6.ステム



「セレブロだよ」


 デックが言った。


 車は目の前で停止した。俺とカイ以外は前に訪れたことがあるか、もしくは予知夢で見たことがあるのだろう。俺たち二人だけが驚いていた。カイは目を丸くしていた。


 目の前に突如現れたその建物の存在感は異様だった。初めは背が高いな、くらいしか思わなかった。それが、近づくにつれて大きくなっていった。


 巨大な城。そうとしか言い表せない。これほど、難攻不落、という言葉が似合う場所はない。全方位が城壁に囲まれているのだが、その壁が垂直で、高さは俺の背丈五人分は優にある。そして、それが三度繰り返された先に天守が見えるのだ。天守と呼ぶのが正しいのかわからないが、三角に積み重なる瓦でできた屋根は天守と呼ばれる日本古来の建造物そのままだ。


 天に向かってそびえ立つ城。それは、俺がこれまでに目にしてきた自然豊かな山よりも、廃墟と化したビル群よりも高く感じた。世界の果て、と言われても頷ける。


 ステムの正面に横づけする形で車は止まった。正面には立派な門がそびえ立ち、大きな扉を開いて待っていた。この門以外に入り口はないようだった。左右には巨大な城壁が続いている。一同は運転手と犬を残して下車して、門から中へと入ることになった。俺が先頭を歩いていた。ゆっくりと土を踏みしめて門をくぐった。


 すると、急に前方から何者かに襲われた。銀色に光る刃物を避けてその黒い体を振り払った。アンクスだった。


 顔がなく、全身を黒一色に染め、手には大きな出刃包丁。


「ああああああああ」


 発狂し、物凄い形相で俺を睨みつけて走ってくる。


 俺は意識しないうちに最小限の動きで攻撃をかわし、気づけば顔に拳を食らわせていた。アンクスは動きが鈍くなり、バランスを崩して倒れかけた。とどめをささねば、ともう一発パンチを食らわせようとしたところで爆発音がし、一瞬の青い閃光の後、アンクスが姿を消した。遠くへ吹き飛んだのだった。


「油断するなよな」


 腕を青く光らせたアレンが俺の肩をポンと叩いた。


 入るとすぐに石階段が現れ、その先に次の壁が待っていた。アンクスの姿はもう見えなかった。この城に迷い込んでいたのはやつだけだったのか。この壁もグルッと一周するように城を取り囲んでいる。その周りを皆で、ぞろぞろと右回りに歩くと、やがて第二の門が現れた。今度は閉まっている。デックが端に立ち、何やら作業をすると、木のきしむ音とともにゆっくりと開いた。最初のものと比べるとやや小ぶりだが、それでも迫力はある。俺はカイと並んで門をくぐった。


 その先には石階段があり、それを登るとその先に大きな広場が広がっていた。白い石を敷き詰めた地面は美しく、神聖な場所を思わせた。誰もいなくて静かだ。小さな草木が後から植えられたように壁沿いに整列している。その広間をしばらく歩くと、またも大きな石階段が現れ、その先には第三の門があった。


 デックがまたも脇に立った。門から垂れたチェーンに大きな錠前がついている。彼は懐から鍵を取り出すと、差し込んでロックを解除した。チェーンをアレンが掴んだ。俺とカイも後に続いてチェーンを握り、三人で力を合わせて引いた。重くてビクともしない。力任せに引くと、やがてチェーンがゆっくりと降りてきて、それに合わせてズズッと少しずつ門が開いた。


 またも、広場が広がっていた。地面は茶色の土でできており、その中央には天守がポツンと立っていた。いや、やはり天守というのは違う気がする。このような造りの城などみたことがない。日本的で、どこか欧州の神殿のようでもあった。白い漆喰で固められた壁を縦線の入った白い柱が囲み、その上を瓦を積んだ屋根が塞ぐ、独特なものだった。柱は洋、屋根は和といった感じである。


「到着。さあ、中へ入ろう」


 デックが先頭に立ち、他の皆は後に続いた。


 中には部屋などなく、ただ空間が広がっているだけだった。中央にはポツンと、レンガでつくられた二本の柱とアーチがあった。人一人がギリギリくぐれるほどの大きさで、片方の柱の目線の高さには木のレバーがついている。それを眺めていると、こっちへ、と声をかけられ、見ると皆は隅に集まっていた。


 デックが皆の注目を集めてしゃべり始めた。


「ここで状況を整理する。ここが我らの本拠地。スパークスの基地からおよそ百キロ離れている。だからメランとはだいぶ距離がある。しかし、油断するな。西からもアンクスはやってきている」


 ここまで話すと、彼は中央に立っているアーチ状のオブジェに近づいた。そして、横のレバーに手をかけた。


「西からも東からもやつらは向かってきている。やつら、そしてメランの目的はこれだ」


 そう言うと、レバーを下ろした。頭の奥に到達する、音というより振動として伝わるような重低音が、建物中に鳴り響いた。


 すると、何もなかった柱とアーチで囲まれた空間が黒くなった。


「ニューロンと呼ばれる、この世界の全てをつかさどる物質」


 デックはアーチをくぐった。そして、黒い部分に足を突っ込むと、彼の姿は消えた。いや、消えたのではなかった。見えなくなったのだ。体をアーチの中にくぐらせると、柱の後ろからはみ出した足が見えると思ったのだが、見えない。まるで、黒い空間に体ごと吸い込まれたようだった。


「皆もこちらへきてくれ」


 彼の声が聞こえた。くぐもった声がするかと思ったが違った。この空間ではない別の場所に巨大な空間があって、そこから声がしているような、響く声だった。


 俺はおそるおそる、そのアーチに近づいた。他の皆も俺の後に続いた。


 デックの姿が見えた。姿は小さかった。彼は遠くにいたのだ。このアーチの先には暗い空間が続いていた。ふと柱の裏側からアーチを見たが、そこからは後ろに続くカイやジナミが見えただけだった。一見ただのオブジェにしか見えないが、電源を入れると片方からのみ異空間に繋がるゲートになったのだった。俺は一歩足を中に入れた。


 コツンと音がした。地面は白かった。しかし、石でもコンクリートでも、ましてやフローリングでもなかった。ガラスのようにつるつるとしていて、光沢があった。外の光を反射して自分の身体をわずかに映している。全身をその空間に入れた。踏み入れたことのない新しい世界に、思わずキョロキョロと上下左右を見渡す。何もなかった。上にも、左にも右にも。どこまでも白い空間が広がっていた。俺の後方にカイが続いた。目を丸くして驚いている。笑みがこぼれており、この得体のしれない異世界に興味を示していることが伝わった。


「もっとこちらへ」


 自分の少し前にはデックが立っている。その横には一つ、赤いものが置いてあった。この空間に一つだけ。他にここには何もない。その赤い物体はわずかに動いていた。変形を繰り返している。生きているようだった。言葉にして言い表せないそれは、弱々しく感じられた。デックの元に近づいても、それが何かわからなかった。


「ニューロン。これを守ることこそがスカイライナーの使命である。あと一日。それですべてが終わる。それまで油断のないよう準備を怠らないことだ」



「七月二十一日 日曜日

 期末テスト最終日だった。中間のときよりは勉強したが、手ごたえを感じなかった。ラフィーナに会って話す機会があったからアドレスを交換した。断られなくてよかった。帰宅後、メールでご飯の誘いをしてみた。さて、明日から夏休み!疲れた。帰宅途中、映画館に寄って「サファリング」をもう一度見た。冒頭からありえないほど泣いた。マイオールタイムベスト入り。しばらく映画はいいかなと思えた。オリジナルの小説執筆の続きをやって寝た。」




