アラン・ベックフォードの推理(3)


 一同は死んだように沈黙した。ただジェームズとアイリスの父娘だけが、目の前の道化師のような探偵がもたらした世にも幸運なニュースにすっかり舞い上がり、頬が紅潮し、今にもここを飛び出して愛する肉親を迎えに行かんばかりだった。


 アラン・ベックフォードはそんな彼らの様子を視界の隅に見ながら、冒険者ギルド一階の壁にかけられた大幅の絵を、指でなぞって感心しているようだった。


 この永遠とも思える冥土の沈黙を破ったのは、ルートヴィヒ・ヴェイマンだった。


「……じ……じゃあ、あ、あなたは……ジャンが生きていると、そうおっしゃるんですか?」

「ええ、まあ、そういうことになるでしょうね」


 一幅の絵から目を転じたアランは言った。


「馬鹿な……信じられない!」


 ジョン・ジョーンズが喉の奥から獣のような押し殺した叫びを発した。


「僕もあり得ないと思いましたよ、ジョーンズさん」

 アランはうんざりしながら、煙のくゆるタバコを振った。「なにせ、さっきも言った通り、あのダンジョンは密室状態だったんですからね。それに、あなた方も彼の行方を本当に知らないという。困ったものですよ。こういう事態に一筋の解釈をつけるのが探偵の仕事ですが……いやはや、なんとも疲れた」

「でたらめ言うんじゃねえ!」


 ジョーンズはテーブルを蹴り倒して咆哮した。


「おや、どうしました?」

「どうしたもこうしたもねえぞ! ジャンが生きてるだと? なぜそんな世迷いごとが言える!? あんな状況で消えたら――生きてるわけないだろうが!」

「すると、あなたはジャン氏には死んでもらったほうが好都合ということになるのですね」


 アランが淡々と言うと、ジョン・ジョーンズははっとしたように身をこわばらせ、真っ赤だった顔がみるみるうちに蒼白になり、血の気が失われた。まるで科学実験を見ているようだった。


『暁闇』のメンバーの疑惑の目が濃くなる。それに気づいたジョンは、「ち、違う……」とうろたえ、どこへ逃げるでもなく一歩二歩後ずさった。


「前置きが長くなりましたね。ともかく、これで我々はジャン・クルック生存説にたどり着きました」


 アランは無視して続けた。「といっても、僕が生存説にたどりついたのは、一昨日――ジャン氏の宿に訪れた時のことだったんです。実はそこに行ったのも、ジャン自殺説を前提として、一応形だけでも捜査はしておこうって思ったからだったんです」

「おい、待てよ。ジャンの宿なら俺たち騎士団も捜索したぜ。そして四人がかりで探ったが、めぼしいものは何も出なかった。もちろん、その中には一人だって阿呆はいない」


 ここまで沈黙を守ってきたロビン・マンチェスターが、腕を組んだまま不機嫌な顔でそう言った。


「ええ、そうでしょうね。あれには芸術を審美するような繊細な目がなければ、なかなか気づくものではありませんよ」

「それで、何を見つけたの?」


 ミシャ・ウントが恐る恐る訊ねた。


「ジャン・クルック氏の部屋にあった化粧品ですよ」

「ああ、あれか」


 マンチェスターは言った。「だがあれには変なものは紛れてなかったぜ。おおかた、ジャンの女が持ち込んだものだろうよ」

「ところがどっこい、そこが落とし穴だったんですねえ」


 探偵はいかにも楽しそうに言った。「僕も最初はそう思いましたよ。素顔の分からぬ仮面の男ながらやることはやっているんだとね」


 アイリスが抗議の目を向けたのを感じて、アランは肩をすくめた。


「続けましょう。で、僕がその化粧品を調べていて――気が付いたんですよ」

「だから何に?」


 エリザベスが焦らしたように問う。


「あの化粧品は最近――それもごく最近、二四時間のうちに使われた形跡がありました」

「えっ……」

「変だなと思いました。でもまあ、ジャンのガールフレンドが戻って来たんだろうなと思ったんですけど、どうも変ですよね。なぜ死んだボーイフレンドの部屋にわざわざ帰ってきて、化粧品を使って身づくろいして、それをそのまま置いて帰ってしまったのでしょうか。どうもしっくりこない。それに、宿の受付嬢に聞いたことなんですが、ジャン氏がダンジョンで失踪した日以来、彼の部屋を訪ねてきたものは――一人を除いて、いないという証拠も押さえているんです。そしてその一人はジャン氏の妹だと僕は決めつけていました。が、変だな、おかしい……いや、おかしいというよりも、つじつまが合わない。出来事の痕跡と証拠が矛盾している。ですが僕はここでようやくある一つの可能性――そう、可能性にして最も重大な真実に気が付きました」

