第2話 カップ麺が出来るまで

「この声……嘘……魔神バシロエス……あのとき火口に沈めたはずじゃ」


 見ると飛行軍が撤退した上空に一つの巨大な影が突如として現れ、のたうち回るような仕草で長い長い咆哮を上げていた。

 四人はその影をみとめ、先ほどの楽観ムードから打って変わって焦燥を顔に浮かべている。その巨体と四人の表情と何より空気が揺れる程の叫び声から、あの化け物が脅威であることは明白だった。

 ならば、と先ほどと同様に人差し指を向けて心の中で呪文を唱えたが、静寂が流れるのみで、何度やってもあの電子音は鳴り響かなかった。


「勇者様の精気が尽きてしまって、それにもう活動限界が近いですわ」


 ハンナが残念そうにつぶやく。何だが男としての誇りが傷ついたような……。


「奴がいないからこの野戦が成立したのだ。勇者の力にも頼れないとなるとまずいぞ」

「でも怒りで我を忘れてるみたい。何とかこっちに引き付けることが出来れば」

「駄目だ、危険すぎる。カミラ、お前は勇者の召喚で魔力を限界まで消費しているはずだ、それに後ろの街にも被害が出る可能性も」

「でも、やるしかないよ!! ここまでみんなで頑張ったんだもん」


 一転、緊迫の状況となった城壁の上で、カミラとローレイドの間で口論が始まった。

 当然、その場にいる自分自身も先ほどの余裕は既になくなっていた。身の危険を感じる程の威圧感をあの魔神は周囲に放っているのだ。絵のように感じられた空中の大軍とは別次元の、実感を伴う恐怖の存在。二人の話の内容から察するに、魔神の力は人間の集団をゆうに圧倒するパワーを持っているのだろう。

 体を嫌な汗が伝う。死の危険があたりまえに存在する異世界に、俺はやってきたのだ。俺はただ、ただカップ麺を作って待っていただけなのに……。


「あ」


 そうだ、思い出した。俺はただカップ麺を作って待っていただけなのだ。


「なあ、もしかして」


 俺は頭の中に浮かんだある仮説をじっくり吟味することなく、カミラとローレイドの口論を遮る形で口を開いた。


「6メライって多分この世界の時間の単位なんだろうけど、それってもうそろそろだよな? でも俺の体に何も変化はないが……」

「確かに……伝承ではだんだんと砂になって風に運ばれていくと言われていましたが」

「砂? それは、ちょっと怖いが……まあ、それはいいとして俺は多分あと4メライ活動できるはずだ。理由は、うまく説明できないが」


 その言葉に一同は目を見張った。


 ……6メライはおそらくカップ麺が出来上がるまでの時間を意味するのだと思う。俺の世界で言うところの3分がそれに値する。

 かなり荒唐無稽でファンタジーな設定ではあるが、カップ麺の完成を待つ異世界の人間をこの世界に召喚する魔術が確かに存在するのだ。

 ただし、今日俺が選んだカップ麺は太麺のまぜそばで、出来上がるまでに5分かかるタイプのカップ麺だった。油マシマシのカップ麺だった。

 そして砂となると言われている俺の体が、依然として体裁を保っている事実が、ある仮説を確かなものにした。


 すなわち、カップ麺が出来上がるまでの5分間、俺はこの世界に留まることが出来るのではないだろうか。


「ただ問題は魔力が足りないってことだが」

「そ、それなら私が勇者様へ精気を転送すれば万事解決ですわ。私とティルシアの魔力を合わせればもう一発!」


 僧侶ハンナが息を荒くしながら答える。精気だの一発だの物騒な単語が並ぶのは少し引っかかったが、幸い魔力の転送という概念はあるようだ。


「なら、私がバシロエスを引き付けて……」

「おい、それではさっきの波動をまともにくらってしまうぞ」


 動き出そうとしたカミラをロードレイが制止する。たしかに、課題はもう一つあった。

 肝心の俺が放つ魔法は、魔法と呼べるような緻密なしろものではなく、もっと単純な破壊光線と言うべきものだった。魔力を転送してもらいバシロエスを引き付けたところで、俺が放つ魔法で全てを消し飛ばしてしまう展開は芳しくない。


