町医者・山野柴庵の事件簿

りんこ

第1話 最新すなわち最古

 いつになく厳しい寒さの続いたこの冬も、ようやく寒さの峠を越したらしい。


 うららかな春を思わせる午後、ふわりほころび始めた梅の木の下で、町医者、山野柴庵(やまのさいあん)は、うつらうつらと舟を漕いでいた。


 ほかほかと背中を温める、やわらかな日差しが実に心地よく、とろり忍び寄ってきた睡魔に抗うことなく、身をまかせる。


 この幸福に勝るものはあるだろうか、いや、無いに違いない……などと、半分眠りかけた頭の片隅で、ぼんやりと考えたそのとき、

「にゃあ……」

 柴庵のすぐ脇で、甘く可愛らしい声が上がった。


 重いまぶたを引き上げ見れば、どこからやってきたのだろうか、三毛猫が一匹、柴庵に寄り添うようにして、こちらを見上げていた。


「にゃ」

「やあ、良い日だねえ、温かくって」

「にゃにゃ」

「ふふ、君もそう思うかい?」


 そのまま柴庵は猫を相手に、まだ飲みかけだった茶を――もうすっかりぬるくなっていたが――すすりつつ、ひさしぶりの穏やかな午後を楽しんだ。





「おや? 柴庵先生じゃないっすか」

 そんな声に、猫をなでる手を止め、柴庵は顔を上げた。


「ああ、佐吉か。こんにちは、良い日和だね」

 にこやかに返した柴庵に、ちょうど仕事帰りらしい佐吉は、ひどく物珍しいものを見るような目で、まじまじと柴庵を見返した。


「こんちは、つうか、今日は、もう終わったんで?」

「ん? ああ……今日は休みなんだ」

「へえ!」

 目を真ん丸に見開き、上半身をのけぞらせる姿に、柴庵は苦笑した。


「私も人の子だからね、たまには休まないと」

「そりゃそうだ。しっかし、柴庵先生ンとこの診療所、年中開いてるって気がするんでさ」

「それは言い過ぎだよ」

 さすがに、それはない。柴庵は即座に否定した。


 だが、ここしばらくの自身の働きぶりを改めて思い返してみれば――。

 たしかに、この三月ほど、ずっと診療所に詰めていたような気がする。


 師走に入ったばかりのころだった。

 厳しい寒さからだろうか、たちの悪い風邪をひく者が続出し、あれよあれよという間に、その数は増え、気づけば近隣の町中に蔓延していた。


 とうぜん柴庵の診療所にも連日多くの患者が詰めかけ、とてもじゃないが、のんびり休みを取るどころではなかったのだ。


 それが、寒さのゆるみはじめたここへ来て、ようやく流行りも終焉のきざしを見せはじめ、柴庵もひさびさに診療所を閉める決心をしたのだった。


 それにしても……。

 この三月というもの、診療の他に何をしていたのか、思い返してみても良く思いだせないことに、柴庵はいまさらながらに愕然とした。


 これでは、佐吉に“今日は休んでいるのか”と驚かれても仕方がない。


 いっぽう、そんな佐吉はと言えば。

 商いの帰りにしては、背負子が妙に重そうだ。

 しかし、昼もとうに過ぎたいま、これから商いに行くにしては、遅すぎる。


 もしかすると、仕入れの帰りだろうか、などと思いつつ、柴庵は佐吉に尋ねた。

「佐吉は、商いの帰りかい? お疲れさま」


「ありがとございやす。はあ……」

 柴庵のねぎらいの言葉に礼を述べつつ、佐吉はどこか気落ちした様子で、柴庵の隣にのっそりと腰を下ろした。


 茶屋の店先に置いてある床几は、どれも年季が入っていてがたつき、その中から一番マシなものを選んで柴庵は腰を掛けたのだが、佐吉が座った途端、ガタン、と一瞬、大きく左に傾いた。


