プロローグ ~少年が見た最期の光景〜

「クソッ、こんな浅いところでお出ましになるなんて聞いてないぞ!」


 そう言って毒づく少年の身体は、余裕そうな口調とは違って恐怖で震えていた。普段は気丈――というよりも傲慢に近い態度も、本能的な死への恐怖に相対しては形無しである。


「ね、ねえ、どうするの……あたしたち、生きて帰れるの!?」


 少年の隣で、少女が恐ろしさのあまり甲高い声で絶叫した。杖を持つ手は震え、背が高く美しいスタイルも、豊かな金色の髪に縁どられた可愛らしい顔立ちも台無しだ。


「……撤退を検討しましょう」


 年と比べると小柄な少女が、震え声で、しかし敵からは目を離さずに提案する。先の二人はそれに肯定を以て答えた。


 無理もなかろう。


 彼ら――新米冒険者パーティー『レッドウィング』の目の前にいるのは、不気味なほど筋肉に覆われた身体、手には斧を持ち、顔は――血に飢えた牛の化け物。


 ミノタウロス。


 人外の怪力と凄まじい敏捷性を併せ持った、冒険者にとっては最悪のモンスターである。


 討伐推奨ランクは「A」。


 対する『レッドウィング』は――。



 D。



 勝ち目は、万に一つもない。


「み、みんな大丈夫……?」


 ただ一人、愚鈍そうな表情を浮かべておろおろしている少年がいたが、


「っるせえよ!」


 ともう一人の少年に怒鳴られ、おびえた顔になってうなずいた。


 四人は走り出した。


 と同時にミノタウロスも、地の底の地獄から響いてくるかのような雄たけびをあげて走ってきた。


 速い。


 四人は一五歳という年齢になったこともあり、体格は大人とそん色ない。が、所詮は人間。いくら彼らが短い手足で必死に走ろうとも、ミノタウロスの身の丈三メートルを超える巨躯からは逃れるべくもない。


 どんどん双方の距離が縮まっていく。


 それに比例して四人の顔に濃厚な絶望の色が浮かんでくる。


「はあっ……はあっ……もうだめだ……」


 先ほど怒鳴られた少年が、息も絶え絶えにつぶやく。呼吸は浅くなっており、顔には異常な量の汗を浮かべている。過呼吸に陥っていた。


 それもそうだろう。


 少年の狭い背中には――四人のパーティーの荷物がすべて覆いかぶさっていたのだから。それは食料や薪、飲み水などの必需品が入っており、それだけで人ひとり分くらいの重量にはなる。


 しかし、


「おい、なにボサッとしてやがんだよ! 走れ馬鹿が!」


 リーダー格の少年はそんなことおかまいなしに少年を罵った。


 やがて――


「ちょ、ちょっと! 追いつかれるわよ!」


 金髪の少女が言う通り、すでにミノタウロスは目と鼻の先に迫っていた。もう数瞬で、斧の攻撃の範囲内に入ってしまう。


 四人は目に見えて焦った。


 リーダーの少年はしばし思い悩んでいたようだが、ふいに、


「……悪く思うなよ」


 聞こえるか聞こえないかという声で呟き――


 刃物を抜き――


 

 荷物持ちの少年の右脚を刺した。



「がっ……」


 刺された方はうめき声とともに、前かがみに倒れこむ。


 剣が。


 突き刺さっている――。


「があああああああああああぁぁぁぁぁぁああああああああああ!!!!!」


 耳をつんざくような絶叫が、迷宮中に響いた。


「ちょっ、あんた――何やってるの!」


「うるせえ! こうでもしないと俺ら助からねえよ!」


「……あれは私の……!」


 二人の少女の非難にも悪びれることなく――しかも悪いことに、二人の少女もこれ幸いとばかりに逃げ足を速めた。


「お、おい、みんな……」


 刺された少年は、表情がすべて抜け落ちた顔を浮かべ、救いを求めるように右腕を伸ばした……が、力なく、それは地へと堕ちた。


 身体が、寒い。


 生きる力が――抜けていく。


 死。


 明確な死の気配が――死の足音が近づいてくる。


 目がかすみ始めた。


「ゆる……さねえ……」


 少年は目を閉じて地面へ突っ伏し。


 そして――。

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