9.ジナミ



 僕は走った。端末の表示は1/30。この世界は止まっていた。スローを解除した時の副作用的な圧力は大丈夫だ。ブルーサファイアがある。


 生きたい。


 そう思うようになった。その確固たる信念が僕を動かした。まだ死ぬわけにはいかない。この世界で動くのは自分だけ。誰にも邪魔はされない。全ての筋肉はエネルギーをため込んだブルーサファイアのごとく暴れ、血液は青い閃光と同じように体中に放たれた。それでも走った。街を抜け、大通りを渡り、巨大なビルとビルの間を駆け抜けた。


 途中でアンクスに襲われている母子を見つけた。母親の身体が弱いらしく、二人で逃げているところ、休憩中に襲われたようだった。囲まれたと知って諦めた娘が、路肩に座り込んだ母親に覆いかぶさって泣いていた。そこに、二体のアンクスが二方向から迫ってきているところだった。顔のないやつらが人を襲う様は何度見ても不快だ。


 僕は手前のアンクスの頭部に膝蹴りすると、そのまま走って奥のやつに体当たりをした。わずかだが、やつらがバランスを崩すのが見えた。この速度で静止世界に干渉した時の衝撃は想像できない。内臓を破壊し、原型をとどめない程になるだろう。もっとも、やつらに内臓があったらの話だが。


 それからも何度か、生存者やアンクスを目撃した。自分で自分を確かめるように人を救い、自分の身体の中のがん細胞を抹消するかのようにアンクスを攻撃した。

太陽が完全に沈む直前に、大河に出た。流れに沿って上へと目指すと、やがて川は細くて流れの急な川へと変わった。同時に、周囲に草木が増えた。山に近づき、川に沿って登るように進んだ。


 そして、岩肌が目立つ上流に着くころには、太陽は沈んでいた。暗い中登山を進める。山の中といっても、数日前に目覚めたところとは全く違う。奇妙な世界だった。木は枯れて倒され、日陰でもないのに植物が一切生えていないところがちらほらと確認できる。


 一度、スローを解除した。装甲のガラスが散る。一瞬、全方位から猛烈な圧力を感じて戸惑ったが、痛みに変わる直前におさまった。アームガードを確認すると、青い光は強くなっていた。


 川の様子を見て驚いた。水量が明らかに少なかったからだ。水の勢いは強いが、川底が見えているところもある。それもあってか、辺りは静かだった。デックの言っていた岩に水がぶつかる音、それはこの辺りでは一か所しかなかった。このすぐそばにジナミはいるはず。


 少し離れると、その音も消えて静寂に包まれる。動物の気配は感じられなかった。それでも慎重に動かないといけない。アンクスが息を潜めているかもしれないからだ。


 右腕を掲げるようにして、アームガードをランタン代わりにした。草木が青白く照らされ、これはこれで奇妙だった。


 足跡を見ようとしたが、地面には何も残っていなかった。そこでふと、自分の腰辺り、木から飛び出した枝葉に目がいった。見ると、葉に赤いものがついている。気になってその周りの葉も確認すると、二、三枚に付着していた。手に取ってみる。明らかに血液だ。このあたりまでアンクスがきたのだろうか。


 考えた挙句、川を背にして荒れた森の中を進むことにした。川から離れると、音は聞こえなくなった。聞こえるのは自分が土を踏む足音だけ。物音が聞こえたら、何かがいるという恐怖を感じる。でも、何も聞こえない静寂というのも不気味だった。植物さえ生きている感じがしない。


 ふと、死んだときのことを考えた。死んだら、無なのだろうか。何もないというのはどういう感じなのか。相変わらず、あの時、森の中で目を覚ました以前の記憶は全くない。もしかしたら、その前は死んでいて、あの時初めて生を受けたのかもしれない、と考えた。  

 

 記憶は解釈に過ぎない。実際、昨日まで死んでいて、これまで生きていたという記憶を植え付けられて今朝生まれたかもしれないのだ。そう考えると、生と死の違いは何なのかわからなくなる。生きている実感がなければ別に死んでいてもいいのかも。それでも今自分は生きている、と思った。また、死にたくないとも思っていた。


 そこで、ガサッという音が聞こえて、ビクッとした。視界には何も映らない。迷わずにボタンを押して、スローを起動した。表示は1/2。たとえ敵が来ても、すぐに反応できる自信はある。


 ゆっくりと歩を進める。目の前に大きな倒木があって行く手を阻んでいた。幹が太く、超えるには自分の頭より少し高いところを登らなくてはならなかった。手をかけて軽くジャンプしてしがみつく。そして、足を引き上げるようにして体を倒木の上に乗っけた。そして、地面に飛び降りた時、ゾッとした。


 目の前にのっぺりとした顔が現れた。両腕を広げ、今にもこちらに襲い掛かろうとしている。言うまでもない、アンクスだ。思わず後ろに下がり、後ろの倒木に背中をピタリとくっつけた。が、それは両腕を上げた状態で身動きをしなかった。スローだからだ。しかし、こんなに動かないものか。表示は1/2。この透明装甲を着る者以外の世界は一秒経つのが倍の二倍になるだけである。


 と、不思議に思った時、それは顔を急にこちらに突き出してきた。


「あああああああああ」


 それの叫びとともに、僕は慌ててしゃがんで横に前転して攻撃を避けようとした。しかし、それは両腕を上げたまま吠えているだけだった。アンクスをよく見て理解した。こいつは両腕を広げた状態で後ろの木に固定されていたのだった。手首辺りに釘が打たれている。


