少女多神教

@036_D21

少女多神教

 物心ついた頃から、わたし達きょうだいは知りたがりだった。真っ白な施設で、似たような育てられ方をした、外見もそっくりな12人のきょうだい。みんな好奇心旺盛な性格をしていたけれど、1番上の兄と7番目のわたしは特にそうで、分からないことは何でも聞いて、大勢いる両親達を困らせた。わたし達2人の質問攻めに辟易した両親たちが、100人全員で会議を開いた後、ついに施設の真ん中に大きな図書室とコンピュータ室を作ったほどである。聞くならそっちに聞け、ということだ。

 知識欲がまるで食欲のように、脳を焦がす幼い日々。貪欲な好奇心が、血よりも早くわたしの心臓を拍動させていた。施設は建物から備品から全て真っ白だったけれど、わたし達は決して退屈しなかった。本を開けば、未知の世界が待っている。太陽が赤く燃える理由を書いた本、深海に降る白い雪のことを書いた本、金色の砂漠の金字塔を書いた本……文字はさながら色とりどりの宝石で、本やコンピュータはそれを収めた宝箱。それを開けたくて仕方がない。

 わたしは、きょうだいで1番宝箱を開けるのが上手かった1番上の兄に憧れた。兄の性別を感じさせない白銀の長髪が、本を読むときだけ乱れて、獅子の鬣のようになるのを見るのが好きだったのだ。兄の赤い色の瞳が、文字を追ってきらきらするのを見るのが好きだった。兄とわたしは9つ歳が離れていて、兄はわたしに足りない9年分だけ多く、沢山のことを知っている。きっと、兄の好奇心を満たした世界の素敵なもの全部、そのきらきらが脳から滲み出て、兄の目を輝かせているに違いなかった。

 だから、わたしは兄と話すのが好きだった。兄に尋ねれば、この世界の総てを知ることが出来るような気がしていた。

 ところが兄が18になった年、兄は心臓を何処かに落としてきたかのように、突然寡黙になってしまった。いつものように兄に質問をしに行くと、兄は珍しく本もコンピュータも開かずにいた。兄の瞳の色はくすんで見えた。静脈血みたいな色をしていた。

「愚かであれ、無知であれ」

 兄はそう言うと、わたしの手の中から本を取り上げてしまった。

「何も知らなかった頃の方がしあわせだった。全てを知った者には、この世界は淡すぎる」

 私のようにはなるな、と兄はわたしに言った。わたしには、兄が何を言っているのかさっぱりわからなかった。

 気づけば、兄の背後には沢山の本と携帯端末が乱雑に積まれている。それらは濡れているようで、鼻を突く臭いを漂わせていた。兄がその山の頂上に、私から取り上げた本を放り投げる。「あ」、とわたしがそれを追いかけるより早く、兄は火のついたマッチを山に放った。

 細いマッチの先から、濡れた部分を伝って一気に炎が広がっていく。山を濡らしていたのは油だった。

「止めてくれるな、これはお前のためなんだ。私と同じお前には、こんなものは無い方がいい」

 わざわざ兄にそんなことを言われなくても、わたしは彼を止めなかったろう。火災報知器の悲鳴と、白く煙をあげる本に、黒く燃えるコンピュータ、そして紅蓮に渦巻く炎の色。

「兄さん、すごいね! 本とコンピュータを燃やしたら、こんなふうになるの。前からとっても気になっていたんだ」

 わたしははしゃいでいた。兄はそんなわたしを見て、小さくかぶりを振ってから、わたしだけを防火扉の外に押し出そうとした。そう、わたし「だけ」を。

 消化用の炭酸ガス注入の警告音が鳴り響く。

 その時になって、わたしは初めて兄は炎に巻かれて死ぬ気なのだと気づいた。わたしは兄の服を必死に掴んで、兄も防火扉の外に避難させようとした。

 「兄さん駄目! ガスが入ってきたら酸欠になっちゃう! 酸欠って脳に良くないんだよ」

 兄の宝石のように美しい頭脳が失われるなど、あってはならない。わたし達が生み出された理由とか役目抜きで、わたしは兄の知性を守りたかったのだ。

 そうして防火扉の前でもだもだしている間に大人達がやってきて、兄は捕らえられてしまった。3人の父親が兄を捕らえるその横で、もう5人の父親が「ついにこの時が来たか」と言っている。兄がこんな事件を起こすって、最初からわかっていたの?

