事件の知らせ
「朝っぱらからぐうたらしてないで、たまには仕事を取りにでも行ったらどうですか、先生?」
銀色の髪の令嬢に嫌味を言われ、アラン・ベックフォードは新聞からしかめた顔を上げた。
「なぜ僕が自ら出向かなければならない? 君が行けばいいじゃないか、助手くん」
「私が行ったところでどうなるっていうんですか。それに、先生の健康を気遣って言ってるんですよ。せっかく私が助手になったのに、来る日も来る日も起きて本を読んで寝ての繰り返しで……いい大人が恥ずかしくないんですか」
「……僕は君を深窓の令嬢だとばかり思っていたが、とんだ見当違いだったみたいだ」
アランはデスクに両脚を投げ出して脚を組んだ。「学生寮の女将顔負けだよ、君の生活力は」
「おほめいただき光栄です。……さて、先生。わたしは今から買い出しに行ってきます。その間、お留守番をお願いしますね」
アイリス・クルック――クルック公爵家の次女はそう言い、羽根のついたトーク帽をかぶった。身に着けていた白のワンピースと相まって、このほこりくさい下宿屋にあってもなお、浮世離れした美しさを放っている。
「おい、ここは僕の家だぞ、君――」
その時、来訪者を告げる玄関のベルが鳴った。アランとアイリスは飛び上がり、急いで玄関へと向かってドアを開け、愛想よく「ようこそベックフォード探偵事務所へ!」と声をそろえて言った。そして、その一瞬後、二人の顔に失望の色が落ちた。
ドアの向こうには、黒い髪を背中まで伸ばし、騎士団の軽装に身を包んだ美少女が立っていた。
「なんだ。君か、エリー」
「なんだとは何よ、なんだとは」
エリーはアランの長身の身体を押しのけて部屋の中へ入った。「あら、なかなか片付いてるじゃない。前来たときはひどいものだったのに」
「有能な助手を雇ったからね」
アイリスはスカートの裾をつまみ上げて、優雅に一礼してから台所へと引っ込んだ。
「まあかけたまえ」
アランは新しく買った来客用の椅子をすすめた。エリザベス・アリスンはそこに座り、腕と脚を組んだ。腰に帯びた剣のかちゃかちゃいう音が鳴った。
「ご多忙な小隊長がこんなところに何の用だい?」
「仕事よ。あんたに仕事を持ってきてやったの」
台所からアイリス嬢が出てきた。木製のお盆を持ち、その上には湯気の立ったティーカップが二つ載っている。そのうちの一つをエリザベスの前に置き、もう一つをアランの前に置いた。
「ありがとうございます、お嬢様」
エリザベスが大真面目な顔で礼を言うと、
「あら、わたしはただのアイリス・クルックですわ。家柄のことはどうぞお忘れになって」
アイリスは忍び笑いを漏らした。アランはそのやり取りを見て笑みを浮かべ、
「さて、仕事の話といったね。聞こう」
「その前に、あんたのその恰好……どうにかならないの?」
エリーが顎をしゃくる。なるほど、我らがアラン・ベックフォードの今の格好は、薄っぺらな布で仕立てられたパジャマという出で立ちで、お世辞にも客商売をする姿ではない。
「だしぬけに訪ねてきたそっちが悪いだろう。不満なら一度ご退場願うが」
アランはデスクの向こうの椅子にどっかりと腰を下ろした。
「いいえ、そのままでいいわ。用件は早めに伝えたいから」
エリザベスは、アリスンが持ってきた赤茶けた壺から砂糖を一つまみ取り出し、紅茶に入れた。「事件よ、殺人事件。それもダンジョンで起こった……ね。被害者はアルバート・ウィルキンス。一五歳。冒険者パーティー『レッドウィング』の一員。『レッドウィング』はD級冒険者パーティーで、彼のほかにウィリアム・モーガン、アリス・ドラン、オリビア・コーンウェルの三人が所属しているわ。全員一五歳。今年成人したばかりで、四人で村から出てきたみたい――つまり幼馴染だったってこと」
「新米冒険者か。なんとも気の毒なことだね」
アランは組んだ指を動かしていた。
「死体が発見されたのは『ケイロンの森』。ここは――初心者御用達のダンジョンね。さらには薬草や食用の草を集めに女子供も出入りしてるみたい」
「牧歌的な風景が目に浮かぶよ」
アランは机の引き出しをごそごそと漁り、葉巻タバコとマッチを取り出した。「続けたまえ」そう言って、彼はタバコに火をつけ、深く煙を吐いた。
「ここからが本題なんだけど」