 やつは横に移動したこちらに向かって吠えてきた。おかしい。やつの動きは自然だ。左腕の端末画面を確認すると、ちゃんと1/2とある。僕はもう一度端末横のボタンを押した。1/3になる。しかし、世界はいつも通りの時を刻んでいた。解除した。小さい機械音が鳴っただけだった。


「故障か。こんな時に」


 そう呟いた時、視界の隅から急に腕が伸びてきて体をがっちりと押さえつけられた。反射的に抵抗する。しかし、相手の力は強く、ただもがくことしかできない。


「誰だ」


 叫んだ。答えてくれるとは思わなかったが、アンクスでないことはたしかだ。やつらは本能で襲うことしかできない。背後から押さえつけることなんてできるはずがなかった。相手からの返答はない。だとしたら、スパークスか。


 足を持ち上げると、全力で後方を蹴った。そして、相手がひるんだ隙に肘で突き、それから頭を後ろにぶつけて顔面に攻撃をいれた。そこで拘束を解こうとするが、相手はなかなかしぶとい。手首ががっちりと押さえつけられてしまって、思うように動けなくなった。そこで背中に蹴りを入れられ、僕は地面に膝をついてしまった。そして、起き上がろうとしたとき、相手の手が僕の鼻と口を覆った。煙が顔の近くに広がるとともに、甘い香りがした。まずい。このまま意識を失うことは避けたい。必死に抵抗した。しかし、もがけばもがくほど煙を吸い込んでしまう。やばい。


 僕は全力で右腕を振り払おうとした。その時、右腕のアームガードが急に強く光りだした。そして、青白い閃光で視界が遮られたかと思うと、体が軽くなった。相手を遠くへ飛ばしたのだ。


 僕は口から煙を吐き出した。肺にまで到達したものが呼吸を乱し、思わずせき込んだ。


 落ち着くと、ゆっくりと立ち上がった。拘束されたアンクスがわめいている。僕は右手をアンクスへ向けると力を込めた。すると、アームガードの光が若干弱くなると同時にそこから青い光が飛び出してアンクスに当たった。やつは動かなくなった。


 背後で音がして振り返ると、土まみれの男が立ち上がったところだった。赤い迷彩柄の服に身を包んだ軍人だった。スパークスか。鼻と口にガスマスクを着けている。

相手は腰からハンドガンを取り出すと撃ってきた。僕は咄嗟に木の陰に隠れた。


 パン!パン!


 乾いた銃声が森に響く。


 スローを起動しようと端末をいじる。ボタンを押して、解除、もう一度試してから解除。しかし、変化はない。


 パン!


 やはり調子が悪い。装甲は使えそうになかった。ひとまず諦めよう。あと頼れるのはブルーサファイアだ。木から手だけ出るようにして、力を込めた。


 一瞬、光で目が眩んでから男の叫び声が聞こえた。その方を見ると、彼は倒れて動かなくなっていた。攻撃が当たったらしい。恐る恐る近づいた。息はあるようだが、気絶しているようだった。危なかった。


 しかし、ほっと安心したのも束の間。小さな声が聞こえた。男の声。初めは倒れた目の前の男が小声で何か言っているのかと思ったが違う。彼の持っている無線から発せられる声だった。


「おい、応答しろ」


 その直後、危険を察知した僕は咄嗟に頭を下げた。


 パン!


 間一髪。頭上ギリギリを銃弾がかすめ、後ろの木に当たった。見ると、四、五人の迷彩柄の男が発砲してきていた。皆、鼻と口を覆うマスクを着けている。


 僕は慌てて木の陰に隠れた。やつらの一人に、マスクが他と違う者がいた。先に倒した男を含めて皆黒なのに、その者は赤だった。ゆえに異様に目立っている。髪も違った。他は短髪で坊主に近いのに、その者は髪が長く後ろにまとめていた。


 あいつがリーダーか。


 銃声が止んだ。僕は、先と同じように右腕でやつらを倒せないか考えた。ただ吹き飛ばすだけでもいい。形勢逆転を考えた。そして、先と同じように右手をかざした。

大きな音とともに敵は全員吹き飛んだ。木から顔を出して彼らの行方を確認する。倒れている人間の数を数えると、五人。全員だ。


 そう思って油断したその時、後頭部に固いものが当たった。すぐにわかった。銃だ。


「動くな」


 低い男の声だった。音を聞いて駆け付けたのだろう。今なら使えるかも。そう思って、端末横のボタンを押したが何も起きなかった。


「動くなと言ってるだろ」


 銃を頭にめり込ませるかのようにグイッと押された。終わった。いや、何かできるはずだ。しばらく待った。何もされる様子はなかった。僕を殺すことは避けたいのか。ならば、ギリギリまで・・・


 ドサッという音で、頭から銃が離れた。


 振り返ると、新しく現れた男が銃を持った男と格闘していた。その男はアジア系の顔立ちをしていた。ボロボロのピンク色のシャツとジーパンを着ている。土まみれで破れかかった裾はとても汚い。まるで、ここで長い間ここで生活しているようだった。そして驚いたことに、武術に長けていた。


 敵の銃を持つ手に蹴りを入れて銃が落ちると、二人の強弱がより明らかになった。ピンクシャツは空手のような構えで敵と対峙すると、上手に攻撃をかわしつつ蹴りやパンチを敵の急所に食らわせた。そして、敵に腕を掴まれて距離を縮められると、無駄のない動きで敵を背負い投げし、ねじ伏せるようにして押さえつけた。そして、落ちていた銃を拾うと、顔面に二発撃ちこんでとどめをさした。そのあまりの華麗さにあっけにとらわれていると、彼が立ち上がって、小声で言った。