「にゃあ!」

 柴庵の隣で、のんびりくつろいでいた三毛猫が驚いて、飛び降りる。


「おっと、すまねえ、先生」

「大丈夫だよ」


 佐吉は、そのままズルズルと床几の上を尻で滑って、ちょうど良い按配の傾き具合の場所を見つけると、よっこらせ、と一声、背負子を下ろした。


 それから、茶店の娘を呼んで、茶と団子を注文したあと、浮かない顔のわけを、とつとつと語りだした。


「今朝早えうちから、ちょいとある町まで行ってきたんですがね、これが……てんでダメだったんでさ……」

 はあ、と、深い溜息をつき、力なく肩を落とす。


「ダメ、って、売れなかったのかい?」

 コクリ、と、うなだれるように佐吉はうなずいた。

「そうなんでさ……頼まれもんだったんですがね」


 聞けば、とある学者が考えだし鍛冶屋につくらせた新しい道具が売れなかったのだという。


「新しい道具?」

「これなんですがね……」

 佐吉は、荷をごそごそとやって、何やら珍妙なモノを取りだした。

 新しいモノ好きの柴庵も見たことがないものだ。


 しげしげと眺めまわしたあと、

「なんだい? それは?」

 柴庵は尋ねた。

「刻み煙草用点火器、これさえあれば、火種がなくとも、どこでも煙草をやれるってシロモノで」

「ほう? それはなんとも便利なモノがあるんだねえ」

「先生も、そう思いますかい?」


 なのに、と、佐吉は、こぼす。


 露店を開き“のぼり”を立て、客を呼び込んだまでは良かった。

 皆、この新しい道具に興味津々で、けっこうな人数が集まったのだという。


 だが、

「水を差すヤツが、おりやしてね。“新しきモノにばかり頼っては人が堕落するとか、この西洋かぶれが、とか何とか。そもそも舶来モンですらねえんですけど、それが、まあ、妙に弁の立つやつで……せっかく集まってた客が、アッという間に散ってしまいやして……」


「そりゃあ、また災難だったねえ……」


「まったくでさ……。おまけに、あっしが立てた“のぼり”を『今後またこの町に来るようなことがあったら、その気に入らねえ“のぼり”を燃やしてやる』なんざ、すごまれちまいまして。腹が立つやら、悔しいやら……」


 話すうち、そのときの怒りがよみがえってきたのか、佐吉はギリギリと奥歯を強く噛みしめつつ、空をにらむ。


 そんな佐吉を前に、柴庵は、ふむ、と、思案顔になった。


 ややあって、

「ちょっと聞いてもいいかな」

 ふと何かに気づいた様子で、柴庵は尋ねた。


「何ですかい?」

 いったい何だという顔で、佐吉が問い返す。


「その“のぼり”には、何て書いてあったんだい?」

「のぼりにですかい? そりゃもう、“最新”ってな具合で、でかでかと! ええ、なんせ、これまでに無いもんですからねえ」

“最新”の部分を、ことさらに強調し、佐吉は胸を張った。


「なるほど、ね」

 得心がいった様子で、柴庵はうなずいた。

「よっぽど気に入らなかったんだろうねえ、そのひと」


「あっしには、何がそんなに気に入らねえのかサッパリなんですがね」

 佐吉は、仏頂面で、そう吐き捨てた。


「まあ、世の中いろんなひとがいるからねえ」


「あっしは、先生みたいに人間ができてねえんで。あンの野郎……いま思いだしても、ハラワタが煮えくり返る……。どうにかして、ひと泡吹かせてやりてえ」

 視線を剣呑にとがらせ、うなりながら団子を一口。

 まるで、“己の敵は、この団子”と言わんばかりの形相で、また一口、ほぼ間を置かずもう一口、続けざまに団子の串に食らいつく。


 茶店の娘が、そんな佐吉を見て、はらはらと気をもんでいる。


 気づいた柴庵は、不安そうな表情を浮かべる娘に微笑み返し、大丈夫、とうなずいてみせた。


 それから、改めて佐吉に向き直り、

「それなら、良い方法があるよ」

 にっこり。いたずらを思いついた子どものような顔で、そう切り出した。


「へっ?」

 とたん、佐吉の目が真ん丸になる。口から、ぽろり、と、団子の欠片がこぼれ落ちた。


「うお、おおお、あるんですかい?」

 早く教えろと言わんばかりに、柴庵に詰め寄った。


「まあ、落ち着きなよ」


「これが落ち着いてられかってんだ! で、何ですかい? その方法ってのは?」

 佐吉が、ずいっと迫る。口角泡を飛ばし、柴庵の胸倉をつかまんばかりの勢いで。


 すると、柴庵は、

「簡単だよ。のぼりに、こう書くんだ“日本最古”って」

 ニコニコと人の良い笑みを浮かべながら、何でもないことのようにそう言った。


 佐吉のすべての動きが止まる。


 そして――。


「はあ?」

 おもいっきり素っ頓狂な声を、口から放った。


「何ですかい? そりゃあ?」

 あきれ果てた顔で、

「先生、ちゃんとあっしの話を聞いてやしたか?」

 柴庵に、問いただした。


「もちろん。聞いてたよ」


「じゃ、なんだって、そんな答えになるんですかい。あっし、言いましたよね? “最新”だって」


「そうだね」

 柴庵は、笑みを浮かべたまま、うなずく。


「……先生が何を考えておいでだか、あっしには、ちいっともわからないんですがね」


 佐吉は、柴庵の真意を図るように、まじまじと見つめた。しかし、けっきょくわからなかったのか、困惑した顔で、首をしきりにひねった。


「まあ、聞きなよ。“最新”は、すなわち“最古”ってことさ」

「へっ? ……禅問答か何かで?」

 佐吉は目をしばたたき、さらに“わけがわからない”という表情になった。


「そうじゃないよ。その“刻み煙草用点火器”ってのは、いままでに無かったものだよね?」


「あっしの知る限りでは」


「じゃあ、日本で初めてだ。ということは、“ソレ”は、いずれ“日本最古”のモノになるんだよ。このあと、どれだけ似たようなモノがつくられても、いま佐吉が持っている“ソレ”が、“いちばん古いモノ”になるんだ」