エリーは紅茶を一口飲んだ。心なしか、声が震えている。「六月一三日――昨日の夕方、パーティーは『ミノタウロス迷宮』というダンジョンに潜り込んだ。ゴブリンを間引く依頼を受注していたみたいね。そしてダンジョン攻略後に……」
「殺害された、のか」
エリーは重々しくうなずいた。
「死体は森の湖のほとりで発見されたわ。今朝、ちょうどそこで散歩していた冒険者が発見してギルドから騎士団に通報が上がってきてね。それで私たちが動いたってわけ」
「ちょっと待て。『ミノタウロス迷宮』と『ケイロンの森』の地理的な関係は?」
「すぐ鼻の先よ」
「ふむ。……聞くところでは何の変哲もない殺人事件だね」
アランは盛大にタバコの煙を吐いた。「だが、真に手ごわいのはそういった平凡な殺人事件だ。異常な事件というのは得てして解決の糸口が分かりやすい……とっかかりがつかめるからね」
「確かに今回の事件は――ごくありふれたものよ。言っちゃ悪いけど、人が一人殺された、それだけ。今は何時かしら?」
「そこの時計が正しければ、午前11時24分だね」
アランは長い指で、隅っこの壁際に寄せて置かれている古びた振り子時計を示した。エリーはそちらへ向くと、今はじめてその存在に気が付いたかのように驚いた表情を浮かべた。
「あんなもの、いつ買ったの?」
「僕が買ったんじゃない、そちらの見目麗しい助手が買ったんだ」
アイリスがにっこりと微笑む。
「だって安かったんですもの。骨董品店で1万ゴールド! 先生だって時間くらい知っておいた方が良いでしょう?」
「古来より」
アランは窓を開けて煙たくなった部屋の空気の喚起をした。「人が時間を知る方法はいくらでもある。たとえばほら、家が路上に落とす影からでも分かるし、夜になれば月や星の位置でだいたいは分かるものさ」
「また言い訳ばかり言って――」
「まあ、そこのおんぼろ時計には感謝してるよ、一応。なぜなら毎朝決まった時間に腹の底に響くような不気味な音を立てるんだからね――8時33分に。おかげで今日も早起きだ」
「よかったじゃないの」
エリーの皮肉に、アイリスが満足そうにうなずいた。
「とにかく、話を戻そう。それで、事件がどうしたって?」
「そうそう。……騎士団が事件の捜査に取り掛かったのが9時4分。まだ日が昇らないうちから入ったギルドからの通報ではせ参じたの。幸い、死体の第一発見者から当初の状況を聞くことができたわ」
そう言うと、エリーはどこからか安物の手帳を取り出してページをめくり始めた。
「えーっと、第一発見者はモリス・ウルフ。冒険者パーティー『テンペスト』の一員みたい。でも、この『テンペスト』ってパーティーは彼含めて二人しかいないらしいの」
「それじゃあパーティーというよりバディーだな」
「まあ、お上手」
アイリスが音を立てずに拍手した。
「……彼が死体を発見した時刻は、多分午前7時前後ね。家を出たのが6時半で、彼の家から現場まで歩くと30分くらいかかるみたいだから」
「詳細な情報だ!」
アランは感心したように言った。「成長したね、親愛なるエリー。事件の糸口は決まってきめ細かな記録から見えるものだからな」
「おほめにあずかり光栄よ」
エリーは無感動な声で続けた。「モリス・ウルフが森――『ケイロンの森』の湖にたどり着くと、そよ風に揺れる蘆の葉の隙間から何か妙なものが見えた。怪しく思って近づいてみると、血まみれの死体があった。仰天したモリスは這う這うの体で始業前のギルドに転がり込んで、早出の職員に事の次第を伝えた。知らせを聞いた職員はすぐさま現場に急行して死体の存在を確認し、騎士団に通報、そして騎士団出動――という流れね」
「聞きたいことが山ほどあるな! たとえば、モリス・ウルフ氏なるものがなぜそんな時間に森へ入ったのか……」
アランは癖のないブロンドの髪をいじくった。
「日課の散歩中だったそうよ。5年前から毎日欠かしていないんですって」
「だが、『ケイロンの森』にはモンスターもいるんだろう?」
「いるにはいるけど、弱くて無害なモンスターしかいないみたいね。仮に襲われたとしても、彼なら簡単に返り討ちにできるでしょうし」
「ウルフの冒険者ランクは?」
「Bよ」
「ご立派なものだ!」
アランは左手で頬杖をつき、右の人差し指でデスクをコツコツと叩き始め、やがて顔に思索の色が浮かび上がった。
ふと、エリザベスは彼のデスクの上に広げられているものに気が付いた。