「ここはやつらが多い。ついてきて」


 言われるがままついていき、森の中を走った。まさか、彼は本当にここで生活しているのか。これからその家へ案内されるようだ。


 二人は思ったよりすぐにそこに到着した。何の変哲もない地面だった。茶色い土のあるところだ。しかし、彼がその土の端に手をかけると、その地面は絨毯のようにペラリとめくれた。なんと、土の被った地面に見せかけた布だったのだ。


 その下には、マンホールが現れた。それは表面に溝が付いていて、手でつかむと蓋が手前に開くタイプだった。男が開けると、円形の空洞が下に続いており、壁面に梯子がついていた。これで下へと降りるらしい。彼が先に降り、続いて僕が下りた。蓋を閉めると中は真っ暗になったが、すぐに電灯がついた。


 梯子を一番下まで降りると、そこはコンクリートでつくられた部屋になっていた。天井は低く常にかがまなくてはいけないが、広さは一人で生活するには十分すぎるほど広い。また、綺麗とはいえないが、布団があったり、食料であろう缶詰が積み上げられていたりと、必要なものも揃っている感じがした。しかし、この部屋の大半を占めているのは本だった。


 隅に、この部屋の四分の一ほどの大きな本棚が二つも置いてあるのだ。そこには小説から伝記、さらには旅行やビジネス書まで様々なジャンルのものが整頓されて並べられていた。英語ではなかったが、絵柄や写真でなんとなく理解できた。


 僕が無数の本に気を取られていると、背後から男に話しかけられた。


「すごいだろ。二、三年いても飽きない量だぜ」

「まさか、本当にここに住んでいるの?」

「いや、そんな長くはないけど。もうすぐ一年経つかな」


 男は名前を、カイと名乗った。年齢は三十代だろうか。僕は、もしかしたら、という思いで彼の左腕を確認したが、スカイライナーの印はなかった。


 カイはここで一緒に生活していた男をスパークスに連れていかれたそうだ。その男は命の恩人だという。アンクスに襲われていたところを助けてもらい、以降一緒に行動していたというのだ。僕は安易にカイを信用できないでいた。助けてくれたとはいえ、この話は嘘かもしれないのだ。ウルティムスの一件で、自分で思う以上に精神的に不安定になっているのかもしれない。


「君はスパークスと何かあったの?」


 信用しないで本当のことを言うのは抵抗があった。僕は、あいまいな返事しかできなかった。


「一度、襲われたことがある」

「そうか。それは大変だ。彼らは今の世界で最も危険で、最も技術力を持った集団だ。宗教武装組織って、どの時代もやっかいだよな」


 ニンジャたちに聞いたことと同じだ。僕は黙って話を聞いていた。すると、カイは突然驚くようなことを聞いてきた。


「能力者ってこの世界にいると思う?」


その言葉にはどこか裏がありそうで、怪しんだ僕は返答が遅れてしまった。


「それはどういうこと?」

「この世界には能力者が七人いると聞いていたんだけど・・・」


それから言葉を濁そうとしていたが、しばらく考えてから単刀直入に聞いた。


「君は能力者?」


 その質問にドキッとしてしまった。勘付かれている?能力者だったらどうしよういうのか。僕を利用しようとでも思っているのか。しかし驚くべきことは、彼はスカイライナーの存在を知っているということだ。


 一瞬とぼけようかとも思ったが、悩んで答えに詰まってしまった以上、その手の逃げは通用しそうになかった。自信をもってそうともいえないし、身に着けている装甲やアームガードを使っている姿を見られてしまった以上、違うとも言えない。答えられずにいると、カイは本棚から一冊の分厚い本を持ってきた。茶色い表紙だった。彼は、紙の端を折って印をつけてあるページを開くと、僕に見せてきた。


『大和七大神』


 ページ右端に大きな文字で、こう書かれていた。日本語らしい。漢字はわからないと伝えると、カイはヤマトの七人の神のことだと教えてくれた。それに続く文では、簡単な神話の内容とそれぞれの神について説明されているようだった。


 カイは要約して説明した。この国には一つの神話が伝えられている。人間である主人公が六人の神に会って成長していくというものだそうだ。そこでは、意志の力こそが唯一神に示せるものだということになっている。小さな挿絵を見ていくと、たしかにそんな話なのだとなんとなくわかる。しかし、納得できず、それでは七大神でなくて六大神ではないかと言うと、最後は主人公も七人目の神として世界を支える存在になると、カイは言った。


 そこで、自分で言った六という数字に引っかかった。そして、思い出した。ウルティムスと名乗った、カイザーが六人と強調していた気がする。でも、そこまで気にしても仕方ない、と思うことにした。彼は幻だったのだ。でも、この神話と能力者に一体、何の関係があるというのだろう。


 次のページをめくって僕は驚いた。なんと、スカイライナーの印の挿絵が載っていたのだ。


「世界の終わりが近づくとき、七人の選ばれし者が能力者として立ち上がる」


彼はそう言った。


「今まで噂だった。でも、本当な気がするんだ」


それから、彼は続けた。


「僕の恩人の身体には、このマークが描かれていたんだ」


 衝撃が走った。まさか、と思った。しかし、次の言葉で僕はカイを信用することにした。


「彼の名前はジナミ。君の仲間だよね?彼を助けなきゃ」



「七月七日 日曜日

 しばらく日記をやめていた。何も記録に残すようなことをやってなく、書くのも面倒だった。ちなみに中間テストはひどい結果だった。

今日から日記再開。

公開中の映画「サファリング」を鑑賞した。感動した。生を感じるありがたさ、楽しみ、そして、生を受けたからこそ感じることのできる苦しみを描いたサスペンス映画。今までにない謎解き映画であり、世界中の人の人生に影響を与える新人監督の職人技に衝撃を受けた。自分のやりたいことを見つけた気がした。」