5.ホルス



 解散後、俺はアレンの後を追った。彼は中央アジトの外に出た。俺も外に出た。

外は既に朝を迎えており、太陽は地面からずっと高い位置に昇っていた。久しぶりに清々しい朝を迎えた気がした。


 アレンは城壁に腰をかけてぼーっと眼下に広がる景色を眺めていた。上半身は裸になっていた。俺も隣に座った。下を見ると思わず足がすくんだ。とてつもない高さだ。どこまでも遠くまで見渡せる。この辺りは広大な砂地だった。どこを見ても建物一つ見えない。あの車で移動した距離がどれほどか改めて驚かされる。セレブロは、ここから見下ろすと、城壁が三角形を作っていた。似た形の建造物を見たことがないか、としばらく考えて思い出した。ピラミッドだ。これを建てたのは誰か。世界の果て、という呼び名にふさわしい。エジプトのピラミッドも、日本の城も、欧州の美術館も、この建物を参考に建てられたのではないのか、という気さえしてくる。


 アレンの身体は発光していた。左肩のあたりと右腕が特に強い光を放っていた。あの二か所に大きな破片が埋め込まれているのだろう。カイザーが彼の事故のことを少し話していた。


「大丈夫?」

「ああ」


 声をかけると、アレンは作り笑いを見せて座り直した。連日の騒ぎで相当疲れているに違いなかった。


「太陽光を浴びるなんて、光合成する植物みたいだ」

「人にとっても、日光浴は体にいいんだぞ。家の中でゴロゴロばかりしていないで、外で活動的に過ごさなきゃ」


 それから俺たちは、彼の身体についての話をした。ブルーサファイアのエネルギー吸収量に限度はないという。吸収と放出を繰り返せば繰り返すだけ限界値が上昇して、容量が大きくなるのだそうだ。


「その石が体内に入ったって、どんな事故だったの?」


 アレンは俺の顔を見て少し笑った。


「事故?」

「カイザーからそう聞いた」

「いや、実は事件なんだ。俺は病気の関係で、昔から気性が不安定で。学生の時、学校の帰りに路地裏を歩いていたら、変なやつらに捕まった。同じ学校の不良たちが集まってた時で。不良の一人が、見たこともない青く光る石を見つけてきたところだった。そしたら誰かが、青い石は気持ちを静める効果がある、とか言い出して、面白がった連中が俺に飲み込ませたんだ。俺はその後、石の力で誤ってその連中を一人殺してしまった」


 彼はこれまでにないくらい暗いトーンで話した。静かに聞いている反面、聞かなければよかったと後悔した。


「石は、手術を受けたが摘出できなかった。体内で粉々に砕けてしまったのと、エネルギーを吸収する性質のせいだった。俺は元から友人が少なくて、内気だった。孤独だった。しかし事件後、周りには俺を思う多くの人がいることに気づき、人との繋がりを再認識したことで、性格は今のように明るくなり、同時に様々なことが上手くいくようになったんだ。事件のおかげで、石のおかげで変われた気がするよ。こんなこと人に話すことじゃないけどな」


 彼は苦笑いした。日にさらされた青くて透き通る彼の肌は、美しかった。しかし、よく見るとボロボロに傷ついていた。あちこちにただれ、引っ掻いた傷が残っている。


 俺は借りていたアームガードを返した。


「これ返すよ、ありがとう」

「ああ。使いづらかったかな」

「まあね」


 俺には使いこなせないと思った。彼の武器だ。彼が使ってこそ真の威力を発揮するのだろう。それから、外していなかったのを思い出して、透明装甲を脱いだ。

よく見ると、砂地にポツン、ポツンと黒い人がいるのがわかる。アンクスはどこにでもいるのだ。あれが、何百も、何千も集まった時、メランが現れ、戦争が始まるのだ。


 後ろでガチャガチャと金属を擦る音がし、振り返ると人影が見えた。その背後に位置する太陽のせいで顔が暗く影になっている。しかし、背の高いすらっとした者と、その横に並ぶ小さい影で、誰だかすぐにわかった。


 運転をしてくれていた、中世騎士だった。近づいて顔がはっきりと見えた。頭から足の先までシルバーの鎧で統一され、その体を包んだ鎧は多くの戦場を戦い抜いてきた証と言わんばかりの傷だらけだった。頭のヘルメットには平行な斜めの溝がいくつも施されている。足には脛までも高さのあるブーツを履いており、それが砂と擦れてガチャガチャと音を立てていた。


 その横の小さな影は、もちろんあの狼だった。灰と白の狼。騎士の膝ぐらいまでの大きさだが、大きさの割に堂々と大地を踏みしめて歩いていた。その二つの姿は美しく、歩く姿だけで強さがにじみ出ていた。


「イザベラだ」


 アレンが言った。それから、俺に顔を向けてニヤッと笑った。


「いよいよメンツが揃ったな」

「え?」


 彼女は、目の前に来た。そして、ヘルメットを脱いだ。現れたのはショートカットの女性だった。鼻筋の通った整った顔をしている。目は釣り目で、獲物を狙う鷹のような鋭い目つき。ある意味服装とピッタリだった。


「イザベラよ。よろしく」


 そう言って彼女は手を差し出した。


「よろしく」


 握り返す。金属のグローブは冷たかった。彼女は口笛を吹いて狼に合図すると、室内へと入っていった。


「なかなか美人ではあるだろ?」


 アレンが言った。俺は、あいまいな返事をした。


「彼女は目を患っている」

「え?目が見えないの?」


 反応が予想通りだったのだろう。彼は返事を用意していたように答えた。


「フィルターアイという目を持っている。メランが見えないんだ」


 フィルターアイ。文字面だけ見れば、特定のものをふるい分ける物のことだ。彼女にはメランだけが見えない。そういう風には見えなかったが。


「他のものは変わりなく見えるの?」

「ああ。見えすぎるとか」

「というと?」


 彼もそんなに詳しくは知らないようだった。わからないというように首を傾げた。


「遠くの景色がよく見えるとか。ズームしたみたいにね。あとは、未来予知ができるという噂も」

「凄いな」


 普通に聞けばわけのわからない話だが、別に信じられないわけではなかった。あの時森で目覚めてから、信じられない経験をずっとしてきた。今さらどうってことなかった。


「事実、彼女のおかげでここに来られたからね」


 たしかにそうだった。デックのかすかな未来透視では頼りなさすぎる。思えば、あの車両が瞬間移動したのも彼女が運転していたからできたことなのか。そう考えると、彼女の偉大さがよくわかった。


 それから少しの間、俺とアレンはどこまでも続く茶の大地を眺めていた。沈黙の後、彼が聞いてきた。


「自信はあるか?」


 何に対してだろう。これからの戦争に対してか。それだけではない気がした。何かもっと大きなものに対しての責任を問われている気がして、ああ、という気の抜けたような返事しかできなかった。


 皆、それぞれの準備に時間を費やしていた。デックとイザベラがいるため、メランらが来たらすぐにわかるだろう。それまで落ち着ける。


 黒い装束を着た者がいた。カイだった。彼は武器を床に広げていた。剣、鎖鎌、巻き菱、手裏剣、苦無、日本刀。見たことのある装備だった。広げたものを、一つずつチェックしては、腰の収納ベルトにしまっていく様子を見て、もしやと思った。