「あの……」


 すると、今まで伏し目がちでやり取りを見守っていた魔法使いティルシアがおずおずと手を上げた。


「勇者様の放つ魔法は我々魔導士と基本は同じで、手根からエネルギーが出ているんだと思います」


 ティルシアは手首の付け根あたりを指し示す。


「元来魔導士は手根から伝わるエネルギーを杖などの媒体で力を制御しながら魔法を放つのですが、勇者様はそれを指で行っていて、だから先ほどは拡散するように魔法が飛んで行った……」


 先ほど自分がやったように人差し指を空に向けたティルシアは、そのまま両手をお椀の形にして、手の付け根どうしをくっつける。


「ならば、このように手を重ねて放てば魔力は拡散することなく正確に前に飛んでいくのではないかと……」


 目が合うとすぐに逸らされたが、振り返ったティルシアの目は確かな自信を宿していた。なるほどそれはこちらの世界で誰もが知っている必殺技の一つにとても似ている。


「なら、大丈夫だね」


 カミラは覚悟を決めたように笑う。


「ああ、ティルシアが言うのであれば……おい勇者外したら承知せんぞ」


 ロードレイもティルシアには信頼を置いているようで、俺の方に剣を向けて釘を刺したが、少しため息をついて「じゃあ私が援護する。けして無理をするなよカミラ」と動き出した。


「さあ勇者様とティルシア、私たちは城壁塔の裏に隠れて精気の転送を行うとしましょう」


 ハンナはいささか食い気味に喋りながら俺とティルシアをいざなう。言われるがままそれに付いていく俺は、途中で後ろを振り返った。

 カミラが城壁の欄干に乗り出し大きな旗を振りながら「魔神バシロエス、おまえを火口へ沈めた英雄の血族たちはここにいるぞ!」と叫んでいる。

 旗をみとめたのか、それともカミラの声が届いたのか、狂乱状態だった魔神バシロエスがさらに大きな唸り声をあげて闘牛のようにこちらへ飛行突進するのが見えた。


 ……そもそも、この戦いは彼女たちの戦いで、俺はただ兵器として呼ばれたに過ぎなかった。それを先ほどの議論と今に至るまでの彼女たちのチームワークが証明していた。彼女たちはこういった危機を息の合ったコンビネーションで幾度も乗り越えてきたのだろう。

 だが、俺にやれることはやるべきだ。カミラの真剣な眼差しが俺を動かした。”こんなこと”で救える世界などありはしないのだ。


 しかし、俺の決意をよそに城壁塔の裏では予想を裏切る行為が行われていた。……いや、なんとなく察しはついていたかもしれない。


「時間もないことですし一気に行きますよティルシア!」


 そう宣言したハンナはティルシアを抱き寄せ全てを吸い尽くすようなディープキスをはじめた。


「はぁ……! んぅ~~~!? あっ。あぅ……」


 先ほど理路整然と魔法の原理を語っていたはずの魔導士が可哀想なぐらいに崩壊していく。今彼女の口の中では粘膜と粘膜がひっきりなしに交感しているのだろう。

 ……などと冷静にことを見守っている場合ではなかった。俺の服装は白シャツとトランクスという超薄着なのだった。

 理論的に考えれば、魔力を転送する流れで俺に対してもそういった行為が発生するのは確実だろう。そうなると自分の下半身が心配になってくる。下半身にたった一つの突起物をひっさげて魔神バシロエスに対峙するのはなんとも不格好だ。


「はあ、ゆうひゃはは、わはひほひるひあのへいひをうへほっへふははひ」


 口いっぱいに何かを含んだハンナは期待の入り混じった目でこちらに迫ってくる。後ろでは生気を抜かれたようにティルシアが横たわっている。

 ええい、ままよ、と俺は覚悟を決めて目を閉じた。なるべく、別の事を考えよう、お花畑とか幽霊のこととか考えよう。


「ん!?!!?」


 俺とハンナの唇が触れ合った瞬間、強引に口が開かれヌルヌルとした何かが大量に流しこまれていく。その瞬間俺は恥ずかしい嬌声を上げてしまったが、それを恥じる間もなく触手のような舌が口内をめちゃくちゃに這いずりはじめる。