8.スパークス



 夜はすっかり更けていた。外は真っ暗だろう。日付が変わればあと二日間。二度の日の出後。それが期限。それまでにジナミを見つけ出してセレブロに戻らなければいけない。


 僕とカイは潜入とジナミ救出のための準備をした。カイは部屋の奥、服が大量に積み重ねられているところから今回の服装を引っ張り出してきた。それは見たことのある赤い迷彩服だった。彼は意気揚々としているように感じられた。それもそのはず、仲間がつかまり、自分は一人でずっとこんなところで生活。それが、やっと味方を見つけて反撃できるのだから。


「これ、意外と機能性に優れているんだよね。防弾、防炎で通気性が良い」


 たしかに、敵のアジトへ潜入するならその方がいい。敵に見つからなければそれだけ目的が果たしやすくなる。


「ああ、防光ではないから攻撃はしないでね?」


 そう言って彼はアームガードを指さした。


「申し訳ないんだけど君の分はないんだ」


 そして下から履き替え始めた。僕はジナミを見つけた後のことを話そうと思った。


「ジナミを見つけたら、連れて行かなければならない場所がある」

「どこ?もしかして能力者の集まる・・・」

「そう」


 少しためらってから、聞いてみた。


「よかったら一緒に来る?ここよりは味方も多いし、過ごしやすいはず」

「いいの?」

「大丈夫。仲間は増えるほどいいからね」


 僕はスピーダーの調整をしていた。といっても、未だに使い方のわからない端末をいじるだけだったが。特に異常はなさそうだ。使いすぎて寿命が来ているのかもしれない。スパークスでも、自分みたいに長時間、スピードをあんなに速めて使いはしなかっただろう。この装甲も限界に近いのだ。頼りすぎるのも危険だ。あとはブルーサファイア。ほとんど発光していなかった。部屋の隅のガラクタ置き場に散らかっていた乾電池やバッテリーを集めてチャージに利用した。エネルギーは少しだけだったが十分だろう。あとは戦いながらチャージしていく。


 一方で、カイは服を着替え終えていた。ガスマスクを着けていないだけで見た目はスパークスの一人だ。彼は部屋を見回すと、こちらを見て頷いた。


「よし、準備はできたよ」


 二人で外へ出た。案の定、辺りは暗かった。カイに続いてしばらく歩くと、木々の間から遠くに明かりが見えた。大きな施設が照らされている。すぐにわかった。スパークスだ。カイが小声で言った。


「表向きは印刷会社の工場ということになっているみたいだ」


 それから歩くこと三十分。すぐに近くに到着した。施設は倉庫のようだった。白くて四角い建物が二つ繋がっていて、その周りを高いコンクリート塀が囲っていた。山のふもとで開けた土地にあることから、非常に目立っている。


 正面の塀に小さな扉がついていた。右奥に巨大な門が見えることから、ここは裏口なのだと理解する。この位置から人の姿は見えない。一見、容易に侵入できそうだ。


「今まで調べてきてわかったことだけど、セキュリティは万全。内部は、いたるところに監視カメラやセンサーが取り付けられている。最新の要塞だ。前に一人で裏口から入ったがすぐに見つかった。カメラの死角を通ったはずだったんだけど・・・」


 彼は苦笑いした。


「熱感知のセンサーにつかまったみたい。動物すら入れないよ。無事に逃げてこられたけど焦った」


 カイは戦うことに苦痛を感じているようには思えなかった。あまり悩まない性格なのかもしれないが。そのわけを聞くと、予想していなかった答えが返ってきた。


「戦うことが好きなんだ」


 彼はニヤッと笑った。不思議と嫌悪感のない笑みだった。


「小さい頃いじめられていて、負けず嫌いだった僕は見返したいという気持ちから空手を習い始めた。そしたら上手くいっちゃって。全国大会進出にまで登り詰めることができたんだ。それからいじめられることはなくなったけれど、別に力で仕返しをしたわけじゃない。たぶん自分の内面が変わったんだと思う。自信がなく、悪態ばかりついていた自分は、気づけばスポーツに明け暮れる青年になっていた。柔道も始め、剣道やボクシングにも手を出していた。初めての仕事はジムトレーナー。それから護身術を教える傍ら、各種目の世界大会に参加する人間になった。この世界は、自分の実力がどれだけ通用するのか試せるため嫌いではないよ」


 明るくて真っすぐな彼にそんな過去があるとは思えなかった。たしかに戦いぶりは見たが、世界で通用する武術の達人だったとは。


「話を戻すと、つまりここは潜入は無理だってこと」

「じゃあ・・・」


 カイはどこか楽しそうだった。


「そう。白昼に銃を持って強行するバカな銀行強盗と同じ。突撃するしかない。大丈夫。札束を担いで逃げるより人を連れ帰る方が楽でしょ?どうせなるようになるんだ。笑ってた方が得だよ」


 施設の裏口に一台の軽トラックが止まった。スパークスは機能する車を持っている。その事実が、彼らの技術力の高さを表していた。一体、どれだけのエンジニアをかかえているのだろうか。荷台には、積めるだけのドラム缶を載せている。乗っているのはドライバーのみ。