「あ……」


 佐吉の両目が、こぼれ落ちそうなほどに見開かれる。


 あんぐりと開けた口は、いまにも顎が外れそうだ。


 そのまま数拍固まったあと、徐々に頬をゆるめ、やがて満面の笑顔になって、

「ハハ! ハハハハ!」

 笑い袋が弾けたように、笑いころげはじめた。


「たしかに、先生の言うとおりでさあ! アッハハハハ! こりゃいい!」


 そんな佐吉を、茶屋の娘は遠巻きにして、おびえたように眺めている。


 ……この茶店で佐吉は、本人の預かり知らぬ間に、すっかり不審な輩となってしまった。


 苦笑いをこぼす柴庵に、

「よおっし、家にけえったら、さっそく“日本最古”って書いたのぼりを作ってやりまさあ! ふっ、ふふふ……これで、あの野郎に、ひと泡吹かせてやれるってなもんだ!」

 と、何も知らない佐吉は、すこぶる上機嫌で、膝をたたく。


「さっすが、柴庵先生! やっぱりアタマの出来が違うってなもんだ」

「褒めても何も出ないよ」

「や、ここは、あっしにおごらせてくだせえ。何がいいですかい? お、そうだ、この時節だけ出してるアレにしましょうや」

「梅餅かい?」


 この時節だけ出しているモノとなれば、きっとそうだろうと、柴庵は見当をつける。

 ちなみに、柴庵の好物でもあった。


「美味しいよね、あれ」

「もしや先生もお好きで? 美味いっすよねえ、あれ……」


 酒豪で鳴らす佐吉が、甘味もいける口だとは、初めて知った。


 柴庵は、どこか微笑ましい気持ちで相づちを打ち、

「そういえば、梅餅って、この茶店が、一等先につくったそうだよ」

 ふと思いだしたように言った。


「へ? そうなんですかい? そりゃあ知らなかった。町の名物ってことまでは知ってやしたが。なんせ、ここの出じゃないもんで、細けえことまでは。へえ~」


 感心しきりといった様子でうなずく佐吉へ、

「だから、言ってみれば、この茶店の梅餅が“日本最古”ってことになるのかもねえ」

 柴庵は、にこやかに言葉を続けた。


「おっ! そう言われてみりゃあ!」

 佐吉は目を輝かせ、うれしそうに笑うと、

「お~い! 親父! 日本一古い餅をくれ!」

 店の奥へ向かって声を張り上げた。


 その直後、鬼の形相をした店の主人が、ほうき片手に飛び出してきた。


「なんだと!? この野郎! うちは、そんなモン出しちゃいねえ! 毎朝つくりたてだ!」

 怒り心頭といった様子で、佐吉に向かって、ほうきをぶん回す。


「帰れ、帰れ!」

「へっ!? うわわ! 何しやがる!」

「そりゃ、こっちの台詞だ!」

「ちょっ、誤解だ! そういう意味じゃねえ!」


 床几から追い立てられた佐吉は、逃げ惑いながら、誤解を解こうと必死で訴えた。


「はっ、じゃあ、どういう意味だってんだ?」


 しかし、頭に血がのぼっている主人は聞く耳持たず、真っ赤に染まった顔で、なおもほうきを振り回しつつ佐吉を追いかける。


「うわっ、危ねえな! 待てって、話を聞いてくれ!」

「うるせえ!」


 止めようにも、修羅場すぎて、どうにも手が出せない。


 ここは一旦、佐吉に引いてもらって、あとで主人に事の次第を話すのが一番良いかもしれない。

 すると佐吉もそう思ったらしく、裾をからげて、ほうほうの体で逃げていった。





「やれやれ……」

 どっと疲れが押し寄せてきたような気がする。


 ようやく戻ってきた静けさの中、柴庵は嘆息し、凝り固まった首の後ろを手でもんだ。


「にゃあ」

 いつの間に戻って来たのか、さっき逃げた三毛猫が足元にいた。


「やあ、君か」


 黒くつぶらな瞳で、こちらを見上げる猫に話しかければ、猫はもうひと声「にゃあ」と鳴いて、丸い頭を柴庵の足首にすり寄せた。


 そっと手を伸ばし、くにゃりと柔らかい体をすくいあげる。


 そのまま膝の上に載せて、喉元を撫でれば、三毛猫は満足そうにゴロゴロと喉を鳴らし、やがて、すうすうと寝息を立てはじめた。


 そして柴庵も膝に猫を抱いたまま、ぽかぽかとした日だまりの中、ゆるりとまぶたを閉じた。


 ふうわりと、甘く涼やかな香りが鼻をくすぐる。

 この暖かさで、梅の花が一段とほころんだようだ。


 春は、近し――。

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