「それらの武器は?」

「全て今は亡きニンジャのもの。俺が引き継ぐことになったんだ」


彼はいつもの笑顔を見せた。


「デックがそう言ったのか?」

「うん、そう」


 それから、床から金属の棒を取って俺に渡した。


「これ使いなよ。武器持ってないでしょ?」

「ああ、ありがとう」


 小さなレバーを見つけ、引くと両端からスッと刃が飛び出た。両端に刃を持つ槍だ。普段は柄だけを持ち歩き、必要に応じて刃を出すとは、携帯に便利な武器だ。


「使いやすそうだな」

「それならよかった。ああ、そういえば・・・」


 彼はハッと思い出したように言った。


「前に話した能力者についてなんだけど・・・」


 そう言葉を濁すと、左腕の裾をまくりながら続けた。


「スカイライナーっていうんだって?」


 衝撃だった。彼の腕にあの印が刻まれていたのだ。同じように腕まくりをして比べる。全く同じものだった。前に確認したときはなかったのに。


「同じだね」


彼はクシャッと笑った。


「いつから?」


 彼は、わからない、と答えた。そして、嬉しそうに印をもう片方の手でポンと叩いた。ニンジャが死に、彼を継承する次のスカイライナーとして、カイが選ばれたのだろう。この世界は常に一定数のスカイライナーを維持し続けているのか。その隣には、距離を少しおいてジナミが横になっていた。目をつぶっていたが、俺が近づくと体を起こした。


「オレハ」

「オレハ」


 挨拶をして、隣に座った。彼は、初めて会った時と同じ顔をしていた。しかし、時々遠くを見る時の目が寂しく感じた。彼は故郷を失った。仲間を失ったのは皆同じだ。しかし、彼の仲間との結びつきは特別だったに違いない。常に一緒に行動をしていたのだ。村全体が一つの家族のようだった。彼は、胸に手を当ててから、手を動かしてジェスチャーした。俺にはそれが、皆のために全力で戦うという、彼の決意表明だと読み取れた。彼は仲間を人一倍大切に思う。それは、村に受け入れてもらった俺にはよくわかった。俺たちは、固い握手を交わした。


 外で地響きがした。


 何事かと思って外へ飛び出すと、城壁に沿うように堀ができていた。ここに来たときは窪みなどなかったから、デックがやったのか。どんなからくりでできているのかわからないが、とても機能的で、籠城するには対策万全な基地にいることがよくわかった。やがて、堀に水が注入され始めた。


 部屋に戻ると、手前でイザベラが座り込んで作業していた。銃の手入れだった。銃身の長い、初めて見る形のものだ。隣には狼が行儀よくお座りしていた。奥にデックが見えたため、何か話そうと思い、そこを通り過ぎようとしたところで、彼女に話しかけられた。


「あなたはなぜここへ?」


 突然の質問。一番答えにくいところを突かれた。


「助けられて、流れで・・・」


 曖昧にしか返せず悔しい感じがした。


「スカイライナーになったのはなぜかってことよ」


 彼女は俺には目もくれずに作業を続けている。持っているのは既製品のショットガンを改造したもののようだ。デザインも素材もバラバラな部品があちらこちらに外付けされているため、手作り感が強くどこを改造したのか一目瞭然だ。オリジナルより一回り大きく、やはり銃身がとても長くて、スナイパーライフルを連想させる。フィルターアイを持つ彼女に相応しい武器だろう。彼女に近づくと、狼が一瞬ビクッと反応したが、すぐに警戒を解いたのがわかった。その鋭い目つきは彼女にそっくりだった。頭を撫でると、嬉しそうに鳴いた。


「このペットは小さいころから育ててきたの?」

「ペットじゃなくて相棒。ホルス。小さい頃に出会った」

「この世界に相棒は心強いな」


 彼女は一度ホルスの顎を撫でた。すると、ホルスは気持ちよさそうにクンと鳴いた。


「彼女は私の目なの。ホルスがいないと、不便して」

「メランが見えないとか」


 彼女が手を止めて、やっとこっちを見た。口をへの字に曲げて、首を傾げた。


「そう。だから彼女が相棒」


 そう言うと、イザベラは再び作業に戻った。しかし、話は続けたいようだった。


「ねえ」

「なに?」 


 彼女は少し戸惑っているように感じた。何か心配事でもあるのだろうか。


「アレンに聞いたかもしれないけど・・・スパークスとのこと、伝えておかないとね」

「スパークス?聞いていないよ」


 そういえば詳しく聞いていなかったが。車内でアレンが言っていたことか。


「前にスパークスにいたことがあるのよ」

「え?」


 それは驚きだった。想像すらしていなかった。ということはカイザーのように・・・と思ったが、彼女は俺が深刻そうな顔をしているのに気づいて軽く笑った。


「安心して。スカイライナーよ」


 作業を中断して腕を見せようとしてきたが、甲冑を脱ぐのが大変なようで戸惑っていた。


「いいよ見せなくて。それで、どうしてこちらに?」


 彼女は、ありがとうと言って続けた。


「私は技術者として彼らに雇われた。でも、やはり違ったの。考え方がそもそも違うし、世界の終末を目指すなんて、おかしすぎる。ボスがいたんだけど、意見は食い違うし、私を目の敵にして・・・」

「いいよ、そんなやつらに合わせなくて」


 俺は首を振った。


「自分の信じる道に進むことが大切だし・・・て俺も言えないんだけどな」

「ありがとう、聞いてくれて。信じてね、全力で戦うから」

「もちろん」


 もう一度ホルスを撫でると、俺はその場を離れてデックの元へ向かった。

デックは俺と目が合うと、来い、というように手招きした。


 

「八月二日 金曜日

 新しいバイト先、映画館の面接に行った。ここに受かって働くことができたら、ガンガンに稼いで九月に旅行に行こうと思う。でも、ラフィーナからご飯の誘いメールの返信が来ていた。断られた。ショック!父が出張で、姉もいなかったため、母と二人で夕飯を食べた。」




4.ドクター



「仲間は七人じゃないの?」


 デックは俺に背を向けて、壁についている操作盤をいじっていた。


「そうだな」


 彼は小さな声で言った。彼は何か隠しているのか。


「君はまだ、自身の強味に自信が持てないでいるな」


 操作盤にはわけのわからないボタンが並んでいる。それを見て、この部屋には彼しか扱えない隠されたギミックがあるのだと気づいた。俺たちには何もないように見えていただけなのだ。堀を出現させたのも、水を張ったのもここで操作したのだとわかった。


 再び地響きがした。部屋全体、いやステム全体がゴゴゴと唸った。


「昔、知り合いに教師をしている者がいた」


 彼の低い声はよく通るわけではないが、体の奥にまで伝わる感じがした。俺はそのまま彼の声に聞き入った。


「彼は日々、生徒を楽しませようと奮闘し、夜な夜な学習用の動画を作っては、授業で生徒らに見せていた。旅行が趣味で、動画を撮ることが好きだったからその延長だよ。しかし教師の間では良い評価が得られず、陰湿な嫌がらせなどがあり、始めて一年もたたないうちに退職に追い込まれたんだ」


 そこまで話して、彼は一呼吸おいた。


「彼は何事にも真っすぐで、型にはまらない良さがあった。しかし、教師という職には向いていなかったんだろう。彼は苦悩し、恐怖と戦った。どれほどのものか私は理解できない」


 デックはこちらに向いた。厳しそうで、奥に優しさを持ったその表情は、ミステリアスだった。医者らしいと思った。彼の語り口調はスッと耳に入ってくる。

ドクターが聞いた。


「辞職した後、彼はどうなったと思う?」


 俺は考えたが、あまりいい答えが思いつかなかった。


「転職して、映像系の会社で成功したとか?」

「いや」


 彼は首を振った。


「復帰したんだ。それも同じ学校に。実は、彼の全く新しい授業形態は生徒の間で人気があった。その授業は伝説となり、古臭い考えを持った教師らが退職した後、学校に帰ってきたんだ。彼は苦悩した。しかし我流を貫いた。生徒目線に立って、彼らに最善の授業を提供することを第一に掲げて曲げなかった。強靭な意志は逆境に打ち勝った。彼はそれからも新しい授業を続けていったよ」