「行くぞ」


 カイは足音を立てないように裏口に走っていき、車の陰に隠れた。トラックのエンジンが切れ、ドライバーが車から降りた。そして、車と塀の間に入り、こちらから姿が見えなくなって間もなく、ドライバーの代わりにカイが出てきてこちらに手招きした。さすが、仕事が早い。


 アームガードのブルーサファイアの光が強くなった。代わりに車のバッテリーがゼロになった。


 車の裏に行くと、敵は倒れていた。カイがプラスチック製のカードを僕に見せた。これで一枚目の扉を突破することはできる。


「突っ込むよ」


 カイがカードをカードリーダーにかざした。小さな扉がプシュッというと、ゆっくりと開きはじめた。右上に監視カメラを見つけると、右手をかざして破壊した。やったことは意味ないかもしれないが、別にいい。


 扉が開くと、そこはメインの建物を囲むように作られた中庭だった。そして想像通り。赤い迷彩服の者が集まっていた。これからも続々と集まるに違いない。数はおよそ十人。皆、ショットガンを構えてこちらを狙っている。


 一瞬、時が止まった。


 僕は咄嗟にカイの前に出た。銃声が響く。ショットガンの重みのある音。アームガードから青い光が放たれた。


 その場一体が静止した。状況が呑み込めずに敵陣を見た。彼らは銃を構えた状態で止まっていた。数人が頭だけを動かして僕たちを驚きの表情で見つめた。下を見ると、足元にはたくさんの弾丸が落ちていた。どれも潰れていないで原型を保っていた。が、よく見ると、ゴム弾だった。彼らはこの二人も捕えようとしているようだ。なめられたものだ。カイが言った。


「ゴム弾とはね」


 右手は先よりも光輝いていた。それを思いっきり振ると、その場が青色に包まれた。敵は一瞬で態勢を崩した。壁に叩きつけられたり、仲間と衝突したりと様々だった。


 こちらのターンだ。


 二人で突入した。カイは突っ込んでいき、起き上がる者を倒しては、ゴム弾を避けて撃ってくる者を倒した。彼は無双だった。彼は持ち前の瞬発力で弾を避けては蹴りやパンチを浴びせる。彼を抑え込もうと腕や体を掴んだ者は、次の瞬間には投げられていた。


 僕は援護するのが基本だった。遠くから敵を狙い撃ちし、行動不能にした。

あっという間に彼らを突破した。応援が駆け付ける前にジナミを探し出したい。早ければ早いだけいい。建物の入り口に近づき、カイがカードをドアの前にかざした。しかし開かない。ブザーがなった。何度か試すと、ブザーは警報に変わり、赤いランプが始動した。


 僕は音が鳴る方を破壊した。音は想像していたよりも早く止んだ。次に、思いっきり力を込めると、ドアを吹き飛ばした。


「急げ!」


 入ると、小さな廊下がまっすぐと続いていた。ここは裏口だ。左側に扉が等間隔で並んでいた。それぞれ小さな丸い窓が取り付けられているだけで室内はよく見えない。扉にラボとあることから実験室のようだ。右手にはただのコンクリート壁。二人で駆け足でその通路を直進した。


 警報が施設中に響いていた。等間隔で赤いランプが設置してあり、真っ赤な光を放ちながら回転していた。その横を全力で走っていく。


 しばらく進むと大きな広間に出た。外が見える窓は少ないが、開放的な空間だ。中央には上へと続く吹き抜けがあり、四角い空間は四階まで繋がっている。この施設は何階まであるのだろうか。


 二人で壁沿いを歩いて階段のあるところまで来た。しかし、登るところでやつらが大勢走ってきた。階段を駆け上がる。踊り場で二人が上から襲ってきたが、カイが瞬く間に階段下に突き落とした。下から追っ手は山ほどやってくる。三階に着くと、廊下からも敵は迫ってきていた。上階へ行くか。また階段を駆け上がろうとして上を見ると、そこにも敵が駆け付けていた。僕はアームガードを確認した。まだエネルギーはある。


「しゃがんで!」


 カイがスッとしゃがんだ瞬間にエネルギー波を全方位に送った。全体が青く照らされ、多くの叫び声が空間に響いた。光が消えると、敵は巨大な塊になって端にまとまっていた。右腕の光はわずかに目視できるくらい弱くなっていた。


 そこで僕らは三階フロアに向かい、この場を去ろうとした。しかし次の瞬間。世界が真っ黒になった。一瞬、気を失ったのかと思ったが、カイの声で何事か悟った。


「何も見えない」


 この施設の全照明が消されたのだ。同時に、先までの耳をつんざくような警報が嘘のように静まり返っていた。真っ暗で無音。錯覚かと思うような世界だ。右腕を掲げるが、光は微量。アームガード近辺をほんわりと照らすだけで何も見えないことに変わりはなかった。


「どうしようか」


 カイの声が響く。そして、再び静寂。僕は装着している装甲を思い出して端末のボタンを押した。しかし形状記憶ガラスは構築されず、何も起きなかった。


「この施設の地図が欲しい」


 自分の声が響く。壁への跳ね返りを繰り返して遠くに消えていくのがわかる。ここは外見以上に広そうだ。ジナミを探し出すのは至難の業だろう。自分の声が消えて再び静かになった、と思ったが違った。遠くでガサガサという音が聞こえた。