「それとは、いったい……?」


 ルネ・コリンズが不安げなまなざしで言った。


 アランは一呼吸置いて、答えた。



 沈黙。


 そして、一瞬ののち、火山が噴火したような、恥知らずな騒ぎが巻き起こった。


 ジョン・ジョーンズは跳ねるように立ったかと思うと、泡を吹いて失神した。ルートヴィヒ・ヴェイマンが駆け寄り、水を飲ませたが、まだしばらくは目を覚まさなさそうだ。ルネ・コリンズは腕を組んで聞き入っていたが、やはり彼を象徴する長い髪の毛は戦慄に震えている。ミシャ・ウントは豊満な美しい肉体を自らの両腕でかき抱き、あまりのショックで遠くなりそうな意識を必死につなぎとめていた。ジェームズ・クルック公爵閣下は韋駄天のごとくギルドの外へ走りだすと、待機していた従者に向かって急いで愛する我が子の捜索に取り掛かるようにと命令を発したが、恐ろしい形相で唾を吐き吐きだったので、逆に従者は怯えで縮み上がってしまった。アイリス嬢はもはやうっとりとして美貌の探偵の横顔を眺めていた。それはまさしく神を崇拝する信徒の表情だった。


 だがそんなカーニヴァルも、探偵が我関せずといった表情で椅子に座り、スパスパタバコを吸っていると、なんだか自分たちがとても愚かな行動をしていることに気が付き、踊り子たちはそれぞれ元の席に戻った。


「さて、休憩時間はもういいですかな、喜劇役者諸君」


 アランは皮肉たっぷりに言った。「幕間に演じるとしてもひどい劇だったが……まあいい。ジャン・クルックは女性だった。なぜ僕がこの結論に至ったかといえば……うん、さっきの化粧品が決め手だったのは確かだが、ほかにもありましたよ。小柄で華奢——なんでもアリア・キール氏と同じくらいだったというじゃないですか。それに、このように解釈したほうが都合がよろしい。なにより、彼――失礼、彼女が七歳のころから仮面を被っていたことにも説明が付く」

「というと?」


 ロビン・マンチェスターが言った。


「七歳といえば、男女の性差が身体に現れ始める年齢だ。その頃までは天使のように可愛らしかった子どもたちも、地獄の罰のように全身から毛が生えてくる、その前兆が現れてくる年齢だ。そうだとすれば、公爵閣下が彼女に仮面をかぶせて男のふりをするよう命じたことにもうなずける」

「ちょっと待って、なんで男のふりをする必要があるの?」


 エリザベスのもっともな問いに、彼は肩をすくめ、


「平民様には分からないだろうがね、貴族には貴族の社会っていうやつがあるのさ。家督は男しか告げないんだ――それも直系の男子がね。そして、クルック家は不幸なことに男の子に恵まれなかった。このままでは御家取り潰し、しかしはるか昔から受け継いできたクルックの家系を絶やしたくはない。じゃあ、やることは一つ、男装の麗人を生み出すことだったんだ」

「……」

「こうして男装した娘――ジャン・クルックが誕生した。閣下も胸が痛んだろうが、けなげなことにご子息――いや、ご令嬢は己に課せられた運命にもめげずに果敢に立ち上がった。いや、泣かせてくれる。実に真相を知った時、僕は涙が落ちるのを必死にこらえていたよ。至って純粋で高潔なる女子に、なぜ神はかくも過酷なる十字架を負わせたのか……いやはや、真実は神のみぞ知る、だね。だが僕に言わせれば、こんな神はいない方がよかったんだな……失礼、話がそれました」


 折から燃え尽きかけた葉巻をギルドの石の床にもみ消し、彼は新しく葉巻を取り出した。しかしマッチを使い切っていたので、舌打ちをしてタバコを戻した。

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