現場へ(1)

 アラン・ベックフォードはエリザベスを部屋から追い出し、可憐な助手に己の仕事着を以て来させた。カーキ色のジャケット、ヴァイオレットのシャツ、ベージュのズボンにバーガンディの靴……彼曰く、「これこそが探偵たる自分に最もふさわしき衣装」ということなのだが、彼の生まれついての輝くばかりの金髪に、碧落のような瞳と相まって、どう見ても道化師か、生まれついての道楽者にしか見えない。最も、これでいて身持ちは固く、いまだ浮名をもって親愛なる王国の民に破廉恥なニュースをもたらしたことがないのだから、大したものである。


「ハーレクインのお出ましね」


 ドアを開けて笛吹き男が姿を見せるのと同時に、エリーが皮肉っぽくつぶやいた。


 アランの後ろにはアイリス・クルックが楚々として付き従っている。羽根のついたトーク帽にワンピースという出で立ちで、手には小さなカバンをつけているところを見ると、病弱な令嬢がどこかへ小旅行にでも行くような様子である。これから殺人現場に向かうなどとは誰も思うまい。


「さあエリー、行こうか。まずはギルドだな。サンドラを呼ばなければ」

「どうしてよ? 私がいるし、騎士団だっているわよ」


 アランは白い手袋をはめた指を振った。


「分かってないなあ。蛇の道は蛇、冒険者の道は冒険者に限るんだよ」


 彼は口笛を吹きながら貧民窟を歩き始めた。今日も目つきの悪い若者がうろつき、宿のない飲んだくれが酒臭い息を吐きながらぐうぐう眠り、ぼろきれに身を包んだ身寄りのない子供たちが群れを成してゴミ山を漁っている。


「……ひどいものね」


 エリーがつぶやく。


「ひどい?」


 アランは愉快そうに笑った。「彼らはみんな生きているんだよ。自分たちのニッチを自覚して、あがきながら。それをとやかく言うのは少なくとも僕らの役目ではないだろう」


 エリーはそれには答えなかった。ただ彼女は、この路地に生きる人々をなるべく見ないようにして歩いていた。それはアイリスも同様だった。


「まだ慣れていないのだね」


 アランが問うと、アイリスは恥ずかしそうに顔をうつむけた。


 あまりにも掃除が行き届いていない区画だ。流血の跡があり、糞尿が片付けられもせず散乱し、獣に食い荒らされたゴミが散乱しており、腐りきった死体のシミがすぐそれと分かるほどに痕跡を残している。驚くべきことに、この光景に対して原住民たちは何も思うところがなく、あたかもそれが彼らに神が与えたもうた自然であるかのように――このパラダイスを闊歩していた。しかし、失われた楽園と異なるのは、そこに住む人々の目が一様にして生気を吸い取られたかのようにうつろであることだろう。


 この貧民窟が形成されるのは四〇〇年以上もさかのぼることになるが、もはやその歴史を知るものはなく、記録にも残っていないため、ただ「かつて大きな戦争があり、滅びた国からの移民によって形成された街」という程度の知識しかない。


 女――ここには似つかわしくないほど豊かな肉付きの女がアランにぶつかった。


「あら、ごめんあそばせ」

「こちらこそ。お怪我は、マドモアゼル」


 しりもちをついた女にアランが手を伸ばすと、女は品を作ってそれを握った。


「ねえ、お兄さん。あたしの家に来ない? お礼がしたいのよ……お・れ・い」

「あいにくだがね」


 アランはその握られた手を無造作に振りほどいた。「僕には時間がないんだ。また時を置いて参るとするよ。さよなら」


 アランが速足でそこを歩き去るのを、エリザベスとアイリスが負った。


「とんだハニー・トラップだ!」


 彼は誰にともなく毒づき、ポケットからタバコを取り出して火をつけた。




 やがて一行は王都の広場にたどり着いた。


 目指す冒険者ギルドは、王都の中心たる広場に面して建てられていた。石造りの冷ややかな外見に、それとは不釣り合いなほどに燃え上がるような赤い旗。そこには、二つの剣が交差している紋章が縫い取られている。


 三人が扉をくぐると、朝まだきひんやりとした空気が頬を撫でた。と同時に、中にいた働き盛りの冒険者たちが一斉に彼らの方を向き、それから目をむき、不吉なものでも見てしまったかのような表情になって目をそらした。


「どうも僕らは歓迎されてないようだね」


 アランは顔を煙で覆いながら言った。


 サンドラ・ブレイクはすぐに見つかった。へそを出し、太ももを露出した大胆な格好をした彼女は、三つある受付窓口のうちの左側の窓口に立ち、最前狩って来たらしいモンスターの素材の買取交渉をしている。


「やあ、紅蓮女帝」

「ん?」


 振り向いたサンドラは鬼のように不機嫌な表情を浮かべていたが、アランの顔を認めると、一転して笑顔に変わった。


「おお、アランか!」


 彼女はアランの手を取ってぶんぶんと振った。「ちょうどよかった。この女が金を出し渋るからもめていたところなんだ。なんとかしてくれないか?」

「脳筋のバカ女」


 エリーがつぶやいた悪態は、サンドラによって無視された。


「お金くらい出したまえよ」


 アランは朗らかな声で言った。「我らがS級冒険者殿にはいくら金を出しても出し足りないだろう?」

「しかし、予算にも限りが――」

「だがそのうち、王都外の冒険者ギルドが――」

「ですが、こちらにも事情が――」


 その後も渋る受付嬢をなだめすかしているうち、ようやく彼女もサンドラの言い値で買うことを承諾した。


「世俗のことは苦手なんだがね……」


 アランは煙を大量に吐きながらぼやいた。「それよりサンドラ、今日の予定は空いてるかな?」

「ああ、もちろんだが……デートか?」

「ああ。とびっきりのデートスポットに連れてってあげるよ」


 サンドラは顎に手を当ててしばらく沈黙し、


「いいな。乗った!」




 三人に赤い髪の女を加えた一行は、痩せた御者の操る馬車に乗った。


「『ケイロンの森』に」


 エリーが指示を出した。


「ですが旦那方、あそこは今封鎖中で――」

「僕たちは騎士団関係者だよ」


 と言って、アランが騎士団長の押印がなされた委任状を見せると、御者はしばらく眺めたのち、


「……これは失礼を」


 とあいまいな笑みを浮かべて謝罪し、飼い主に似て痩せた馬に鞭を打った。馬はいななき、爪の切り方が甘い脚を運び出した。


『ケイロンの森』は王都の城壁を抜けたところのすぐに存在している。なんでも幻の種族――ケンタウロスがかつて住んでいた森だということから、それにあやかって名付けたという。


 木々の密に繁茂した森だが、地面の方は案外整備されており、雑草は刈り取られ石は除けられ、馬車でも乗り入れることができるほど障害物が少ない。


 入り口に着いて馬車から降りると同時に、アラン・ベックフォードはポケットから拡大鏡を取り出して膝をつき、仔細ありげに観察し始めた。


「足跡は……五種類ありますね。この森で人が出入りするのはここの出入り口だけなんですか?」

「いえ、そんな」


 御者は自らの肩をもみながら、大儀そうに言った。「この森はいろんな人が出入りしますからね。ここばかりじゃなくて何か所も出入口があるんでさあ」

「そうか。ありがとう」


 アランは立ち上がって膝についた土を払った。それから拡大鏡をもとのポケットにしまい、代わりにそこからタバコとマッチ箱を取り出した。


「さ、行こうか。現場へ」

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