約束のGolden lace

 その写真には黄色い花が咲いていた。

 何気なく裏を返して見ると何か書いてある。


『小さなお姫様へ  椎名より』





「シイナ?」

「何だ?」

「ひゃああ」


 後ろを振り向くと、そこには不良品──椎名という名前の思い出のお兄さんが首からカメラを下げてそこに居た。


「どうして?」

「何だ、こっちに来るなら連絡くらいしろよ。飯の支度してないぞ」

「何でここにいるの?」

「ここにいたらダメなのか? 俺カメラマンなんだ。ここの家賃代わりに家事して、風景や草花を撮ってる。言ってなかったか?」

「お手伝いロボ」


――じゃなかったの?


「ロボは古くて壊れたんだと。だからお婆さんに手伝いを申し出てな。……お、その写真まだ持っててくれたのか? 懐かしいな」


どうして?

ずっと覚えてたの?

何で言わなかったの?


――って言うかお手伝いロボだと思ってたのにっ!!


「美奈と約束したからな。その花の名前分かるか?」

「え?」

「教えたろ? 女郎花おみなえし

「庭にある? あれ咲いた?」

「まだ咲いてない」


 咲いてないと聞いて私はそのまま庭に下りた。



 空は紫から群青に移り行くはざま


 庭の女郎花は咲きたいのに咲けないと風に揺れ泣いていた。


「もう咲いていいんだがな」


 ぽつりと椎名がこぼすので横に立つ彼を見上げる。


「ありがとう」

「何だ急に」

「約束覚えててくれてありがとう」

「ああ」


 椎名が少し照れたように首の後ろを掻く。


 黄昏時だから言えた言葉かもしれない。私の顔も椎名の顔も薄墨に溶けて輪郭さえ朧だった。




「むすびもありがとう。ご馳走様」


 それはずっと言いたかった言葉。伝えたかった感謝。


 やっと言えたと身体にこびり付いた錆が落ちていくように心が喜びに軽くなる。


 感謝表現をする事の悦びを知った、その刹那、花の咲かない女郎花からぽわんと光が上がる。


 それは初め蛍かと思った。




 だが、次第に光は幾つも現れ私たちをまばゆい光に包み込んで行く。



 まぶしさに目を覆い隠すと、すぐに光は消えてしまった。


 何だったのだろう?


「おい見てみろ、咲いてるぞ」


 椎名の声に目を凝らすと、女郎花はぷっくりと可憐な花を見せていた。


 近付いてしゃがむと、一本の茎に何かが結ばれているのを見た。手を伸ばすとそれはキラキラと煌めく黄色のレースリボンだった。

 確か押見江南の首にあったのと同じもの。


「女郎花は Golden lace とも言う」

「ゴールデンレース?」


 その名前はこのリボンそのものだったわ。




「押見江南って名前なんだが、」


 躊躇しながら椎名が言葉に詰まる。


「何?」

「平仮名で書いてみるとな……」


 そう言って椎名は紙とペンを取ると、さらさらと文字を5つ書いて見せた。


【おしみえな】


「平仮名が何?」

「順番を入れ替えてみろ」


 何だろ、と悩むが私の頭では何も考え浮かばない。う〜ん、と眉を寄せる顔を見て椎名はまた文字を書き足した。


【おみなえし】


「え? あっ!?」

「だろ?」


【おしみえな】の文字を並べ替えると

【おみなえし】になる。


「押見江南は女郎花? 女郎花の妖精だったのかな?」

「妖精か。……そうかもな」

「押見江南はさ、私に感謝表現を教えてくれたんじゃないかな。親切に対して感謝する、そんな当たり前の事が私出来なかった」

「女郎花の前で俺に『ありがとう』って言ったから、女郎花も咲いたって言うのか?」

「うん、そうだよ」


 庭では黄色い花が歌を歌うように揺れていた。





 椎名と二人でおばあちゃんの遺品整理をする。


「お腹空いた」

「まだ全然片付いてないぞ」

「むすびが食べたい」


 私が頬を膨らませてねだるので椎名はおかしげにククっと笑う。


「はいはいお姫様。良い子で片付けしてろよ」


 そう言って私の頭をぐしゃぐしゃにして台所へ行く後ろ姿を見送り、おもむろに棚の下段を引き抜いた。


 そこにはアルバムがあり、おばあちゃんの幼い頃の写真まである。


 それから家系図というのも出て来た。


 一番下には私の名前。

 その上に両親。そしてその上にはおばあちゃん。その上もずっとずっと連綿と繋がっている。


 だけどおばあちゃんの旧姓を見て驚いた。


「椎名! 来て! 見て!」


 私の叫び声に手を米粒だらけにした椎名が飛んで来る。


「おばあちゃんの旧姓、押見なんだけど」

「押見? ……押見って!?」


 二人で顔を見合わせ驚く。でもおばあちゃんの名前は江南じゃない。




 風に吹かれ、おばあちゃんのアルバムの頁が捲れていく。

 あどけない幼女は、少女へ、そして美しい女性に。


 そしてそこには確かに押見江南にしか見えない人物が写っていた。





 それは妖精のイタズラだったのか、ひと夏の不思議な出来事だった。










 私はもう独りじゃない。


 隣を見上げる。


 約束を守ってくれた彼の名前を、家系図の私の名前の横にそっと書き足した。




「ありがとう」






〈了〉


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

Golden Lace 風月那夜 @fuduki-nayo

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