 素直に感動した。信念とか、意志というものは言葉だけで、学者とかいった偉い人間が作り上げた幻想かと思っていた。


「大丈夫。自分を信じなさい」


 それから彼は軽く笑みを作ると言った。

 

「君が頑張れば、皆もついてくから」

「そうだね」


 軽く流した。しかし、彼の笑みが余計なことを考えさせた。皆がついてくるとはどういうことなのだろう。


「俺に何か隠していることがあったりするのか?」

「いいや、余計な詮索をさせたかね。そんなに気を張ることはないよ」


 彼は謎に満ちている。彼と話すと、安心できて、不安になる。


「どう俺を勇気づけようとしてるのかわからないが、何か隠しているなら言ってくれよな」


 少し言い過ぎたかもしれない。疑いたくはないのだが・・・その場を立ち去ろうとすると、デックが引き留めようと声をかけてきたが、気付かないふりをした。


 外へ出ると、皆が慌ただしかった。カイもアレンもイザベラもジナミも同じ方向を見ていた。下を見ると、水が張られた堀のさらに外側に簡易的な鉄柵ができていた。三重構造になっていて、等間隔をあけて柵が三つ並んでいる。細くて心細いが、無いよりはいい。しかしそこではない。


 見上げると遠くに、うじゃうじゃと蠢く黒いものが見えた。間違いなくアンクスらだ。


「あんなに大群・・・どこから集めてきたんだ・・・」


 アレンもさすがに圧倒されている。無理もない。


「世界中からよ。次々と仲間に引きずり込んで」


 ホルスがピョンと飛んできて、イザベラの横にくっついた。ホルスはこの事態をどのように感じているのだろうか。黒い大群はゆっくりだが速くこちらに向かっていた。まだメランは見えない。まだ到着はしていないか。と思ったが、違うようだ。


「メランだ」


 イザベラが言った。彼女には見えたのだ。あの黒い影、邪悪な存在が。


 思ったより早い。太陽はまだはるか頭上にある。夜明けがくるまで耐えればよいと安易に考えていたが、これでは戦いは丸一日続くことになる。メランを倒すことができれば別だが。


「始まりだ、すべての始まり」

「すべての終わりにならないといいね」


 俺がつぶやくと、横からカイが笑って言った。


 メランの大群は近づいてきた。先頭のやつらの顔が見えるまでになった。覚悟を決める、というタイミングはこれまでに何度もあった。でも、今回は違う。万全の準備ができている。いや、俺個人で考えたら何もできていない。しかし、精神はこれまでとは全く別物。今の俺には仲間がいる。


 俺たちは、デックとイザベラを残して下へ降りることにした。階段を三度降りると、水の張られた堀に、幅が人間二人がやっと通れるほどの狭い橋がかかっていた。その先には高さ五メートルほどの鉄柵。橋のつきあたりの位置に扉がついていて、俺たちはそこを開けて外へ出た。


 アンクスらはまだ遠い。そう思った時、急に視界が赤く光り、目が眩んだ。同時に後方に風を感じ、振り返るとカイが転倒していた。緊張が走った。アレンが全身を青い光に包んで宙に浮かんだ。直後、強烈な赤光が彼の身体にぶつかり、彼はバランスを崩して地面に落ちた。


「大丈夫か!」


 俺はアレンに声をかけた。彼はすぐに立ち上がった。襲撃方向は後ろからだった。アンクスではない。先の攻撃で、鉄柵の一か所が一瞬で破壊されていた。そこにできた穴の先に、赤い光を見た。堀の水面に現れた姿。それは、長髪、赤いマスク、胸部に光る円形の溝。あの時のスパークスだ。


「カイザー」


 ジナミが呟いた。耳を疑った。


「ジナミ、今何と言った?」


 彼は、俺を見ると、高性能スーツを着た敵を指さした。


「カイザー、カミング」


 聞き間違いではなかった。


 あの時の記憶が蘇る。他のスカイライナーを知っているか。これからは、カイザーと呼んでくれ。恐らくこの世界に、六人の選ばれし者が実際に存在するのだ。

カイザー。またの名を、ウルティムス。ウルティムスを遠隔操作していたのはこの男だったのだ。


 男は、ゆっくりとこちらへ歩いてくる。


 アレンが青い光を放った。それは、男に命中した。しかし、光は一瞬で消え、スーツ胸部の赤い光となった。歩を止めずにこちらに向かってくる。アレンが再び光をぶつけると、その光は再び一瞬で消え、代わりに男から赤い光が放たれた。アレンは反射的に避けることに成功した。しかし、連続で二、三度放たれた赤い閃光で視界を奪われ、視界が戻った頃には、彼は遠くへと吹き飛ばされていた。


 続いて、ジナミが走っていった。


「やめろ!」


 武器なしで無茶だ!と言いたかったが、狩りのプロには余計な言葉だったかもしれない。彼は素早い動きで男の攻撃を交わすと、赤いマスクを被った顔に強力なパンチを浴びせた。再び拳をぶつける、というところで手首をつかまれ、組み合いになった。


 ジナミは男に、パンチや蹴りと、ダメージはわずかに与えられたが、敵のスーツに守られた体への攻撃は思うようにいかない。顔を狙って攻撃を続けるも、二人の間に瞬間的に強い赤光が放たれてジナミは吹き飛ばされた。


「そんなにこの青い石が欲しいか、この鬱気崇拝野郎」


 アレンが口だけで笑った。


 スカイライナーに化けて俺たちに近づき、ブルーサファイアの特性を再現したスーツを作る。そこまでして、メランを追いかけ、俺たちを排除する武装宗教組織。カイザーは、そのトップなのだろう。


 自分の腰から、カイにもらった両刃槍を取り出す。カイザーは、俺の目の前に来た。


「お前の目的は何だ」


 俺の声を無視してカイザーが腕を振った。同時に手首から刃が飛び出たのがわかった。その刃から身を守るように、両刃槍の刃を出した。刃が交差して動きが止まった。


「君の死だ」


 マスクの中から聞こえた声は、前にも聞いたものと同じだった。近くで目を見ると、映像で見た目と全く同じである。


「俺が死ぬだけじゃ、メランの目的は果たせないと思うけど」

「それはどうかな」


 一瞬の隙を狙って、交差していないもう片方の刃で体に切りつけようとした。しかし、わずかな差で先手を打たれ、胸から放たれた赤い閃光を食らった。一瞬宙を舞い、次いで地面に激突した。


「くそ」


 カイザーの方を見ると、アレン、ジナミと交戦していた。カイザーの声を聞くと、二人きりで世界の果てを目指した頃を思い出す。スパークスの目的は、メランの邪魔をする者への攻撃、だけではなかった。スカイライナーの壊滅だけが目的なら、遠隔操作した際に俺は殺されていた。彼はメランの目的を達成するため、ステムを探していたのだ。しかし、俺たちを追ってここを見つけた以上、スカイライナーたちは不要。邪魔でしかない。


 そこで、改めて疑問に思った。そもそもスカイライナーって。デックの言葉を思い出す。彼は七人いると言っていた。しかし、一人未だに集められていないでいる。彼は諦めたのだ。そう思っていた。しかし、違うとしたら?俺に嘘をついているとすれば?スカイライナーは文字通り、地平線を制す者。夜明けを目指す者、というわけではない。


 理解した。


 デックも、アレンも知っている。あと一人の存在を。だが、それに気づいた時、集められないと悟った。


 それは、カイザー・カミングだからだ。スパークスを導く者。メランを崇める者。スカイライナーとは、地平線を制す力を持つ者。俺たちも、カイザーもその力を持つ者。夜明けを迎えるかどうかは、この戦いにかかっているのだ。