「なんだ、あれは」


カイが小声で言った。彼にも聞こえているようだ。遠くで床を叩くような音。


「近づいてきてない?」


 言われてみれば、その音は次第に大きくなっている気がする。大勢が床を移動する足音だ。それは小さかった。しかし、たしかに近づいてきていた。ゆっくりと。


「隠れなきゃ」


 カイの声も聞こえづらいほどに足音は近づいて来ていた。音が大きくなって分かった。ゆっくりではない。想像していたよりも速いスピードでこちらに向かってきている。つまり、そういうことである。僕は大きな声で言った。


「いや、隠れても意味はない。やつらはこちらの位置を把握している!」


 次の瞬間。

 空間に鼓膜が破れるほどの破裂音が連続で響いた。同時に体に強い衝撃を受けた。それが痛みに変わるか変わらないかというところで、僕は思わず目をつぶった。死への恐怖を感じた。


 世界が終わると思った。


 しかし、その恐怖はすぐに過ぎ去った。まだ終われない。


 俺は・・・生きる。


 目を開けた。マシンガンの類が放つ赤くて黄色い光が見えた。大勢の敵軍がこちらに向けて発砲していた。やがて右腕にエネルギーを感じた。ブルーサファイアが眩い光を放っていた。エネルギーを吸収することで、銃撃から身を守ることができていたのだ。後ろで声がした気がし、振り返った。


「ごめん。こっちは頼むね」


 カイはそう言うと走って行った。


 再び正面を向くと、彼らは未だに発砲を続けていた。弾が無くなるまで撃ち続けるつもりなのか。銃声が遠くなった。それはまるで、ガラス装甲でスローを起動している時のようだった。しかし違う。装甲は壊れたままだ。


 俺は気付いた。ブルーサファイアが音までもをエネルギーとして吸収していたのだ。銃声はもはや聞こえなくなった。彼らが撃つのを止めた。


 俺は言った。


「次は俺の番だよね」


 エネルギーを放出すると、スパークスは一瞬にして目の前から消えた。壁は崩れ、床はひびが入って傾いた。やりすぎたかもしれない。建物全体が大きく音を立てた。俺は、発光したブルーサファイアをランプ代わりにカイの後を追った。



「七月十一日 木曜日

 授業後、本屋で英語の教材とビジネス書を買った。家で読書した後はリンとひさびさに連絡を取り合って夕飯を食べに行った。「サファリング」の話で盛り上がった。影響を強く受けて、考え方が変わった。間違いなく今年ナンバーワン。物語を自分でつくりたいと思い、帰宅後小説執筆を始めた。」




7.イザベラ



 それからはあっという間だった。俺は次々とやってくるスパークスを片っ端から吹き飛ばした。敵は尽きなかったが、俺にかなう者はいなかった。


 カイを見つけるのにそんなに時間はかからなかった。それは、倒れて戦闘能力のなくなったスパークスでできた道しるべを辿ったからだ。導かれるように一階に降りると、一番奥の部屋の前まで倒れたスパークスが印のようにバタバタと倒れていた。部屋の手前にカイは立っていた。目が合うと、彼はニッと口角を上げて笑顔を見せた。


「いたよ!」


 まるで大好物のお菓子を前にした少年のような表情だった。敵と戦ってきたようには思えない。


「待たせたね。彼は・・・」


 カイは扉を開けた。光が廊下に注がれた。室内は蛍光灯がついていて明るかった。

中は広く、倉庫として使われているようだった。入ってすぐに彼の姿が目に入った。大きな空間のど真ん中に彼は立っていた。


 色黒であの頃と同じく裸に近い恰好。首から橙色の石をぶら下げている。胸の赤い印は俺の左腕にあるものと同じだが、やや剥げかけている。ジナミだった。


「ジナミ!」

「オウ!」


 俺たちは抱き合った。思わず叫んだ。彼が生きていた事が嬉しくて涙が流れた。ジナミも嬉しく思っているらしく、笑顔を見せた。彼の笑った顔を見るのは初めてだった。心が震えた。熱いハグを交わした。この世界で、唯一の喜びは希望を感じること。それは、仲間といることでも感じられる。


 ジナミは俺と再会を喜び合った後、カイともハグを交わした。この世界で数少ない仲間を失うことほど辛いものはない。俺も経験している。一安心してカイが言った。


「とにかく、ここから出よう」


 その時、ぞろぞろという足音が聞こえた。やつらがやってきたのだ。


「懲りないな」


 しかし扉から外を覗いて驚いた。この部屋から漏れた光が人影を浮かび上がらせていた。スパークス。先頭には、鼻から下を赤いマスクで隠し、長い髪を後ろで束ねた男が立っていた。昨夜見た男だ。ただ装備が違った。昨夜はショットガンのみだった。しかし今回は黒いボディに赤の線が入ったスーツを着用していた。カーボンのような質感で軽量感が伝わる。シャープでスマートな見た目からは高い機動性が感じられた。胸部分のど真ん中には円形の溝が何重にも彫ってあった。円形の溝にいくつものリングをはめたように見える。何のためだろうか。同じスパークス製でも、自分の装着する透明装甲よりも完成度が高いことは一目瞭然だ。


 その者は首を軽く傾けると、挑発するかのようにこちらを睨んだ。腕を確認すると、まだエネルギーは多くはないが、残っていた。なんとなく嫌な予感がした俺は、全エネルギーをぶつけようと腕を振るった。


 青い閃光がさく裂し、空気が震えた。


 放たれ、広がった光は敵の方向へと向かった。しかし、想像していたような事象は起きなかった。嫌な予感は的中した。光は次第に弱くなり、円を描くように回転すると、一点に収束した。そして、青い光は消えた。