 事件の罰として、兄は絞首にされることになった。

 ただ、わたしにはわからなかった。兄は両親の予測を上回る速度で、この世界のあらゆる知識をつけていた。兄はわたしたちきょうだいの、最初にして最高の傑作だ。

 それなのに。兄が以前手慰みに作っていた絞首台は、兄自身の首を締めることになり、そして兄が作ったものである以上、失敗はあり得なかった。絞首台の上、わざと13段にした階段の終着点で、最期に申し開きを求められた兄は、両親たちにこう言った。

「7番目のあの子に気をつけるんだな。何もかもお前たちの掌の上と思ったら大間違いだ。せいぜいその矮小な掌から、何物も溢さぬように祈るが良い」

 7番目とは多分わたしのことだろうけど、やはり兄の遺言はわたしにはさっぱりだった。兄の頭の良さには到底追いつけない。もしかして、その頭の良さゆえに何か酷い事実を知って、兄は絶望していたのだろうか。「何も知らなかった頃の方が幸せだった」と言っていたし。だからわたしは幸せなのだ。わたしがその事実に触れないで済むよう、兄が本もコンピュータも焼いてくれたから。そんなことをされなくても、わたしは兄ほど頭が良くないから、多分それを知ることは一生なかっただろうけれど。



 けれど、決してそんなことはなかったのだ、それはそうだ。12人の兄弟の中で、わたしと1番上の兄は特にそっくりな育てられ方をしていたから。わたしが兄と同じ絶望に至るのは必然だった。

 兄が死んでから9年、わたしの年齢と兄の享年が同じになった年、わたしは生まれて初めて、退屈に気付いた。そしてそれが、わたしが知る最後の未知になった。

 どうやらこの世の全てを理解してしまったらしかった。世界に追い求める余地が無くなった。

 周りの人間の考えることが、手に取るようにわかる。本を読めば、なんの苦労もなくその論理を理解した。何も知らなかった頃は色鮮やかに輝いて見えた世界は、灰色になった。

 淡い。この世界は淡い。喜びも悲しみも驚きも、全て色あせた。

 わたしは本を読むことが嫌いになった。読んだって、きっとわたしの理解を超えるものは現れない。知識はわたしを裏切らない、その忠誠が今は妬ましい。

 効かない。何も効かない。何もわたしの心に効かない。美味しい食べ物も、好きな音楽も、絵も、わたしの退屈に効かない。

 兄もきっと苦しかったのだ。心を焦がすようなものはもう無いのに、それでもまだ何かを期待してしまうことが。だって、わたし達は世界の鮮やかさを知っている。再び世界に色をつけることができたらどんなに良いか。

 でも、もう戻れない。戻れないのなら、いっそ何も感じなくなってしまおう。兄もきっとそう思ったのだ。

「全てを知った者には、この世界は淡すぎる」

 灰色の辺りを見渡して、わたしは兄が残した言葉の意味を理解した。かつて追いつけないと思っていた兄の頭の中が、今ではこんなに分かるようになってしまった。わたしはまた絶望した。



 兄と同じに、わたしは本やコンピュータと一緒に焼けて死ぬことにした。別に本とコンピュータを残したところで、他のきょうだい達がわたしや兄と同じ目に遭うとも思えなかったけれど、もう、それらは宝箱でなくなってしまったから。開いても、中に入っているのは色とりどりの宝石ではなく、鈍い色のガラクタになってしまったから。

 炎に気付いた他のきょうだいが止めに来た。わたしより年上の5人にすら、まだ世界が色鮮やかに見えているようだったので、きょうだい達は本やコンピュータが燃えてとても残念がっている。そう思えるのは幸せなことだ。1番上の兄以外のきょうだいは好きでも嫌いでもなかったけれど、彼らには、ずっとその幸せを無くさないでいて欲しいと思った。

 だから、私のようになるな、とわたしは言った。それは奇しくも、兄が遺した言葉と同じだった。

 



 わたしは生きていた。目を開けようと思ったら、ちゃんと目が開いた。おかしい、どう頑張ってもちゃんと燃えているはずなのに。久しぶりに、心の底から驚いた気がした。

「成功だ」

「他のサンプルも早く孵化させるぞ」

 両親達は喜んでいた。治療台の上に横たわるわたしの顔を覗き込んでは、笑っている。その喜びは、わたしが生きていることに対してではない。わたしの生存によって何かの成功が証明されたから、それに対して喜んでいるのだ。