 アンクスらが迫ってきていた。メランの姿は見えない。しかし、広大な大地が埋め尽くされるほどのその数は、メラン無しでも十分な戦闘力を持っているだろう。先頭集団が次々と倒れていった。


 見上げると、頭上の城壁の上から発砲しているのが見えた。イザベラだ。彼女が上から援護してくれている。あの城壁からアンクスらを狙うには、精巧につくられた正確なスナイパーライフルと射撃者としてのかなりの腕が必要だ。隣にはホルスが見える。メランを察知するには問題なさそうだ。


 カイザーの方は、アレンとジナミがまだ応戦してくれていた。二人にはどうにか持ちこたえてほしい。俺は、カイと目を合わせた。


「俺たちはアンクスの方だな」


 アンクスは多種多様だった。共通するのは、皆黒い服に身を包み、顔がないこと。それが大勢で押し寄せてくる光景は、地獄そのものだった。


「大丈夫。夜明けは来るよ」


 俺は自分に言い聞かせた。



「八月八日 木曜日

 今日は映画館で初バイト。夢が一つ叶った。映画と触れ合えるし、客の歓声を聞いた時は、まるで自分が楽しませたかに思えてよかった。今夜は家族で久しぶりに外食へ。姉は顔にあざをつけていた。たぶん彼氏がやったんだろうが聞いても答えてくれない。明日はバイトの飲みへ。新歓を開いてくれたらしい。学校にいなくても、バイト先で友達ができたらと思う。期待。」




3.メラン



 アンクスは口を大きく開き、鋭い歯をむき出しにして迫りくる。一人一人が剣だか工具だか、鉄パイプという、その辺で拾ったような武器を握っていた。彼らには細かな作業が必要な武器が扱えない。そこが唯一救われたところだ。


 カイは背中から手のひらほどの円盤を取り出すと、回転させるように軽く投げた。すると、それは回転を緩めることなく、むしろ速度を増して、加速してアンクスの方へ飛んで行った。そして、一体のアンクスの体を貫通すると、そのまま勢いを止めずに次々とやつらの体に穴をあけていった。アンクスは一体、一体次々と倒れていった。


 その光景は遠くから見ると、次々と電源を切られて倒れていくロボットのようにあっさりとしていた。ニンジャの、カイの殺戮ドローンは強力だった。

 続いて、今度は腰から金属のボールを取り出して前に転がした。全部で三つ。先のドローンと同じように、回転速度を上げ、まるでそれぞれが意志を持っているかのようにアンクスの方へ転がっていった。


「さて、僕たちも行くか」


 カイはいつもの笑顔を見せると、背中から刀を取り出した。その刃はすぐに橙色に光り、加熱され始めた。亡きニンジャが使っていたものと同じだった。


「行こう」


 俺も、ニッと笑って返した。ぎこちなくなければいいが。


「あああああああ」


 先頭の一体が奇声を上げ、よだれを垂らし、不気味な動きで走ってきた。


 シャキッ。


 首筋に両刃槍の片方を引っかけて腕を回転させ、そいつの背後に移動した。首から真っ黒な液体がプシュッとふき出した。顔にかかった。生温かった。やつは死に物狂いでこちらに向かってきた。それをまたするりとかわし、今度はもう片方の刃で胸を突き刺した。それでもやつは最後の最後まであがく。俺はそいつの身体を蹴って突き放した。やつはバランスを崩して倒れた。


 次のやつが来た。黒い血で染まった刃をそいつの顔面めがけて突進した。刃は見事にやつの口から入って喉に向かい、後頭部に貫通した。血が頭に降り注いだ。温かい。俺は、勢いあまってやつの体にのしかかる形で倒れた。やつはまだ暴れている。槍を一度抜いて、もう一度顔に刺した。今度は、人でいう鼻あたりに刃がスッとめり込んだ。ジタバタが止まった。槍を抜いて起き上がる。


 次は四体ほどが一気に走ってくる。しかし隣のカイと協力すれば瞬殺だった。カイの日本刀は刃に触れたところを一瞬で焼き切る。彼は慣れた手つきで刀を操り、片っ端から気持ちいいくらいに瞬殺していった。


 ステムに近い三人の方はというと、カイザーが光を放ち、それを吸収したアレンが打ち返すという、二人だけの戦いになっていた。SF映画のような派手なやり合いにジナミはなすすべもない。こちらのアンクス狩りに参戦するようになった。


 前にはまだまだ次の敵が迫ってきた。アンクスは途切れない。俺は無我夢中で戦った。面白いように敵は倒れていった。両刃槍を振り回しながら思った。


 生きてる。


 俺は、やつらを斬る度に生を感じることに気づいていた。死についておざなりに考えていた自分が、気づけば生をしっかりと意識するようになった。大きな変化だった。


 太陽がオレンジ色に輝いていた。雲はほとんどない。地上まであと少し。日が沈めば、アンクスらは見えづらくなる。戦いはどんどん過酷になっていくだろう。アンクスを倒していくうちに、俺とカイは別行動になった。


 前に三体のアンクスが並んだ。どうやって片付けようか。先に倒したやつが落とした、金属のハンマーを拾い、槍とハンマーの二刀流にして構えて、敵の動きをうかがった。すると、三体が突然バタバタと倒れた。後ろを振り返ると、イザベラが銃から顔を離して手を上げて合図した。俺も手を上げてお礼を伝えた。


 荒野全体が青い光に包まれた。


 二人の勝負がついたようだった。アレンもカイザーも体を大地に叩きつけられ、強烈なエネルギー波を受けて、体はボロボロになっていた。後者の方はスーツが無ければ戦闘能力はゼロに等しい。既にスーツは機能しなくなっていた。胸部の回転は止まり、鉄柵にもたれかかるようにして倒れていた。まだ息はしている。


 アレンが近づいた。こちらからはよく見えないが、とどめを刺す気はなさそうだった。両者とも、エネルギーの吸収も、放出も可能である。だが、スーツでは瞬時の衝撃吸収に欠ける。その点で、ブルーサファイアには敵わなかったのだろう。あくまで人が真似てその場しのぎで作ったもの、ということだ。


 一人で五十は倒したかもしれない。カイはドローンや他のハイテク武器を使っているからその倍以上。そろそろ疲れが出始めた。俺たちとやつらの力の差は大きくても、数で圧倒される。アンクスはまだ視界に入りきらない程に山ほどいる。全く減った感じがしない。そこで、上空が眩しく光った。アレンだった。彼は宙に浮き、彼の体内の石に吸収された、可能な限りのエネルギーを地上のアンクスらに向けて放出した。


 一瞬、時が止まった。その後、猛烈な爆風が辺りを包んだ。しばらく、視界が遮られた。


 視界が回復した時には、あれほどの大群は嘘のように消えていた。ゼロになったわけではない。だが、アンクスに終わりが見えた。


 地上に降りたアレンと目が合った。


「大丈夫なの?」


 前にメランと対峙した時のことを思い出しての不安からだった。


「ああ。心配してくれてありがとな」


 彼の額には血が滲み、頬には土に擦ったような跡がついていた。痛みを我慢するように、時々顔を歪める仕草が気になった。


「そんな顔すんなよ」


 思わず、フッと笑った。どこか、おかしかった。


「なんだ、こんな状況で笑ってるなんて、お前らしくないな」


 アレンも笑った。それから、急に真面目な顔に戻って言った。


「遅いな」


 メランのことだ。たしかに遅い。姿が見えない。


「まあ、遅い分にはいいんだけどね」


 そう答えたのはカイ。遅くても問題はない。むしろいいのだが、これほどのアンクスが現れながらもやつが姿を見せないのは珍しかった。


 俺たちの目線の先に蠢くアンクスはそんなことは気にしない。仲間が減っても何も気にしていない。皆、こちらに向かっているのは本能なのか。相変わらず不気味だ。


 自分たちの後ろ、城壁や堀にいるアンクスが気になった。俺たちをすり抜け鉄柵をよじ登り、ステムに迫るやつらだ。数は多くはない。いくつかはイザベラが上から撃ち落としてはいるが、追いつけるだろうか。