 しかし、その場は暗くならなかった。代わりに、正面にぼんやりと赤くて丸い光が浮かび上がった。目の前に立つ者のスーツ、胸部の円だとすぐに気づいた。よく見ると、その円にはめ込まれたいくつものリングが、左にも右にも高速で回転している。


 説明されなくてもわかった。あのスーツの男にいつもの攻撃は無効だ。放ったエネルギーはやつのスーツに吸収されてしまったらしい。まずい、そう思った時には遅かった。やつの両手が光ると、その手から光が物凄い勢いで飛んできた。


 対応が遅れてしまった。俺たち三人は吹き飛ばされてしまった。壁に叩きつけられる。ブルーサファイアを身に着けていても、直撃を食らうとダメージは大きい。全身を強打してしまった。壁がぼろぼろに崩れて破片が体の周りに転がった。

辺りがパッと明るくなった。電気が付いたのだと思ったが違った。自分が壁を突き破って隣の通路に出たからだった。


 スーツの男は表情一つ変えずにゆっくりと迫ってきた。蹴られそうになったが、体を回転させて避けた。アームガードに光はなかった。もしかして、という希望を込めて端末の電源を入れた。液晶が光った。動いたのだ。稼働した!

 体がガラスで覆われていく。ボタンを押すと、聞き慣れた音がして周囲の音が遠ざかった。しかし、一歩遅かった。


 スーツの男のキックでスローが解除されてしまったのだ。ガラス片が辺りに飛び散った。首を掴まれると物凄い力で上へと引き上げられた。やつの顔が目の前に来た。

もう一度。手を動かして端末を操作した。しかし、ガラスが構築される途中で男の攻撃が入った。ガラスが再び飛び散る。


 もう一度。しかし、機械の唸る音が聞こえるだけで、装甲はちゃんと機能しなくなってしまった。視界の端に映る右腕の一部だけがガラスに包まれる。俺は、その腕で男を殴ろうとしたが、首を掴んでいない方の手で阻止されてしまった。思いっきり後方に投げ飛ばされる。硬い壁にぶつかって、俺は床に落ちた。


 再び端末を確認するが、電源はプツリと切れてしまった。装甲はもう使い物にならない。カイが男に向かっていった。彼は小柄なため、男が異様に大きく見えた。男の攻撃をかわしつつパンチやキックを繰り出す。しかし、男にダメージを全く与えられていない。むしろ、時々ヒットする男の強烈なパンチ、フックがカイの身体を徐々に弱らせているように見える。それもそのはず。人工的にエネルギーを込めたパンチに生身の人間がかなうはずがない。途中からジナミも参戦した。スタイルは違うが、見た目通りのパワータイプである。しかし、どちらもかなわない。二人はそれぞれ床に倒された。


俺はゆっくりと立ち上がった。周りにはエネルギーになるものが見つからなかった。どうすればこの男を倒せるだろうか。


 俺たち三人と男を取り囲むようにして、スパークスが集まっていた。彼らは手を出さずにじっと戦いぶりを見ている。この三人が一方的にやられているのを見物しているだけ。この状況では勝ち目はなかったやはり無謀だったのだ。敵のアジトにこんな少数で乗り込むのはバカだった。俺も、アレンの武器を借りることで強気になっていた。しかし、それほど甘くはなかった。


 男が俺の首を掴んだ。必死に抵抗するが、力の差は明らかだった。男は首を絞めた。息ができなくなる。もがいても、ただ苦しくなるだけだった。まずい。しかし、心の奥で燃える炎は消えなかった。弱らなかった。


 諦めない。


 その強い意志が、俺を留めた。


 まだ死ぬか!


 すると、急にけたたましい警報が施設中に響いた。同時にパトランプが作動した。突然の出来事に、男の力が緩んだ。


 その瞬間を突いて、俺は男の顔に頭突きした。彼は一瞬よろけた。そこで、膝蹴りを見舞った。目の前のスーツの男は倒れた。


 周りを取り囲むスパークスが瞬時にこちらにショットガンを向けた。そこで、遠くから唸り声のような低い音が聞こえた。それは急に大きくなった。初めは自分にしか聞こえていないと思ったが、スパークスの反応を見て幻聴ではないことに気づいた。何かが猛烈な勢いでこちらに向かってくる。


 無意識に俺は素早く、姿勢をかがめ、勢いをつけると、立ち上がろうとするカイとジナミめがけて体当たりした。俺とカイ、ジナミの三人はバランスを崩して、スーツの男から離れるように倒れた。


 それは一瞬の出来事だった。


 そして、スパークスが気づき、慌てて発砲する直前。いや、ほぼ同時だったかもしれない。とてつもない音がして廊下の壁が破壊されると、大きな銀の塊が猛スピードでこの場に乱入してきた。


 それは、勢いを保ったままスーツの男にぶつかった。男は軽い人形のように飛ばされて見えなくなった。塊は目の前に急停車した。


 俺は理解した。


 アレンらだ。この銀の塊は彼の言っていた秘密兵器。完成させるのに難航していたものだ。車と言えなくもないが、大きさが全く違う。普通車の三倍はある大きさだ。ボディはシルバーでボロボロ。なんて言えばいいか。ちょうどいい言葉がすぐに見つかった。 


 戦車。


 幅三メートル、長さ十五メートルほどあるその戦車の登場に、その場の時が止まった。こちら側に向いたスライド式のサイドドアが開いた。中にはデックとアレンが向かい合う様に乗っていた。左右に長椅子が置かれている。こちらに向くように座ったアレンが言った。


