捜査篇(8)
彼が公爵閣下の執務室に入った時、公爵のデスクは山のような書類に覆われていた。
「おや、来客かね」
書類の山からひょいと顔を現したのは、痩身の、知的そうな男だった。口にたくわえた立派な髭はていねいに整えられており、片眼鏡をかけている。
「ぶしつけな訪問をお許しください、公爵閣下。アラン・ベックフォードと申します」
アランが恭しく一礼をすると、公爵は笑い声をあげながら、席を立ち、彼の前に歩み寄ってきた。かなりの長身で、手足の長いアランにも引けをとらない。一見して最高級と分かるタキシードに身を包んでおり、貴族にありがちな、不摂生による自堕落でだらしなく出た腹も、放蕩による目のたるみも、無知蒙昧を懺悔する赤い鼻も、どこにも見当たらない。
公爵は来訪者をしげしげと観察した。
「なにか?」
「いや、失礼」
慇懃な声で公爵は言った。「道化師が技芸を見せに来てくれたのかと思ったよ。ジェームズ・クルックだ」
「所望なさればいくらでも芸は見せますよ」
アランは早口で言った。
公爵は客人をぴかぴかのテーブルに座らせ、
「さて、道化師殿。君は確か、私のジャンの事件の捜査にかかわっているとか」
「かかわってるも何も」
アランは肩をすくめた。「全部丸投げですよ、騎士団は。どうも帝国軍の動きがきな臭いとかで」
「また戦争が始まるのかね。この――平和な時代に。時代錯誤もいいとこだ」
「平和な時代であれば、失踪事件なんてのも起きてほしくはないですがね。閣下、僕が来たのはそんな与太話をするためじゃないんですよ。もちろん、アイリス嬢とお近づきになるためでもない」
「うむ」
「ただ、もう僕には事件の真実が見えてるのでね。ここでは一つ、簡単な質問だけさせてもらえれば結構です」
「ほう、では犯人を知っとるのか!」
公爵の片眼鏡の奥に、鋭い光が宿った。
「ある意味では、ですがね。さ、質問といきましょう。といっても公爵、これは事件に関係のあるものでもなんでもないので、おそらくあなたが聞いたら拍子抜けされること請け合いですが……なあに、その分ご気分を害されることもなく、安心して執務に戻れるというものですよ」
「前置きが長いな、道化師殿。ここは舞台ではないぞ」
「ええ、失礼」
アランはひとつ咳ばらいをし、「それでね、質問というのは」と続けた。「ジャン殿は動物がお好きだったのか、ということですよ」
「動物だと?」
公爵の、片眼鏡のかかった方の眉が上がった。
「ええ、そうです。ジャン・クルックは動物がお好きだったのか、それだけを確かめたいんですよ」
「ふうむ……確かに、動物は好きだったよ、あの子は。屋敷に住んでいた頃は、いつも動物たちと戯れておった」
「僕がお見受けしたところ、動物はおりませんでしたが」
「あれが家を出てから、みないなくなったのだ」
公爵はため息をついた。「アイリスも動物たちと慣れておったから、たいそう悲しんでいたよ。私もペットを買い与えようと思っていたのだが、連日の仕事に忙殺され、いつしかすっかり忘れ去ってしまっていた」
「興味深い事実ですね。まるで聖人伝説を聞いているようだ」
「話はそれだけかね?」
「すみません、閣下。もう一つだけ」
アランはにこにこと笑った。「ジャン殿は、この家の跡取り息子なんですよね?」
「ああ、そうだが……」
公爵は面食らったように言った。「あれは誇らしい跡取り息子だよ。それが何か?」
「なるほど」
アランはうんうんと何度もうなずいた。何かを考えているようだった――そして何かを得心しているようだった。やがてうつむいた顔をあげ、彼は信じられない言葉を放った。
「公爵閣下。あなたは一つ、嘘をつきましたね」
屋敷から出たアラン・ベックフォード氏は、『常闇の墓場』事件にて密室の完成に手を貸した御者の馬車に乗り、騎士団本部へ飛ばすよう命じた。王都に戻り、騎士団が黄昏時に頭を揺らしているところに勢いよく入っていった彼は、手近にいた若い男をとっつかまえ、明日の朝九時、この騎士団の中で最も敏腕かつ勇気にあふれる者を数名冒険者ギルドに寄越すよう命じ、豪壮な室を辞した。またその足で石造りの冒険者ギルドへ赴き、大至急、明日の同刻、『暁闇』のメンバー全員とサンドラ・ブレイク、それから御者——マーリン・オーウェンというらしい――をここに集めるよう、残務を処理する職員に命じた。そうしてレストランで食事を済ませ、一時間かけて自室へ帰り、服を脱ぎ散らかして暖炉に火をくべると、本を読みふけり、日付が変わる頃に眠りに入った。
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