「前を見ていてくれないか?俺はステム周辺を見てくるよ」


 アレンにそう伝え、自分は鉄柵まで戻ってきた。カイ、ジナミがいれば外は心配ないだろう。メランがくれば別だが。中へ入り、ここで蠢く化け物を始末する。


 やつらは、俺を見つけるとすぐに集まってきた。刀、鉄パイプを武器に襲いかかる。次々と迫る攻撃をするりとかわし、刃を食らわせた。時に相手の首をもぎ取って生を奪った。


 そして、階段を登っていき、白い石の敷き詰められたところでも、同じようにアンクスを狩った。そこで次の階段を登っている時、三階へと続く門をこえようとしているアンクスに襲われた。急に陰から飛び出てきて、油断していたために急所に一撃を食らうところだったが、防いだ。そいつの持っていた鉄のバールが右肩に突き刺さった。


「うわああああああああああ」


 叫んだ。味わったことのない激痛だった。ただ肩を貫かれただけなのに。全身の筋肉が縮まって動けない。アンクスがジタバタと動くたびに、バールの鋭利な部分が肉を引き裂いて激痛が走る。もう、声も出なかった。もう片方の腕でやつの腕を抑え、少しでも苦痛を少なくしようと必死だった。しかし抑えようとすればするだけやつの動きは激しさを増す。


 その、抑えようと踏ん張っていた左腕にポツリと温かいものが落ちた。血か。そう思ったが違った。涙だった。俺は泣いていた。


「うううう」


 震えた声が出た。


 目の前に火が現れた。温かい火。それはゆらゆらと揺れ、まるで俺をあざ笑っているかのようだった。次いで、本棚が現れた。俺の体にのしかかって動きを封じている。遠くがピカッと青く光った。今度は、目の前にアレンが現れた。傷だらけで意識を失いかけている。体が押しつぶされそうな感触がした。腕には小型の端末。必死にボタンを連打している。


 フッと急に現実に引き戻された。少し動く。右肩の痛みは先よりも小さくなっていた。痛みに慣れただけかもしれない。でも、ありがたかった。やつを蹴り飛ばした。そして、右手でバールを掴むと勢いよく引き抜いた。血が流れた。真っ赤な血が流れた。黒くはなかった。


 飛ばされたアンクスが再び立ち上がり、走ってきた。俺はバールで顔面を強打した。やつはバタリと倒れ、ピクピクと痙攣した。そこでそのアンクスの違和感に気づいた。


 口がなかった。そいつは顔にマスクをつけていた。剥がすと、現れたのは他と同じ口以外何もない化け物。しかし、このマスクには見覚えがあった。身に着けている黒いシャツを脱がすと、書き殴られた文字でいっぱいの体が現れた。


「いたな、こういうやつ」


 脱がせたシャツをやつの顔に被せると、急いで上階へと向かった。


 日は沈んだ。暗くなった。


 イザベラと合流した。もちろんホルスも一緒だ。デックも外にいた。


「ウィル、きたわよ」


 この言葉を聞いてドキッとした。この場に緊張感が漂う。もちろん彼女が見つけたのではなく、彼女の相棒が見つけた。相棒は、メランを睨めつけて何度も吠えた。


 二人の視線の先にメランはいた。遠くではない。すぐ近くだった。


 黒い影。渦を巻く煙と包帯面。日が沈んだ闇に紛れても、存在感は圧倒的だった。


「お出ましだな」


 デックも呟いた。事の重大さを一番知っているのは彼だ。


 アレン、カイ、ジナミはやつと交戦している。しかし既に、こちら側は劣勢である。ジナミが負傷していた。血を流し、地面を這うようにしてその場を離れようとしている。


 カイはドローンを使って敵を翻弄する。自身も忍術を使ってトリックを行った。その隙に、上空からアレンが攻撃を行う。しかし、そんな上手くいくわけがなかった。メランが大鎌を出現させると、ドローンを破壊し、アレンのエネルギー波を防いで、代わりに鎌から黒い霧波を出してアレンを叩き落した。メランはその後カイに飛びかかったが、彼は煙幕を使って攻撃を避け、その場から姿を消した。イザベラは彼らの援護をする形で、隙をついて銃撃を行っている。


「何それ!どうしたの?」


 イザベラが肩の傷を見つけて驚いた。


「すぐに治療してもらいなさいよ」

「大丈夫、時間ないし」


 デックを見ると、彼は手を広げた。


「すぐ終わるよ」

「いや、大丈夫。死なないから」

「やってもらえばいいじゃない」


 断る間もなくデックが俺の肩に手を当てた。すぐに流血はおさまり、痛みも引いてきた。


「強くなったな」


 そういいながら肩をさする。


 下では、アレンとカイがまだ戦ってくれていた。ジナミは距離を置いているが、すぐに応援に向かえば回復するだろう。ドクターを連れて行こう。


 デックが話を振ってきた。


「前に話した私の古い友人を覚えているかね」

「教師をやってた人だろ?」

「そうだ」


 気づけば肩の痛みは完全になくなっていた。傷跡が少し残っているだけだ。


「あの時、その教師は新しい形態の授業を続けていったよ、と言ったが。実は辞めてしまったんだ。それも、わずか数年後にね」


 俺は肩をさする手を止めさせて、デックの方へ向き直った。


「なんだ。そうか。それならあの意志の話は・・・」

「今は辞めて世界一周の旅に出ている。彼がずっとやりたいと言っていたことだ。何件か仕事のオファーが来ているらしい。意志の力は学校という枠にとらわれない。それは君にも当てはまる。幸運を祈るよ」


 俺は、ゆっくりと頷いた。


「そうか・・・ありがとう」


 肩を軽く回しても何ともなかった。見ると、傷跡も綺麗さっぱりなくなっていた。

 デックは笑顔を作った。作り笑顔ではない、本心からの笑顔だった。


「私はジナミの元へ向かえばいいのかい?」

「お願いしたい」

「危険だからダメ。ここにいて」


 イザベラが口を挟んだ。


「私は大丈夫」

「大丈夫じゃない。ステムを守らないと」


 俺が強く言った。


「大丈夫だから落ち着いて。ジナミが今は危険だから。ステムは俺が守る」


 突然、衝撃を受けて体が吹き飛んだ。


 一瞬、何が起きたかわからなかった。セレブロがメランに攻撃を受けたのだとわかった。城壁が崩れ、自分が今いるこの地面も大きく傾いていた。手から離れた両刃槍を手に取って立ち上がる。舞った土埃の中からメランのいるであろう位置を見下ろすと、やつが誰かの首を掴んで持ち上げているのが見えた。


 カイだった。体が宙に浮いている。手足を動かして必死に抵抗していた。しかし、やつの腕は微動だにしない。


「やめろ!」


 叫んだが、遅かった。カイの手足がダラリと垂れた。そして、宙に浮かんだ体は動かなくなった。彼の生が終わった。


「おーーーい」


 叫んでも無駄。わかっていても叫んだ。


「おおおおおおおおおおお」


 狂ったように声を上げ続けた。顔が熱くなった。


 アレンが攻撃を再開した。遠くからでも怒りに震えているのが分かった。攻撃するたびに、青い光がパッと暗くなった世界を照らす。それはメランに当たってすぐに消えるため、一方通行の虚しいコミュニケーションのようだった。


 今まずやるべきことは、すぐに近くにあるステムの状況を確認すること。そして、イザベラとホルスが大丈夫か確認すること。ステムは大丈夫そうだった。城壁と地面に亀裂が入ったが、ステム自体に外傷はない。次に、仲間二人。


 イザベラを見つけた。倒れていた。動かない!