「間に合ったかな。さあ、早く乗りこめ」


 突然、金属を叩く音が鳴った。スパークスが発砲し始めたのだ。俺は慌てて乗り込んだ。奥につめるように座る。後から、カイとジナミも乗ってきた。ドアが閉まると、俺たちが乗った戦車は急発進した。


「なんだあいつは」


 アレンは、窓から外を見た。後ろに、高性能スーツの男が見える。追いかけてくる様子はなく、突っ立っていた。


「あいつヤバいよ」


 俺はアレンに言った。わからないが、似たような者同士、この先アレンとあの男は戦うことになる気がする。アレンは男を特に気にしていないようだった。彼は言った。


「この車、彼女が作ってくれたんだ」

「彼女?」


 アレンにそう言われて運転席の方を見ると、中世の西洋絵画で見るような恰好の騎士がいた。金属製の鎧を身にまとい、変わった形のハンドルを慣れた手つきで操作している。その隣には、動物がいた。狼だ。姿勢良く座り、灰色と白色に覆われた背中を向けて、正面を向いている。


「スパークスのやつらはお前のことをどう思っているんだろうな」


アレンがそう言うと、運転中の彼女は嫌そうに返した。


「やめて、昔のことでしょ」


 その女性をもっとよく見ようと、身を乗り出そうとすると、車両が急カーブして、俺はバランスを崩して椅子から転び落ちそうになった。それを見たデックが言った。


「自己紹介する時間は後でたっぷりあるさ」


 デックはカイとジナミの無事を確認していた。見ると、カイが血を流していた。彼は笑顔で大丈夫だと言うが、ショットガンが当たったのだ。よく笑顔を保てるな、と思った。激痛だろう。


「じっとして」


 デックはそう言うと、彼の身体に手を当てた。


「ありがとうございます」


 数分経つと、彼の血は止まっていた。


 建物を出ると、施設は群衆で溢れていた。気が狂ったような勢いで車両を叩いてくる。顔のない化け物、アンクスの大群だった。この車の、戦車のような耐久性と力強い馬力で、俺たちはアンクスらを次々となぎ倒して進んだ。後ろを見ると、あまりのやつらの数に、数名のスパークスは埋もれていった。


 この近くにメランはいるのだろうか。この車両はアンクスには耐えられても、メランは無理だ。


アンクスの群衆を抜けると、車両は速度を上げた。気のせいかとも思ったが、違うようだ。窓から見える景色の流れが速くなる。


「どうした?」

「一気にセレブロへ向かう」


 アレンは落ち着いていた。妙な緊張感が走る。車はぐんぐんスピードを上げていた。がらんとした大通りを真っすぐと進んでいく。もう、視界に何かが入っても止まれない速度になっていた。しかし、減速する様子はない。むしろ、まだ加速を続けていた。路面のわずかな凹凸で車体が揺れるほどの速度だった。俺は嫌な汗をかいた。

不安になって誰でもない、その場に疑問を投げかけた。


「何してる?」


 しかし、皆黙ったままだ。カイの顔はきりっと何かに集中しているような面持ちだった。緊張ではない。そこにいる誰もが落ち着いて、真剣な表情を作っていた。俺はアレンと目が合った。焦るように、もう一度聞いた。


「そんなに速度を上げて何をする気だ」

「ジャンプする」


 アレンが答えた。


「ええ?」


 その直後、狼が吠えた。驚いて狼を見て、その視線の先を見た。

空中に黒いもやが見えた。それが何だか一瞬わからなかった。


 メランだった。


 それはこちらに降りてきた。近づくにつれてもやがはっきりしてきて、やがて人型になった。


「急げ急げ」


 アレンが騎士の運転手を急かす。窓の外のメランは手を煙のような体の横に持っていった。すると手から黒いものが伸び、棒になって、鎌になった。斬られる!メランが鎌を構えて飛びかかってきた。


「急げ!」


 アレンが叫んだ。デックは目をつぶった。俺も、怖くなって目を閉じた。


 ドン!


 車両全体を下から突き上げるような衝撃を受けて、体が飛び跳ねた。目を閉じていたためよくわからないが、一瞬だけ世界が眩しい光に包まれた気がした。


 少しの間、自分がどこにいるのかわからなくなった。それは辺りが急に静かになったからだ。メランはいなかった。それだけではない。先ほどまでのアンクスら大群に揉まれる音、気持ちの悪い奇声などが嘘のように聞こえなくなっていた。どういうことだろう。今は夜なのか、それとも朝が来たのか。


 目を開けた。俺はアレン、デック、カイ、ジナミと、謎の騎士である運転手、そしてその隣の狼と、何もない荒野を進んでいた。外は未舗装の茶の大地。先ほどと比べて明るくなっている。あのメラン襲撃の緊迫感が小さくなっていき、自分の呼吸が戻っていくのがわかった。車両のヘッドライトが切られた。


「到着よ」


 くぐもった、でも高いトーンの声で、騎士が言った。気づけばスピードがグンと落ちていた。速度を下げるだけで、だいぶ気持ちが楽になる。深呼吸した。

外を見ると、進行方向に背の高い建物が現れていた。



「七月十六日 火曜日

 今日は3コマの授業が終わった後、バイトへ行った。ラフィーナが客としてやってきた。会話する時間はなかった。勤務後、店長に辞めると伝えた。理由は、残り二年の大学生活でやりたいことを全てやるため、やりたくないバイトはしないと決めたから。やめるまで今月中は、できる限りシフトインして稼ぐと決めた。」

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