの食いかけていたサンドウィッチの上を通ると、サンドウィッチはスライムの中へと吸い込まれていった。
「ほほう! これがスライムの捕食行動か! 実に興味深いぞ……待てよ」
顎に手を当ててスライムを観察していたアランは、アイリスの持っていた紅茶の入ったティーカップを引ったくると、中身をそのままスライムへとぶちまけた。
「あ、ちょっと! 何するんですか!」
アイリスの抗議も聞こえないくらいの集中力で、アランはスライムを観察した。
紅茶をかけられたスライムは一瞬動作を停止したが、またすぐにぽよんぽよんと動き出した。そして、紅茶はスライムの身体へと吸収されていった。
「素晴らしい!」
「何がよ?」
エリーがいぶかし気に尋ねると、
「謎が解けたよ」
アランは自信満々の面持ちで断言した。
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