 それと同時にハンナは彼女の柔らかい体をこれでもかと押し付けている。上半身に伝わるぬくもりとふっくらした感触で俺は頭がおかしくなりそうだった。


 実際にはほんの10秒程度だっただろうが、永遠に感じるほど長い時間責め続けられていた俺は、「さあ、勇者様、特大の一発をお願いします!」と、背をおされハッとした。体にみなぎる魔力を今は感じることが出来た。下半身は、やや、やや、というところで収まってくれた模様だ。


「ありがとう! 行ってくる」


 ファイト! と声援を送るハンナを背にして俺は城壁塔の裏から飛び出た。


 城壁の上では、カミラとローレイドの二人が出鱈目に暴れる魔神をなんとかしのいでる。黒々とした体は近くで見ればあちこちが爛れており、頭は元の形を想像できないほど変形していた。

 遠くからでも確認できるほどの巨体だったのだ、カミラとローレイドの背丈は魔神のすねぐらいまでしかなかった。一刻も早くこの戦いに終止符をうたなければならない。


「いけるぞカミラぁ!」


 ありったけの大声をあげて、俺はカミラに合図した。

 その瞬間、カミラは不自然によろめいて城壁の欄干部分に倒れ込み、そのまま城壁の外へ身を投げ出すような態勢になった。魔神は本能でその一瞬の隙を察知したのか、カミラの方に迫っていく。


「そうか……後ろに町があるもんな……」


 俺はカミラの不自然な行動が演技だと理解する。

 先ほどの位置では俺が万が一的を外した場合、右手側の城壁に守られた街に被害が及ぶ可能性があった。


「でも俺は絶対に外さないぜ」


 何故ならこの必殺技には自信があったからだ。子供のとき何度も真似してきたのだ。


「うおおおおおおおお!!!!!」


 両手をお椀の形でくっつけ、ハワイの大王からとったと言われる"あの"技の名前を心の中で唱えた。

 すると、先ほどの電子音とは打ってかわって、ズオオオオオオという地響きのような音が轟いたと思うと、まばゆいばかりの青白い光が両手から人間大、人間大から魔神の上半身を消し去る大きさにまで広がり前方へと射出された。

 目の前が光で包まれ、一瞬何が起こったか分からなかったが、射出が終わったあとには、上半身をえぐりとられた魔神バシロエスのまさしく無体な下半身が残っていた。

 恐ろしいことにその足はまだ余韻を残していて、城壁に背を預けたカミラの方に迫っていたが、カミラが掛け声を上げてその下半身を袈裟切りに切り落とすと、城壁の外に落下していった。


「終わった……」


 落下していく魔神の両足と、それを見た城下の軍勢の歓声が戦いの終焉をつげていた。

 俺はカミラとローレイドのもとへ駆け寄る。


「流石だな、街を守ろうとしたんだろ?」

「いえ、むしろ勇者様を信じきれなかったことに謝りたい気分です」

「そんなことはないさ、あれで気が楽になった部分もある」


それは本当のことだった。あれで心置きなく魔法を放つことが出来たのだ。


「でも……あの山を削ったのとか、良かったのか……?」


 俺はおそるおそる三日月形に削られた山を指さして今の今まで気になっていた部分に切り込んだ。もしかしたら彼女たちは軍勢が消えていくのに夢中で、後ろの山の前後に気が付かなかったのかもしれない。

 彼女たちに街を守るという正義や道徳があるのであれば、あの山を消し去った俺はおそらく追及されなければならないだろう。


「あそこの方角の人間や家畜は全員避難しています、それに……」


 そう答えたカミラは遠いところを見つめて次の言葉を紡いだ。


「勇者様は変に思われるかもしれませんが、この世界の私たち人間は魔族との戦闘で生まれる様々な傷跡を受け入れ、出来るだけ残そうとします。それがたとえ大地の傷跡であっても、愛した人の死であっても……それを目に焼き付けて私たちは前に進むのです」


