現場へ(2)
四人は馬の蹄と車輪の音が遠のいていくのを背中で聞きながら、さっきアランが調べた森の出入り口へと入っていった。
湖は森の中ほどに位置していた。
広い手の葉っぱを茂らせた木々の間からそれは姿を現した。やはり四方八方を木に覆われており、木と湖の間――つまり湖畔にはうっとうしいほどの蘆の葉が群生しており、六月の時節柄、小さな虫や昆虫なんかがそこかしこにいた。
温室育ちのアイリス公爵令嬢はもちろん顔をしかめたが、それ以上に反応を示したのは探偵だった。
「おいおい、冗談じゃないぞ。こっちへ来るな、あっち行け!」
と何度も言いながら、バーガンディの靴で虫を蹴り飛ばすしぐさをしている。エリザベスはそれを面白そうに眺め、
「ほら、あれよ」
と、男女数人が集まっている一角を指さした。いずれも鈍い銀色に光る甲冑を身に着けていることから、騎士団員であることが容易に見て取れた。
一行が人だかりへ歩いていくと、ふいに騎士団のうちの一人が振り返り、
「おい、ここは関係者以外立ち入り禁止だぞ……」
と言いかけ、エリザベスを見やると、
「し、失礼しました小隊長!」
と慌てて頭を下げた。騎士団のほかの面々も敬礼をする。
「いいわよ、別に」
「あの、そちらのお人たちは……」
「ああ、これが今回の捜査協力者」
エリーの紹介に、アランが優雅に一礼する。
「アラン・ベックフォードです。どうぞよろしく」
「ベックフォード……ああ、あなたか!」
浅黒い肌の騎士団員が声を上げた。「存じてますよ、あなたの功績! 特に『常闇の墓場』の件は――」
「ありがとう」
アランはそっけなくそれだけ言うと、騎士団の輪に囲まれた中心へと脚を踏み入れた。そこに死体が転がっていた。
まず何よりも彼の目を引いたのは、その死体がおびただしい血によって飾り立てられていることだった。
血の出どころは言うまでもなく少年の身体だろう。そしてどの部分から流れ出したかというと、おそらくぱっくりと斬られた首からに違いない。
「ずいぶん深くまで斬られているねえ」
アランがのんきそうに言うと、
「はい、頚椎もろとも切断されています。なぜこれで……文字通り首の皮一枚がつながっているのか、不思議でなりません」
新人らしい、若い男の騎士が答えた。
「君はユーモアのセンスがあるね。将来はきっと出世するだろう」
「あ、ありがとうございます!」
感極まって勢いよく頭を下げる新米騎士を、アランは珍獣でも見るかのような目で見やった。
「死因は?」
「えーっと……」
新人は手に持っていた書類をめくった。「出血多量によるショック死かと。その出どころは多分——」
「うん。でも見てくれ」
アランは血の海と化した地面をつま先で示した。「この血、不自然ではないかね?」
「と言うと?」
「飛び方だよ。首から出血しているはずなのに、あたかも横っ腹から血が飛び散ったような感じだ」
「はあ、言われてみれば、まあ……」
新米騎士は申し訳なさそうに頭をかいた。「すみません。自分、まだ新人なもので、あまり分からないんです」
「それなら仕方がないね。僕が言いたいのはつまり、だな。これがアルバート・ウィルキンスから流れ出した血なのか、それとも他の血が混ざってるのかということだよ」
アランは死臭が消えるほどの煙で顔を覆い隠した。
「な、なるほど……」
新人は感服した目でアラン・ベックフォードを見た。道化師探偵は再び死体へとかがみこみ、「もう一つ気になる点がある」と言った。
「見たまえ。ここに一つの刺し傷がある」
アランは死体の右脚のももの部分をつま先でつついた。「この傷はどうだろう? 僕の見るところ、首を切った凶器と同一のものだと思うが……」
「ええ、それは間違いないでしょう。マンチェスター副長がそうおっしゃってましたから。副長、剣には目がないんですよ」
「ほほう、ここにはロビン・マンチェスターもいるのか!」
「いえ、正しくはいた、ってところです。先ほど、容疑者を集めるためにギルドへ行かれました」
アランはあからさまに残念そうな顔をした。
「けど、首と脚の傷が同じ凶器でついた傷だといっても、何の意味があるのでしょうか」
アイリス・クルックが尋ねる。死体を前にして全く物怖じしていない。
「大ありだよ。首の部分はまだ傷が生々しいのに対して、脚の方の傷はそれよりかはいくぶんふさがりつつある……つまりだな、この二つの傷はつけられた時間に差があるんだよ」
「なるほど……でも、どうしてでしょうか?」
アイリスが興味津々に聞いた。
「それが分かれば苦労はしないさ」
と言いつつ、アランはすでに死体から目を転じて周囲の自然に隠された何かをキョロキョロと探していた。そして、
「なるほど、あっちからやって来たんだな」
とつぶやき、彼が目を向けた方角へと歩いた。それから再び拡大鏡を取り出し、蘆の葉に隠れた湖畔をじっくりと眺めた。
「どうしたんですか?」
「蘆の葉が踏み倒されている。おまけに足跡付きだよ――人間の」
彼が指さすところには、確かに蘆の葉が何かになぎ倒された痕跡がある。倒れた蘆は、ある方角へと向かって連綿と続いている。
「状況からして人間が踏みつけたんだろうね。そしてその人物は……」
「あちらから来た、と」
「そうだ」
アランは真剣な顔でうなずいた。「しかも、湖畔の土には足跡がついているが……一組しかない。つまり、犯人だけがこっちから来たのか、それとも被害者だけがこっちから来たのか、二者択一に絞られたね」
「さすがですわ、先生」
「おいおい、まだ捜査は全然進んでないんだぞ」
アランは肩をすくめた。「なあサンドラ、この倒れた蘆の先には何がある?」
「『ミノタウロス迷宮』だな」
「やっぱりね。新米くん、被害者の死亡推定時刻は?」
「16時間前の前後、ってところしか分からないです。すみません」
新米騎士がぺこぺこと頭を下げた。アランは彼の肩をぽんぽんと叩いた。
「上出来だよ。ならやはり、被害者はダンジョンの攻略を終えて出てきたところを殺されたのだろう……」
アランはぱっと顔をあげ、
「現場検分はおおかた済んだし、証人尋問といこうか」
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