 何を喜んでいるのだろう。兄は死なせてあげたのに、何故わたしは死なせてくれないのだろう。これからまた、息の詰まるほど退屈な世界で生きていかねばならないことを考えると、気が滅入った。

「何故…」

 わたしは呟いて、その声にぎょっとした。確かに自分の喉から出た筈なのに、わたしの声じゃない。わたしの声はこんなに低くないし、こんな風に素敵なハスキーボイスではない。そもそもこの声は、女の声じゃない。

 聞き覚えのある声だ。忘れるなんてあり得ない。でも、それを言うなら、この声が聞けること自体あり得ない。

「7番目のあの子に気をつけるんだな」

 兄の言葉を口に出してみて、確信した。これは兄の声。もう二度と、聞く事はないと思っていたのに。

 手を顔の上に持ち上げて見てみる。わたしの手じゃない。兄の手だ、これは兄の手だ。わたしは直ぐに理解した。わたしは今、どういうわけか、兄になっている。

「誰か、鏡を」

 そう言った声が余りにも兄の声で、わたしは笑ってしまった。

 父親の1人が持ってきてくれたのは姿見で、わたしは診察台から降りて、自らの全身を映してみる。最初に足元を見て、そこから段々と視線を上げていく。掌、肩、首。なかなか首より上に視線を上げることができなかった。兄ではない、別の誰かの顔がそこに貼り付いていることを祈った。

 が、勿論そんな事はなく。鏡の向こうからこちらを見返していたのは、矢張り兄の顔だった。

 驚いているのに、其れが露ほども表情に現れていない。平坦な表情に、疲れが僅かに影を落としたような、そんな貌。死ぬ前の兄は、確かによくこんな貌をしていた。そして、兄が死んでから毎朝鏡の向こうに見ていたわたしも、同じ表情をしていた。

「おかえり」

 父親がそう言った。兄は黄泉帰ったのだ。

「どうか、愚かな我々人類を救ってくだい。裁定神、我らが子よ」

 父がわたしに頭を垂れる。他の父親と母親もそれに倣ったので、わたしの眼前には跪く人々の群れが出来上がった。

 私はこういう光景を、知識として知っていた。

 迷える仔羊たちと羊飼い。羊の行末は食卓と決まっているのに、一体何に迷うというのか。

 それとも、わたしに貴方達の首を落とす刃を振えというのだろうか。それなら、わたしにも考えがある。

「良いだろう。私が人類を導こう。再び鮮やかな世界を取り戻す、その日まで」



 それは単純ながら、だいぶ無理のある理屈だった。

 それは兄として蘇った後、両親達から「人造裁定神計画」なるものを聞かされたわたしが、最初に浮かべた感想だった。

 外見も育った環境も性格も遺伝子も殆ど同じ2人の人間を使って、世界を騙す計画。2人のうち片方は精神だけを殺し、もう片方は肉体だけを殺す。残ったそれぞれの肉体と精神を合わせて再び一つにすれば、理論的には死ぬ前と同じ人間になるのではないか?死を経過してもなお、同じ人間であることが担保されているのなら、それは『復活』と定義して良いのではないか?

 復活した者は神だ。

 兄は復活した。

 兄は神である。

 そんな無茶苦茶な理屈と三段論法で、復活した兄は神ということになっている。どういうわけだか、超常の力も備わっている。ついでに、同じ人間を使うと言いながらわたしと兄の性別が違うのは、両性具有ということで神性を補強するためらしかった。世界というのは案外馬鹿で、すっかり人間の悪巧みに騙されて、私に神の力を与えている。

 私の後に目覚めたきょうだい達も、それぞれ精神と肉体の半分ずつを失って1つになり、結果として人数は半分になっていた。6柱の裁定神で、立ち行かなくなった人類を導き、未来をどうにかしてほしい、というのが両親達が私たちを造った理由だった。

 ということは、私たちきょうだいが知りたがりな性格だったのも、全能の神としての知恵を手に入れるためで、兄が死んだのも、復活の序章だったというわけだ。何もかも両親たちの思い通り、わたしすら、予め決められた退屈な世界の一部。

 私たちは、それからずっと羊飼いの真似事をして、迷える子羊もとい人類を導いた。最も、真似事だと思っていたのは私だけだったけれど。下のきょうだい達は、人類を導くことに誇りを感じているようだった。つまんないこと言うなあ。