「イザベラ!大丈夫か!」


 駆け寄ると、彼女は足を抑えていた。骨折だろうか。銃撃地点からはかなり離れており、そこまで吹き飛ばされた際に負傷したと思われた。


「立てない?」

「難しいかも」


 彼女は苦しそうだった。よく見ると足だけでなく、腕からも血を流している。でも、デックは下へと降りた。治療するには時間がかかりそうだ。と、ホルスがどこからか駆け寄ってきた。彼女もまた負傷していて、足を引きずっていた。


「ホルス、大丈夫?」


 ホルスはキュンと悲しそうに鳴いた。イザベラはホルスを抱き寄せると、体を優しく撫でた。二人のやり取りは見ていて辛かった。


「私、少しだけ未来が見えるの」


イザベラは手を額にかざした。


「どんな未来が見える?」

「明るい、皆が楽しそうにしてる未来」


 俺は、彼女の額に手をあてると、それは嬉しい、と言った。それから、立ち上がった。


「行ってくる」


 俺はそれだけを言い残し、崩れてむき出しになった城壁の跡に立った。下にはメランがこちらを向いていた。目が合った。


 メランのすぐ傍まで来たアレンが精一杯の攻撃をしたが、鎌を使った反撃に、一瞬で吹き飛ばされてしまった。それを見て、拳に力が入った。ジナミとデックはどうなっただろう。スカイライナーは一瞬で壊滅寸前まで追い詰められた。圧倒的な敵を前に、どうすることもできないのか。そんなことはないはずだ。


 メランを睨みつけた。


 俺は両刃槍を持つと、思いっきり宙に飛んだ。



「八月十八日 日曜日

 姉が涙目で帰宅。首筋に腫れを見つけた。彼氏に間違いない。なぜ別れないのか。とても悔しい。結局、部屋にこもったきり今日一日出てくることはなかった。母の誕生日が明日なので、欲しがっていた花と好きなイチゴケーキを買ってきた。」




2.夜明け



 夜明け前は最も暗い。そう言っていた偉人は誰か。意味は、どんなに辛くひどいことがあってくじけそうでも、最悪の次には明るい未来が待っているから、あきらめるな。でも、皆は思うはずだ。さらに暗い未来が待っていたら。その時は終わりだ。


 俺が槍を握りしめて思い切って飛び、メランに突っ込んだのは間違いではなかった。槍は柄の部分までメランの体にめり込み、俺は勢いのままやつの体へ突進した。やつへのダメージはそれなりに大きかったと思う。アレンのエネルギー波によるダメージの蓄積があったからかもしれない。やつは動きが鈍くなった。しかし、遅かった。


 二人を見つけた。デックとジナミだ。倒れて動かない。ズタズタに引き裂かれたその様子から、メランの仕業ではないと悟った。そんな面倒なことはしないはず。では何者か。その答えはすぐに見つかった。


 こちらに向かっている一体のアンクスがいた。ただ、これまでに見たものとは違う。黒いマスクを着けて、ボロボロに破壊されたスーツを着用している。もう見間違えることはない。カイザー・カミング。マスクとスーツが真っ黒に染まり、顔はなくなっている。また変装でもしているのかと思ったが、メランが反応していないところを見ると、メラン側の人間。メランにとっては、武装宗教組織も、一般人も、スカイライナーも同じ。敵と認識するはずである。


 カイザーはアンクスになった。今さら驚くことはなかった。予想の範囲内だ。このことはもちろん、今までに見てきたアンクスらにも同じことが当てはまることを意味する。ここに集められたアンクスらは皆、世界のどこかにいた一人の人間だったのだ。皆、メランによってまるでウイルスに感染したゾンビのような化け物に変貌してしまったのだ。


 カイザーがゆっくりと迫ってきた。手にした槍で顔面を突き刺す。すぐに処分すると、メランの方を向いた。メランも、ステムを目指していたが、俺に気づいてこちらへ向いた。


 仲間はほとんど残っていない。アレンと自分でやるしかない。


 俺は、足元に落ちていたものを拾った。日本刀だった。カイのものだ。持ち手を握ると、刃が橙色に光った。メランと対峙する。やはり大きい。目を合わせて動けなくなってしまったあの頃を思い出す。俺は、メランの包帯面に隠れた目を直視した。絶対に負けない。刀を振る。やっぱりだった。体を自由に動かせる。

すると、アレンがメランの頭上に現れた。青く光らせた両腕をメランに向けて攻撃する、その時メランの鎌によって撃ち落とされた。霧波が当たったようだった。アレンの動きは読まれている。


 メランがアレンに注意を向けている隙に、日本刀で斬りつけた。もう一度。刀を振った時、体勢を立て直したメランが防ぐように大鎌を振った。二つは交わった。いったん離し、力を加えることで再び交差した時、日本刀は砕けた。勢いで、俺は体ごと後方に倒された。力がスッと抜ける。だめか。しかし、メランの攻撃は止まらない。


 続いて別の方向から大鎌が振られた。ギリギリのところで避け、それでも容赦なく回転する鎌から身を守るため、両刃槍を構えたところで、再び飛ばされた。槍が破壊された。もう一度、鎌の刃が迫る。体を回転させてメランから距離をとろうと奮闘する。メランは体が大きいため一つ一つの動作が遅い。無事にやつの近くから離れると、呼吸を整えた。倒れているアレンの傍に駆け寄る。体内のエネルギーが足りていないだけだった。血管が浮き出ている。


「お前だけは死ぬなよな」


 アレンはそう言うと、アームガードを外して俺に渡した。そして、俺が掴むと安心したように手をダラリと垂らして、目を閉じた。


「おい!」


 反応を示さない。


「アレン!まだ早いよ!」


 動かない。呼吸が止まった。


「ありがとう」


 なんとか言葉にして伝えようとした。しかし、そう言い終えたかわからないくらいのタイミングで、大鎌がアレンの体に降ってきた。大きな刃がアレンの体を真っ二つに裂いた。俺は反射的に後ろに尻もちをついてしまった。絶望とはこのことだ。最も暗い時とは、今のことだろうか。メランはゆっくりと鎌を持ち上げた。わざとらしくゆっくりと時間をかけることが嫌で、思わず目を背けてしまった。俺にできることは一つだけだった。


 メランはじっとこちらを睨むように見た。アンクスにもメランにも顔がない。それがどういうことを示しているのか。絶望を見せる。それが、やつらの目的だとしたら、俺は自分のとるべき行動をとる。


 ステムを見た。ここからだと高い位置にある。俺はステムを背にして立った。目の前にはメラン。アンクスはまだ多くが残っているが、メランを倒せばそれで全て解決する。地面に散らばった刀や槍の残骸を見て、俺は手に持ったアームガードを捨てた。


 わかったよ。人からの借り物じゃダメだってことだろ?


