捜査篇(3)


 王都から馬車に乗って数時間、森を抜け、山を越えた谷を越え、すっかり景色が一変したあたりに『常闇の墓場』は存在している。


 そこは鬱蒼とした樹海の広がるど真ん中に、ぽっかりと地獄の穴のように口を開いている。モンスターたちが音もなく徘徊し、昼も夜も危険の気配が絶えない。むろん、一般人はよほどのことがない限り近づかない。そして冒険者も、たいしてこの場所に価値を見出していないということもあって、一種の秘境のような様相を呈していた。


 そこに三人の人物が降り立った。


 まず一人は、宇宙のような黒髪を流麗になびかせた美少女。まだまだ初々しいが、すでに身から放たれる覇気は小娘のそれではない。


 そして次に、少し癖のついた赤い髪の毛を背中まで伸ばした、これまた美しい女だ。腹部と太ももをむき出しにした美女で、先の美少女を上回る風格を備えている。


 最後に降り立ったのは――これはまた、死んだようなこの地にとっては、先の二人の美人よりも似つかわしくない男だった。カーキ色のジャケットにヴァイオレットのシャツ、ベージュのズボン、バーガンディの靴といういでたちで、おまけに自身も黄金に輝く頭髪と透き通るような碧い目を持っている。ある人が見れば彼はハーレクインだと言い、またある人が見れば彼は王の隠し子であると言う。


 そして誰もが、彼を――天性の遊び人である、と推測するであろう。

「ふう。いやはや、ずいぶん遠いところへ来てしまったものだねえ。僕はもう、王都のサンドイッチが恋しいよ」


 その遊び人風体の男は、そんなことを飄々と言った。三人の中では最もひ弱そうなのに――事実彼に戦闘能力は皆無である――この異様な地に降り立ってなお、まったく怖気づいていない。


「これくらい冒険者にとっては普通だ。騎士団のお嬢様にとってはどうかは知らんが」

「馬鹿にしないでください。三日間飲まず食わずで行軍することだって朝飯前です」

「二人とも、けんかはよしてくれよ」


 アラン・ベックフォード探偵は言った。「これから先はダンジョン、つまり常に死の危険が伴っている。特に僕は魔法も使えないし、剣だってろくに振るえないんだから」

「分かってるさ。お前のことはこのサンドラ・ブレイクが命に代えても守る」

「あなたの出番はないでしょうがね」


 エリザベス・アリスンがふんと鼻を鳴らした。


『常闇の墓場』の中は――なるほど、確かに一寸先も見えない真の暗闇が広がっている。ダンジョンの外はまだ明るい日差しが木漏れ日となって降り注いでいたにもかかわらず、まるで別世界のように――事実、ダンジョンの内と外は明確に光度が異なっており、境目がはっきりしていた。と同時に、鼻をつくような悪臭に、思わず手で鼻を覆った。


 アランは持ってきたランプに火をつけた。


 暗闇が払われる。


「ふむ。モンスターの気配は全くしないね」

「ここはまだ入り口付近だからね。明るさを嫌うモンスターたちは寄ってこないのよ」

「そして、そのモンスターというのは?」

「アンデッドだ」


 サンドラ・ブレイクが代わって答えた。「スケルトン、グール、ヴァンパイア――それに、アンデッド以外にも、シャドウ・ウルフやダークゴーレムなんかもいる」


「へえ。この臭いはアンデッドのものというわけか」


 二人の女が平気そうな顔をしているのを、アランは化け物でも見るような目で見つめた。


「特にシャドウ・ウルフには気を付けることだ。まったく気配を感じさせず近づいてきて、そのまま喉笛へかみついてくる。獲物は骨も残らない、って話だ」

「勘弁願いたいね、どうも」

「でもシャドウ・ウルフがいるのは八階層からだから、遭うことはないはずよ。ヴァンパイアも上位種であれば一〇階層、ダークゴーレムは一三階層からしか現れないはずだから、三階層までで出会うのはまあ、スケルトンやグールの類ね」


 ダンジョン内は赤褐色の土で固められており、ところどころに小粒な宝石が埋まっている。ここを訪れる冒険者にはうっちゃっておかれているのだ。


 こんな大きさじゃ金にもならないからだろう――アランはそんなことを考えながら歩いた。


 途中、おぞましい姿をしたモンスターに何度も遭遇したが、かたや泣く子も黙るSランク冒険者、かたや新進気鋭の女騎士、並大抵のモンスターが敵うはずもなく、一刀のもとに切り捨てられていく。