 水不足、食糧不足、人種差別、環境破壊、軍備拡張、人類遺産の保護・保全・活用、大きな問題を山ほど片付けた。戦争すら、私達が代理でやった。そして平穏が訪れた世界で、小さな問題も山ほど片付けた。

 頭の足りない連中は幸せだ。何もかもわからないのだと言って、私を頼ってくる。分からないということがどれほどの贅沢か。わたしと兄を、こんな灰色の世界に堕としておいて。

 世界は私たちが指示した通りに、モノクロで描かれていく。その間に、私たちを創り出した父と母達は死に、人類は完全に私たちの子供と化した。私たちに縋ることしか知らない無垢な子供達。恐ろしいまでに純白の存在だった。

 太陽が膨張を始めて少し経ったある日、私はついに1番下の妹を殺した。

「兄様、何を…」

 妹は最期にそう言い遺し、彼女が死んだことを知った他の4人も、全く同じ問いを私に投げ掛けた。

 理由はただ1つだけだ。裁定の神になった時からずっと思っていた。人類を導き続け、すっかり骨抜きにしてしまった後に、私達神だけが消えたらどうなるか。縋るものを突然に喪った世界はきっと、存続するために迷い、足掻き、血の赤で染まるのではないか。わたしと兄がずっと求め続けた、灰色以外の色で。手始めに、きょうだい達神の血が必要だった。

 息絶えた妹の身体からは、廃液と不凍液が流れ出していた。もう何百年も前、体を機械化した時に入れたやつだ。誤飲防止用に着色された不凍液は目が覚めるような青色で、私は喜んだ。赤だけじゃなくて、青も見られるなんて。これは灰色の対する、わたしなりの復讐だ。

 私はきょうだい達の問いに答えた。

「私はこれから、世界に色を付ける」



『人類暦第4期元年

人造裁定神の主審:製造番号00−3634−58−007号が他の裁定神に対し宣戦布告。衛星軌道上での戦闘の結果、主審を残して人造裁定神は全滅した。その後、主審が人類統治を放棄したため、人類は幼年期の終わりを迎える。』

 草木の翠を孕んだ風が頬を撫で、少年は本から顔を上げた。背中を預けた大木がちょうど良く午後の日光を遮り、眠気を誘う。このまま本を読むか、昼寝を楽しむか僅かに逡巡してから、少年はまた本に目を戻した。世の中には知りたいことが沢山ある。眠ってしまうにはもったいない午後だった。

「学ぶのは楽しいかい?」

 いつの間にか、本を覗き込む視線がもう一つ。少年が驚いて顔を上げると、目の前に長身が立っていた。歳の頃は18ほどだろうか。

「どなたですか?」

 少年の問いかけに、その人は紅い目を細めただけで答えなかった。白銀の髪が風に揺れている。宝石のように冴えた光を湛える瞳が、静かに質問の答えを促してくる。

「楽しいです。もっと色んなことが知りたい」

 その人は満足げに笑った。背が高く薄い身体をしているのに、少女のような可憐な笑顔だった。

「君にこれをあげる」

骨張った手が差し出したのは、蒼い花の押し花だった。「何の花かわかるかい?」試すように言う。

「露草…ですか?」

「正解。この花ね、縹色と言うのだって」

「はなだ、いろ……」

 少年は、白い台紙の上に横たわる蒼を見つめた。花が未だ生きているかのように錯覚させるほど、強く鮮やかな色だった。

「綺麗ですね。色にそんな名前があったなんて」

 それを聞くと、少女のような青年のようなその人は、何も言わずに木陰の外へと歩み出た。その歩みの下敷きにされた小さな白い花達が、僅かに花弁を散らすのを少年の目は捉えていた。

「君の見る世界は鮮やかかい?」

 黄金色を孕み始めた午後の陽光の中で、その人の長い白銀の髪が風に攫われて踊っている。それは獅子の鬣に見紛うほど美しかった。

 気付けば、少年は頷いていた。

「はい」

「わたしもだ」

 その人は、ふっと目を細めた。「兄さん、世界に色は付いたよ」。

 風が大きく吹いて、大木の枝から翠を散らす。その騒めきが治まった時には、陽光の下から獅子は消えていた。探したところでもう会えないのだろうと、少年は悟る。それでも、血潮のように紅い瞳の微笑みが、いつまでも頭の中に残っているような気がした。

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