ACT10 鐘鳴詠はふわふわする


「よいしょ、よいしょ」


 放課後特有の緩やかな空気が流れる校内。

 本日、掃除当番である鐘鳴かねなりえいは、教室のゴミ出しを任されたので、一つのゴミ袋を両手に持って、焼却炉までの道のりをスローペースで歩いていた。

 ゴミ袋の重さは一キロ程度ではあるのだが、それでも昔からの虚弱体質である詠の細腕には結構な負担であり、目的地までが果てしなく遠く感じてしまう。


「……はぁ」


 下駄箱で靴を履き替えてから一休みして、詠は大きく吐息する。

 自分に与えられた任務達成にあと何分かかることだろうと、結構途方に暮れる気持ちであったのだが、そこで、


「お、えーちゃんやん」

「!」


 後ろから知っている声が聞こえてきて、詠は肩を震わせると共に、胸にちょっとした高鳴りを覚える。

 振り向くとその声の通り、詠にとっては意中の人である、ツーブロック髪と三白眼のちょいワルな風貌の男子生徒――新堂しんどう源斗げんとが、たくさんのゴミ袋を両手に持ってこちらに歩いてきていた。


「げ、源斗お兄さん。こんにちはっ」

「おう、こんにちは。えーちゃんも掃除当番のゴミ捨てなん?」

「はい。……源斗お兄さんも、そうですね。見なくてもわかるというか」

「せやねん。俺がゴミ捨て当番とわかった途端、他のクラスのやつらがどんどん押しつけてきよってなぁ」

「はぁ……。その、断らなかったのですか?」

「ま、断る理由もないし、そいつらもきちんとお礼言ってくれるし、この程度の重さやと俺にとっちゃ三つも四つも変わらんし」


 何のことはない、といった様子で多数のゴミ袋を上下させてみせる源斗。

 一つ一つが詠の持っているゴミ袋よりも確実に重量があるというのに、事も無げに持ち上げている源斗の力強さを見て、詠は改めて感心すると共に、


 とっても、逞しい……。


 詰め襟の上からでもわかる源斗の腕の太さに、ついつい注目してしまう。

 先日、とある一件で源斗に負ぶってもらった際、その背中の大きさに物凄く惹きつけられ、なおかつ存分に堪能した詠ではあるのだが。

 この腕なんかも見ていると、詠がぶら下がってみても問題はないように思えるし、もしあの腕で、その、抱っこなんかされたとなると……。


「えへ、へへ、えへへへへへ……」

「え、えーちゃん? どしたん? 俺の腕をじっと見て」

「……ハッ!」


 正面の源斗の、ちょっと困惑気味の声が聞こえて、詠は我に返る。

 次いで、たった今さっき、とても恥ずかしい思考を抱いていたのに気づいて、


「な、なんでもない、なんでもないですよ……!」

「うーん? ……ま、ええかっ」

「~~~~~~~~~~」


 羞恥心で顔を赤くしながら誤魔化そうとする詠に対して、源斗は特に気にしていないようである。

 それはそれで残念で、少しだけ気にしてほしいような気もするが、これ以上は言わないでおく。いろいろ複雑になりそうなので。


「ほいじゃ、ついでに、えーちゃんのも持ったろか」

「え?」

「ゴミ袋。えーちゃんにはちょっと重そうに見えたし、俺としては一つ増えてもあんま変わらんし」

「で、でも、悪いですし」

「俺がええって言うから、別にええんやって。ほれ」

「…………」


 そのように言って、両手に持っていたゴミ袋をすべて片手に持ち替えて、彼はこちらに手を差し出してくる。

 すべてのゴミ袋を片手にしたとしていても、源斗はまるで苦にしていないので、詠の持っているものを一つ渡したところで、彼の言う通りあまり変わらないのだろう。

 彼に渡してしまえば、詠は、これ以上労せずに任務達成である。

 ……でも、


「やっぱり、自分で持って行きます」


 ほとんど反射的に、詠はそれを口に出していた。

 これにはもちろん、源斗はきょとんとした様子で、


「なんでや? 重いんやから、あんま無理したらアカンで?」

「無理はしていないつもりです。それに、ここで源斗お兄さんに任せてしまうのも、その、無責任かなって」

「おお……まあ、それはそれですごい立派な心がけやけど、厚意を受け取るんは無責任にならん思うで?」

「源斗お兄さんの言うこともわかります。……ただ」

「? ただ?」


 源斗が首を傾げながらオウム返ししてくるのに、詠は、一瞬だけ躊躇ったけど。

 ここもまた、勢いで。



「せっかくだから、源斗お兄さんと一緒に行きたいなって」

「――――」



 これを聞いて、源斗はポカンと数秒ほど放心して。

 そのあと、先日初めて彼を『源斗お兄さん』と呼んだときのように、みるみる顔も首も赤くして、『お……ぬぅ……』と呻いていた。

 仕草が大げさではあるものの、照れているのがわかった。

 そう思うと、詠は彼のことがとても可愛く思えた。


「だから、その、一緒に行きませんか?」

「お……おう。せやったら、行こっか」

「はいっ」


 ようやく源斗は頷いて、ゴミ袋を持ち直して歩き出す。

 照れ隠しなのか、まともにこちらの顔を見てこないのだけど、詠としてはちょうどいい。

 だって、


「……ふぅ」


 今、詠もちょっと恥ずかしいことを言ったかもと、照れを隠せそうにないから。

 ――あと。

 身体が大きくて歩幅が大きいにも関わらず、源斗の歩くペースはゆっくりなのに、彼の優しさを感じる。

 それがまた、心地よくて。


 ……やっぱり、この人のこと、好きなんだなぁ。


 自分の中にある気持ちを改めて確認し、また少し顔を赤くしながら、詠は彼の後ろをついて行く。

 それから一緒に歩きながらも会話はなかったのだけど、彼の後ろについて行く傍ら、前を歩くその大きな背中を見て、


「えへ、へへ、えへへへへへへ……」


 またも、詠はふわふわした気持ちが溢れてくるのであった。


  ☆  ★  ☆  ★  ☆  ★


 ……なんか、妙に背中がかゆいような。


 一方、源斗。

 詠と歩き始めてから、妙に背後が騒がしい気がするのだが、自分の中の照れがまだ大きく、しばらく彼女に向き直ることができないものだから、正面を見て歩くのみである。

 でも。

 やっぱり、この娘と一緒に歩く時間が、とっても心地いい。

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