 カミラの目に憂いが宿る。


「ただ勇者様に、たとえ異世界であっても人間を殺すという責務は負わせたくなかった。あの山を案じるのであればきっと、勇者様の世界は正義に満ち溢れた素晴らしい世界でしょうから」


それを聞いた俺は目頭があつくなるのを感じた。


「まあ、カップ麺はめちゃくちゃうまいな」


 しんみりとした雰囲気が苦手な俺は、誤魔化すかのように変なことを口走る。


「えっ? カップメンは食べ物だったのですか? おいしい……どんな食べ物なのか気になりますね……」


 予想外に食いついてきたカミラを見て笑みがこぼれる。魔神を斬り伏せた瞬間から落差の激しい愛嬌を見せた彼女は、いや、彼女たちは確かにこの世界を守って見せたのだ。勇者にふさわしいのは俺ではなかった。


「なあ、俺は勇者じゃなくてカシワっていう名前があるんだ。すぐ忘れられるような名前だけど」


 短編小説の最初の数行で出てたら十中八九後半には忘れてるような名前だけど。


「それに勇者は俺じゃなくてお前たちだろ。俺をここに召喚する呪文を使ったのもそうだし、さっきのチームワークを見て思ったよ」

「たしかに、碑文を探すのには骨が折れたぞ。道中で何回カミラの無茶苦茶を諫めたことか」


ロードレイが苦い表情で過去のことを振り返る。


「もう! 意地悪言わないでよ!」


 と、反論しようとしたカミラだったが、心辺りがあるのか「まあ……」と途中でしおらしくなって黙り込んだ。


「だから、俺には勇者なんて言葉は似合わないよ」

「いや、そんなことはないです。山のことも、街のことも、それに咄嗟の対応力が常人離れしているというか、普通異世界に連れてこられたら4メライは無駄にすると思いますよ?」


 まあ、それは俺が色々な作品から教育をうけているせいもあるだろうが。


「ん?」


 気が付くと自分の手の先が黄色く変色し、指先がポロポロと崩れ、砂になって風に運ばれていく。


「マジで砂になるのか、これちゃんと戻れるのかな」


「勇者様、いえカシワ様、本当にありがとうございました、きっとあなたでなければこの世界は救えなかったでしょう」


 カミラが涙を浮かべながら俺に感謝を告げる。


「服装のことをいじったのは詫びよう、でも……その……戦場で下半身のあれこれを隆起させるのはやめておいたほうがいいと思うぞ」


 ロードレイは少し顔を赤らめながら頭を下げる。


「気づかれてたの!?」


 俺はあたふたとしながら砂となっていく下半身を隠そうとする。


「勇者様、私の術式で……うれしいですわ」


 ボロ雑巾のようになったティルシアを抱えながらやってきたハンナは妙にツヤツヤした顔をしている。


「お、お世話になりました……」


 なんとか声を絞り出したティルシアは俺に手を振った。


「…………」


 最後にもう一度、勇者はお前たちだと言おうとしたが、それは言葉にならず、意識が宙に浮いていくのが分かった。


 頭まで砂になった俺は風に飛ばされ、この世界を空から見下ろす。赤レンガの街並みと三日月型とお椀型に抉れた山脈、その先の俺の知らない景色は、けして5分間で味わうことの出来ない広大な、偉大な世界だ。



 気が付けば、目の前には少し黄色くなった台所の壁があった。

 時刻は11時30分を示している。


「やべ」


 俺はそそくさとカップ麺のお湯を捨てる作業に入った。カップメンケッキョクセツメイドオリニツクルノガイチバンイイネ。


 それに……


「異世界はやはり腰を据えて転生するべきだ」


 そう結論付けた俺は考え事をしていたせいか、カップ麺の中身を洗いものだらけの流しにぶちまけていた。







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カップ麺が出来るまで 穴沢メェ~ @meianother

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