 しかも二人が競うようにしてモンスターを討伐しているものだから、もはやモンスターの方が災難だった。


 やがて彼らは三階層に降り立った。


 そこは一階層とも二階層とも同じような真っ暗闇が広がっており、良く言えば恐怖、悪く言えば退屈な風景である。


 モンスターも徐々に強くなってはいるものの、二人を脅かすほどの者でもない。アランも悠々と物思いにふけりながら、白昼での真夜中の散歩を楽しんでいた。


「ブラボー! 二人とも素晴らしいよ!」


 ふいに、彼は感極まったように叫んだ。「ダンジョンには何度も来たことがあるが、やはり君たちがいると一番心強いね。実力も申し分ないし、余計なおしゃべりをすることもない」


 そう言って、彼は彫刻のような顔に笑みを浮かべた。


 と、その時、彼はあるものを見て、驚愕に目を見開いた。


「お。おい――」

「なんだ、どうした?」


 アランがランプを掲げた先には、影のように黒い、四足歩行の物体がいた。


 真っ先に正体に気づいたのはエリーだった。


「あれは――シャドウ・ウルフ!」


 叫ぶや否や、エリーとサンドラは前に出て、今にもアランにとびかからんとしていたモンスターの前に立ちはだかった。


 獣が吠えた。


 エリーが前に出て剣を構える。ウルフは彼女を見据えて目にも止まらない速さでとびかかったが、彼女はそれをいなし、一刀のもとに切り捨てた。


 エリーは無感動に剣を鞘に納めた。


「妙ね、ここにはシャドウ・ウルフはいないはず……」

「スタンピードが近づいているんじゃないか?」


 サンドラが言った。


 スタンピード。


 すなわちダンジョンにあふれかえったモンスターが、活動場所と食料を求めてダンジョン外へ出てくる災害である。


 普通はその事態を未然に防ぐために、冒険者ギルドが定期的にモンスターを間引いているのだが、ここには手が回っていなかったのだろう。たかが初心者パーティー一

組が頑張っても意味はほとんどない。


「けどここのモンスターたちは日の下には出てこられない。決壊寸前のダムといった趣だね」


 アランはナチュラルマッシュの髪をいじりながら言った。「多分夜になると外に出てくるんだろう。後でギルドに報告しないとね」

「ギルドは今まで何をしていたのかしらねえ、紅蓮女帝さん?」


 エリーが嫌味たっぷりに言うと、サンドラはふんと鼻を鳴らしただけで答えなかった。


 やがて、三人は件の隠し部屋の前にたどり着いた。


 一直線に伸びている道の脇にぽっかりと開いた穴がその出入り口だった。


「ここね」


 エリーが言うと、二人も立ち止まった。


「へえ、ここが」


 アランは遠慮なしに部屋へと入り込んだ。


 そこは広さで言うと冒険者ギルドの大広間程度のもので、開けた場所だが、宝箱はなく、また、遮蔽物も見当たらない。


「隠れることは不可能だったか」


 アランは部屋の中を歩き回り、何か遺留品がないものか探していた。また、持ってきていた拡大鏡を取り出すと、地面にはいつくばって足跡やその他痕跡がないかを徹底的に捜索し始めた。


 やがて、


「おい、これを見たまえ」


 二人が駆け寄ると、アランは地面にあるものを指さした。


「騎士団が荒らしまわったせいではっきりと区別はつかないが、この小さい足跡だよ。地面が固いからちゃんと付いていないが、人間のものではあるまい」

 エリザベスがアランから拡大鏡を借りてその足跡を検分する。

「確かに、獣――いえ、モンスターの足跡みたいね。けど、それがどうかしたの?」

「いや、大した意味はないんだ。事件当時にモンスターがここにいた証拠かもしれないが、その前についたのかもしれないし、その後についたかもしれない。それより、血痕が見当たらないな。ここでは何も起きなかったというのか……?いや、違うな。壁の色か」

「結局何が言いたいの?」


 アランは首を振った。


「ここでは手がかりらしい手がかりを得られなかった、ということだよ」

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