「それ、今朝の朝刊?」
「ん? ああ、できたてほやほやだよ。今日も天下は太平だね」
「ちょっと見せてよ。あたしも朝たたき起こされて来たんだから、ご飯すら食べてないのよね」
「それを早く言いたまえ!」
アランはすぐさまアイリスを見た。「クルック君、この美しきご客人にパンとワインを持ってきてくれ」
「はい、先生」
アイリスは軽い足取りで再び台所へ入った。
「ワインはいらないわよ」
エリーがその背中に声をかけた。アランは肩をすくめた。
「なんだ、一杯くらいやっていきなよ」
「騎士団が職務中にお酒を飲むわけないでしょう」
エリーはこめかみを抑えながら言った。
アランはエリーに新聞紙をたたんで渡した。エリーはたたまれた紙を開き、一面から斜め読みをしていく。そうして二、三回ほどめくったところで、
「これ、なに?」
とアランに聞いた。アランが椅子から尻を浮かせて彼女の手元を覗くと、
「ああ!」
と声を上げた。「僕がじっくり読もうと思ってしるしをつけてたんだね」
それは新聞の後ろの方の、目立たない――隅っこに申し訳程度のコーナーが設けられた記事だった。ペンで大きく丸がつけられている。
『モンスター学者が語るモンスター図鑑 第三回 スライム』
と見出しが出され、その下に細かい文字でびっしりと文章が書かれている。
「スライムぅ?」
エリーはあきれたような声を上げた。「なんでこんなの読もうと思ったのよ。スライムなんて、そこらの書店で図鑑買えばどこにでも載ってるじゃない」
「いいじゃないか。知ってる知識を磨き上げるんだよ。何事も反復が重要だからね」
アイリスがパンを三つとワインの入ったグラスを二つ持ってきた。そしてそれぞれ配膳し、
「乾杯」
と言って、小さな口でパンをほおばった。小動物みたいだな、とアランは思いながら、自らも遅い朝食を取り始めた。起きてから煙しか入れていない身体は、神の肉片を神の恩寵と等しく敬って吸収し、神の血液は彼のしなやかで鋭敏な身体をめぐって彼に地上での義務の履行をうながした。
「それにしても、スライムは実に面白いね。いったいあれは生き物なのかい?」
「私に聞かないでよ。分かるわけないでしょそんなこと」
「おいおい、騎士団たるもの日々勉学に励まないといけないだろう。特にモンスター学なんてのは、捜査につきものじゃないか」
アランはパンをちぎってワインの池に浸し、丁重にそれを含んだ。彼が眉をしかめたところからするに、その取り合わせは失敗に終わったらしい。
「スライムとは」
彼は幾分目覚めた声で言った。「薄い表皮と99パーセントの液体で身体を構成している。分裂して増える。かすかな衝撃を受けただけでも表皮が裂け、中身の液体が漏れ出し、死ぬ。……どうも液体は何らかの生命活動に携わってると見た方がいいように思えるね」
「ふうん」
エリーはパンをかじった。心底どうでもよいという表情を浮かべている。
「どこにでもいるのに謎多き生物……どうだい、まるで事件のようじゃないかね? 騎士団の携わる……」
「そうかもしれないわね。あ、アイリス、お茶おかわりもらえるかしら?」
「君は遠慮がないなあ。もちろんいいとも」
アイリスはエリーの差し出したカップを受け取り、新たに茶葉とお湯を淹れて差し出した。
「ありがとう。アイリスの淹れた紅茶って、なにかこう、一味違うわよね」
「貴族の嗜みですわ」
アイリスは微笑み、自分に配られたカップに口をつけた。
「ごちそうさま!」
しばらくすると、アランがパンとワインを平らげた。「おいしかったね。特にアイリスが持ってきてくれたワインは絶品だったな」
「ありがとう、先生。これは実家から取り寄せてきた南の共和国産の最高級ワインなんです。温暖で雨の少ない海の見える街で作られたブドウから絞られた――」
「一杯やったことだし、ではさっそく事件現場に向かおう。朝から仕事をするのは耕すアダムの義務だよ!」
「もう昼よ」
エリザベスはあきれたようにため息をついた。「でも、まあいいわ。現場に残った人たちが何か見つけてくれてたらいいんだけど……」
「見つけてることを祈ろう。さもなくば給料をそっくり返納してもらうしかないね」
アランは愉快そうにつぶやいた。
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