 メランが迫った。俺の頭上で大鎌を振り上げた。俺は、目をつぶった。

そして、両腕を体の右下後方へと動かした。すると、バッと何かが手の中へと飛んできた。重みを感じた。


 俺は目を開けた。


 目の前の巨体、メランが狼狽しているのがわかった。


 俺の手にはメランの武器である、大きくて黒い鎌が握られていたのだ。


 俺は、全てを理解した。


 そして、ポツリと呟いた。


「ウィル、帰ろう」


 そして、全体重をかけて、大鎌を振り上げた。


 メランの体が裂かれ、そこから光が差した。真っ白な光だった。それはやがて大きくなり、あっという間に世界全体が真っ白に包まれた。



「八月二十日 火曜日

 最悪。人生で一番悪い日。急に電話があった。突然の事故だった。母も相手も悪くない。強風によるバランス崩しで転倒。現場に残された自転車は原型をとどめていなかった。父は出張で海外。姉も来れなかった。人生最大の苦しみ。

母親の部屋には睡眠薬がある。全てを終わらせたい。さようなら」




1.目覚め



 日の光で、俺は目を覚ました。


 温かい。


 光は部屋のカーテンの隙間から差していた。まだ視界がぼやけている。


「お、目を覚ましたぞ!」


 聞いたことのある声だった。その声で、入り口からたくさんの人が入ってきた。皆、嬉しそうに近づいてくる。感嘆の声をあげる人もいる。自分はベッドの上に横になっていた。何時間寝ていたのか。体がひどく固まっている気がする。


「おはよう」


 声の主は安心したように言った。続けて、皆が口々に挨拶してきた。おはよう。おはようございます。おはよ、おはよう。どの声も全部、聞き覚えがある。


 視界がはっきりしてきた。入り口は右奥にあり、このベッドを囲むようにして大勢の人が集まった。


「よかった。安心したよ、まったく」


 最初に聞こえた声だった。一番左に座る男性だ。白髭、茶色のベストにシャツ。アレン、父さんだった。久しぶりにあった気がして、いや、久しぶりなのだが、長い間遠くに行ってしまったようで、複雑な気持ちだった。言葉が出なかった。


「ねえ、まったく。心配かけさせないでよ」


 そう言ったのは、隣のイザベラだった。目が腫れているのにまだ泣いている。さすがに西洋騎士の甲冑は身に着けていない。でも、白と灰色の動物、ホルスを抱いていた。


「いつになったら自立するのよ、姉に迷惑かけてばかりなんだから。私も、あの彼と別れたの。一緒に前へ進むよ」


 ありがとう姉ちゃん。彼とはカイザーのことか。そうだね、一緒に歩き出そう。

その隣には、ピンクのシャツを着た青年が立っていた。沼田カイだ。


「無事でよかった」


 笑った時の笑顔はいつも変わらない。


「僕、強くなったよ。武術を始めたって言ったじゃん?おかげでいじめられるどころか、この一週間で友達増えたからね」


 涙が流れた。何も言えなかった。言葉にならなかった。


「覚えてるか?俺のこと」


 そう言ったのは、さらに右隣の筋肉質の男だった。俺の数少ない親友の一人で、どんな時も傍にいてくれる大切な仲間。忘れるわけがない。ジナミ・リンだ。思わず笑ってしまった。涙がさらに流れてくる。泣きたくなんかないのに。


「しばらく学校来てないからな。すぐにでも帰って来いよ。待ってるから」


 その隣には、優しい表情で見守るドクターの姿があった。


「良かった、君が無事に帰ってこれて」


「ほら、礼しとけ。どれだけお世話になったか・・・」


 父さんが言った。礼を言おうとしたが、かすれて声にならなかったので、頭を下げた。


「母さんも心配してたぞ」


 ドクターの横には、写真立てが置いてあった。黒いロングの髪をかきあげ、笑顔で写っている女性がいた。そう、俺の母さんだ。申し訳なかった。身勝手すぎた。ごめんなさい・・・


「あと、カイにも感謝しろよな。カイがいなきゃ、いや、カイの父さんがいなきゃ、助けられなかったかもしれないんだからな」


 何もかも皆のおかげだった。自分がどれだけ多くの人に支えられているか、よくわかった。


「普段から、家でゴロゴロしないで外に出ろって言っているが・・・しばらくは家で読書でもしてゆっくりしなさい。本当に・・・・よかった」


 父さんは我慢していたらしい。嗚咽をもらした。すぐにハンカチで顔を隠した。父さんが泣いているのを見たのは初めてだった。


 ドクターは笑顔で言った。


「ホッとしました。後遺症もなさそう。今後何かあるようでしたら、またいらしてください」

「いえいえとんでもない。お世話になりました」


 父さんたちは、僕を待っていてくれた。嬉しかった。涙が止まらなかった。なんて言えばいいのか全く分からない。


「ありがとう」


 口から出たのはそれだけだった。涙のせいで世界が歪んで見える。ドクターが言った。


「まだ世界は終わってないよ。ただ、そう見えただけだ」


 そうだった。本当にその通りだ。父さんが俺に顔を近づけると、言った。


「それじゃあ帰るぞ。沼田大和先生の大和病院から」


 


 数日後、無事に退院した俺は学校へ向かった。久しぶりだった。教室はざわざわしていた。のぞくと、既に学科のクラスメイトはほとんど揃っていた。


 中へ入ると、教室の空気が止まった。空いている席を見つけて椅子に座るまで、クラス中の視線が俺に集まっていた。席に着くと、再び空気は動き出した。近くの男子グループがひそひそと話しているのがわかった。しかし、彼がその場にやってくるとすぐに止んだ。そう、彼。聞き覚えのある声。リンだった。


「よう。おかえり」


 仲間に入れようとしてくれるのはここでも変わらない。友達と一緒に席にやってきた。


「こいつ、病院にいたはずなのに、たくましくなった気がしないか?」

「そうかな」


苦笑いして答えた。


「よし!今夜は歓迎パーティだな」

「やめてくれよ。まだ退院したばかりなんだから」


 みんなで笑った。久しぶりに笑った気がした。


 リンの友達に囲まれて騒いでいると、先生が入ってきた。学生らがそれぞれ席に戻る。リンたちも着席した。教室が静かになった。先生が話し始めた。


「おはよう!今日は製図の課題を引き続きやってくれ。提出日までもうすぐだぞ。あと、入りたい研究室の調査。二年後なんてあっという間だから、後回しにしないこと。よろしくな」


それから、先生は教室をグルッと見渡すと、俺を見つけて呼んだ。


「ウィル、ちょっと来て」


俺は視線が集まる中、立ち上がった。教壇に向かう。先生の前に着くと、彼は言った。


「元気な姿が見れて良かった、心配したよ」


 それから、自分のカバンからクリアファイルを取り出すと、中から一枚の紙を取り出して俺に手渡した。そこには、驚くべきことが書かれていた。


「俺は知らなかったけど。小説家でも目指してるのか?凄いよ、おめでとう。こんな才能があったとは」


 それは、新人小説賞、金賞受賞の通知だった。勝った。俺は思わずガッツポーズした。


「凄い!本当に?」


 後ろから声が聞こえて振り返ると、先頭に女子たちが座っていた。


「頑張ってたの!」


 その女子たちの中に、ラフィーナを見つけた。目が合うと、会釈した。


「おお!やったぞあいつ」


 教室の真ん中でリンが叫んだのが聞こえた。弾むようにそちらの方に向かった。そして、声を大きく上げた。


「よかった、やったよ!」




 世界の日常が始まった。俺の新しい生活が始まった。


 あれから全てが変わった。


 人は絶望の淵に立たされた時、世界は終わったように落ち込み、全てを投げ出す。


 しかし、世界はちっとも変わってない。夜にはどこの街にも、ビール片手にベンチで休むサラリーマンや、眠れずに天井を見つめる学生がたくさんいる。


 皆、夜明けを信じて過ごしている。


 大丈夫。


 この日記を読んだあなたにも夜明けは訪れる。


 だから目を開けて。


 意志を持って。


 生きろ。 


                                         






(完)

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DAWN(ドーン) ボーン @tyler019

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